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臆病者の恋心
思えばそれは、きっと恋だったのだと思う。
「ばぁか」
目の前に座る男友達を見ることなく、あたしは一言短く罵倒した。しかし図書館という実に物静かであるこの場所ではそう声を張ることも出来ず、この薄い唇から洩れたそれは吐息を僅かに孕む、響きだけは柔らかいものとなった。
頬杖をつき、読むのは何度目だろうか判らないお気に入りの本のページを捲った。『あくまで意識は本に向いていて、貴方と話すのは片手間ですよ』なんて、そんなアピールである。
我ながら馬鹿なアピールだと思う。だがきちんと彼の顔を見て話を聞くには辛すぎて、尚且つ根拠のないプライドが立ちはだかるのだ。
「……自覚はあるよ」
彼は重く沈んだ声でそう言った。普段の明るさなどどこへやら、まるで海の底から響いてくるように、ぼんやりと曖昧な声だった。彼の落胆をそのまま反映させているようで、酷く耳障りだ。いっそ耳栓をしてしまいたい、なんてそんなことを思う。
あたしたちは別に、待ち合わせをした上でこうして会っているわけではない。互いによく図書館に顔を出すから、本を探すついでにたまに会話を交わすだけの間柄だ。あたしは彼の連絡先を知らないし、彼もあたしの連絡先を知らない。それどころではなく、互いの下の名前も、出身の中学も、何も知らないのだ。
そのくせいつからだったか、彼の恋愛相談に乗るようになっていた。彼が話したいことがあれば、図書館の一番奥の窓際、穏やかな太陽の光が差し込むこの席へと来るのがお約束のようになっている。
「どうして、復縁を取り持ったりしたの?」
「だって、あの子泣いていたから」
「ばっかだなあ。あんたの前でわざわざ泣くってことは、多少なりとも脈はあったってことじゃん。少し甘ったるい言葉を掛けてやれば、きっとすぐ落ちたよ」
「うん、だろうと思う」
「なら、どうして」
「……あの子が、泣いていたから」
堂々巡りだ。あたしは思わずため息を吐いた。そう、彼が今日落ち込んでいるのは、彼の失恋が原因であった。彼の想い人であるらしいその子には既に恋人がいたらしい。それでもいいんだよ、と酷く幸せそうに彼が以前呟いていたことを思い出した。
しかしそんな恋人と彼女が別れてしまったらしく、彼女は彼に泣きついてきた、らしい。けれど話を聞いてみればただのすれ違いであったらしく、彼は必死に奔走し、その誤解を解いてあげてしまったらしいのだ。
それを聞いたとき、あたしは真っ先に、こいつは何て馬鹿なのだろうと思った。どうしてその隙に付け込まないんだと、少し腹立ったくらいだ。自分の恋心を、何故成就させようとしないのか、あたしには不思議でならなかった。
でも、その理由も、判らなくもない自分がいることが、何よりもずっと、腹立たしかった。
「……まあ、馬鹿だと思うけどさ」
「うん」
「頑張ったんじゃないの、あんたにしては」
「……そうかな」
「そうよ。こんないい男を取り逃がしてざまあみろ、くらい思っていれば? そうすれば、少しはすっきりするかもよ」
「あはは、言うことが過激だよ」
「煩いわね、口が悪いのは元からなの」
多少気持ちが落ち着いたのか、彼から柔らかな笑みが洩れた。それは人の良さを感じさせる、柔らかくて優しいものであるはずなのに、何故だろう。あたしの心にはその笑みが棘となって刺さるのだ。息がしづらいほどに深く深く食い込んで、痛みがずきずきと主張する。
自分の恋心を、何故彼が、成就させようとしないのか。
「うん、君の言う風に思うことはきっと出来ないけど、君の言葉を聞いたら少しすっきりした。ありがとう、濱中さん」
「……別に。お礼を言われる筋合い、ないし」
ねえ、――あたしにしておけば?
臆病者の恋心
彼のその理由はきっと、喉元まで出掛かった言葉をあたしが呑み込んだ理由と、そっくり同じであるはずだ。
『君との関係を、壊したくは無いんだよ』
(フォロワーさんのイメージss。えりさんのイメージで書かせて頂きました)
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