- ナノ -

ざあざあと、雨が地を打つ音だけが部屋に響く


「鉢屋、起きろ 飯だ」


部屋の隅でうずくまるように膝を抱えていた三郎は、その声に少しだけ視線をあげた

格子戸の向こうに見えた潮江文次郎と立花仙蔵の姿に三郎は自嘲気味に笑う

部屋、というには語弊があった

格子戸で仕切られた空間

薄暗く人気のない土倉の中に設けられた部屋

そう、此処は普通の部屋ではない


葛葉に刃を向けた三郎は座敷牢へと軟禁されていた

下級生が元気に遊ぶこの箱庭で、こんな座敷牢?と思われるかもしれないが、此処は忍術学園

上級生になると知らされるこの場所の存在は、授業でも使われるものだ

敵を捕らえた時、捕らえてから情報を吐かせるまでの間、此処は使用される


(つまり、"そういう"用途の部屋だ)


ちなみに、将来必ずしも皆が忍になるわけではない

そのため、"そういう"のに関する授業の選択は自由である

話は戻るが、とどのつまり、三郎は"好ましくない者"として認識されてしまっているのだ

目が覚めた時、既に此処にいたから経緯はわからぬが、6年生が食事を持ってきたとなると多少一騒動あったのだろう


(…まあ、あのまま日常に浸っていれば、何をするかわからなかったしな)


渇いた笑みを浮かべて三郎が目を瞑る

グルグルと、いつまでも覚めない夢のなかにいる感覚は相変わらずで、気分はいつまでたっても優れない


冷たい格子戸

じめじめと湿った空気

こういった現実味溢れるものの方が、今はよっぽど受け入れられる気がした






「おい、聞いているのか?」

「要りません」


即座に返した返答に、仙蔵と文次郎は溜め息をついた

鉢屋が葛葉に刃を向けたという情報は、同級生の5年と上級生の6年、そして教師にだけ秘密裏に伝えられた

様子が少しおかしいという話は聞いていたものの、刃傷騒ぎまで起こすとは思っていなかったため、隔離のために座敷廊に移したと聞いた時には驚嘆したものだ

隔離とはいっても、流石に生徒が相手なため、鉢屋を拘束するものは何もない

手足も自由にしてあるし、食事もこうやって皆と同じ食堂の料理をもってきている


温かい白米に美味そうに焼けた魚と味噌汁

それなのに、鉢屋は一切手をつけなかった


「何を意地を張っている 食え」

「要りませんってば」


頑なに拒む理由は何となくわかっていた

鉢屋はこれが"誰の手"で作られたものかを意識しているのだ


「……これは、おばちゃんが作ったものだ いいから食え」

「要らない、と何度言わせるのですか」


朝から水も食事もろくにとっていない鉢屋は掠れた声でそう返す

こうなってしまってはお手上げだ

鉢屋が要らぬと言えば、それは決して手をつけられないだろう

たとえこの状況が数日続いたとしても、そんなことで折れる鉢屋ではない

学級委員長委員会の次点様は、こんなこと慣れっこなのだ


「葛葉さんの、何が気に入らない」

「……………………」


仙蔵が食事は諦めてそう問うたが、鉢屋はまた静かに膝に顔を埋めるだけだった

鉢屋は言う

たった1度、最初に問うたその時にだけ


「私には、あれが何かわからない」

(意味が、わからん)


仙蔵の目にも、文次郎の目にも、あれは、葛葉は人間にしかみえない

食堂のおばちゃんの手伝いや、庭の手入れ、時折下級生と楽しげに遊ぶ気の優しい娘にしかみえない

あれだけの容姿だ

皆が彼女を慕い、彼女もそれに応えるように笑う、それの何が気に食わないのか

初めは記憶喪失かと思ったが、それにしては彼女に対しての感情の起伏が激しすぎる

まただんまりを決め込んだ三郎に文次郎が溜め息をつき、背後を振り返り口を開く


「もういい、仙蔵 行くぞ」

「…………ああ、」

「おい鉢屋、腹減ったらぶっ倒れる前に言えよ」

「………………」


再びの沈黙に文次郎が小さく溜め息をつく

本来なら見張りの1人もたてるのが定石だが、鉢屋はただ沈黙を守るばかりで逃亡する様子も見せないので必要ないと判断した

こうなってしまえば持久戦だ

そして突破口として思い当たるのはこの学園では1人しかいない


(あいつが帰ってくるのを、待つしかないか)


互いに同じ男を思い浮かべたらしい

文次郎の視線に仙蔵は肩をすくめて、牢を後にするのであった











ざあざあと、強い雨が地面を叩く

青く光る雷鳴が、腹をえぐるような音を何度もたてる

不気味な音ではあったが、あのわけのわからない会話をするよりはよほどマシだった

今の三郎にとって、誰とも会話をしないこの時間の方が自我を保てる

仲間の視線、言葉、どれもが三郎には突き刺さる今、これ以上は毒でしかないのだから

皆が皆、口を開けば葛葉が、となれば発狂したくもなる

はあ、と溜め息をついてまた目を瞑る


どうしてこんなことになったのか

どうしてこんなことになってしまっているのか

考えども答えは出やしない


ガチャリ、


そんな三郎の思考を邪魔するかのように、入り口の戸が開く音が聞こえた

あれからどのくらい時間が経ったかはよくわからないが、また立花先輩達が食事を勧めにきたのだろうか

腹は空いているが、あの女の手を通ったかもしれない食事は気味が悪くて手をつける気になれない

この数日、三郎は自分で調理したものしか口にしていなかった状態だ


(何度来られても、無理なものは無理だ)


ぴちょん、ぴちょん、と雨粒が滴り落ちる音が近づいてくる

狸寝入りでやり過ごすかと目を瞑り直し、膝の間に顔を埋める

その間にも複数人の気配が此方に迫ってくる


ばさりと蓑傘が脱ぎ捨てられる音とガチャリと牢の鍵が解錠される音

誰かが牢へと踏み入ってくる

懐柔でもしにきたか、それを相手にする気も全く起こらず、三郎が顔もあげず沈黙を保っていた時である




「酷い雨だね 濡れ鼠だよ まったく」




聞こえた声に、三郎の心臓がドクリと鳴る

反射的に顔をあげれば、自分の前にしゃがんだ人の灰色の髪がばさりと揺れる


「なんだってこんなところに放り込まれてるのか知らないけどさ、」


驚いて目を見開く三郎に、手がそっと伸ばされる

雨で冷え切った手だというのに、触れられた箇所は確かに熱をもった


「ただいま、鉢屋」


頬をゆるりと撫でられて、張り詰めていた神経が一気に弛緩する

少しだけ眉根を寄せて、困ったように笑うその人があまりにも優しい声でそう言うものだから


「いいん、ちょ…っ」


仙蔵や文次郎がいるというのに、鉢屋はようやっと帰ってきた鴇へとしがみついたのであった











突然抱きついた私に彼は驚いているようであったが、何事かと捲し立てることもなくただゆっくりと背を撫でてくれた

言いたいことも、聞きたいことも、たくさんたくさんあったが

それ以上に安堵感と今までの不安が胸の奥から込み上げてしまって言葉にならなかった


「お願いだから、」

そんなに寂しかったのか?と笑いながら問う彼の声があまりにも優しくて、私はただ一言を絞りだすのが精一杯であった

(1人にしないでくれ)

それに応えるようにポンポンと撫でられた背は、やはりどこか温かかったのだ

05_星よりも正しいひと



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