- ナノ -

すらりと部屋の障子を開いて、一歩外へと進む

シトシトと静かに降り注ぐ雨は未だに止まない

もう随分、太陽を見ていない

見上げた空は重く薄暗くて、仄暗い、不安定な色をしていた


(まるで、今の学園の色だ)


そう思いながら、鴇は歩を進めた

行く先は、決まっていた

伊作からの情報だけでは足りず、自身の目でまず確認することに決めた

伊作からの情報を疑うわけではない、しかし感触は確かめたい

伊作だって1人の人間だ

主観があり、言葉は悪いが色眼鏡があり、受け取り方も伊作のもの

鴇にしてみれば、それを100%信じるのも違和感があった

紙面だけの情報、言葉だけの情報、それらには付加の判定要素が足りない

喋り方、視線の移ろい方、声の抑揚の有無

それらを自身の目で確認することで何か別の道が開け、それが忍の性分だ

幸い、学級委員長委員会が得意とするのは情報操作だ

情報の取捨選択、場の流れ、それらを読み取るのは多少の自信がある


「失礼するよ」


目的地へと着き、静かに戸を開けば蔵書がずらりと並ぶ

その奥で鴇が真っ先に確認したかった忍たまが顔をあげた

静かな眼差しに「今いいか」と問えば、相手が首を縦に振る

そして、鴇の後ろにいた三郎に気付いたのだろう、室内の空気が少しだけピンと張った

連れる三郎に戸を閉じるように告げ、鴇は図書室へ入室した















「……いつ、戻った?」

「昨日の深夜 ただいま 長次」


図書の蔵書リストを整理していたらしい中在家先輩が手元の書類を少し横によけ、静かに口を開いた

無表情で声の抑揚もない、不慣れな人間であれば彼が怒っているように見えるかもしれない

ただ、自分の委員長である鴇はそんなこと慣れっこのようだ

中在家先輩の前に腰を下ろした鴇は足を崩して、気が抜けるような表情で笑った

にこりと委員長が笑えば、無表情であった中在家先輩の口元が少し綻ぶ

それは見慣れた光景であった

三郎は長次と対峙しての会話をほとんどしたことがない

口数少なく、無表情が標準装備な長次は三郎にとって取っつきにくく、軽く雑談を交えられるような相手ではないからだ

ただ、そもそもの口数は少ないが、彼に関しては苦手な印象をもってはいない

何故なら中在家長次は自分の敬愛する委員長、嘉神鴇の親友であり、自分の親友である不破雷蔵が敬愛する図書委員会委員長であるからだ

彼の絶対的な知識量と懐の深さ、後輩に対する思いやりは雷蔵と鴇のお墨付きである


「………小平太には、」

「会ったよ 昨日の夜、ちょっと話した」


消え入りそうな声を鴇は容易に拾い、しかも最低限の言葉で会話する

そこから拾える情報は大分限られるが、鴇には問題ないらしい

早速の会話に三郎はじっと耳を傾けた


「何ですぐに来ないって怒られたけどね 遅かったし、無茶言うなって言ったら納得してくれたよ」

「………少し、イラついていたからな」

「うん まあ、予定日数より長引いたしね」


鴇が言う深夜の七松小平太との会話をぐっすり眠っていた三郎は知らない

しかし、特に鴇が語らないのであれば、三郎が知る必要のないものなのだろう

面白くはないが、三郎は静かに沈黙を守ることにした


「…………ところで、」


ちらりと長次の視線が自分へと向いたのを三郎は感じ取った

無言の圧力というのだろうか、やはり居心地はあまりよろしくない


「うん、聞いている ちょっとやらかしたみたい」

「…仙蔵と文次郎は、何と」

「一旦、私に預けてもらった どうするかは、もう少し考えるさ」

「…そうか」

「うん」


一時作業を中断していた中在家先輩の手が、再び動き出す

委員長もそれを気に留めることなく見つめていた

彼のなかでは、自分が何をしようと大した興味がないのか

思わずそんな疑問がもたげたが、それは違うと三郎はすぐに打ち消した

中在家先輩は委員長が「考える」と言ったから納得したのだろう

彼はきっと介入は不要と判断したのだ


「……なぁ、長次」


しばらく沈黙が続いたのち、委員長が口を開いた


「最近、変わったこと起きてないかな?」


本題に切り込んだ鴇に三郎が思わず顔をあげれば、鴇はじっと長次を見つめた状態であった

少し張りつめた空気を肌で感じ取っていれば、長次は手を動かしながら問う


「……変わったこと、というと」

「何でも 綾部が穴を掘る場所を変えたとか、伊作が事故に遭う頻度が増えたとか、何でも」

「…些細な話、だな」

「そう、そんな程度の話 仕事柄、知っておいて損はないからね」


学級委員長委員会の人間は、情報の上に成り立つことが多い

噂やデマに振り回されることなく、そして情報操作を行って生徒の意識を誘導することだって多々ある

そして情報量が一番多いのは何処かと問えば、委員長はいつも図書委員会委員長である中在家長次の名をあげる

本音を言うと、校内・校外を見回る用具委員会や体育委員会の委員長もよく知っているはずなのだが如何せんこの2人、あまり情報の蓄積には向かず、即断即決で動く武闘派だ

そんなわけで、昔からの仲も奏して時折鴇がこうやって長次へ尋ねることを三郎も知っていた


「…そうだな、」


筆を走らせていた長次の手が止まり、ふむと一息ついた

そして、ちらりと長次の視線が再び三郎へと向いた

邪魔なのだろうか、鴇に退室した方がよいかと視線で尋ねれば、鴇が小さく頷いた


「鉢屋、ちょっとだけ席外してよ 室内にいたらいいからさ」

「はい」


監視の問題もあるのだろう、三郎は席を外して適当に時間を潰すことにした

少し距離を外れれば少なくとも長次の声はもう聞こえない

盗み聞く必要はないだろう

情報の取捨選択は鴇に託しておく

それでいいのかと問われれば、三郎はそれでいいと思っている

何のために鴇が三郎を場から外したかと言えば、中在家長次が三郎に情報を渡す謂れがないからだ

信頼する相手だから話す、そのスタンスをとるというのであればそれでいい

自分だってきっと同じことをする

三郎はそこからの鴇の判断から得る情報だけでよいと思った

鴇が頷いている姿が見える位置の窓際の席に腰を落ち着ける

静かな朝

小雨だけが延々と降り続けるが、気持ちは至って穏やかだ

これは鴇が三郎にもたらせた効果である

遠目に見える鴇を、三郎はぼんやりと見つめていた

学園長のおつかい、と鴇は言っていたがこれだけ長引いたお使いだ

恐らく一筋縄ではいかなかったのだろう、それなりに大変だった用事を済ませて帰ってきた途端のこの有様

本来であれば、自分ひとりで片付けないといけなかった事案だ

それがこの拗れよう

小さく溜め息をついて三郎はガリガリと髪を掻いた


(こんな調子で、私は来年以降どうするのだろう)


来年、鴇はもういない

こうやって三郎が処理できない時、この学園はどうなるのだろう

そして、鴇はそんなことを三郎が考えているのもお見通しなのだろう

だから、これはちょっと事情が違うだろう、と諭すように三郎の髪を撫でるのだ

その心地よさに目を細めながら、三郎は考える

だったら鴇は、委員長がこれを解決する責を取らねばならぬという道理はない

それでもきっと鴇は言うのだ

「まあ、これも私の仕事だよ」と

ウトウトと、瞼が重い

鴇は優しすぎるのだ

その指先があまりにも優しくて温かくて、自分はそれに随分慣らされてしまったのだ

今朝の目覚めが最悪なものであったのも手伝い、三郎は静かに目を閉じるのであった








三郎が席を外したのを確認して、長次が口を開いた

嫌がらせではないが、やはり少し抵抗もあるのだろう

そこは意地悪な話になるので追及をすることはやめた

細かいことは気にしない小平太とは違い、長次には長次独特の判断基準と機微がある

大体、無理強いなんてするようなものではない


「…大きな話でいくと、鉢屋の件 5年生はわだかまりがある、な」

「そうだね 私も竹谷に少し噛みつかれた」

「…本当に?」

「うん?」

「本当に少し、か?」


鴇の視線が落ちたのに気付いたのだろう、あっと言う間に読み取られてしまった裏側に鴇は苦笑した

これだから気は抜けぬのだ

じっと見つめる長次に鴇が声をあげて笑う


「少しだよ 甘噛みくらいにしか思っちゃいないさ」

「…そうか」

「ただ、簡単には戻らないな 長期戦覚悟だ」

「…そうか」

「あれが私と共にいるのは、そういうことだ」


視線だけを三郎に向けた長次が、また手元に視線を戻す

かさついた指先を組んで、長次がまたそうかと呟いた


「4年生は、いつもどおりかと」

「そろそろ野外訓練の時期だっけ?それが終われば上級生での対抗戦か」

「…そういえば、延期になったと聞いた」

「?へえ、そりゃまたどうして 時期的には今が一番だろうに」

「詳しくは知らない、…が人をあまり外に出したくないらしい」

「…また学園長先生を狙ってる輩でもいるのかもな 了解、そこは確認してみるよ」


いつものように会話が進んでいく

長次は鴇に嘘をつかないし、鴇も長次に嘘はつかない

秘匿はする、しかし虚偽はしない

6年ろ組の自分達はいつもそうであった

互いの性格と思考を熟知しているのも手伝って、相手が何かを含まそうとすれば察知できてしまう

踏み込むか飲み込むかは自由だが、あえてそれを問わず、自己解釈に留めるのはあくまで相手への気遣いと敬意だ

鴇と長次の間の駆け引きは、特にそれが多い


「体調を崩してる子はいないか?ここ数日、天気も不安定だし」

「…それは伊作に聞けばいい 私よりも、ずっと把握してるだろう」

「それもそうか」


鴇が何を知りたいのか、鴇が何を求めているのか

長次はこの会話のなかで知りたいと思うかもしれない

もしかしたら何か気取られているかもしれない

しかし本来、忍が行う情報交換なんてものはそんなものだ

ここで一歩引くだなんてことは意味がない


「鴇」

「ん?」


鴇が次の質問に移ろうとした時、長次が少しだけ口をつぐんでから口を開いた

この様子には覚えがある

昨夜、小平太が同じような間をとったからだ


「不破の、ことなんだが」


何、というよりはやはりという感覚の方が強かった鴇は静かに耳を傾けた

自分が鉢屋を案ずるように、長次も自分の委員会の後輩を案じている

こうやって、長次が後輩のことを相談するのは珍しいことではあったが、鴇は長次の言葉を待った

当然だ

鉢屋にあれほどの異変があったのだ、少なからずとも不破にも影響がでている

それを見越して鴇は正面から構えた


「また、迷っているようだ」

「…それは、人間関係の話で合っている?」

「ああ」

「…竹谷と鉢屋の板挟み状態なのだろうね 鉢屋を助けてやりたいけど、理屈は竹谷が正論だから?」

「……まあ、な」


どうなんだ、と長次が視線で語りかけてくるのを鴇は見つめ返した

先ほどから長次がチラチラと三郎を気にしているのもそれが理由であったのだろう、鴇は少し考えて口を開いた


「私がするのは、状況整理だよ」

「………………」

「竹谷の主張も、鉢屋の主張も、どちらが正しいか私が判断するものじゃない 私はただ、事実を確認するだけ」

「…介入は、しないと?」


思っていたよりも控えめな回答だったのかもしれない、いつもであれば解決に乗り出す鴇が思ったよりも静観を決め込む発言をしたからだろう

長次は少し眉を潜めて問うた


「下級生たちの喧嘩じゃないんだ 私が入ったとて納得は簡単にしないだろう」

「………………」

「互いが正しいと思ったからこそ起きたんだ 主張はどこまでもぶつかり合う そんな彼らを考えもなしに正面からもう一度合わせるつもりは私にはさらさらない 傷つけあうのが目に見えているから」

「……そう、か」

「鉢屋を預かると言ったのも、そういう意味を含めてだ あの子をこれ以上疲弊させたくないから、私の手の届く範囲においた」


ちらりと、三郎が消えた方向へ長次の目がまた向いた

合点がいったのか、ふむ、と頷いて長次が腕を組んで長考の姿勢をみせた

長次は普段から口数が少ない

彼もまた、思慮の深い忍たまである

そしてしばらく経って、長次の視線が鴇を正面からとらえた


「…お前は、どうなんだ」

「どう、とは?」

「…竹谷と鉢屋の関係はひとまず置いておいて 五年生全体の動揺も捨て置くか」

「…やな言い方だね 長次 それは回りまわって不破を助けてくれないのかという話か?」


はっ、と長次が息を呑んだ

長次はこういった仲裁が得意ではない

それでも不破の相談には真摯に乗っているのを鴇は知っている

そして、解決してやりたいと思っているのであろうことも

ただ、そのやり方がよくなかった

こういうのが得意な鴇に頼りたい気持ちが、変な物言いになってしまった

長次もそれに気付いたのだろう

静かに、それでも正面から強い視線を向ける鴇を見返すことができず、長次が目を伏せた


「すまない 今のは取り消す」

「…いいよ ごめん 私もまだどうしたものかと思ってるから、こんな回りくどい言い方になったんだ 聞いてて気分のいい回答ではなかったよ」

「いや、…お前のその慎重さを知っていて、浅はかな問いだった 本当にすまない」


やってしまった、と自己嫌悪に陥った長次に鴇も頭を冷やそうと息を吐いた

どうにも自分たちは相手のことが見えすぎる

本来であればどちらかが気づかずに流せた話だ

鴇だって、長次に喧嘩を売りたかったわけではない

互いに、自分の後輩が大事だから起きた接触事故だ

そこは自分も非を認めないといけないだろう


「全体調和より、私は鉢屋を優先したんだよ グズグズしてる間に鉢屋を失う方が私には手痛い そんなのを黙認できるほど私はあれを軽く見ていない」

「…そうか」

「すまない長次 まだ、不破の方にまで手をだせそうにないんだ」

「それは、いい 気にしないでくれ」


大分、卑怯な答えだとはわかっていた

おそらく長次が聞きたかったのは、そういうことではなかったはずだ

客観的に現状を見る視点ではないし、鉢屋への鴇の想いでも、不破のことでもない


(お前が聞きたかったのは、私の考えだろう 長次)


今回の鉢屋が引き起こした騒動に対しての鴇の判断

鴇が収集した情報から至る鴇の結論だ

鉢屋を白とするのか、黒とするのか、恐らくそれを長次は知りたいのだ

しかし、鴇はそれを口にするわけにはいかない

だって鴇は確信をもっている

長次は「あちら側」の地に立っていることを、自分は「こちら側」の地に立っていることを

そして、それが何を意味するのかも鴇は理解している


「あちら側」に立つ長次は、「こちら側」に立つ鉢屋の行動が理解できないのだ

妥協や譲歩できるラインが違いすぎるから、迷う不破に助言を与えられないし、解決方法が見つからない

いくら相談になりたくとも、根本的に鴇と長次は違う

"知るもの"と"知らぬもの"この距離が詰められるわけがない

万が一にもそれが詰まったら、それは長次が考えることを放棄した証だ

表面の体裁だけを取り繕ったどうしようもない答え

それに至れないということは、やはり長次は思慮深いのだ

そして、そんな相手に鴇は手の内を明かすわけにはいかなかった

明かしても交わらない

次に迎えるのは、鴇と長次の決裂だ

それだけは、避けたかった


「鴇」


突然、長次が強い口調で鴇を呼んだ

強い視線が鴇を見据える

それにドクンと心臓が鳴った


「…一つだけ、問いたい」

「…いいよ 何だろう」


少し訂正しておくが、長次だってそんじょそこらの忍たまではない

鴇が幾重にも考えを張り巡らすのと同様に、長次だって考えなしに問いはしない

核心に触れず、押し切ろうとしていた鴇に、長次が口を開く

今からの長次の問いが、今後の自分達を決めると鴇は悟った


「お前は、」


それも踏まえて、鴇も長次を正面から見据えるのであった



13_後ろめたさに似た攻防



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