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ツンデ恋愛のススメ


「和田くん、是非、私とお付き合いしてくださいっ!」


 まだ空が透明な色をしている澄み切った朝、清涼な空気を切り裂く一声。甲高く、落ち着きに欠けたその声は最早暴力。しかもそれは真っ直ぐ僕に対して向けられており、当然その威力を最も強く喰らうのは僕の鼓膜だ。

 きぃん、と頭の奥のほうで遠く耳鳴りがする。起こり掛けた眩暈を何とか堪え、僕はこめかみに中指を押し当てると嫌な味のする唾液をこくり、飲み下した。


「嫌です」


 握手を求めるようにこちらへ差し出された右手だとか、深く下げられすぎて危うく髪の毛が床に届きそうな頭だとか、そういったものを一切無視して一言答える。我ながら愛想の欠片もない無機質な声。だけど彼女はこれくらいで心が折れるほど繊細なメンタルは持っていないはずだ……と思った僕の耳に、微かな呟き声が聞こえた。


「い……嫌…………断るとか、付き合わないとかじゃなくて、嫌って言われた……拒否された…………」


――さすがにつっけんどんが過ぎたかな? 聞いたこともないほど弱々しい声に、一瞬不安の雲が胸を過ぎる。でも、甘くすると付け上がるのは目に見えてるし、僕の対応は間違っていないはず。罪悪感にも似たその感情を、押さえ付けるように自分へと言い聞かせる。

 ……そもそも、告白する場所を間違えている。ここは僕らの教室だ、普段の僕らが基本的な学生生活を送るために用いっている場所。まだ朝が早いから、登校してきている人数は僕らを含め、然程多いわけじゃない。そう、確かに多くはないが、だからといってゼロでもないのだ。当然ながらこの光景を見ている者は何人かいて、――告白っていうのは普通、一目を忍んで行われるものではないのか。

 まあ、彼女からの告白はこれで通算六十二回目。その大半は多くの人で賑わう場所で行われているから、悲しいかな、人目に晒されながらの告白にも、僕はすっかり慣れてしまった。しかもそのせいでクラスメイトたちもすっかり見慣れてしまったようで、今では冷やかしの対象からさえも外れてしまっている。

 有難いのか迷惑なのか、よく判らない話だ。しかし、裏を返せばこれは彼女の求愛がそれほどまでにしつこいということだと気が付いたとき、酷くげんなりしたものである。


「わ……和田くんに、嫌って言われた……」


 過去を思い返して遠い目をしているうちにも、繰り返し呟かれる彼女の言葉。――やっぱりちょっと可哀想だったかな、と良心が針でちくちくと刺激される。仕方ない、心の底から不本意だけど、多少のフォローを入れてあげようか、と口を開いた。


「由比さん、あのね…………」

「初めて! 初めてだよ、和田くん! 和田くんが私に対する断り文句に『断ります』『しません』『黙ってください』以外の言葉で応えたのは! 感情が加わってきたね!? っていうことは私たち、ちょっとずつ距離が近付いてきているね!? ……って、あれ? 和田くん今私の名前呼んだ? 何か言い掛けてたり、した?」

「色々突っ込みを入れたいところはあるんだけれど、とりあえず手を離してくれないかな、由比さん」


 がしぃっ、と僕の両手を捕らえたクラスメイトは鼻息荒くこちらに詰め寄る。僕は詰め寄られた分の距離を広げたくて必死に身体を反らした。座っていた椅子がぎしりと傾いで前脚が宙に浮く。今、この椅子は、二本の後ろ脚だけで僕のことを支えている状態だ。危なっかしいことこの上ない。

 ていうか由比さんはどれだけポジティヴ且つ優しい世界に生きているんだ。あの一言を喰らってその解釈が出てくるとは、一周回って彼女はとても頭が良いのかもしれないな、と少し思った。勿論地頭のほうである。一学期の期末テストの直前に「勉強追い付かないよ助けて〜!」と泣き付かれたのは記憶に新しい。

 嗚呼もうそんなに近付かないで欲しい、そんなにも近付かれたら相手の肌の粗までよく見えて…………無駄に美肌だな、肌に一切の凹凸が見えないや。もしかしたら肌に自信があるからここまで無防備に距離を詰められるのかもしれない。

 まったく、と深いため息の一つでも吐きたいところだが、そうすると十中八九の確率で僕の息が彼女に掛かる。それは、何だか、気分的に、嫌だ。ものすごく、嫌だ。

 由比さんならば「和田くんの吐息!? 私的には全然オッケー、むしろウェルカムだよ和田くん! 是非に吐き掛けられたく存じます…………!」とか言い出しそうではあるけれど。否、たぶんというか確実に言う。想像が無駄に現実味を帯びてきて寒気がする。ぶるり、と小さく身体が震えた。


 僕がこんなにエキセントリック……失礼、少々風変りの気がある女の子に好かれてしまったのは、高校に入学して一か月、彼女が風邪を拗らせて学校を三日ほど休んだことがきっかけだった。

 当時(といってもまだ半年も経っていないわけだが)の僕らはそう大した交流もなく、あくまでクラスメイト、あくまで席が隣同士というだけの繋がりだった。ちなみに、二学期に入って早々席替えを行ったので、隣席の繋がりは既に途絶えている。

 さて、そんな関わりしかなかったわけだから、当然僕は由比さんの本性は知らなかった。大人しくてちょっと可愛い女の子、その程度の認識で、だからちょっとした親切を施そうという気持ちになったのだと思う。今の僕なら絶対しない。

 久々に由比さんが登校してきたその日、僕は彼女が休んでいた三日分のノート……実際にはルーズリーフだったが……を貸してあげたのだ。「もし良かったら、使って」なんて一言を添えて。彼女は勉強が苦手なことには薄々気が付いていたから、難しい説明のところにはちょっと噛み砕いた解説を付けてあげたりもした。


「え…………いいの?」


 最初、彼女は戸惑っていた。それを見て、僕は強烈な羞恥に襲われた。

 そりゃそうだ、今までろくな会話もしたことがないクラスメイトから突然ノートなんて差し出されたら戸惑うに違いない。僕としては親切のつもりだったけど、由比さんからしたら迷惑以外の何物でもないのかも……と三日分のルーズリーフをまとめたノートを引っ込めようとしたときのことである。

 彼女はファイルの先のほうを両手の指先でちょんと受け取り、おど、と不安そうに目線で僕を見上げたのである。それからちょっと照れたようにはにかんで、頬をほんのりと淡く染めながら、「ありがとう、和田くん」と小さく微笑んだのである。

 正直に言おう。そのときの由比さんは可愛かった。あまり女の子に興味のない僕でさえも少々のときめきを覚えたくらいには、愛らしかった。……だから次の日からストーカーよろしく「付き合ってください!」としつこく付き纏いを始めたときは、一体どんな悪夢だと現実逃避を試みたものである。


「はあああ、和田くんって本当に綺麗な顔してるよね……! 眼鏡で隠れちゃってるけど睫毛とかこっそり長いし、眸の色素も薄くて綺麗……」

「そんな物好きなこと言うのは由比さんくらいなものだと思うし……いいから離れてくれないかな、近すぎ」

「はっ、もしかして照れてる!? 和田くん照れてる!?」

「照れてないよ、残念でした」


 あまり乱暴にならないように由比さんの手を振り解く。やっとのことで体勢を立て直し、椅子の脚が四本全て地面に付いていることにこの上ない安心を覚えた。彼女は酷く残念そうな顔をしていたが、思いの外あっさりと離れてくれた。――それが不満だとか物足りないとか、そういったことは一切ない、ないのだけれど、まあ、ちょっと拍子抜けした感は否めない、かもしれない。

 付き合ってくれ、と言う割に、由比さんは一度も僕のことが好きだと言ったことがない。ただそれだけ。恋とか愛とか、そういう本質の見えない曖昧なものはどうでもいいはずなのに、僕の心の中ではただその事実だけが妙な具合に引っ掛かっている。些細と呼ぶのも申し訳ないくらいちっぽけなこと。

 馬鹿みたいだなあ、僕も大概。そんなことを思いながら、黙って僕の前に立っている由比さんをじっと見上げた。彼女は「ん?」と軽く微笑みながら首を傾げる。けれどこちらとしても用事があるというわけでもないので、やはり黙したまま見つめ続ける。いつもにこにこと無駄に幸せそうな顔で僕を見る彼女に対し、仕返しの意味も若干含めた無言の視線。


「……えーと……和田くん? な、何か用とか、あるの、かな?」

「別に? 何もないよ。……それにこれはいつも由比さんがやっていることでしょ、僕がやったらいけないの?」

「いけないってことはないんだけれども…………えーと、もしかして和田くん、悪いものでも食べた? ちょっと日付を過ぎた牛乳とかは気を付けたほうがいい、よ? 危ないから」

「大丈夫、僕は牛乳が嫌いだから飲まないよ。そもそもどうして牛乳ピンポイントなの?」

「え? あー…………あ、朝といったら牛乳かな? と、思いまして……」


 ははははは、と壊れたロボットのように一本調子で笑う由比さんは少々気持ち悪い。彼女の視線は判り難い程度、僅かに僕から逸らされているようで、……嗚呼何だ、もしかして照れているのか、これは。

 悟った瞬間、僕の口元に浮かんだのは微笑みで。そういえば、彼女の照れ顔を見るのは久々だ、と思い出す。たぶん、最初にノートを貸したとき以来の表情だ。あのときよりだいぶ不器用さが極まっているようにも感じるが、照れ隠しだと思えば愛らしくも思えてくる。感情というのは随分と厄介なものだ。もぞもぞと居心地悪そうに動く由比さんの手を掴んで軽く下へ引いた。


「え、和田くん…………っ」


 椅子から軽く腰を浮かせて、前屈みになった由比さんの額へ軽く唇を押し付けた。滑らかな皮膚の感触と、思っていたよりも低い体温。……そういえば、僕から彼女に触れたのは初めてだった。


「わ、わ、和田くっ…………!?」

「喋るならまず脳内で思考を整理してから、意味ある日本語を遣ったほうがいいと思うよ」


 茹で蛸の如く赤くなる由比さんを見て込み上げるは優越感。そうそう、女の子はそれくらいが可愛いよ。いつもの喧しさもだいぶ抑えられている。絶叫でもするかと思ったけど、案外控えめな照れ方をする。

 しかしそれよりも気になったのは、愕然とこちらを見ている数人のクラスメイトたちで。大方、僕からアクションを起こしたことに驚愕しているのだろう。由比さんの反応を見られたのは中々悪くなかったけど、見世物になるのは御免だな。

 そう考えて、僕は席を立った。ホームルームまで、どこかで適当に時間を潰そうかな。とりあえず飲み物は買いたいから、財布だけは持って行こう。あとスマートフォンも。


「わ、和田くんっ、い、今のって……!」


 教室のドアに手を掛けたとき、やっと事態を呑み込むことが出来たのか、噛みながらもどかしそうに、由比さんは僕へと問い掛けた。その声に振り向く。そして眼鏡をずり上げながら小さく笑った。由比さんは今にも失神しそうな風情で立ち尽くしている。いい気味だ。


「表面上だけで語られる色恋に興味はないから、僕に本気で取り合って貰いたいなら、まずは本気でぶつかってきたらいいと思うよ」


 それだけ言い残して教室を出る。一拍遅れて背後で悲鳴が響く。正直なところ、狙って殺した。――さて、ホームルームまでは三十分くらいか。時間を潰すには、一体どこが最適だろう。


ツンデ恋愛のススメ
(一過性の病気みたいな感情に過ぎないものなら、最初から言わないでね、とか)(ちょっと言って、泣かせてみたい)


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