- ナノ -

「―――――、わかった ありがとう」


それから十数分間、鴇と長次は会話を続けた

表面的には、当たり障りのない、世間話

先ほど、少し棘のある物言いにはなってしまったが、別に鴇も長次も子どもではない

互いに言い方の非は認めたし、こんなのは根に持つような話ではない

とりあえず不在であった間の情報収集も完了した

長次が気づいたかはわからないが、鴇にとってはいくつか気になる内容もあった


「鉢……、」


用事も終わったため、三郎を連れて図書室から退室しようとした鴇が三郎の名を呼ぼうとして思わず口をつぐんだ

壁に寄り掛かり眠りこける三郎がそこにはいたからである


(やはり、疲れがとれてないな)


いつもであれば、鴇が名を呼ぶと同時に返事を返して姿勢を正す三郎が、こうやって鴇が近づいても気づかず眠っている

その様子を見ながら、鴇も静かに三郎の横に腰を落ち着けた

今朝方の様子をみれば、後半は良質な睡眠がとれていたとは思えない

静かに三郎の頬に手を伸ばす

冷たい肌に青白い顔

どこかぼんやりとした様子に怠そうな挙動

それはどれもが鉢屋の不調を物語るが、安易に保健室に連れて行っていいものかは難しい

おそらくというか、十中八九、病の系統ではない精神的なものの方だろう


(…どうしたものか)

『鴇、』


飛んできた矢羽に振りむけば、長次が毛布を手にこちらを見つめている

鴇がそれに目を丸くすれば、コクリと頷いて長次が毛布を差し出す

少し寝かせておけという長次の申し出が純粋に嬉しかった

ありがとう、と毛布を受け取り三郎にかければ、無意識に安心できるものがあったのか三郎の身体がぐらりと傾く

そのまま自分の膝の上に導けば、三郎がぽすりと鴇の膝を枕に眠りこけた

膝から伝わる三郎は相変わらず体温が低い

少しかさついた唇も、綺麗に切りそろえられた爪の並ぶ指先も青紫色の方が目立っている

やはり部屋で寝てた方がよかったのではと思わざるをえない状態だ


(まあ、素直に言うことを聞くわけもないが)


小さく溜め息をついて、鴇が長次に視線を送れば、長次が何かと目で問う


『1時間くらい、此処借りていいか?』

『開放時間は少し先だから構わない …新書も入っているが」

『読んでってもいいの?』

『取ってくる』


いつものように新書を勧めてくる長次に鴇も嬉しそうに同意を返した

それに静かに笑い、長次が書庫へと消えていったのを見届けた鴇は一転して深く息を吐いた

その表情は先ほどの柔らかい表情とは違い、酷く険しい


(ほんと、何なんだか この状況)


思い出すのは先ほどまでの会話、長次に言及された問いのことであった








長次が聞きたいことがある、と言ったそれに鴇は今日一番の緊張感をもっていた

先ほどまでのやり取りから、長次だって言葉には気をつけて問うてくるはずである

牽制のようなやり取りになってしまったから余計に妙な緊張感を伴う

それでも鴇は答えねばならない

嘘を混ぜず、動揺を読み取られることのないのを前提として

しばらく続いた長次の沈黙に、鴇の姿勢は崩れることなく真っ直ぐ正されたままであった

気の緩みが、一つの失言が命取りになる自覚はあったのだから



「お前は、誤った者を罰せるのか?」



長次から紡がれた言葉はその一言であった

前置きも、解釈もなく、その一言


(笑わせてくれる)


この時、鴇に込み上げた気持ちは何だったのか

ジクジクと痛むような不快感と笑いたくなるような衝動

それは断じて長次を卑下した感情ではない

これは、自身に対しての感情だ


なんて手緩い問いだったのか

なんて中途半端な聞き方だったのか

そして、何故長次はそんな聞き方をしたのだろうか

それも全て鴇は理解していた

だから余計に思ったのだ

こんなのは茶番だ、と


(ねぇ、長次)


声には一切出さず、鴇は問う

言えば2人の関係は今度こそ崩れる、それを知っていたから

"誤った者"

それは誰のことを指したのか

それはどこまでを指すのか

長次の問いは、鴇に言及する問いでは一切なかった

本来、長次が真に鴇を問い詰めたいのであれば、こう問うべきだった


『お前は、鉢屋を罰せるのか?』


この問いだけで、全てを明るみに出せる

罰せるのであれば、鉢屋の起こした乱行は過ちであると

罰せないのであれば、鴇は鉢屋が誤っているとは思っていないということを

主語を明確にさえすれば、長次は鴇を逃がすことなく追い詰められたのだ

ましてや、後者であれば、長次はそれを仙蔵や文次郎たちに報告すべきである

正しく鴇が裁けると判断して2人は鉢屋を鴇に託したのだ

それが同類であったとあれば、何の制御装置にも鴇は成りえてないのだから


それを長次が明確に言及しなかった時点で、この場は鴇にとって有利な場であった

明確さのない問いに、こちらが明確に答えなければならない道理はない

それは、鴇がこれまで交わしてきた交渉によく似ていた

だから鴇はこう答えた、いわゆる模範解答だ


「もちろん それが、私のこの学園での役割だ」


自分の答えに、今更ながら笑いたくなる

上手くやりきれた安堵による笑いではない

付け焼き刃な逃げの答えに嫌気がさしての笑いだ

天井を仰いで、ぎゅっと目を瞑る

相変わらず、ムカムカと腹の奥は気持ちが悪い


(……長次が、遠慮してくれただけじゃないか)


言葉を誰よりも深く理解している長次が、何故このような白黒つけないグレーな言葉を使ったのかなんてわかっている

長次もまた、鴇の領域に踏み込みすぎるのをマズイと判断したのだ

この会話の前、長次が言葉の選択を早まって鴇の怒りを買いそうになったあの会話

あれがなければどうであったかはわからない

ただ、あれが先に長次の脳裏に過ぎったのだろう

三郎は鴇にとっては数いる後輩のなかの一人、という位置づけにはいない

三郎がどれだけ鴇を支え、鴇がそれに助けられてきたのかを長次だってある程度は知っている

そんな三郎を貶したと言われかねない言葉を、三郎を主語に長次は吐くわけにはいかなかった

三郎が正しかろうと間違っていようと、第三者にそれを指摘されて鴇がいい気がするわけがないのだ

これが仙蔵であれば、様子は変わっただろう

仙蔵の容赦のない問いと喧嘩っ早さから、全面戦争にだってなりかねない

ただ、長次にそんな無茶をする気はない

長次と鴇は、そんな収集のつかない争いは基本しないのだ

互いに様子見、これが今回の問答の着地点である





(…綱渡り状態だ、こんなの)


今更ながら、この状況に鴇の背に冷たい汗が滴る

頼れる者が誰かがわからない

そして、


(「あちら側」だからといって敵では断じてない)


これだけは間違ってはいけない

これからどう事態が転ぼうと、だ

相手はこれまで苦楽を共にした仲間である

そこに敵意は持ちたくないし、持ってはいけない

あくまで鴇の目的は"普段"の学園を取り戻すことだ

誰を傷つけるわけでもなく、誰を否定するわけでもなく

ただ、異物を排除する

それが学級委員長委員会である鴇が過去より行ってきた所業である

葛葉を知るか、知らぬか

基準はそれだけだが、その差は恐ろしく大きい

だが、「それだけ」で友を失うわけにはいかぬのだ




(それだけ、 それを分けたのは何だったのか)


自身の膝上で眠る三郎に、鴇は視線を落とした

不破に模した、柔らかい髪をそっと撫でて目を瞑る

穏やかな三郎の吐息だけを耳に残して、鴇が思案を巡らせる


(何か、あるはずだ そして、それを鉢屋は察知したはずだ)


ただ1人の女の存在を認識していたか、否か

それだけでも問題だが、三郎が即座に葛葉に牙を剥いたということが鴇は気になっていた

三郎は普段から潜入忍務も得意とするし、密偵を潜り込まれた時の対処だって充分心得ている

隠密忍務の多い学級委員長委員会ではこんなの日常茶飯事なのだ

しばらく泳がせ、尻尾をつかんでから撃退するというのは委員会でも徹底していたはずだが、それを無視した今回の行動


(鉢屋は一体、何に反応した)


恐らく、葛葉の"何か"が三郎の自己防衛本能に触れたのだ

強襲のような、その"何か"に耐えられずに反撃してしまったのだろう

鴇は今回の件をそう見ている

そして恐らく、自分はその"何か"が察知できていない

昨夜言葉を交えた彼女に、何があるというのか

どれくらいの危機に自分達が陥っているのか、さっぱりわからない

どうしたものかと鴇が溜息をついた時である

ガラリと図書室の戸が開き、誰かが入室してきたのは





キシキシ、


図書室の床が軋むように鳴り、気配が近づいてくる

長次ではない、彼はこんな音を立てないし、この音からもっと体重の軽い人間であることは容易に推測できた

静かに、そして少し警戒して相手を待てば、ひょっこりと本棚の陰から小さな人影が現れる


「…誰か、いるんすか?」


それは図書委員会に所属する1年生、は組のきり丸であった


「やあ、きり丸」

「…嘉神、先輩」


鴇が警戒を解き、普段通り話しかければ、きり丸が慌ててペコリと頭をさげた

面識が特別多いわけではないが、1のはトリオの一人である彼は庄左ェ門とよく話をしているため鴇も会話に困らない程度には顔見知りである


「当番かい?」

「えっと、あー… はい」

「長次は書庫に本を取りに行っているよ」

「そ、っすか」


何で鴇がここに、と思って長次を視線で探したきり丸に鴇が伝えればコクリときり丸が頷いた

そして、当番だと言ったきり丸が鴇の向い側にストンと座った

そわそわと落ち着きがないなと鴇が見つめていれば、何かを話さねばと思ったのかきり丸が口を開く


「…いつ、戻ってきたんすか?庄左エ門達は、忍者の仕事が長引いてるって」

「昨晩だよ ここまで長引くとは私も思ってなくてね 黒木達にはまだ会えてないんだ」

「そ…うですか」


どこか歯切れの悪いきり丸を、鴇はこっそり盗み見ていた

気になっていたのは最初からだ

きり丸の視線が鴇の膝上の三郎へと移り、鴇を認識した時、彼の身体が少し強張った

葛葉を切りつけようとした三郎の所業を知ってかとも思ったが、それにしてはきり丸の様子がおかしい


「…鉢屋先輩、どうしたんすか?」

「ん―?ちょっと体調が悪いみたいでね 休ませてもらってる」

「…不破先輩と喧嘩したって」

「少し意見が合わなかったみたい まあ、心配いらないよ」

「意見って、」

「ん?」

「…い、え」


口ごもったきり丸を鴇は静かに観察する

先ほどからきり丸の視線は常に3点を気にしている

膝上の三郎、周囲、そして鴇

言葉はぎこちなく、視線が不安定に揺れている

まるで、何かに怯えるような


「きり、」

「あ、あの!」


どうかしたか、と問おうとした鴇の言葉を遮って、きり丸が話を切り出した

後先を考えないような始まり方をしたそれに、鴇もじっと正面から待つ


「………あ、の」

「…どうした?」

「あの、俺」


パクパクと言葉にならず空気だけを吐き、ぎゅっと拳を握ったきり丸の姿はどこか見覚えがあった

思い出すのは昨夜の鉢屋だ

何と伝えよう、何を言えばいい

抱え続けた"何か"を吐き出してよいのかがわからずに藻掻いている、そんな姿


「先輩っ… 俺、今から変なこと、言うんです、けどっ」

(まさか、この子)


今、室内には鴇と眠る三郎しかいない

それでも、どこに誰の目があるかわからない

きり丸を黙らせようかと思った鴇の手が宙へ伸びる

しかし、きり丸の表情を見た鴇の心臓がぎくりと嫌な音を立て、連動するように手が宙で止まってしまった

鴇の中の何かが激しく鳴らされる


「俺、どっかおかしいのかもしんなくて、」


掠れるような声と泣き出しそうな青い表情

鴇は宙で止まった手をそのままきり丸の頭に乗せた

三郎が発した信号と、非常によく似た信号が目の前で鳴っている

中途半端な対応は絶対駄目だと思った

これは、見逃してはならないサインだ


「大丈夫だ」


とても、難しいと思った

こんな言葉で何を安堵できるというのだろうか、そうは思ったがそれ以上をここで伝えるわけにはいかない

くしゃり、くしゃりと乱すように髪を撫でれば、きり丸の声が堰を切るように震えだす


「何も、大丈夫じゃ、」

「大丈夫」

「何が、だって、」

「大丈夫だ」

『きり丸』


一年生でもわかるように小さく矢羽を飛ばせば、きり丸がはっとしたように顔をあげる

音は出せない

どこで誰に聞かれるか、わからない

そして難しい矢羽根はきり丸にはわからない

だから、鴇は一言だけ伝えることにした


『沈黙を』


同時のタイミングで複数の足音とガラリと開いた扉が響いた

じっ、ときり丸の視線が鴇を強くとらえる

裏切られないか、そんな不安が目のなかに確かに浮かぶ

そんな彼に、鴇が再び音を飛ばす


『必ず、迎えにいく』


きり丸の手をぎゅっと握り、鴇は正面からただ彼の目を見つめた

一度ビクン、と肩が跳ねたきり丸が、ぐいっと掌で零れかけた涙を振り払った

揺れていたきり丸の目が、しっかりと定まる

一年生、されど忍たまの目だ

入室してきたのは長次と図書委員会の能勢久作と二ノ坪怪士丸

きり丸は来てるのか、という会話が聞こえたからだろう

ペコリと鴇に頭を下げて、彼は二年生たちの元へと戻っていった






「…鉢屋、起きてるな」

「………はい」


きり丸が来た時から寝息のリズムが変わったことには気づいていた

結局、睡眠時間は確保してやれなかったなと思いながら鴇は静かに三郎に声を落とす


「あの子、きっとこちら側だ」

「………はい」


今ので、鴇の行動方針は変わった

まずは戦力になる上級生や先生方から状況を確認しようと思っていたが、これでは駄目だ

思ったよりも、「こちら側」の子は多いのかもしれない

そして、


(早々に見つけてやらないと、手遅れになる)


考えてみれば、鉢屋でさえこの有様なのだ

それよりも幼い忍たま達が口を噤んだ状態でどこまで持つのか、それを予想する暇もなければ意味もない

葛葉に手を出すような子はいないだろう

そこは実力の話ではなく、きっと感度の話だが

しかし、付きまとう孤独はどうだろうか

伊作が見廻ってほしいといったのは、これを見越してだったのかもしれない

冷たい三郎の指先をぎゅっと握れば、三郎が静かに握り返した


「体調が悪いところすまんが、少し付き合ってくれ」

「もちろんです」


そう言って、2人は図書室を後にするのであった

14_臆病な僕らはたったひとつの言葉さえ誤魔化した



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