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バービーみたいになりたかった


「バービーみたいになりたかったの」


 醜いほどがりがりに痩せ細った身体を晒し、女はぽつりと一言洩らす。乾き切った感情のない声はしかし、まるで助けを請うように憐れみを誘う。私は何も言わずに女を見つめた。この網膜にその身体の全てを焼き付けようとでもするかのように。

 彼女も特に、私の答えを必要としているわけではなかったらしい。自らの手で纏う衣服を一枚一枚丁寧に剥ぎ取りながら、黒真珠の眸でどこか遠い虚空を見つめる。生活感溢れる男臭いこの部屋で、彼女の存在のみが一点異質なものだった。


「バービー人形、知っているでしょ? 外国の着せ替え人形よ。綺麗な顔と髪、抜群のプロポーション。女の子なら誰だって憧れるわ。勿論わたしだって憧れた。そうなろうと努力した。でもね、駄目だったの。……どうしてだかは、聞く必要もないでしょうけど」


 女の動作に躊躇いなど欠片ほども見られなかった。枯れた小枝のような指が、ようやくのことで引っ掛かっていたブラジャーの紐を、狭い肩からはらりと落とす。片方が終われば同じように、残りの片方の紐を落とした。

 腕が背中に回り、易々とホックを外す。繊細なレースがあしらわれたブラジャーは、仕事を無くしてぱさりと落ちた。萎んだようなハリのない、二つの乳房が顕わになった。


「これまでの人生で、ブスがあだ名じゃない期間の方が短かったわ。幼稚園の頃からよ? 子供って残酷よね。あんまりにも大勢の子に言われるものだから、幼心に『自分の顔はブスなんだ』ってコンプレックスを抱くようになった」


 淡々と過去を語りながら、彼女の手は下半身に伸びる。ブラジャーと同様のデザインが為されたパンティを、まるで汚物でも扱うかのように指先で摘み、するすると下ろす。脱ぎ終えた服を全て一箇所にまとめ終えると、彼女は小さく吐息を零した。

 とうとう一糸纏わぬ姿になって、彼女はそこに立ち尽くす。そしてぱさついた黒髪の先端をくるくると指に巻き付けて弄び、少し挑戦的に私を見遣る。薄い眉、細い一重の眸、卑屈そうに歪んだ血色の悪い唇、ごっそりとこけた頬、鋭く尖った顎。それらは棒っきれのような彼女自身の身体も合わせ、お世辞にも美しいとは言い難かった。

 彼女の裸体は、悲しいかな、仮にも男である私に、何の情欲も掻き立たせない。それほどに彼女は醜かったのだ。しかし同時に、目を惹き付けて離さない、不可思議な魅力を持ち合わせていた。それは女性としての魅力とは、全くの別次元にある何かであった。


「……だからせめて、太ったらいけないと思ったのよね。太ったら、一層ブスになっちゃうって。そう思い始めたのは……確か、小学校高学年からだったかな。それからよ、拒食症に陥ったのは」


 そこに座ってくれと、人差し指で指示をする。彼女は頷き、窓枠に凭れるようにしてフローリングの床へと座り込んだ。幾ら普段よりも暖房を利かせているとはいえ、朝方にはバケツの水に薄氷が張る今の季節、寒くないはずがない。しかし女は眉一つでさえ動かさなかった。汚れてうっすら曇る窓硝子越しに、せせこましい小さな町並みを眺めている。


「心配した両親は何度もわたしを病院に連れて行った。そのおかげで少し良くなったこともあったけど、駄目なの。どうしても完全には治らない。食べたら吐くの、絶対。そんな生活をずっと続けて……このザマよ。笑っちゃうでしょ。何がバービー人形なんだか」


 はっ、と彼女が鼻で笑う。初めてここで見せた感情の片鱗だった。しかしその笑みはあまりにも痛々しい。私は何も言わず、手元のスケッチブックを開く。そしてだいぶ先の丸くなった2Bの鉛筆を手に取って、暫くじっと彼女の裸体を眺め続けた。

 よく知りもしない相手に裸体を凝視されているにも拘らず、彼女は照れる様子を微塵も見せることはない。かといって、見せびらかしてくることもなかった。彫刻のように身動きせずに、ただじっと座っている。鶏がらのように筋の浮き出たその首筋を、私は視線で舐めるようにした。


「綺麗になりたかった。それだけだった。……でも、もういいの。もう、諦めたから。だから…………貴方は精々、わたしをありのまま、醜く描いてよね。それだけでいいわ」

「……力を尽くすよ」


 僅かに女の頬が緩んだ。空気が一気に弛緩する。窓から差し込む太陽の光が、彼女を強く照らし出した。私の右手がまっさらな紙の上を滑り始める。もう、言葉は何も必要なかった。


バービーみたいになりたかった
(綺麗で、可愛くて、誰からも愛されるお人形が憧れだったの)

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