nostalgia

悔の話

プロローグ


 ふっくらと大きい、たおやかな青白い光を湛える美しい月が静かに夜空に昇る、とてもいい夜のことだった。あまり褒められたものではない稼業の者たちが集いひしめく小汚い小さな飲み屋。そこで男は一人で酒を飲んでいたのだった。
 筋肉質な体躯、視線だけで人を殺せそうなほど鋭い眼光を細い瞳に宿す男は、明らかに堅気の者ではない。現に彼は、その道ではそこそこに有名な男であった。しかし今彼の意識は物騒な方向に向いてはいなかった。そわそわと落ち着かない様子で、彼は隣に座る若者に視線を遣る。

 男が気にしている若者は、まだ幼さの残る素朴な風貌をしていた。本当に成人しているのか一瞬疑いたくなるほどの童顔である。鼻の辺りに散るそばかすが、よりその印象に拍車を掛けているのであろう。彼は何かを考えるようにぼんやりとしながら、グラスの中の酒をちびり、ちびりと舐めている。彼はこの酒場で酷く浮いていた。
 このようなところにいては、この若者は性質(たち)の悪い連中にカモにされてしまうのではないだろうか。男の仕事は非道だが、彼自身は酷くお節介なのだった。


「……おい」


 遂に堪え切れなくなって、男は低い無愛想な声で若者に話し掛けた。しまった、と一瞬内心で臍を噛む。自身が強面な自覚があったものだから、これでは若者に怯えられても仕方ないと考えたのである。しかし男の予想は大胆に裏切られた。


「……はい?」


 声を掛けられた若者は、見目に似合わぬ落ち着きで答えたのだった。彼は真っ直ぐに男の瞳を射抜く。その視線には多少の憂いこそ見受けられはしたものの、しかしまだ純粋で曇りのないそれであった。
 やはり、この若者にこの場はそぐわない。
 男は彼の瞳を見てその思いを強くする。だが一方で、自分のような者に声を掛けられて普通の者がここまで平然としているだろうかという疑問が鎌首をもたげた。逆に慣れているようにも見えたのだ。
 さあ、この若者は果たしてどちら側の人間だろうか。考えながら、男は試すようにわざと声を厳つくした。


「お前、何でこんな飲み屋にいるんだ? ここはお前みてえなガキの来るところじゃねえ。さっさとあったかい布団の中にでも帰った方が身の為だぜ」

「……何ですか、いきなり。僕は単純に酒を呑みにここに来ているんです。飲み屋なんだから当然でしょ。あと童顔に見えるかもしれませんが、僕は成人しています。きっちり自分で責任を背負えるだけの年齢には達しているんです、放っておいてくれませんか」

「だったらもっと安全な飲み屋に行け。お前みたいなひょろい男はカモにされるだけだ」

「宿から一番近いんですよ、ここ」


 それだけ言うと、若者はちびりと琥珀色の液体を舐めた。ペースは早くない。その様子からして、どうやら酒はあまり強くなさそうである。
 ふん、と鼻を鳴らし、男はぐいっと酒を煽った。性別を誇示するように大きく突き出た喉仏が、豪快にごくりと上下する。それから彼は、まるで睨むかのように青年を見た。青年はその視線を受けて尚平然とした顔を崩さない。


「もう一度言うぞ。ここはお前みてえになよい奴がいるにはちと安全じゃない場所なんだよ。痛い目を見る前に帰った方が賢明だぞ」

「お断りします。僕が何をするのも僕の勝手だし、行きずりの貴方には何の関係もないはずです。それになよっちく見えるかもしれませんが、これで結構鍛えてますから、ご心配なく」

「お前な、人の忠告は大人しく聞いておけよ」

「それに」


 言葉を叩き斬るように、青年は強引に口を開いた。その勢いに押され、男は思わず口を噤んでしまう。元来口達者な性格ではなかった。ちっと悔しさに舌打ちするも、押された事実が一度でもあれば自分の負けである。大人しく彼に発言権を渡す。


「貴方こそ、どうして全くの無関係である僕なんかに構うんです。暇なんですか?」


 若者は、野良の黒猫の如く生意気な目つきで男を見上げた。負けん気が瞳の奥でめらめらと燃えている。若草の瞳は柔らかい印象を与えるものの、どうやらそういうわけではなさそうだ。男はその態度に、若かりし頃の自分の面影を見出した。生意気さに腹が立たないのはどうやらそういう理由らしいと自分で納得する。
 右の手で顎に生えた無精ひげを撫ぜる。ざらりとした感触があった。それからにやりと笑みを浮かべる。若者は、その笑みに表情を曇らせる。男が何を考えているのか判らないと、そんなことを考えていることが見て取れた。生意気だし口は回るようだが、まだまだ若いと男は更に笑みを深くする。


「嗚呼、暇人だよ、俺はな。暇人でなけりゃ、こんなところで一人酒なんざ呑んでいるモンか。お前に構うのは、単なる暇潰しだ。お前さんに多少の興味が湧いたんでな」

「呆れた。開き直りですか、大の男が」


 若者は言葉の通りの感情を乗せ、深い深いため息を吐く。それからまたちびりと酒を舐めると、何かを考え直したようにゆっくりと言葉を紡いだ。


「……まあ、いいですよ。僕も少し、色々吐き出したい気分だったんで。あまり愉快なお話でないですが、話してあげてもいい」

「ほう? 何だ、いっちょお聞かせ願おうじゃないか」

「……こういうことは、行きずりの人にだからこそ言えることかもしれませんしね」


 青年は瞳を伏せた。色素の薄い、若干短めの睫毛が目立つ。暖色の光に照らされて光るその様は、どこか彼を大人びて見せていた。


「――これは、愚かな僕が、大切な言葉を大切な女の子に一言も向けてあげられなかった、そんな懺悔のお話です」

  ***


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