懺悔の話
3
「ねえ、マオちゃん」
淡く優しい色をした桜の花が咲き誇り、生き物たちが長い眠りから目覚める季節。俺たちが十六を迎える年の春だった。いつも通り、俺の隣で、しかし触れ合うことがぎりぎり出来ないような距離を保って読書をしていたランは、読んでいた本を閉じると唐突に俺に話し掛けてきたのだった。歌うような調子の声は夢を見ている人の声にも聞こえ、思わずどきりとしてしまったことを憶えている。
「何だよ」
対して俺は、わざと繕った気だるげな調子で返事をしたのだった。しかし彼女はもう慣れっこになっていたのか、そんな俺の様子など意にも介さずに話しを続ける。
「マオちゃんは、あたしのこと、嫌い?」
軽く発された台詞はあまりにも直球で、俺は一瞬呼吸が止まる。どう返事をしたものかも判らずに、曖昧な声で唸ることしか出来なかった。ランはそんな俺を見るとくすりと悲しげに微笑む。
「嫌い、だよね。知っているよ、そんなこと、当の昔から。……でもね、別にいいんだ。だってその分、あたしがマオちゃんを好きだから」
俺の答えを待たずして、彼女はそう言った。その内容に驚いて、俺は思わず大きく目を見開いて彼女を凝視する。ランは今までに見たことがないほど大人びて哀愁を帯びた表情で笑っていた。
よく見知った相手に知らぬ一面があるなんて、そんなことは至極当然のことだ。今の俺ならば、そんなことは嫌というほどに理解している。でも当時の俺は、そんなことは知らなかったのだ。だからひたすらに混乱し、彼女を見ることにすら躊躇いを覚えた。何も、言うことは出来なかったのだ。
彼女はそんな情けない俺の様を見ると、一瞬表情を消した。それからまた、いつも浮かべる明るい無邪気な笑みを作る。今さっき見ていた表情との落差は酷く、まるで夢だったのではないかと思えてしまうほどの見事な転換だった。
「なーんて、ね! 冗談だよー、マオちゃんったら本気にしちゃって、もう。あっ、でも勿論、あたしがマオちゃんを好きっていうのは嘘じゃないけどさ!」
「あっそ」
ふいっとそっぽを向くと、俺は無愛想に答えた。ランを見ないように目を瞑り視界から外の世界を否定する。どんな反応を示せば良いのかまるで判らなかった。
好きと言われたことに喜べばいいのか。見知らぬ彼女の一面を見たことに戸惑えばいいのか。はたまた彼女にあんな顔をさせた自分に怒ればいいのか。それすらも判らないまま、やっぱり俺は臆病者らしく逃げ出したのだ。
ランはそんな俺の対応は全く気にしていないように、尚も取り繕ったように弾んだ声で話し掛けてくる。わけもなく泣きたくなった。
どうしてもっと、素直になれないんだ。どうしてもっと、優しくなれない。どうしてもっと、言葉を巧みに扱えないんだ。きっとそのうち何か一つでも出来ていたのなら、大きく何かが変わるだろうに。
「まーたそんな無愛想な声出してー。そんなんじゃお嫁さん貰えないんだからね?」
「うるせえよ」
「だからそれが駄目なんだってば。もう、本当にそれじゃお嫁さん貰えないよ?」
「別にいいし、黙れよブス」
「酷いなあ。あっ、そうだ。じゃあこうしよう? あたしたちが大人になって、マオちゃんに好きな人がいなかったとして。それでお嫁さんも貰えていなかったとしたら」
あたしが、マオちゃんのお嫁さんになってあげる。
「……は?」
意味が理解出来なくて、俺は思わず目を開く。すると覗き込んできていたランの顔が間近に迫っていて、反射的に身体を後ろに反らす。それでも彼女はその距離を縮めるように、ぐいっとまた顔を近づけてきたのだった。
透き通るように青い瞳と目が合って動けなくなる。金縛りにあったかのようだ。瑠璃の宝石に似た深い色を秘める大きな瞳はきらきらと無邪気に輝いた。息が、しづらい。
囁くように、歌うように。彼女の可愛らしい小さな口は言葉を紡ぐ。
「あたしが、大好きなマオちゃんのお嫁さんになってあげる」
[mokuji]
[しおりを挟む]