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アリスとドロシー
「きっとね、とても素敵なことが起こると思うのよ」
得意げに人差し指をぴんと立て、楽しそうに彼女は言った。この場が図書館であるということを考慮してか多少トーンは抑えられているけれど、うきうきと弾んだ調子はそのままだ。僕はふうんと気のないような相槌をして、本の背表紙を視線でなぞる。流されたと察したらしい彼女はむうと不機嫌そうに小さく唸った。
「ねえ、私の話ちゃんと聞いてる?」
「聞いてるよ。『不思議の国のアリス』と『オズの魔法使い』の主人公同士が出会ったら、でしょ」
「そう! ね、面白いことになると思わない?」
同意を期待していることを隠しもせずに、彼女は僕の顔を覗き込む。暫くの間僕はその顔を見つめ返し、そしてふいと顔を反らした。目の前に聳える高い本棚へと目を遣って、再び目ぼしい本はないか探しに掛かる。
……この本たちの中に、僕の心をくすぐるものはないみたいだ。小さくため息を吐いてから次の本棚に取り掛かる。その間も、彼女は僕の後ろを雛鳥みたいにくっ付いていた。
「だってどっちもとても面白い本じゃない? しかもどっちも女の子よ。確か年頃も近くなかったかしら?」
「さあ、僕はどっちも読んだことないから知らない」
「え、読んだことないの?」
「うん、ない。だってあれどちらかというと女の子向けでしょ」
「別にそんなことはないと思うけど……確かにちょっと敷居が高いのかな」
ううん、と難しい顔をして彼女が首を捻る。僕の言葉でこんな反応を見せてくれることがほんの少し愉快だった。けれどもそれを悟らせるのは非常に癪だ。だから口の中の粘膜を必死に噛んで、緩む頬を引き締めた。
ふと、好きな作家の名前が視界に入る。それは一番上の棚に置いてあった。見たことのないタイトルだ。どうやら僕の知らない本らしい。うず、と心が疼く。届くよな、と内心で呟いてから、僕は背伸びをして本に手を伸ばした。背表紙に指が掛かる。安堵から肩の力を抜いて、そのまま本を引っ張り出した。ハードカバーのそれはどうやらページ数も多かったようで、ずしりとした重さが片腕に掛かる。油断していた僕は予想外の重みに思わず顔をしかめた。するとそれまで僕の言葉でうんうんと考え込んでいた彼女がはたと目を見開く。
「高いところにある本を取りたかったンなら言ってくれればいいのに。それくらい取ってあげるよ」
「煩いな、大きなお世話」
しっし、と邪険に手を振る。不機嫌そうに頬を軽く膨らませる彼女の頭は、僕より頭一つ分飛び抜けていた。前訊いたときに170cmは超えていると言っていたから、165cm弱しかない僕よりだいぶ大きいのも頷ける。おまけに今日は踵の高い靴を履いているので、普段よりだいぶ目線が上だった。面白くもない。
「もー、何で頼ってくれないかなあ」
「こういうことに関して女に頼りたい男がいるわけないでしょ……。で? アリスとドロシーの話は終わり?」
「嗚呼、そうそう、それまだ途中だったね!」
話を逸らすためのみえみえの手にいとも簡単に引っ掛かり、彼女はまた楽しそうに言葉を紡ぐ。こんなに単純でこの先大丈夫なのだろうかと余計な心配を抱きつつ、中々悪くはない心地だった。中身のない彼女の話を聞くのは案外楽しい。本に意識を向ける振りをして、ひっそり耳を傾ける。二人の少女を語る彼女の姿は、きっとそのどちらよりも無邪気であるに違いない。
アリスとドロシー
絶対に起こりえないクロスオーバーなんて、そんなくだらない話でさえも、君が語るなら輝き出すよ。
[mokuji]
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