- ナノ -

(わけが、わからない)


三郎は混乱していた

目の前では八左ヱ門や雷蔵が楽しげに葛葉と話をしている

時折あがる笑い声に胸のなかのモヤモヤが立ち上る

このままではさっきの二の舞だ、そう思って三郎は逃げるようにその場を去るのであった








雷蔵が連れてきたその女の名は、「葛葉」といった

長く美しい黒髪に、ガラス玉のような金色の瞳

年は自分達と同じくらいかもう少し上、時折見せる仕草は艶めかしいものがある

しかし、やはり三郎はこの女がどこの誰だかわからなかった

面識は一切ないと言えば、雷蔵はからかっているの?と眉を潜めた

本当に覚えがなく、再度雷蔵に問えば、ちょっと!と雷蔵が怒って三郎の手を引く


「どういうつもりだよ、三郎!葛葉さんに嫌がらせ?」

「だから、誰だ」

「もう!食堂のおばちゃんのお手伝いをいつもしているじゃない!!」

「は?」

「僕、この手の悪戯、好きじゃないよ」


ぷんぷん、と頬を膨らませて雷蔵が三郎の傍を離れて葛葉という女の隣に戻る

どうかしたの?と首を傾げる彼女に、いえ何でもありませんと雷蔵が笑う

その様子を目の当たりにし、取り残された三郎は、しばらくその場を動けずにいた


「あれ、鉢屋くん 一緒に行かないの?」

「……小松田さん、あの人のこと知ってますか?」

「え?もちろん、いつも美味しいご飯作ってくれるじゃない」


事務室に戻ろうとした小松田さんに三郎が問えば、彼もまた彼女を知っているという

へらりと笑う小松田さんの顔には嘘は見られない

そもそもこの人はそういった人を騙すようなことをしないし、そういうことには疎い人だ

そしてこうも断定されると三郎の自信の方がぐらついてくる

そういえばお腹空いたな、と呟く彼の声を背に、三郎は急ぎ足で後を追うのであった






「あ、葛葉さん おかえりなさい」

「ただいま、竹谷くん 今日も委員会?」

「はい、毒虫がまた逃げてしまって」

「まあ、恐い」

「あ、大丈夫ですよ もう全部回収できましたから」


後を追った三郎が見た景色は、やはり雷蔵と同じように彼女と親しく話す八左ヱ門の姿であった

一緒にいた兵助も、相変わらず他人に興味はなさそうだが彼女が誰かはわかっているらしい

どうして自分だけ彼女がわからないのか、そんな気難しい顔をしていたのだろう三郎に気付いた八左ヱ門が首を傾げて近寄ってきた


「どうしたー 三郎 眉間、すっげぇ皺寄ってるぞ」

「ハチ、あの女が誰か知っているか?」

「は?何言ってんの 葛葉さんじゃん」


全く雷蔵と同じ回答を返した八左ヱ門に三郎の眉間の皺がまた深くなる


「あんな女、今までいなかったじゃないか」

「?意味わかんねぇよ 毎日顔会わせてたじゃん」

「いなかった!」

「ちょっと、三郎、まだそんなことしてるの?」


怒鳴った三郎の声が届いたのだろう、いい加減にしなよと雷蔵が厳しい顔をしてやってくる


「何?何の遊びだ?」

「わかんない さっきからこんな調子なんだよ 葛葉さんに聞こえたら嫌な思いさせちゃうよ」


お前、もう少し人を楽しませる悪戯にしとけよーと笑う八左ヱ門に三郎の頭に血がのぼる

何事?とやってきた兵助と、その傍らに立つ「葛葉」という女を三郎が睨んだ


「お前は誰だ」

「?鉢屋くん?言っている意味が、」

「私の名を気安く呼ぶな」

「…私、何か気に障るようなことしたかしら」

「…!何を知ったような口を…」

「おい、三郎!!」


噛みつかんばかりに葛葉に怒鳴った三郎を、今度は八左ヱ門が怒ってぐっと三郎の襟を掴んで払う

まさか身内に投げられると思っていなかった三郎は受け身をとれずに地面へと倒れた


「何なんだよ!葛葉さんが何かしたのかよ!!」

「得体が知れないものを、放っておけと言うのか!!」

「だから!そういうの、笑えないからやめろよ!!」


まだ言うか!と怒って三郎に取っ組もうとする八左ヱ門を雷蔵と兵助が慌てて止める

ここで殴り合いを始めるのはマズイと思ったのだろう


「ハチ、ハチ、いいから、三郎は放っておきなよ!」

「だってなぁ!」

「三郎、キミも少し頭冷やしておいで」

「!雷蔵、私は別に!!」

「僕を怒らせないで!!」


厳しい視線を向けてきた雷蔵に、三郎の動きがピタリと止まった

いつもはフワフワと柔らかい笑みを浮かべ、あまり声を荒げない雷蔵が本気で怒鳴ったのだ

落ち着いて周囲を見渡せば、委員会中であった三年生や二年生まで希有なものを見るような目つきで三郎を見ている

知らぬ自分がおかしい

そんな状況にゾッとして鉢屋がフラリと立ち上がる


「…………………」


視線をあげれば、葛葉が三郎をじっと見ている

感情も何もない、ただガラス玉のような金色の目が、じっと三郎を見つめている

その視線に堪えられずに、三郎はその場をあとにするのであった











知らぬ私がおかしいのか

知っている彼らがおかしいのか

黒か白か

白か黒か

答えのでない問いがグルグル回って、灰色の世界を産み出していく

曖昧にはぐらかせるのが嫌で、明白を求めれば求めるほど、現実が遠ざかっていく

見える世界は、いつから嘘に包まれたのだろうか

同意が欲しい、もしくは話を聞いてほしい


(ああ、委員長に会いたいなぁ)


呟いた言葉が、ポツリと空気に融けた

02_茨のままごと



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