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恋人以上、姉弟異常。
カーテンの閉められていない窓からは夕焼けの朱が入り込み、向き合う男女2人の影を長く伸ばして浮かび上がらせる。…なんて、今の状況を意味もなく文章化して、思わず苦笑が漏れた。そうして状況だけを描写してみればやたらとロマンチックな響きを持っている。実際にはロマンチックだなんて欠片も存在していないというのに。
そんな俺の思いなど露知らず、学年でも可愛いと評判のクラスメイトは鬼の表情で迫る。
「どうしてあたしじゃ駄目なわけ!?」
「いや、別に駄目ってわけじゃなくて…」
「じゃあどうして付き合えないのよ?!誤魔化してないで答えて!!」
「いや、誤魔化しているわけじゃなくて、本当に恋愛に興味がな――」
「そんなことあるはずないッ!」
先程から幾度となく繰り返してきたやり取りにげんなりするこちらをよそに、彼女は俺の台詞に若干食い気味にヒステリックに叫んだ。告白されて断った。言葉にすればたったこれだけのことなのに、どうしてこうまで面倒な事態に発展しているのだろうか、なんてボンヤリと考える。
好意を伝えられ、「付き合ってほしい」と言われるのはこれが初めてのことじゃない。けれど、こんなことになったことは一度もなかった。気持ちは嬉しいけれど、申し訳ないが応えられない。そう告げれば、今までの子は皆悲しげに、しかし納得して引きさがってくれたというのに。
確かに、目の前の彼女は可愛い。それは認める。男子人気も高いし、この告白にも相当の自信を持って挑んだのだろう。俺らの年齢で恋愛の興味がないというのも珍しいことだし、彼女が納得いかないというのは判らないでもないけれども。
「ねえ、本当のことを言ってよ、純。じゃないと納得出来ない!」
「だから、何回も言うようだけど、恋愛に興味がないっていうのは嘘じゃなくて本心なんだってば」
「有り得ない、そんなの!」
まるで子供が駄々を捏ねるように彼女は言い募る。いや、子供の駄々なら可愛いものだけれど、これはそれより数段厄介だ、と段々と込み上げてきた苛立ちを何とか噛み殺しながら思った。
彼女がいくら可愛くとも彼女の想いを受け入れない男など何人もいることだろうし、何より俺にとって世界で一番可愛いのは姉さんだ。100人中100人が彼女の方が可愛いと断言したとしても、この事実は揺るがない。恋愛に興味がない奴が珍しいと言っても、まるでいないわけでもないだろうし。…まあ俺の場合はわざと『恋愛』というものに目を向けていないと言った方が正しいのは認めるけれど。
要するに、彼女は認めたくないだけなのだ。自分が振られるという事実を。
俺のことが好きだからというよりは、おそらくそれはプライドが許さないのだろう。それはあまりにも自分勝手というものではないか。
…そして、今俺が苛立っている理由はもう一つ。姉さんを待たせているのだ。それも、すぐに終わるだろうと高を括っていたので、昇降口に。すぐに戻るよ、と言ったのに、もう優に20分は経っている。姉さんは不機嫌になってやいないだろうか。もしかしたら中々戻ってこない俺に対して不安になっているかもしれない。それに今日は冷え込む。昇降口なんて場所にずっといたら風邪を引いてしまうかもしれない。
考えれば考えるほど不安要素は大きくなっていき、それに比例するように苛立ちも高まっていく。
「純、ねえ、考え直してよ。好きな人いないんでしょ?ならあたしと付き合ってってば。もし仮に本当に恋愛に興味がなかったとしても、絶対好きにさせてみせるから!」
その傲慢な口調と内容で、何とか堪えていたものがプツンと切れる音がした。なるべく穏便に話を終わらせようと思っていたけれど、もういい。怒らせたのはそっちだ。
深く息を吸い込み、自分を睨みつけてくる相手を数倍の眼力で睨みかえす。彼女はいきなり態度を変えた俺に怯えたように後ずさった。しかし負けじと更に眼光を鋭くしてくる。負けず嫌いなのだろう。
そんな必死の虚勢をせせら笑うように口角を持ちあげ、自分でも嫌な顔をしているだろうと判る厭味な笑みを作る。そのまま言葉を吐き捨てるように口にすれば、思っていたよりずっとそれは冷淡な響きを持った。
「…あのさあ。納得出来ないとか、何が?納得するもしないもそっちの自由だけどさ、どんなに騒いだって俺がアンタと付き合わないっていう結果は変わらないんだから、ちょっと黙ってて貰えない?煩くて堪らない。それに、絶対好きにさせてみせるとか、不可能だから、それ」
いつもと明らかに違う俺の声に彼女は一瞬戸惑ったような素振りを見せたが、それでも強気に言葉を紡ぐ。
「何よ、そんなこと言って失礼だとか、思わないの!?有り得ないんだけど!それに判らないじゃない、付き合ってみたら好きになるかもしれない!」
「はは、それこそ有り得ないから。っていうか、失礼だと思わないのか、とかこっちの台詞なんだけど?最初のうちは丁寧に傷付けないようにって言葉を選んで断ってたってのに、それに調子に乗って失礼なこと言い出したのそっちだろ?」
「何よ…!!」
「それに、もし仮に俺がちゃんと気持ちを吐き出したところで、アンタが納得して大人しく引きさがるとは思えないんだけど」
「……ッ、いいわよ、ちゃんと受け止めるから言ってみなさいよ」
挑発するような俺の言葉に彼女は簡単に乗った。余程素直なのか馬鹿なのかどっちなのだろう、と蔑みの目で彼女を見つめる。彼女はツンと顎を上げ、眦を吊りあげて俺を睨むが、その手が微かに震えているのが見て取れた。それを見て、今まで感じたことのない快感が走る。どうしようもなく加虐心がくすぐられた。…あれ、俺ってサディストだったっけ?
今まで気付かなかった自分の新な一面に内心で首を捻りつつ、俺は「それじゃあ言うけど」と口を開いた。
「アンタみたいに自意識過剰で自己中心的な奴は、女だとか男だとか、タイプだとかそうじゃないとか、それ以前に人間として嫌いなんだよね。っていうかうざいし」
バッサリと斬り捨てれば、彼女の顔は段々と朱に染まっていき、そして目には透明な雫がこんもりと浮かび上がる。けれど彼女の最後のプライドか、それを堪えて気丈な態度のままに俺に言った。
「…じゃあ、どういう奴だったら良かったのよ、あたしが」
「…は?」予想外の質問に戸惑い、間抜けな声が漏れる。それに苛立ったように、彼女の次の言葉は強くなった。
「だーからっ!平たく言えば、純のタイプってどんな子なのよって訊いてるのよ!」
思ってもみなかった台詞に思わず眉が寄った。…好きなタイプ?今までそんなこと考えたこともなかったなと思いつつ、少しの間悩んでいると、幾つか単語でそれらは浮かんできた。そのワードの一つ一つは何て事ない有り触れたものだったけれど、それらを全て組み合わせていけば、浮かび上がってはいけない人の姿が浮かぶ。その像を払うように軽く頭を左右に振ると、俺は再び先程までの薄ら笑いを繕った。
どうにか見破られませんように、と願いながら口を開く。
「…そんなの、決まってンじゃん。姉さんより可愛い子だよ」
少しだけ嘘を織り交ぜたその言葉を、彼女は疑う様子もなく、元から大きな目を更に大きく見開く。良かった、上手く騙されてくれたらしい。
「…姉さんって、千流ちゃんのこと?」
「当たり前じゃん。姉さん以外に、俺に姉はいないよ」
「だ、って、千流ちゃんなんて、そんな、まあ可愛いと言えばそこそこ可愛いけど、人目を惹くほど可愛いわけでもないし、そもそもあんなに面倒で厄介な子なのに…!!」
混乱したような様子の彼女の言葉。しかしそれらは意図も簡単に俺の理性の手綱をぶっちぎった。怒りからすっと瞳が細まる。ぐらぐらと熱湯が煮え立っているように頭は熱いのに、それでいてどこか一部分はひどく冷静で。自分でも激怒していることが判った。
そんな俺に彼女はビクッと身体を揺らして後ずさる。そんな彼女を追い詰めるように、彼女が後ずさった分だけ距離を詰めた。
「――姉さんの悪口は、許さないよ?」
口から自然と零れ落ちた言葉は氷点下0度のように冷たい。今までの言葉はどれも生温かったなと思った。彼女はそんな俺の声を聞くと更に後ずさったが、俺が再び同じ分だけ距離を詰めた。奇妙なそんな追いかけっこにも近いことを続けて行くと、彼女の背中がトンと壁に付いた。もう逃げ場はない。俺はそんな彼女を囲い込むようにして手を壁に付ける。
見た目はラブシーンそのものかもしれないが、俺らの間に流れる雰囲気はそんなものとは程遠い。張り詰めて重いもの。
「姉さんのことをよく知りもしないくせに、よくも貶めてくれたな、あ?ふざけんじゃねえぞ。姉さんがどんなに可愛くて、俺がどんなに姉さんを大切にしているかも知らないくせに」
「じゅ、純」
「煩い、黙れよ。いいか、姉さんは俺の全てなんだよ。姉さんが笑っていられるのなら俺は何だってする。姉さんを守るのは俺の役目だし、姉さんを、千流を侮辱する奴は許さない。今度そういう言葉を口にしてみろ、その口引きちぎってやる」
判ったか、と言葉を締めれば、彼女は「ひいっ」と声というよりは悲鳴に近いものを上げて零れ落ちそうなほどの涙を目に湛えてコクコクと無言で頷いた。顔色はもう真っ青だ。
そして一瞬の隙を突き、彼女は俺と壁の間からスルリと抜けだした。それからドアまでつんのめりながら逃げ出すと、まるで捨て台詞を吐くようにして言葉を投げつけてくる。
「異常よ、アンタら双子の関係はッ!」
言うなり、彼女はパッと身を翻し、何度も転びかけながら、逃げるように走り去っていった。パタパタという忙しない足音が反響して遠くに消える。それを聞くまでただ呆然と立ち竦んでいた自分に気付いて喝を入れ、もう既に帰りの支度がしてある鞄を手に取った。思わず深いため息をつく。
…早く、早く姉さんを迎えに行こう。一刻も早く、姉さんに会いたい。そう思いながら、今は何も付けていない左の耳たぶを弄る。
異常、異常、異常。先程投げつけられたばかりの単語のリフレイン。
「――異常、ね」
ふ、と何かを蔑む笑みが漏れた。その『何か』に当て嵌まるものが何なのかは判らないけれど。
一瞬、伸びた爪が手のひらに食い込むほど強く、ぐっと拳を握る。そしてパッと拳を開き、その爪痕を眺めて、それを指でなぞった。再びため息が漏れる。
…さあ、早く姉さんを迎えに行かなければ。あの手の掛かるお姫様は機嫌を損ねているだろうか。もしそうだったとしたら、帰ってすぐにホットチョコレートでも作って機嫌を取ろうかな。
未だ爪痕の残る、指の先まで冷え切った手をポケットに突っ込み、首に巻いた、姉さんが編んでくれた深い蒼と白のストライプのマフラーに顎を埋め、背中を丸めて歩き出す。
異常、異常、異常。そんなこと、そんなことはもうとっくの昔から、
「――知ってるよ」
恋人以上、姉弟異常。
異常と謗られるのは俺だけでいいから、どうかあなたは知らないままに。
[mokuji]
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