■ 10.There is not the answer.

その日のDIOの館は普段の陰湿でほの暗い雰囲気を真逆にしたような、とてもDIOの館らしくない雰囲気だった。
この館で一番日当たりが良い南側の豪華な部屋にいた俺は、大きな緑色をした目をこちらへ向けているハルノにもう一度、ゆっくりとその言葉を口にしてやる。
絹のように細く柔らかい黒髪がほわほわと風に揺られて日本とは違う砂交じりの乾燥した風が部屋に流れ込むのを感じた俺は、大きく開けられていた窓を閉めた。
砂漠の砂は細かく、とても危ない。
うかつだった、と換気用の窓の鍵を閉めた俺は、またハルノに向き合う。

頬を淡いピンク色に染めたハルノを微笑ましく見守りながらもう一度手に持った写真を指し示し、先程から繰り返してる言葉を口にした。



「ぱーぱ!!」
「そうだハルノ。この人がハルノのパパだぞー!」
「ぱーぱ!!」



DIOの写真を見て、舌ったらずな口調で一生懸命パパという言葉を口にするハルノに俺は手を叩いて喜んだ。

なんたって初めてハルノがしゃべったのだ。
一緒にこの場にいたエンヤ婆が感極まって泣き出したのは正直引いたが、引いた部分は泣き方であって泣けるほど嬉しいという面では全力肯定。
それにしても初めてしゃべった言葉がパパでよかったとDIOの写真を見ながらしみじみ思う。
DIO様信者ではない俺はともかく、信者的に言えばハルノの第一声がDIOの事を指しているなんて嬉しさ卒倒もんだろう。
これがもしハルノの第一声が俺の名前だった日にはもう・・・ね!俺の命の危機ですよね。
ヴァニラあたりに瞬殺されるに違いない。もちろん嫉妬で。



「ぱぱ」
「・・・・・んー?」



ヴァニラに狙われた日には命がいくつあっても足りねーと遠い目をしていた俺の服を、ハルノがくいくいと引っ張った。
ほめてほめてと言外に示されている気がして、「偉いぞーハルノ」と髪の毛がくしゃくしゃになるのも気にせず撫で回せば、またハルノがキャッキャとはしゃぐ。

かわいいなあ、とDIOとハルノが全く似ていないことをしみじみ再認識していた俺だが、ハルノの先ほどの行動が急に気になり始めてきた。
たっぷり十秒は考えていただろう俺の脳が一つの仮説にたどり着いた次の瞬間、体がビシリと音を立てて固まる。

・・・いや、ちょっと待て俺。
今、俺の手元にはDIOの写真はなく、写真は机の上に置かれているのだ。
つまり、ハルノの先ほどの言葉は写真に写っているDIOの事を指したわけではなく・・・。いやいや。
でもこのくらいの子って物の認識とかまだあやふやっぽいし・・・おっおっお?!
うん、きっとそうだよな、とさっきとは打って変わって冷や汗ダラダラな俺は、この部屋のベットの上に置いてあった円らな瞳のぬいぐるみをハルノの前に置いてソレを指して言葉をつなげた。



「こ、これはー?」
「くま」



キリッととても凛々しい顔で即答したハルノに「・・・おお」と驚くことしか出来ないのは、いつの間にこんなに言葉を覚えていたんだろうという疑問とその表情に少し驚いたからだ。
こういうところは少しDIOに似ているかもしれない。
こうなってくるとますます自分の立てた仮説が本当のことに思えてくるから不思議なもので、先ほどから冷や汗しかでない。
そもそもとても頭のいい子だということはいつも一緒にいてしみじみ感じていることではあるが、いやでも・・・。
としばらく逡巡していた俺は、意を決して自分を指さしてハルノに聞いた。



「おれはー?」
「ぱぱ!」



仮説とはそれすなわちパパ=俺という式が成立してしまうということで・・・てか駄目だああああああこれはヴァニラに殺されるフラグだああああと絶望的な状況に嘆くべきか、それとも俺をパパと呼んでくれたことに喜ぶべきか迷いに迷った俺は、一通り喜んだ後に第三案として解決策を見つける方向に走った。
じーっとハルノのジョナサン似の目を覗き込んだ俺の真剣な顔が、ハルノの目の中に映っている。



「いいかーハルノ。ムキムキマッチョなブルマが来たら、ヴァニラって言うんだぞ」
「うー?」
「ヴァ・ニ・ラ」
「ばにら?」



それ即ちヴァニラを落とそう作戦。てかすごいなハルノ!やっぱりこの子めっちゃくちゃ頭いいんじゃないかな。それにやっぱり天使。とエンヤ婆の事を笑えない親バカな事を思いつつ、同時に俺の口から「あれ?」と声が出ていた。
ここまで頭のいい子が、イケメンDIOとモブ顔な俺を一緒くたにするか、と。
ワインレッドの絨毯の上に座っているハルノが、キョトンとしながらこちらを見ている。ハルノ。そう口にすればハルノが「?」と頭をこてんと傾けて、日の当たった黒髪がきらきらと光った。



「この人は?」
「ぱーぱ」
「俺は?」
「ぱぱ」
「OH・・・」



ハルノ、ドヤ顔である。
どうやらハルノ的にはDIOが”ぱーぱ”で俺が”ぱぱ”らしい。
これはどうしたものかと頭を悩ませながらも、俺の頬は緩みっぱなしだった。
こればっかりはしょうがない。生まれた時からずっと一緒にいるこの子の成長を俺が喜ばない筈がないのだ。
これがDIOの思惑通りだろうとそんな事は構わない。
構わないが、そこにある意図が読めないだけに不安が募っているのもまた事実だった。
俺を飼い殺しにするメリットがDIO側にあるとは思えない。
DIOは俺に何をさせようとしているのか、それがまったく分からないのだ。

じわじわと追いつめられているような感覚に侵されながらも、決して抗わせることはさせず、相手を思い通りに動かすことに関しては、DIO・・・いやディオ・ブランド―の右に出るものはいないだろう。
ジョナサンとディオの青春の七年間の話を聞いているだけに、よりDIOの考えていることがわからない。
DIOに関しては「長い物には巻かれろ」的な考えを持ったら最期だと思っている俺は、思ったよりこの館寄りの考え方になってきてるのかもしれなかった。



「まったく・・・俺も毒されてるよなあ、ハルノ」
「?」



ぎゅーっとハルノを抱きしめてぼやく。
自分が変わっていると気が付くのは、いつも変わった後だ。
それがこわいと思うのは俺が臆病だからか、それともただ弱いからか。
ああ、もう・・・。


弱いままでは、駄目なのだろうか。
強ければ、それでいいのだろうか。


ため息とともに吐いた言葉は、誰の返答もされずにどこかへ消えてしまったけれど。


同時に答えなんて誰にも分からないとも分かっている。

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