- ナノ -


「私が帰ってこなかったら干からびてるところだな」

「だったら、早く帰ってきてくださいよ」

「お、まだ怒ってる?」

「そ、んなつもりは」

「冗談だよ ほら、お食べ」


人気のない食堂で、三郎がモグモグと箸を進める横で鴇は小さく笑って茶を注いだ

食堂のおばちゃんは夕飯を作ると家に戻ってしまうため不在

食堂の主がいない時は、基本生徒が調理してよいことになっている

1日半食事を断った三郎の前に並べられたのは、鴇がさっと作ったおにぎりと野菜炒めと味噌汁

鴇の料理の腕は普段の食事当番でお墨付きである


「もう少し肉を入れてやりたかったんだけど、まぁ、贅沢はできないってことで」

「…充分美味しいので問題ないです」

「それは良かった」


そっと笑った鴇に三郎も胸のつかえが少しとれたようで小さく笑う

雷蔵達と不仲になってから、こうやって誰かと一緒に食事をしていなかった

葛葉の手にかかった食事は喉を通らなかったし、雷蔵達とも顔を合わせられなくて避けていたからだ

温かい味噌汁を飲めば、腹の中がほわりと温かくなる

だるくて仕方のなかった身体に、少し力が蓄えられたような気がした


「委員長、」

「んー、何?」

「私、」

「鉢屋、もやしもちゃんと食べなさい」


先に腹ごしらえするか、と連れてこられた食堂で、話をしようとした三郎の言葉を急に鴇が遮った

誤魔化そうとしているのか、そんな不安が三郎の胸のなかで込み上げたが、近づいてくる気配に気付いて三郎も言葉を飲み込んだ


チリン、


聞こえた音に、三郎は身を固くした

この音に紐付く者は1人しかいない


「いいん、」

「大丈夫だから」


顔を青くした三郎に、鴇も相手が誰か悟ったのだろう

落ち着かせるように、鴇が三郎の冷たくなった手をぎゅっと1度握った

温かい手が、平常心を取り戻させる

その手を握り返せば、鴇がそっと笑った


チリン、チリン


近づいてくる足音と気配を鴇と三郎がじっと待ち受ける

そして、


「あーっ、鴇せんぱーい」


ひょいと姿を現したのは1年は組の福富しんべヱと猪名寺乱太郎、そしてとても美しい女性であった

彼女が件の葛葉だろう

美しい黒髪と白い肌、桜色の小袖がよく似合う


(それでも、酷い違和感だこと)


鴇の第一印象はそれであった

彼女の見目や気立てなどはどうだっていい

こんな学園、と言っては何だが、このような女性にはあまりにも学園には不似合だと鴇は思った


「こんばんは、嘉神先輩」

「はい、こんばんは」

「お帰りになってたのですね 庄左エ門がいつ戻られるのかと呟いてましたよ」

「ふふ、学級委員長委員会の子達は寂しがり屋ばかりだね」

「?達?」

「こっちの話、で?こんな遅くにどうした?」

「しんべヱがいい匂いがするって言うものだから、無理矢理付いてこさせられたんです」


ふわぁ、と欠伸をして目を擦る乱太郎は眠っていたのだろう

は組の2人は寝着を着ており、もう寝ていた様子が伺える


「それで廊下をうろうろしていたら、葛葉さんにお会いして お腹空いたのなら何か作ろうかって言ってくださって」


葛葉さん、


親しげにそう呼び、乱太郎達の手は彼女に繋がれて此処に来た

その様子を窺ってから、鴇が笑って口を開く


「そう、それはすまなかったね 私が夕飯に食いっぱぐれてしまって、鉢屋に付き合ってもらってたんだ」

「鴇先輩、僕も食べたいー」

「こんな時間に間食したら消化するの大変だぞ?」

「えー」

「…仕方ないな 味噌汁だけなら少し残ってるから飲んでいいよ 身体を温めて、もう1度おやすみ」

「はーい」


調理場へと駆け込んでいったしんべヱと乱太郎を見送りながら、鴇はさてと、と件の女と対面した

部屋に来たその時から、彼女の視線は鴇に釘付けである

それをどう捉えるべきか、気づいていないふりをしていた鴇も彼女へと向き直った


「こんな夜中に申し訳ない 音には気をつけたつもりだったのだけれど、あの子の鼻にまでは注意がいかなかった」

「…いいえ、私の方こそ、嘉神君の分を残しておけば良かったのに」

「いえいえ、不規則な生活でして そこまで気を遣っていただく必要はありませんよ」


優しく応えた鴇の笑顔に、女がほんのりと頬を赤く染める

こういった反応は、鴇にしてみれば至って普通なものに思える

町娘達と何ら変わらない、そこには鉢屋が気にしているような不気味なものはない


(……と、思う)


もう一度彼女を見れば、鴇の後ろからそれを睨みつけていた三郎の視線に気付いたのだろう、葛葉はすっと表情を引っ込めて三郎をじっと見つめた

あのガラス玉のような金色の目の視線は、鉢屋にとってはよほど居心地が悪いものなのか

眉を顰める鉢屋をそっと背で隠して、彼女に話しかけた


「葛葉さん」

「はい」

「この度は、これが粗相をしたようで」


申し訳ない、そう言って鴇が深々と頭を下げれば、葛葉が慌てたように声をあげる


「や、止めてください 貴方は、別に」

「いえ、下の不始末は私の監督不行届です このお詫び、如何様にすればよろしいだろうか」

「委員長、何で」

「黙ってろ 鉢屋」


鴇が頭を下げたことに慌てたのは三郎も同じであった

そんなことをする必要ないと止めようとした三郎を鴇が鋭く黙らせる


「本当に、私は大丈夫ですから」

「それでは、私の気持ちが済みません 何か、要望などはありませんでしょうか」

「そ、そんなことを突然言われましても」

「では、また後日伺いますので、何か考えておいてはいただけませんか?」


困った表情を見せた葛葉に鴇がニコリと優しく微笑めば、彼女はしばらくぼんやりしていたが、コクリと頷いた


「許してやってほしいなんて、図々しいことは言えませんが、これも少し思うところがあったみたいです 今後は気をつけさせますので、ひとまずは失礼させてください」

「………はい」

「鉢屋、食べ終わったね?風呂に先に行ってろ」

「…………」

「返事」

「………はい」


先に三郎を食堂から追いやり、鴇は食堂に残る1年生2人を見遣った

その視線に気付いた乱太郎があ、と声をかけてくる


「嘉神先輩、私達ちゃんと部屋に戻れますから お風呂、どうぞ」

「…猪名寺、きり丸は?」

「きりちゃんですか?途中まで一緒だったんですけど、葛葉さんにお会いしたら先に部屋に戻っちゃいました」

「…そう」

「多分眠かったんだと思います 昼間も少し元気なかったみたいなので」


いただきまーすと声をあげたしんべヱに食べ過ぎちゃ駄目だよ!と注意する乱太郎

おいていって大丈夫かと思案していれば、葛葉がこそりと鴇に告げる


「あ、あの 私、ちゃんと送っていくので、大丈夫ですよ」

「しかし、こんな夜更けですし、本当なら貴女もお送りしないといけないのですが」

「私なら大丈夫です 夜は平気な方ですから」


任せてくれませんか、と言った葛葉をじっと見つめる

その表情に悪意はなく、むしろ健気ささえも見える

先に行かせた鉢屋も心配で、鴇はそれなら、と彼女に後を託したのであった










一歩廊下に出て、鴇が溜息をつく


「風呂に行けと、言ったはずだけど」

「……………」

「こんなとこで丸まってたら、カビが生えるよ 鉢屋」

「……………」


廊下に座り込んでいた鉢屋に声をかければ、むすりとした顔で鴇を見上げた

言いたいことは何となくわかる、何故一人で対面するようなことをするのかという非難の目だ


「心配症だね お前も」

「心配にもなります」


それに苦笑して手を差し出せば、鉢屋が掴んで立ち上がる


「不貞腐れるなよ わかったから、風呂行くよ」

「委員長、しんべヱと乱太郎は」

「一旦は、彼女に任せた」

「それって、」


歩き出した鴇を追って、並んだ鉢屋が心配そうな表情で尋ねる

それはそうだろう、得体の知れない者に可愛い後輩を託している状態なのだから

しかし鴇だって考えていないわけではない


「下手な警戒心を見せたら、身動きがとれなくなる」

「しかし、」

「少なくとも、現時点では彼女は誰かに危害を加えていない」


それは、と口ごもった鉢屋の頭を撫でて鴇が前を向く

先に手を出したのは鉢屋、それが今の学園での真実だ


「中途半端に煽れば、痛いしっぺ返しを食らうぞ 今は待て、だ」


こうやって会話をするのも、鴇は最低限の口の動きで抑え気味だ

警戒をしているのがヒシヒシと感じ取れる

それに気づいて三郎も背筋をピンと伸ばせば、鴇も少し表情を緩めた


「しかし、なんとも調子が狂うね どうしたものか」

「危険なものでは、ないと」

「それ以前の話だから困ってるんだろ?」

「…そうです」

「黒か白か、が全てではないからなぁ」


その言葉にコクリと三郎も頷く

そうだ、明らかにしたいのは善か悪かではない、突如現れた彼女が何者か、それを見極める必要があるのだ


「んー、でもちょっと疲れた 風呂行くぞ風呂」


長旅からの帰還ということに加わり、この騒動

どうしたものか、と溜息をつきながら鴇と三郎は風呂場へと向かうのであった


07_まずはとにかく飲み込んで



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