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■ 40.I arrive at Cairo in half day.

あの日の夢を見ていると、影崎はすぐに分かった。
あの男と出会った、あの日の事を。


満月が星を掻き消す、静かな夜だった。
窓枠の緑色を透かすたっぷりとしたヴェールは床まで流れ、そのすぐ側に置かれた黒色のテーブルの上にはマライアが置いていった水のペットボトルが二本置かれている。影崎が机と同じデザインの椅子を片手で、ツルツルとした光沢のある大理石で覆われた床の上を滑らせて自身の隣に移動させると、彼がもう片方の手に持っていたナイフが月明かりを反射して鈍く光った。

すう、と影崎が大きく息を吸う。その吸い込んだ空気はどこか雨の日の匂いがするようで、彼はそれをゆっくりと吐き出した後、手に持っていたナイフを握りなおし、緊張で乾いた唇を舐めた。



「―――肩の力を抜きなさい。私は何も、君を殺しに来たんじゃあない。交渉しに来たんだ」



それは皺枯れた、しかし一本芯の通った男の声だった。
影崎が目だけを横に動かすと、いつの間にか、彼が先程動かした椅子に老人が座っている。そこにいるにも関わらず、彼にのみ気配を示すその男は、隣の部屋に泊まっている彼の同行者に存在を悟らせるつもりがないようで、暴れる様子も、スタンドを出す様子もなかった。
穏やかな雰囲気の、だがどこか決定的に鋭すぎる眼差しを持つ男は、ゆっくりと体を影崎の方へ向け、全身を硬直させた彼に優しく微笑みかけた。



「私は君の矢が欲しい」
「・・・、」
「そして君は、あの子供を守りたい。その望みを叶える代わりに、私に矢を譲ってほしいんだ」



なぜ、矢の事を知っているんだ。どうして緘口令が敷かれていたハルノの存在を知っているんだ、と表情を固まらせたままの影崎は声を震わせた。彼の持つナイフの切っ先が男に向いてもなお、男は微笑み続ける。



「私たちの情報網に引っかからないものなどないのだ、と言ったら納得して頂けるかな?」
「・・・なんだ、それ」



強張ったままの表情の彼と、微笑んだままの男は微塵たりとも動かない。
キュッと閉じられた影崎の口が少し緩まって震えた。



「・・・それで、俺はその申し出を断ったら、どうなる?」
「ふ、君には断るという選択肢など存在しないのではないのか?それともそれ程大事なのかね?君にとって、その矢は」


「君の、あの子供よりも?」と少し笑い声を漏らした男が、影崎の表情を見た一拍の後、「ああ、そんな」と目を細め、彼の耳に顔を寄せた。



「それとも、まさかとは思うが、ああ、勿論仮にという前提の下で言わせてもらうが・・・・。君はDIOという”組織”にミジンコのようにちっぽけな”個”が対抗できるとでも考えているのかね?もし、もしだ。もしそんな事を考えているとしたら―――」



掠れた実力者の声から微笑みが消えた。



「―――身の程知らずもいい所だ。”個”では”組織”に対抗できない」



息継ぎと共にクツクツという喉を鳴らす音が、影崎の真横で囁くように、嘲笑うように響く。そして自信を持った声が張った。



「だが、我々なら君の望む結果をもたらすことが出来る。私が属している”組織”ならばッ!」
「俺はお前が信用できるとは思っていない!」
「違う違う違う!私を信用出来るか出来ないかの問題ではないのだ。いいか、信頼できるのは、君の所持している矢の能力。信用していいのは、我々にとってその矢を手に入れる事で大きなメリットがあるという事実!故にこの話を持ち掛けているのだ。私と君の関係はフェアなのだ」
「・・・」
「君の望みを叶えるだけの見合った対価を君は持っている。私が行動を起こして、君がそれを見届けた後に矢を渡してくれればいい。私は矢が欲しい、たったそれだけなのだ。実に簡単な事ではないかね?」



風に揺られたヴェールの合間から、月の光が差し込んできて二人を照らしている。
どれだけ沈黙が続いただろう。光の角度が少し変わって、ナイフの光が煌めいた時、影崎は詰めていた息を吐き出し、ナイフを降ろした。



「・・・ハルノの事をどこで知ったんだ。誤魔化さずに正直な話を知りたい。俺とお前の関係が公平なものならな」
「ふ、いいだろう。なあに、ちょいと君を操った事があるものに聞いただけだよ」
「―――アヌビス神か。・・・脅したのか?」
「いや、交渉したのだ。アヌビス神を承太郎という男のところへ確実に運ぶ代わりに、影崎という男についての情報が欲しい、とね」



さて、と声を零した男は、闇に紛れていた蝙蝠傘を杖の様について椅子から立ち上がった。爛々と輝く鋭い目が、影崎という人間を射抜く。それを受けた彼の目もまた鋭く、覚悟をしたようだった。



「――――それで、私たちはあの子をどこへ逃がせば良いのかね?」



このやろう、という言葉を噛み砕いて、影崎は内心舌を打つ。望みを言い当てられ、更に敢えて一人称を複数形にして脅してきて、何がフェアなものか。

影崎はぐっと手に力を入れたまま、だが鋭くした目のまま口を開いた。




「・・・誰にも知られずに、日本へ逃がして欲しい」
「SPW財団にも知られずにか?」
「ああ。”組織”には”組織”でしか対抗できないというのなら、それをやってもらう。あの子の存在をSPW財団に知られる訳にはいかない」



SPW財団という言葉に片眉を動かした男は、しかし上機嫌そうに笑みを深めた。
アヌビス神から子供の出自を聞いていたのだろう、確かにあの吸血鬼の子供と分かればただでは済まなさそうだ、と納得した様子だった。



「いいでしょう。そのかわり君には彼らを逃がすための時間稼ぎをしてもらう」
「いつまで?」
「雨が降るまでだ」
「雨・・・?」
「その通り。それまで君はDIOの従順な僕でなければならない。君を観察し、裏切っていないかを報告するDIOの者の目を欺く為に、君は戦い続ける必要がある。DIOに従っているフリをしてもらう必要があるのだ」
「・・・DIOの者、ってマライアとアレッシーの事か?」
「いいや、違う。君らを観察している別の人間の事だ。どうせDIOに雇われた下っ端だろうがね」



成る程。影崎は一言そう漏らした後、ナイフをテーブルの上に置いた。
それを見て、蝙蝠傘を持つ男は影崎向かって空いた手を差し出す。

暫く逡巡した様子の男だったが、結果的には彼はそのギャングの手を握り、そして。



■□■



目覚めた時、そこは列車の個室らしかった。



「―――起きたかね」



そう声をかけてきたのは、俺の正面に座っている夢の中の・・・いや、俺が手を組んだ男のものだった。ぶっ倒れた俺を担いでここに運んでくれたのだろう、一本の芯が通っているかのように真っ直ぐ伸びた背は彼の年齢を感じさせないが、たしか彼は五十代だった筈だ。成人した男を駅まで運べるなんておっそろしいオッサンだな・・・。やっぱり只者じゃない。とヒシヒシ感じながら、俺は横になっていた椅子からゆっくりと起き上がった。

まだ少しフラフラするが、大分調子は良くなったようで、空腹を感じる以外は体に異常はなさそうだ。
その事に安心していると、前動作を察する間もなくスッと男の手が伸びてきて、何かを握らされた。



「食べなさい。そんな状態で、DIOの館に行くわけにもいかないだろう」



そう言って、男が俺に手渡したものはチョコレートバーのようだった。
好きだろう?と言って微笑まれては苦笑するしかない。こっちの事は何でも知ってるって事だよなあと一人ごちりながら、未開封のチョコレートバーを開けて、ひと欠片だけ男に渡した。

彼がそれを肩を竦めながら口へ放り込み、しっかり嚥下した事を見届けてから、チョコレートバーを自分の腹に収める。毒なんて仕込まれていた日には一発であの世行きなのでね!と思いつつ、この怪しい男を未だに警戒する自分が滑稽だった。そんな男に、俺はハルノの命運を任せてしまったのだから。



「・・・それで、どうして今更DIOの館に行くんだ?俺をDIOに引き渡す気か?」
「引き渡したりなどしない。DIOの館に向かうのは、全て君の為だよ影崎。あの子供を逃がしたと口で言って納得する君じゃあないだろう。あの子がDIOの館にいない事をその目で、耳で、確認するといい」
「・・・・・ハルノ達は今どこに?」
「約束通り、ジャッポーネにいる。そしてこれが空港で撮った彼らの写真だ。日付の偽造はしていない。見るといい」



ひらりと懐から取り出した写真を受け取って、俺はその写真をじっくり見た。
どこかの空港で、不機嫌そうな汐華様と不安げなハルノが二人一緒に映っている。
右下にはオレンジ色の数字が刻まれており『'88 1 15』と書かれていて、どうやら俺が小さい頃よく見た、日付入り写真というやつのようだった。



「SPW財団にも足は掴ませていない」



そう言う穏やかな微笑みは、恐ろしく、頼もしい。
何もかも約束通りで、嫌でも彼の背後の”組織”の強さを痛感させられた。



「そう、ですか」



軽く満たされた腹をさすりながら、現実味のない事実を噛み砕いては飲み込んだ。
嬉しさと、恐ろしさが綯い交ぜになったような、複雑な味が口いっぱいに広がっていた。



カイロまで、あと半日



(承太郎達より後の列車に乗ったのでね、到着は彼らより遅れるので見つからない様に移動しよう)(それじゃあ、マライアとアレッシーは)(約束通り、病院で治療を受けているよ)
(・・・・・・そうですか)


(哀れな男だな、君は)(裏切っておきながら、捨てておけない)

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