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幸福の姫君


「幸せですよ、私は」


 白い箱庭を連想させる病室のベッドの上で、彼女は呟くようにそう言った。瞼が静かに下ろされているせいで、その眸を見ることは叶わない。だが口元には緩やかな微笑が浮かんでおり、青白いまでの頬はほんのりと紅を差したように上気していた。表情だけを見れば、まるで恋の熱に浮かされる乙女のようであった。

 元から華奢であった体躯は病魔に侵されたせいか骨と皮ばかりになるまでに痩せ細っており、腕には幾つもの痛々しい注射の痕が見られる。もう自力で動くこともままならないのだろう、私が見ている限り、彼女がベッドから降りたことは無かった。

 彼女の顔にはくっきりと死相が現れているようで、とんと軽くその背を押せば、そのまま簡単に死の闇に堕ちていってしまいそうだ。それなのに、少女は幸せだと言う。今まで見た中で最も自然な表情で、幸せなのだと、自分は幸福なのだと。それが何故だか、私にはとても恐ろしく感ぜられた。


「幸せ、なんです。――今まで私は、たくさんの人間を演じてきました。それはとても楽しかったし、演技を認められることは何よりも嬉しかった。……でもその代わり、私には『私』が無かったのです」

「……と、言うと?」

「私が演技に没頭したのは、自分が無かったから、なんです。何か確かなものが欲しくて、私は必死にがむしゃらに、自分ではない、他の誰かになってきました。でもこうなった今、ようやく私は、『私』を見つけられたような気がするのです」


 少女は世間に、天才だ、十年に一人の逸材だと騒がれ続けていた女優であった。清純なその様と、圧倒的演技力で、順調に頂点へ上り詰めているように思えた。……だが、彼女はとある病魔に侵されていたのだった。

 気付いた頃にはもう手遅れであり、その悲劇を食い物にしようとマスコミ……つまり私たちが群がったわけである。だが彼女はわが社の取材のみに応じ、こうして病室にカメラを入れることを許可したのだった。


「だから、私は幸せなんです。ずっと、求めていたものを、手に入れられたのですから。生きていた意味を、ようやく見つけられた気がする。……ね、だから、森村さん。私を、撮ってくださいね。私自身を、生々しいまでに切り取ってください。残しておいて、くださいな。お願いです。余計な脚色を交えず、私を、私だけを、撮ってください。そして伝えてください。世間の人たちに、私はこういう人間だったのだと」


 少女の目が開かれる。じっと私に視線が注がれて、その純粋すぎるほど真っ直ぐなそれに居心地が悪くなる思いだった。はい、と答える声は情けなく掠れる。嗚呼、この人は強い人なのだと、初めてそう思った。


「私は、幸せです。幸せでした。貴方たちは、マスコミは、私の悲劇を撮りたいのかもしれない。でも、それは、無理です。どうぞ、諦めてください。……だって私は、この世界にいる誰よりも今、ずっとずっと、幸せなんだもの」


 彼女が、微笑む。花が綻ぶように、光に包み込まれるように、淑やかに、愛らしく、美しく。それはまるで、童話の中の姫君の微笑のようであった。


幸福の姫君
その一ヶ月後、彼女は清らかな微笑みを携えて、天に召されていったのだった。

(フォロワーさんのイメージss。唯代さんをイメージさせて頂きました)

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