nostalgia

悔の話



「……じゃあ、行ってくる」


 衝撃の言葉を聞いてから数日間、俺はずっと考え続けていた。彼女が唐突にお嫁さん云々なんて言い出した理由。見慣れぬあのいやに大人びた表情の意味。考えて考えて――ない頭をフル回転させて出た答えはたった一つ。

『もしかしたらランは、俺がずっと彼女に対して抱えてきた感情と同じものを、今俺に対して持っているのではないか?』

 俺がずっと彼女に対して抱えてきた感情、――即ち、それは恋情であった。成長するにつれ抱くようになった嫉妬やコンプレックスを全て抜いた、非常に快活明朗で単純なもの。
 もし本当に俺が考えた通りであるのなら、それはなんて幸せなことだろう。ずっと想い続けて来た年月が報われて、最高のハッピーエンドを迎えられるのかもしれない。考えるとふわふわした気分になって、それだけでとても幸せだった。でもどこかで、そんなわけがないと否定的な自分が顔を出す。

 ランみたいに『出来た奴』が、俺みたいな駄目な男に惚れるわけがないだろう? せせら笑う声がいつでも頭のどこかで響いていた。そして、その声に噛み付いて否定することが出来るほど、俺の中のコンプレックスは簡単なものではなかったのだ。
 結局俺は、きちんと彼女の気持ちを確かめることすらせずに、ずっと逃げていたのだ。傷付きたくなかった。そんなわけがないでしょうとランに笑われたらと、そう考えると足が竦むほどの恐怖に襲われた。

 それでも結局、どうしたって期待を捨て去ることも出来なかった俺が出した結論は、さすがは臆病者だと嘲笑されたって仕方の無いものだった。

 俺の実家は、代々服飾系の職人をしている。父も当然例に洩れず、村で唯一の職人として働いていたのだった。だから俺は物心付く前からずっと、親父の跡を継ぐものだとされていた。別にそのことに対して文句は何もなかったし、それに従うつもりでいた。だから、暫く俺は街に住む叔父の家に厄介になることになっていたのだった。叔父は腕の立つ職人として街でも有名だったから、まあ、ある意味修行のようなものだ。
 暫く、というのがどれだけの期間かは明確に決められていなかったし、かなり長い間叔父の家にいることになるだろうということは、俺の御粗末な頭でもぼんやりと理解することが出来ていた。だから俺は、それを利用しようと思ったのだ。

 村に帰ってきたら、ランに想いを告げようと。もしその間にランに恋人が出来ていたり結婚していたり、そして俺のことを好きじゃなかったとしても――それは俺がずっと村にいなかったせいだと、自分の中でそう言い訳が立つ。
 なんて馬鹿なんだと、今ならば俺は自分にそういえる。当時の俺が選択したことはただの逃げであると断言出来る。
 でも、当時の俺には、それで精一杯だった。きちんと正面からランに向き合って傷付くことが、我慢出来なかったのだ。

 出発の日、ランは少しだけ泣きそうな顔をしていた。でも涙は零すまいと必死に笑顔を繕っていることが見て取れて、俺はその表情に少しだけ優越感を覚えた。


「マオちゃん、これ」


 それを悟られまいと顔を背けた俺に、ランは拳を突き出すようにして、握り締めていた何かを俺に差し出した。一体何だとその手を見れば、手のひらは柔らかく開く。白い手の中央に在ったのは、見事の一言に尽きるような、あまりにも立派な琥珀の石だった。
 何でこんなものを、と驚く俺をよそに、彼女は俺の右手にその琥珀を乗せる。今まで彼女が握っていたせいなのか、琥珀は微妙に温かった。石は光を受けてきらりと煌く。


「何だよ、何で琥珀なんか……」

「お守り代わり、みたいなものかなあ。ほら、長い間街の方にいたらマオちゃん、ホームシックで泣いちゃうかもしれないでしょう? だからまあ、この琥珀をあたしだと思って」


 おどけて言うランに、俺は一言馬鹿と放った。本気なんだけどなあと彼女が首を傾げて笑う。ぎゅっと琥珀の石を握り、俺は軽く唇を噛み締めた。


「要らねえよ、こんなの……」

「いいから。まあ、向こうに可愛い子がいても、あたしのことを忘れないでねーって念もこもっているんだから、持って行ってよ」

「何だそれ」

「ね、持って行ってマオちゃん。お願い」


 涙を堪えるようにして笑うランに、俺は耐え切れなかった。彼女の腕を掴み、自分の腕の腕の中に抱き寄せる。初めてそうした彼女の身体は思っていたよりずっと小さく細く、それでいて全てを包み込んでくれそうに柔らかかった。
 ランは驚いたように、俺の腕の中で身を固くする。とはいえほぼ反射で動いてしまったせいで、俺もどうしたらいいのか全く判らずにいた。
 花のように甘い香りが鼻腔を擽って、それでようやく俺は彼女の身体を離す。マオちゃん? と少し心配そうにランが見てくるものの、気恥ずかしさからどうしても目が合わせられない。でも今ならば少し素直になれるかもしれないと、微かな期待から俺は口を開いた。


「……ラン」


 今までにだって幾度も口にしたはずの彼女の名前を呼ぶだけで、大きな緊張感に手が震えた。色々な感情が混ざり合ってわけが判らなくなる。きりっと強く唇を歯で噛んで、息を大きく静かに吸ってから、真っ直ぐにランの目を見つめた。


「……言いたいことがあるんだ。ずっと、ずっと言いたかったことが、あるんだ」

「……なあに? マオちゃん」

「……っ」


 いざ言おうとすると、しかし声が喉の奥に張り付いたようになって出てきてはくれなかった。何とか言葉をひねり出そうとするも、どうしても掠れてしまって声にならない。息が苦しくなった。
 その様子から、彼女は訝しげに俺の顔を見る。


「……帰って、きたら……」


 結局、声に出来たのはそんな意気地ない台詞だけだった。嗚呼、言えなかった。淡い焦燥にも似た感情に苛まれる。


「街から帰ってきたら、そのとき一番に聞いて欲しい。……ずっとランに言いたくて、言えなかったことが、あるから」

「……うん。待っているよ、ずっと待っている。マオちゃんの言葉を聞けるの、楽しみにしているね。だから、……早く帰ってきて」


 静かに頷いて、ランはそっと微笑んだ。それを見て、俺は泣きそうになった。あまりにも、そのときの彼女の笑みは綺麗すぎたのだ。
 村を出るとき、欄はずっと、俺に向かって手を振ってくれていた。俺から彼女が見えなくなるまで。それを見て、俺は決めたんだ。絶対に一日でも早く一人前になって村に帰ると。そして、ランにきちんと自分の想いを伝えるのだと。彼女から貰った琥珀の石に、そう、誓ったのに。

 ――村が襲われた、と聞いたのは、それから二週間もしない内の出来事だった。


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Character

マオ

ラン

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