- ナノ -

「あ、鴇先輩だ」

「嘉神先輩、聞いてくださいよ また1年は組の連中が」

「こーら、嘉神先輩はお忙しいんだ お前達の些細な揉め事に巻き込むんじゃない」

「鴇先輩 後で質問に伺ってもいいですかー?」


1年、2年と下級生達の教室を回れば、次から次へとかけられる言葉

それらに鴇が笑いながら応えていく

鴇の周りはいつもこうだ

鴇自身が気さくで、これまでも親身に相談に乗ってきたからだろう

こうやって彼の周りから人が途絶えたことはないし、それはこれからも続くのだろう

横について回りながら、三郎はそっと鴇の横顔を覗き見た

たわいのない会話をしながら、鴇は下級生達全体を見ようとしているようであった

少し遠くを見つめて、近くの者と二言三言言葉を交わす

それをじっと見つめていれば、自分にも向けられる視線に三郎は気づいた


「……………」


何人か、名前をあげても虚しいだけなので割愛するが、何人かは三郎を伺い見るようにこちらを見て視線を合わせようとすれば逸らしてしまう

下級生の視線なんてものは酷くわかりやすいので気にするほどではないが、主に生物委員会と図書委員会に所属する下級生達のようであった

恐らく五年生である三郎と雷蔵、八左ヱ門たちの騒動を耳にしたのだろう

当然彼らは自分の尊敬する委員会の先輩たちの味方をするだろうし、近づくなとでも言われてるのかもしれない

相手をするだけ無駄であるし、三郎だって言い訳するようなものもない

気付かぬふりをして前を向く


「行こう 鉢屋」

「もう、よろしいので?」

「ああ、特に明確な用があったわけでもないしな」


さっさと引き上げようとする鴇の真意はわからないが、自分を気遣ってのことなのだろうと三郎は思う

現にやってきた鴇は下級生達の視線と三郎の間を断つように入ってきた

少し力の入った三郎の肩をポンと鴇が叩けば、それだけで三郎は大分気が楽になった

学園の主な場所をゆっくりと鴇が巡る

時折立ち止まって、何かを見るように静かに佇んで

三郎が何だか落ち着かなくてソワソワし始めると鴇は思い出したように三郎に声をかけて次にいこうと言った

広い学園をそうやって回って、3時間近くが経過した






身体が酷くだるい

頭痛の周期が短くなり、軽く息が切れてきた三郎は前を歩く鴇をぼんやりと見た

辛いと、口にだしたい気持ちをぐっとこらえて三郎はもう一歩と歩みを進めた

鴇に幻滅されたくない、それだけが三郎のなかで渦巻いていた

ただでさえ今回は情けない姿を見せているのだ、これ以上の失態は侵したくないし、迷惑だってかけたくない

ましてや鴇は朝三郎の様子を見て、今日はやめとこうかと一度気を遣ってくれていたのだ

それを無理やり強行した自分がやはり、と言って中断することの何と情けのないことか

グラグラと、揺れる視界を打ち消すように歩いていれば、ドンと前を歩いていた鴇にぶつかった

すみません、と謝ろうとした気持ちとは裏腹に、大きく身体が傾く


「そういうとこだよ お前の悪いクセ」


ふらりと貧血のように視界がチカチカとして、変な方向に傾いた自分を鴇が支えたのだろう

鴇がどんな表情をしているかはわからないが、三郎はひょいと自分が抱き上げられたことだけは理解していた


「いいんちょ、」

「大人しくしてろ」


見えぬ目で何でもないというように振り払おうとすれば、阿呆めと鴇が呟いた

全て見通されていることだけがはっきりとわかり、三郎は小さく唸った


「自分、で」

「歩けんの?」

「……………」

「いいから、大人しくしてな」


歩けるとはとても返せず黙り込む三郎を気にせず、鴇が抱え込み直す

せめて楽に運べるようにと鴇の首に自分の腕を絡めれば、鴇がポンポンと背を叩く


「初めからそうしてくれればいいんだよ」

「……すみません」

「何も怒っちゃいない 素直に甘えてろって話」


鴇の表情はわからないが、少し空気が揺れた

言葉のとおり、別段鴇は三郎がへたってしまったことには何ら怒っていないようだ

酷い眩暈に耐えられなくてぎゅっと目を瞑れば、そのまま足早に鴇がどこかへと向かった





鴇は内心、それなりに焦っていた

三郎の体調が芳しくないことは十分承知していたが、想像以上に早くにダウンしてしまったからだ

別にそれ自体はどうこういうつもりはない

朝から何度も調子を聞いていたのはそういうことだし、基本三郎は鴇に合わせようと痩せ我慢することだって今までから承知している

ただ、


(血の流れが悪いな)


風邪のような症状でも何でもないというのがよろしくない

抱える三郎の身体は冷たく、指先や唇も青い

睡眠や栄養のある食事で改善できるようなものか何ともいえないのが悩みである


(伊作に診せてもなぁ)


元より、鴇は伊作に頼るのはあまり本意ではない

それは日頃からの行いの心証に近いのもあるが、三郎自身もあまり保健室を利用していないからである

変装名人である三郎にとっては、あまりいろいろと暴かれたくないものも多い

それを知っているから専ら三郎の身体は鴇が預かることが多い

鴇も何も三郎のすべてを知っているわけではないが、恐らくそこらの同級生よりは三郎のことを知っていると自負している


(今日は、出直すとするか)


学級委員長委員会室に置いてある資料を少し回収して、それから自室で考えるかと鴇はくるりと方向転換して委員会室へと向かっていた

ここからだと自室より委員会室の方が近い

三郎を部屋に置いてからでもいいのだが、少し監視しなかったことにいちゃもんをつけられても堪ったものではない

そう思って鴇は三郎を担いだまま委員会室へと向かうことにした

そもそも戻ってきてから庄左エ門達とも会話ができていない

2、3日 理由をつけて活動を止めてしまうか、そう悩みながら部屋の前まで鴇がやってきた






部屋に入る障子に、手を添えた時である


「…っ!!」


鴇の身体に嫌な感触が走った

頭の先から、爪先まで一瞬で走ったその感触に鴇は思わず息を止めた

廊下の外は相も変わらず雨が降り続くが、異変はない

ただ、

ただ、思う

何の根拠があるわけでもない

そこは見知った、自分が一番足繁く通った委員会室である

部屋の中から何か音がするわけでもない

殺気とか、何かの気配があるとかそういう話でもない

ただ、

ただただ、強く思う

そこには理屈も、理由も何もない


(開けて、いいものか)


言葉がでない、というのはこういうことを言うのだろう

障子に伸ばした手を引けず、前にも後ろにも進めない鴇は雷に打たれたように固まっていた

急速に、指先から熱が引いていく

バクバクと、心臓だけが異様な速さで鳴っていた


「…?い、」

「黙ってろ 鉢屋」


何かを察したらしい三郎が、身体に力をいれて降りようとしたのを鴇は無理やり止めた

思わず抱き上げていた三郎の背を鴇はぎゅっと強く抱いた

引き戸から冷たく強張った指先をぎこちなく離して、鴇は一歩後ろに下がった

その時である





『開けて、』


もう1歩、後ずさる

ただ、静かに

音を立てずに鴇は後ずさる


『開けて、』


視線だけは戸口から逸らさなかった

ガンガンと、頭に響く声がどれだけ言葉を投げかけようが

声だけは、決して洩らさなかった

ソレがどれだけ言葉を繰り返そうと、だ

ざあざあと、雨足が強くなる

ヒヤリとした空気が足元を抜けていくが、それどころではなかった


『開け、』

「鴇 どうした」


それはもう脊髄反射のようなものであった

突然背後からあがった声に鴇は迷わず裏拳を繰り出した

その場の空気全てを断ち切りたかったというのもある

ガンガンと、悪酔いしたような頭痛が酷く鬱陶しかった

何より、全く気配を感じなかったソレに対する鴇なりの威嚇も含んでいた

いたのだが、


「ど、い…先生」

「どうした? 顔色が悪いな」


ピタリ、と喉元手前で止めれた自分の反射神経を絶賛したい

バクバクと、心臓が無駄に鳴るなか鴇はそんなことを考えていた

そんなことでも考えていないと、どうにかなりそうであった

夏でもないのに額から汗が滴り落ちて

熱なんてないのにぐにゃりと視界が歪む

そんな鴇の様子を首を傾げてみたのは教師の土井半助であった

突然繰り出された鴇の手をやんわりと半助が握る


「驚かせたか?」

「す、みません」

「部屋にも入らず呆けていたから 何かと思って声をかけたのだけど、聞こえてなかったか?」

「失礼、しました」


空気がガラリと変わった

張り詰めていたものが一瞬で弛んで、反動がこちらへと返る

クラクラと、酷い眩暈がした

少しふらついた鴇の肩を半助が支える


「おい、どうした 大丈夫か?」

「大丈夫、…立ち眩みです」

「担いでるのは鉢屋か?お前達何を」

「いえ、鉢屋が体調を崩してまして 部屋に連れ帰る前に不精をして資料を取りにきたのです」

「そうか 手伝おう」

「い、え お構いな、く」


鉢屋を渡せと差し出された半助の手を鴇は掴めなかった

まだ先ほどの余韻が酷い

心臓が馬鹿みたいに脈打っていて、気持ちが切り替わらない

その状態で、一番大切なものを渡すのが憚られた


「お前も体調が悪そうだけど、大丈夫か?」

「ええ、何も問題ありません」

「…学園長のおつかいも長引いたらしいじゃないか 少し休んだ方がいい」

「…そうですね そうします」


上手く笑えているかわからない

冷静なんて恐らく装えていない

チカチカとする目を、無理やり力をいれて前を向く

いくら信頼している半助であっても、鴇は三郎を渡す気にはなれなかった

いつものような余裕がない鴇を、半助は見かねたのかもしれない

ポンポン、と鴇の頭を幼子のそれを撫でるように軽く撫でて、小さく溜め息をついた

半助も鴇の言葉を端から信じているわけではないだろう

ただ、鴇が助けを求めるほどでない振舞いをするのであれば、それ以上は介入するのも憚れるのだ

半助の行動範囲が無暗に広がらないよう鴇としては抑えられたつもりであった

ただ、


「では、持っていきたい資料を私が持とう」

「どっ……!」


半助がとても生徒想いで世話を焼くのに抵抗のない教師だということが原因であった

気持ちを切り替えたらしい半助が、にこりと笑って前を向き、そして

鴇が止めるよりも早く、半助が学級委員長委員会室の戸を勢いよく開いた



ブチり!!



「「っが………!!」」


鴇と三郎は互いに何かに反応した

半助が委員会室の扉を開いた瞬間、何かが引きちぎれるような感覚に2人は襲われた

脳内の血管を無理やり引き裂かれるような、手足に通う神経を、切断されるかのような


「………っ!!!!」


強い衝撃によろりと再度ふらついた鴇が、何とか力をいれて踏ん張る

時間にすれば、ほんの数秒

言葉にならない衝撃と痛みに息ができない


「久しぶりに来たな 学級委員長委員会室」


半助は全く何も感じなかったらしく、スタスタと入室して鴇の言う資料を探している

悟られるとまた面倒なことになりそうというのはうんざりするくらいわかっていた


「は、ちや 大丈夫か」

「……………」

「はちや、」


ユサユサと身体を揺らし、小声で問うたが、ピクリとも動かなくなった三郎に鴇は眉根をぎゅっと寄せた


(とんだか)


どうやら三郎も鴇と同じ痛みを感じたらしい

気絶したことを悟った鴇は、もう1度三郎が落ちないように抱えなおした

いっそ気を失った方がもう楽だ

そして、余計なことは考えず、さっさと部屋に戻る必要がある

鴇は自身の体調にまで影響が出始めたことのおかしさを、十分に理解していた


「鴇、何がいる?」

「…そ、この活動日誌と冊子の山の上2冊を」

「筆や硯は必要か?」

「い、え 自室にありますので」


半助は鴇達の調子がさらに悪くなったのは気づかなかったらしい

気さくに尋ねてくる半助に鴇も悟られまいとニコリと笑う

半助の声がバクバクと鳴る血流の音に掻き消されそうだ


「先生、そこに風呂敷がありますので包んでいただけますか?」

「うん?」

「それくらいなので、自分でもっていきます」


意図が伝わったのだろう、確かにこれくらいの量であれば手伝うほどではないかと思った半助が、鴇に包みを渡す


「お手間をとらせました」

「いや、驚かせて悪かったよ 鉢屋は医務室につれていかなくて大丈夫か?」

「はい、疲れが溜まってるようなので、私の方で預かります」

「おや、寝てしまったのか」

「ええ、時々場所を選ばずこうなります 困ったものです」


半助だって、先日の騒動の件は知っているのだろう

少し三郎の様子を伺うように見たが、静かな寝息を立てている様子から、下手に騒ぐのも目立つかと判断したのだろう

頼むな、と鴇の肩をポンと叩いてその場を後にした


「………………」


半助が去った後、開かれた委員会室の扉の外から、室内へと目を向ける

あれほど入ることに戸惑った空気は一掃されてしまって何もなかった

あの一瞬で、何かが大きく変わったことだけは確かに思えた

少しだけ治まってきた頭痛を鴇は感じながら部屋を後にした



(身体が重い)

(頭が割れそうだ)


全身の倦怠感に悩まされながら、何とか歩を前に進める

一歩、また一歩と進むにつれて眩暈も酷くなる

フラフラと、何とか戻ってきた自室の戸をあけて、そして崩れ落ちるように鴇は畳の上へと膝をついた

震える指先で部屋の戸を閉め、重い身体をなんとか動かして畳んでいた布団を引っ張り出す

クラクラする

目を開けているのが酷く億劫で

でも、これが風邪や発熱の症状とは違うことを鴇はよく理解していた


(これは、ダメな やつだ)


ガンガンと真横で鍋底でも引っ叩かれているような音に悩まされながら、鴇は薬棚とはまた別の引き出しからソレを取り出した

柊の、青くピンと鋭い葉を掌の上に置き、加減なくグシャリと握りつぶす


「……っ!!」


棘のように尖ったソレを握った鴇の左掌に血が滲み出る

ポタポタと、もう1枚の柊の葉に自らの血を数滴垂らして、鴇はそれを部屋の戸に挟んだ

挟んで数分、自室の扉をじっと鴇は見つめていた

少しだけ、頭痛が収まったが身体はだるい

手足が重く、頭を霧がかかったように上手く働かない

しばらく何も起きないことだけを何とか確認して、ズルズルと引きずるように鴇も布団の方へと這った

意識のない三郎を懐に抱き込んで、背と後頭部にしっかりと腕を回して深く息を吸う

そして、


(げん、かいだ)


鴇も気を失うように深い眠りへと落ちるのであった


15_瞬きの中に棲む足跡



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