- ナノ -

ヒタリ、ヒタリ

廊下を静かに何かが進む


ヒタリ、ヒタリ

板張りの廊下が小さくギシリと鳴って、その上を何かが進む


此処は学園だから、こんなことは良くあることだ

低学年であればバタバタと騒がしい音がするが、高学年であれば音を消して歩く癖がついてくる

音だけをとれば、此処は6年長屋だから大した違和感はない だが、


(何だ、ろう)


胃が重いというのだろうか

胃よりも少し上、胸に近い部分に何かが乗っているような息苦しさに三郎は苦しくて息を吐いた

三郎はもともと睡眠が浅い人間であった

これは習慣というよりは個人の体質であり、特に困ったことはない

緩やかな浅い睡眠で、覚醒だって容易だ

それなのに、


(何故、起きられない)


意識はある、しかし身体が動かない

ジワジワと嫌な汗が額を伝う感触がある

寝苦しさだけが増していく


ヒタリ、ヒタリ

ヒタリ、


音は、少しずつ近づいてくる

少しずつ、しかし着実に


(気持ちが、悪い)


何がと問われてもよくわからない

ただ、この音がさっさと消えてくれればいいのにと感じたのは確かであった


ヒタリ

ヒタリ

ヒタリ


スラリ、


音と同時に息が詰まる思いがした

気配は消えるどころか、"ソレ"は鴇の部屋の障子を開けたのだ

声かけもない、躊躇いもない

七松小平太だろうか、と脳裏を彼の姿が過ぎったが、彼は此処まで不快な気配を纏わない

そんなことを考えることで、気持ちを誤魔化そうとしていたが、不快度は増すばかりだ


ヒタリ、

ヒタリ


確実に、気配は近づいてくる

何と言葉にしたらよいのか、嫌な、とても嫌な気配だ

先程から何度も起きようと試みてはいた

しかし身体は上手く動かない

せめて自己防御として腕を胸の前に構えたい衝動に駆られていたものの、どんなに頑張っても指はピクリとも動かない

息苦しさは増し、全身の毛穴から汗が滲んでいる


ヒタリ、

ヒタリ、


足下から、ゾワゾワと気配が上る

腹の上に何かが跨る

胃は圧迫され、息が詰まる

冷たい指先が自分に延ばされ、ヒタリと喉元に触れる

それがそっと首筋を上り、手がかけられ

開かぬ目蓋の裏で、ソレはニヤリと笑って


チリン!

「鉢屋!!」



強く揺すられた肩と、意識がグッと引き上げられる感覚

ピリ、と耳元の空気が震える

あれだけ重く開かなかった目蓋がすんなりと開けば、そこには焦った様子の鴇の顔が間近にあった

部屋の中には鴇以外の人間はいない

そしてあの嫌な気配も消えている


「鉢屋、」


鴇の声をかき消すほど、自分の心臓が煩い

鼓動が、異常な速さで打っている

ボタボタと、汗が滝のように流れ出て、息がしづらい


「大丈夫だ ゆっくり息をしろ」


鴇が素早く熱と脈を測るのをぼんやりと三郎は見ていた

恐らく脈は大分早いのだろう、眉間に皺を寄せた鴇の表情からもソレは見てとれる

それでも大分気分はいい

鴇が触れた箇所から、身体が軽くなるような気がする

浅かった息も、少しずつもとに戻る感覚だ


「無理に姿勢を正すな 落ち着くまで、私にもたれていればいい」


そう言いながら鴇が三郎の肩を抱き寄せてゆっくりと三郎の背を撫でる

不躾だとは思いながら、鴇の肩口に三郎は額を預けた

息苦しさがとれていく

纏っていた不快な空気が払われていく


(…これならば、しばらくは大丈夫だ)


何の根拠もないが三郎はそう思った

目を閉じてゆっくりと息を吐く

一息吐けば嫌なものが抜けるように、一息吸えば肺の中に新鮮な空気が取り込まれて

しばしそうやっていれば、すっかりと嫌な感覚は抜けていた

脈も呼吸も落ち着いて、ゆるゆると鴇の腕の中から抜け出れば、そこはいつもの鴇の部屋であった


「鉢屋 お前、」

「……おはよう、ございます 委員長」


何と伝えればいいのだろう、

焦った表情の鴇を見て、三郎はそう力無く笑うのが精一杯であったのだった



























鴇は短時間で深い眠りに入れる人間であった

忍務の時は抑制をかけるため、眠りは浅くなる

しかし此処は学園の自室

同級生達の悪戯紛いの奇襲こそあれど、基本は深く眠る

短時間で良質な睡眠をとれば、多少の徹夜だって問題ないし、何か不穏な気配があればすぐに飛び起きれる訓練だって積んでいる

昨夜は三郎を寝かしつけた後、鴇も一応外の気配には注意して長旅の疲れを癒すために就寝した

まあ、寝かしつけたというよりは睡眠薬を盛って無理やり意識をとばさせたのだが


(状況が、よくわからない)


鴇は耳がよい忍であった

気配を察知するのは小平太が随一であったが、耳の良さは鴇が学年の中でも1番だと定評がある

話し声、水の弾く音、草木の擦れる音、風向きの変わる音

大抵のそれを聞き分けて、鴇はそれらを上手く利用する

それほど耳が良い鴇が気付いたのは、隣で眠る三郎の短く荒い息づかいであった

鴇がそれに気づいたのはつい先刻だった

ふと目を覚まし、うっすらと開いた目が室内を捉える

室内は火も灯してないのに薄っすらと視認できるくらいには明るさがあった

もう空が白み始めているところを見ると、早朝だろうか

明るさ具合からは、まだ人が活動するには少し早い時間かと考える


(熱でも、でたか?)


精神的な疲労の蓄積が熱でも呼んだか、そんな軽い気持ちで眠たい眼をこすりながら三郎を見た鴇であったが、その様子にぎょっとして眠気が吹っ飛んだ

唸されるように眠る三郎の顔色は酷く青白い

ビクン、と何度か小さな痙攣を繰り返す三郎を異常に思い、鴇は慌てて三郎を揺り起こした


「鉢屋!」


強い口調で呼びかけたのと同時に、三郎の額に手をあて熱を測る

熱はない、しかし脈が異常に速い

昨晩は睡眠薬を飲ませている

それを考えれば急な目覚めは難しいかと思ったが、三郎は鴇が思うよりも簡単に目を開いた

恐らく、本人も身体の異常に気付いていたのだ

睡眠薬が覚醒を困難にさせ、金縛りのような状態にさせてしまったのか

目覚めと同時に、自分の首元を確かめるように触った三郎の背を鴇は撫で続けた

何も言わぬのか、それとも言える状態にないのか三郎は目を瞑ったままぐったりとしていた

随分と汗をかいており、息は浅く、滲む汗を鴇は指で払い、頬を囲って焦点が合うか覗き込む


「鉢屋、」

「…………もん、お前、ど…」

「鉢屋?」


吐息を同時に吐かれた言葉は掠れてあまり意味をなさなかった

夢うつつなのか、鴇は軽く三郎の頬を叩いた

瞳孔は開いていたが、呼びかければすぐにこちらに合わせてきた

ようやっと覚醒したという確信がもてた


「……お、はようございます」


まだ無理があるのだろう、それでも三郎はいつものように挨拶を返すのであった













「悪い夢でも見たか?」


いつもとは逆転して、三郎の髪を結わえながら鴇は尋ねた

滅相もない、だとか言うかと思っていたが、どうにも気怠気な様子の三郎は思ったより抵抗してこなかった


「いえ、そういうわけでは」


何だか落ち着かない、と苦笑した三郎に鴇はまた眉間の皺を寄せて問うた


「鉢屋、私に隠してどうする」

「……私も、委員長にお話できるほどの状況把握ができてないんですよ」

「いいから話せ 後手に回るのは嫌だと、昨日言った」


睡眠をとったはずなのに、三郎の体調は芳しくなさそうであった

今だって身体が重いのだろう、いつもは頑なに自分が鴇の髪を結うと言い張るのにその元気はない

言葉ひとつにしても、そこに覇気が感じられない


「…少し、時間をもらっても」

「勿論だ」


鴇の要望に応えようと、三郎が、少し首を傾げて思案に耽る

考えをまとめているのだろう

この後輩は自分との会話に手探りな状態は好まないし、鴇も聞く分には要点が整理されてる方が何かと楽だ


(まあ、手探りな会話でも、別に構わないのだけれど)


ゆっくりと、鉢屋の髪を櫛で梳く

不破の髪に模した、茶色の色素の強い柔らかい髪は思っていたよりもまとまりが良くない

それでもこうやって少し手こずるくらいの時間を与えてやれば、考えをまとめてくるだろう

それから数分後、鴇が綺麗に鉢屋の髪を結い上げたのと同時に、鉢屋は今朝のまどろみの中での説明を鴇にしてみせた

本人は、曖昧な表現の混じるその話を少し気持ち悪そうにしていたが


「"気配"か、」

「…私の気のせいかもしれないですけどね」


苦笑した鉢屋の横顔をチラリと盗み見る

鴇が目を覚ました時、確かに室内には誰もいなかった

廊下を歩く足音も、鉢屋が聞いたという鈴の音も鴇は聞いていない

言ってはなんだが、鴇は鉢屋よりも耳がいい自信があった

たとえそれが、どんなに深い眠りについていても、だ


(気のせいだ、とまでは、譲らないか)


ちらりと鉢屋を盗み見て、鴇はふむと思案にふける

完全に納得まではいってないのだろうが、鉢屋は何かがあったという可能性を完全に消さなかった

起き抜けの鉢屋のあの態度を見れば、それが夢のなかだけの話に留まるものではないのではないか、ということは鴇にだって推測できる

明らかに鉢屋は体力を消耗している

顔色の悪さは朝よりはマシというだけで、やはりあまり良くない

ノロノロと身支度をする姿に鴇はひとつ提案をした


「鉢屋、今日は外に出るの止めようか」

「?何故です」

「顔色が良くない 体調、悪いだろ?」

「大丈夫ですよ」

「だから、私に隠してどうする」


そう言うと思ったと鴇が溜め息をつけば、三郎も小さく笑った

互いの性格が読めているだけに嘘偽りは通じないことを理解しているからだ


「本当に、委員長がいなかった時に比べれば大分調子いいんです」

「しかしだね、鉢屋」

「後手に回るのは嫌だとおっしゃったではないですか 1日を無駄にするわけにはいかないでしょう」


ド正論を向けられて、それはそれで鴇も言葉に詰まった

鴇が1人で校内を見回るのは簡単だ

生徒の集まりそうなところに姿を見せて反応を伺えばいい

しかし、この状態の鉢屋を部屋に置いておくのは気がひけたし、何より今は鉢屋の監視役を担っている

たった一晩でそれを放棄するなんて選択肢は、鴇には端からなかった

どうしたものか、と悩めど当の鉢屋は出発する支度を始めている

テキパキと、とは言わないが、忍装束に腕を通す姿に休息の予定はなさそうだ


(仕方ない、)


頑固な鉢屋のことだ、何と言っても外に行くつもりだろう

鴇が小さく息を吐き、鉢屋の制服の裾を軽く引く

鉢屋が鴇の意思を確認したいのだろう、じっとこちらを見下ろしてくる


「今日は視察だけ ぐるっと学園内を見回って、戻ってくる」

「しかし、」

「それに従えないなら、無理やりにでもお前を布団に放り込む」

「………わかりました」

「いい子だ」


渋々と、それでもやはり体調が悪いから助かるのだろう、了承の意を返した鉢屋の髪をくしゃりと撫でた

そのまま帯を結んでやろうとすれば、突如手首を掴まれた

何事かと見上げれば、何とも言えない表情をして鉢屋が鴇に問いかける


「…委員長は、私を子どもか何かかとお思いで?」

「?何で?」

「ふ、服くらい一人で着れます」


手伝っていたつもりだが、それはそれで恥ずかしいものがあったのだろう

耳を赤くしながら小さく抵抗する鉢屋に鴇はきょとんとしていたが、理由がわかってクツクツと笑い声をあげた


「委員長!」

「そう膨れるなよ 弱ってるお前は珍しいからね 私だって多少過保護にもなるさ」

「…………」

「だるいんだろ、誰も見ちゃいない 素直に甘えておけ」


鴇に全く悪気がないことは理解したのだろう、そのまま少し葛藤があったらしい鉢屋はしばらく固まっていたが、ほどなくして制止していた手を鴇の手首からのけた

それから数分後、制服に着替え終えた2人は部屋をあとにするのであった










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この感覚には覚えがあった

全身の毛穴が開く感覚

足下からジワジワと上る不快な気配


胸がぎゅうっとゆっくり強く締め付けられて

息苦しくて敵わない

いつ、どこで、何故


上手く働かない思考の向こうで思いだしてみるが、今ひとつはっきりと思い出せない

思い出せるのは


『今度また、こんなことがあったら、鴇先輩と一緒にいろよ』


そう言って何かと私を委員長の傍に置こうとした同じ委員会の友

言われたとおりにしてみれば、随分と楽になった覚えがある

いつの話だっただろうか、


(あれ、そういえば)


この数日の記憶を辿ってみれば、1人欠けている

どうして欠けているのか、

何故気付かなかったのか、


(勘右衛門 お前今、どこにいる?)


ぼんやりと脳裏をよぎった疑問の向こうで、屈託なく笑う友の姿

その問いを口にだそうとした瞬間、酷いノイズと共に彼の姿は三郎の脳裏から消えたのであった

12_夢は置き去り



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