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ある春の朝のワンシーン
双子。
不思議な関係だと思う。
きょうだい、と括るには近すぎて、同一のものとして括るには違いすぎる。
それ以前にわたしたちは二卵生。一卵性とは違って、元から別々のもの。
ただわたしは、その不思議で曖昧な関係に縋るしかなかった。
確かなものが、欲しかった。
目が覚めるといつも一番に嗅ぐ匂いは、ふんわりと優しい美味しそうなお味噌汁の匂い。
あー、また負けちゃったなーと思いながらボンヤリする頭を無理矢理起動させて、まだ布団から離れたくないと駄々をこねる自分の身体に喝を入れる。
春になったとはいえ、朝の空気はまだまだ澄んでいることと引き換えに冷たくて、薄い生地のパジャマに包まれた身体は外気に触れたことで無意識に小さく震える。
「うー、ねむ…」
大きめのベッドには、わたしと『彼』の二つの枕が並んでいて。
さっきまで寝ていたわたしの隣にそっと手を触れさせれば、少しだけ冷えている。
…まったく、本当に早起きだなあ。そんなことを思いつつも、少しだけ頬が緩む。
お気に入りの茶色い大きめ…というか男物のカーディガンを羽織って、わたしはリビングへ降りた。
そこに隣接しているキッチンからは、何かの焼けているジューシーな音がしていて、わたしのお腹はぐーと大きな音を立てて空腹を主張する。
そしてその音に気付いたのか、その美味しそうな音やら匂いやらをさせている張本人が振り向く。
わたしとそう変わらない背丈、同じ髪質の短い黒髪、わたしと同じ白い肌、少し女の子っぽい…というか、わたしにそっくりな顔立ちをした、わたしと同い年の男の子。
ここまで言えば判って頂けるだろうか。
そう、『彼』とは、わたしの双子の弟である。
弟、蒼華純はわたしに気付くとニッコリと優しく微笑んだ。「おはよう、姉さん」
学校では決して見られない、わたしにだけ向けてくれる微笑み。それが嬉しくて、わたしも笑う。
毎朝のことながら、やっぱり目が覚めて一番に純の笑顔というのは中々優越感に浸れる。
「おはよ、純っ。今日は和食?」
「うん、姉さん、朝にご飯粒食べるの好きでしょ。顔洗ってきなよ、もうご飯出来るから」
「はーいっ」
素直に返事をして、言われた通り洗面所に向かう。
前髪を軽く止め、冷たい水をばしゃばしゃと容赦なく顔にかける。目が一気に覚めるようだった。
それを何度か繰り返してリビングに戻れば、もう朝ごはんの用意は完璧に整っていて。
緩む頬を隠しきれないまま席に着けば、純が愉快そうにくつくつと小さく笑う。
「姉さん、嬉しそう」
「嬉しいもん。純のご飯美味しいしさー。でも今日も早起き対決じゃ負けちゃった」
「姉さん朝苦手だもんね」
「うん」
純もやっと席に着く。そのタイミングで手を合わせて、二人同時にいただきますと軽く頭を下げた。
一番先にお味噌汁に手をつければ、冷えた身体にそれはじんわりと染み渡っていく。
美味しい、と意識せずに声が漏れた。
「はー、やっぱ純のお味噌汁美味しい。ほっとする」
「ありがと。でもそんな特別なことしてないしなあ」
ちょっと困ったように純が笑って、彼もお味噌汁をすすった。その一連の仕草は男の子とは思えないくらい綺麗。
同い年の男の子っていうのは往々にしてあまりマナーの宜しくない子が多いのがお約束だけれど、純に限ってはそんなことは有り得なくて。
もっと言えば、わたしより余程マナーがなっている、ような気すらする。だってほら、お箸を持つその仕草の一つだって整っているんだもの。
やっぱりずるいよなあ、なんて思いつつ、わたしは卵焼きに手を伸ばした。我が家の卵焼きは基本出汁だ。別に砂糖やら塩やらが嫌いだというわけではないけど、出汁がやっぱり一番美味しい気がするので。
綺麗に巻かれた黄色いそれを口に放り込み咀嚼すれば、じゅわっと出汁が出てくる。このじゅわっと感だけは、どんなに練習をしてもわたしには真似が出来ない。
「おいしー。何でこんなにジューシーになるのー?わたし全然こんな風に出来ないよ」
「俺は姉さんの作った卵焼きの方が好きだよ?」
ほうれん草のおひたしをつまみつつ、案外お世辞でもなさそうに純が首を傾げて言う。ありがとうと一応言うも、やっぱり客観的に見れば純の卵焼きの方が美味しいと思うんだよね。
弟のハイスペックぶりと自分とを比べてほんの少し落ち込みつつ、わたしは納豆を白いご飯にかけた。
我が家では和食の朝ごはんと言えば納豆は欠かせない。
純もわたしがかけたのを確認してから、自分もご飯の上にたっぷりとかけていた。
しばらくどうでもいいような雑談を交わしつつ、のんびりと二人で朝ごはんを摂る。わたしの毎日の小さな楽しみ。
それが終わると、少しだけ急いで学校の用意をして。
「んー、じゃあそろそろ行こっか、姉さん」
「うん」
かちりと玄関の鍵を閉めた純は、当然のことのように右手を差し出す。わたしも当然のようにその手に自分のそれを重ねた。
わたしよりほんの少しだけ大きい、まだ成長途中の純の手は温かい。
心の優しい人はその分だけ手が冷たいなんて言うけれど、あれは嘘だと純の手を握る度に思う。
だって純の手はこんなに心地いいのに。
そのままぶらぶらと軽く繋いだ手を揺らしながら、ゆっくりと学校へ向かう。私立のエスカレーター式の学校は徒歩で行ける範囲内。
「寒いねー、今日も」
「うん。あ、でも左手はあったかいよ?純の手あったかいもん」
「姉さんは体温低いよね」
「冷え症なんだもん」
「あんまり良くないよなあ…姉さん細いし白いし」
「それ関係ないよ?」
「んー…まあでもそこが姉さんの魅力と言えばそうだし…姉さんは可愛いからなあ」
「そんなこと言うの純だけだからねー」
だって姉さんは可愛いよ?と言う純の頭を、繋いでいない方の手で軽くぺちんと叩いた。彼は何故叩かれたのか判らないといった様子できょとんとしていて。
純が褒めてくれるのは嬉しい。もっと頑張ろうって、純に褒められたいって思う。
だけど、純は女の子の誰にでも、可愛いとか、…恋愛での意味はないと思いたいけど、好きだとか、そういう言葉を使う。
それが、嫌で。嫌で嫌で堪らないというのはおかしいだろうか?
恋愛ではない。それはハッキリ言うことが出来る。
純は、大切だから。大事だから。世界で一番何より大切な人。
だからそれは恋愛なんていう安っぽい薄っぺらいものにはなりやしない。
「…純、わたし今日プリン食べたい、カラメルたっぷりの!」
一瞬よぎった考えを振り払うようにして無理に明るい声でそう言えば、純の表情がほんの一瞬心配そうに歪んだ。
けれどすぐにそれは消え去り、いつもわたしにだけ向けてくれる笑顔に戻る。
「じゃあ、今日卵と牛乳買って帰ろう。近くのスーパー、今日特売やってたよ」
「やった!」
「今日は特別にチョコプリンも作ってあげる」
「わーい、純大好き!」
「俺も姉さん大好きだよ」
わたし特製の深い蒼と白のストライプのマフラーに顎を埋め、彼は優しげに瞳を細める。
…そっと手を握る力を強めれば、少し痛いくらいの力で握り返された。
離さないよ、と言ってくれているように。
「姉さん」
「うん?」
「………ううん、何でもない」
「なあにー?」
「いいや?まあ…うん。ああ、俺が世界で一番好きなのはさ、」
「うん」
「何があっても姉さんだから」
ね?と顔を覗きこまれ、うん、とわたしは小さく頷く。
そして、最高の笑顔で言った。
「わたしも、世界で一番、純が大好き!」
嬉しそうながらも少しだけ切なげに笑った純の表情の意味を、その時のわたしはまだ、知らない。
ある春の朝のワンシーン
ただ君の体温と言葉を頂戴
[mokuji]
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