唄う幾星霜・後///
★★★
「いい? 悪いことをしたら剣様のバチが当たるんだからね」
ずっと昔から俺のいる村ではそう言われ続けていた。
俺の村は大きな山の麓にあって、その山の向こう側には大小さまざまな山がいくつもいくつもそびえたっている。
この村からその全貌を知ることは到底できないほど巨大な連峰。山と呼ぶには余りにも切り立ったその様子が巨大な剣が幾千もつきたっているかのようにみえることから付けられた名前は千剣山。
俺たちのいる村は、そこへ向かう数少ない調査隊たちの最後の休息地でもあった。戦争が起きてからはここへやってくる調査隊などいなくなってしまったが、近年では遅い復興の後に久方ぶりの調査が行われることになっていた。
千剣山はその全貌を未だ大半が謎に包まれたまま。未開の山には神がいると村では昔から言われている。千の剣を持つと言われる神にあやかって、ここが千剣山と呼ばれているのか。それとも、この山が千の剣のように見えるから神も剣を持ったのか。答えはいまだ出ていない。
剣を持つ神は蛇身で描かれることが多い。その体に無数の剣をくくりつけたような姿だ。神が俺たちに恵みをもたらしてくれるわけではないが、この村では定期的に神を奉る。村にこれ以上の不幸がもたらされぬようにと人々は祈るのだ。この風習ももうずっと昔から続いているらしい。
千剣山にはそのための祭壇が設けられている。険しい連峰の進んだところにある、切り立った山の上にある。巫女が一人それに同行するが、いつも彼女たちは行きたくないと首を振っていた。それほどまでにその山は険しいのだ。
山と呼んでいいのかわからないその岩肌。無骨に作られた機能だけの巨大な祭壇に村の人々はありたけの食料を所狭しと置いていく。生肉から野菜、遠くより手に入れた魚も、ありたけ。それから巫女が高く透き通った声で歌を捧げる。
彼女の歌声はいつも綺麗だった。
★★★
おなか すくころ なると
いっつも いっつも みつけるの
☆☆☆
ごはんのとき
いっつもおうた よくきこえるよ
だからまってるの
でも どこにも ないのね
☆☆☆
ひと ひさしぶり みた ひと と おもい なかった。
こんなに おおきな からだじゃあ
つついただけで ふきとばしてしまうから
なんだか なんだか かなしい
☆☆☆
なにかいってたの
でもよく きこえないから
☆☆☆
おうたがきこえたの
でもなんだか なんだかちいさいおこえ
いやなにおいもすごくするの
またきてくれないかなぁ
またきてくれたら
そしたらこんどは
おほしさまみせてあげようとおもったのに
☆☆☆
よんだ?
わからない けど
そんなきがしたの
わたししってるよ
いつもおうたとおいしいの、くれるでしょ
しってるよ
こえ、おぼえてるもの
おぼえてるもの
でもいやよ そのひとはいやよ
だめ、とらないで
とらないで、とらないでってば
☆☆☆
うん、きいてたよ
あのね
またきかせてね
きかせてね やくそく
★★★
果たして神は。剣の王は。彼女の歌を聴いていたのだろうか。もしも知っていたというのなら、神は彼女のことを慈しんでくれたのだろうか。
彼女の、あの透き通った歌声をもう聞くことができないと知ったら。神は悲しんでくれるだろうか。そうであってほしいと、いるかどうかもわからない存在に願うのは愚かだろうか。
★★★
そのひと なんかいもくるの。
もう かぞえるのを やめるくらい、 なんかいも。
あしもと うろうろする
ちいさいから つぶして しまわないように きをつけるけど。
たまに バラバラ おちちゃうから すごく、 すごく…
ああ、ええと なんだったっけ
あ。
またのぼってきた
☆☆☆
またきたよ
ここにどうして これるんだろう
たまにしかだれもこないのに
でも うんと うれしい
☆☆☆
たくさん きた。
いたくていたくていたくていたくていたくて
いたいよって いったけど やめてくれない
だから おほしさまが つぶしてったの
しずかに なった けど どうして どうして どうして。
どうして あなた が なくのでしょう
☆☆☆
こない。
☆☆☆
ぐるり。ぐるり。ぐるり。
こない。
のそり。
ねても ねても だれも だれも。
だあれも。
☆☆☆
ちくちく やだ
☆☆☆
おこる の なんで。
だって、 いたいの いやよ。
ちくちく しないでよ。 しっぽ、つつかないで。ぱちぱち、いたいの。
きらい。 いやだ。
☆☆☆
また、ないてる。 なんで。だれが だれが。
だれが あなたを 。
☆☆☆
おうた でもちがう
でもちがうの なんで
あ。
そうだ、おうたのじかんだね
でもどうして ちがうのに うたってるの
あのひと ちがう の?
☆☆☆
★★★
大分時間があいてしまった。記憶と異なっていることも多かったが、意外と覚えているものだと我ながら感心する。祭壇も風で崩れかけていたが、まだそこは残っていた。
持ち込める量などたかがしれていた。一人でくるには余りにも過酷な場所だが、他に同行したがる者もいないのだから仕方がない。ただひとり、忘れられない儀式を曖昧に行う。せいぜいこれくらいはと、かつて捧げていた神酒に最も近かったその酒を祭壇に注ぎ込む。ひび割れもないその巨大な器は、なみなみと注がれた酒を一滴もこぼすことはなかった。
うろ覚えのまま口を開く。自分用にと持ってきたちいさな杯で少しばかり酒を飲みながら。
彼女の声を、唄を思い出すようにしながら口ずさんでいると、遠くから音がした。静寂か雷鳴か、崩落。そればかりの千剣山では聞きなれない、なにかが動く音。断続的に聞こえる音に警戒していると、それは現れたのだ。
まるで山がうごくなのような巨大な影が、ぐらぐらと足元を揺らす。それでもやはり、杯からは一滴も落ちやしない。ごくりと喉がなった。
ああ、星だ。空にちょうど星が見える。
もしそこにいるのなら、聞いてくれ。千剣の王はたしかに、涙を流したんだ。
★★★
あまいおみず
わたしが すきなの しってた の
☆☆☆
あのひと の おうた も
きらいじゃない よ
☆☆☆
め。 よこで。 あなた、すわってる。
ちっちゃなちっちゃな 手で、 わたしを つん。
つん つん。さわる、そのおてて、 なんだか、なんだか。
☆☆☆
ずうっとおしゃべり。
ひとりで、ずぅっと、あなたが。ひとりごと。
ちゃんと きいてる よ。
うん。 うん。 うん。 うん。
きいてる、きいてるよ、 。
☆☆☆
いない。いない。どこにもいない。
☆☆☆
☆☆☆
やま。 うごいてこう。 あなた さがして。
また、こえが ききたいの。
おうたも きかせて
☆☆☆
☆☆☆
いないね。おほしさま。みつからないね。どこにも。どこにも。
まだまだ さがし たりないのかな。
どこかに いると おもったのに。
どこにもいない。いない、いない。いないいないいない。
☆☆☆
☆☆☆
おもいだしたよ。
おもいだしたの。
「あいたい」よ。
☆☆☆
あいたい のに
☆☆☆
”さみしい”
☆☆☆
☆☆☆
☆☆☆
おほしさま
おねが あるの
おうた もう わすれちゃったから
また きか せてね
そ れから お うた おしえ ね
こ どは わたし い しょ に うた
★★★
巨体が倒れていく。
災厄を振りまくと言われ、その存在を長い間危惧され続けていた伝説が一つ、そこに崩れ落ちていく。巨大な塔のような岩肌をすっぽりと覆い隠すほどのその体を轟音を立てながら崩れさせていった。
煌く剣のような鱗がぼろりと一つ落ちていく。屈強な鎧さえも容易に噛み砕く牙が一つ、傷に耐え切れず割れていた。その頭部から血が流れていっては乾いた地面に吸い込まれていった。
こぉ、と一瞬その体が輝いた。きらきらと粒子が舞う。ぱちりと青い稲妻が走り、そして、空からきぃんと音を立てて星が落ちてきた。からからと音を立てて転がったその欠片を拾い上げる。澄んだ青い色だった。
彼らは知らない。この戦いの地がかつて、その強大な存在…ダラ・アマデュラと名付けられた古から生きる古龍のために拵えられて場所であることを。
ながい戦いの末でそのいたるところが崩落してしまった。彼女のために作られた祭壇はすっかりと形を変えてしまっている。
有り余る体をその上に横たえながら、その瞳が閉じられていく。
かつて神であった剣の蛇は、ずうっと星を見ていた。