- ナノ -

湯冷めしないように着流しの上から羽織を着て、鴇と三郎は静かに廊下を歩いていた

ざあざあといつまでも降り注ぐ雨は未だ止むことを知らない

冷たい空気が、足元を涼やかに駆け抜ける



「…本当に、ご迷惑をおかけしました また、明日よろしくお願いします」

「いやいやいや、鉢屋 どこ行くの」


深く頭を下げ、一人部屋に戻ろうとした三郎を鴇が呼び止める

まだどこか調べておきたいところでもあったかと三郎がきょとりと首を傾げた


「え、でも、もう遅いですし、委員長もお疲れでしょう お休みに…」

「お休みになるよ」

「?でしたら、」

「たから、お前も私の部屋で寝るんだよ」

「へ?………はぁっ!?」

「監視の意味、わかってんの?」


顔を真っ赤にして慌て出した三郎を鴇が呆れたように窘める

これだけ慌てるのも珍しいなと思いながら、こいこいと、鴇が三郎を手招く

仙蔵と文次郎達に三郎を自身の監視付きを条件として解放した鴇は言葉の責任をとる必要があるのだ


「しばらくは1人になるな 下手に騒動にしたくないし、何かあった時の対処が間に合わん」

「し、しかし」

「文句なら部屋で聞く 湯冷めしたくないからとりあえず行くぞ」


スタスタと歩く鴇の後ろを、耳を真っ赤にした三郎が慌てて追いかける

文句などあるわけもない

雷蔵やハチヱ門達と気まずくなってからというものの、部屋に居てもどこか居心地は悪くて、

同室の雷蔵との会話もめっきり減ってしまったし、雷蔵を迎えにくる八左ヱ門とはギクシャクしっぱなしだ

それを鴇が見越しているのかはわからない

だけど、


(この人は、)


背筋を伸ばして前を歩く鴇をちらりと三郎は盗み見た

学級委員長委員会委員長

その名に恥じぬその人が纏う空気は何よりも心強く、泣きたくなるほど安心できる

世界がひっくり返ったとしても、この人さえいれば自分は息をしていられると素直に思えた

それが過剰な依存であったとしても三郎としては構わない

この混沌とした中、1人にしないと遠回しに言ってくれる鴇が、今の三郎の全てであったのだから


「布団、私の部屋ので構わないだろう?」

「は、い あ、でも」

「?どうした?」

「ひと、こと 雷蔵に」

「……そうだな そういうのは大事だ」


本音を言えば、顔を合わせるのも正直気まずい

それでも、もしかしたら自分のことを心配してくれているかもしれない

気の優しい親友の性格を想って、雷蔵に声をかけてからでもいいかと三郎が問えば、鴇が静かに頷いた








5年の忍たま長屋

三郎と雷蔵の部屋の前にさしかかった時、突然部屋の戸ががらりと開き、中から出てきた人物と鉢合わせた


「あ、」

「は、ハチ 雷蔵」


出てきたのは雷蔵と八左ヱ門であった

心の準備がまだ出来てなかったのだろう、先手を挫かれた三郎が同室の不破雷蔵の名をぎごちなく呼ぶ


「三郎、大丈夫…」

「反省したんだろうな」


大丈夫だった?と駆け寄ろうとした雷蔵を制して、竹谷が強い言葉で問えば、三郎もぐっと眉間に皺を寄せた

鴇も話には聞いている

一番拗れたのは竹谷と鉢屋の仲だということを

それにしたって、普段は嫌味のひとつも言わない竹谷だが、今回はなかなかに辛辣な態度である


「私は、」

「………その顔、聞くだけ無駄か」


言葉に詰まり、不満が三郎の表情に出ていたのだろう、一瞬で様子を悟った竹谷が厳しい表情で三郎を睨む


「女相手に何してんだよ みっともない以前の問題だ」

「………………」


三郎は今回、自身が先走ったことに関しては反省をしている

そのためだろう、反論しないでやり過ごそうとしていたが、反論のないことに遠慮をしない八左ヱ門の追及が降りかかる

その傍ら、三郎の後ろに立つ鴇をちらりと見て、竹谷が嫌そうに眉を顰めた


「また嘉神先輩を頼ったのかよ」

「………………」

「いいよな 守ってくれる委員長がいてくれて」

「…人が黙って聞いてれ」

「鉢屋」


何度も言うが、三郎は今回の件、一応反省している

それは葛葉がどうのこうのは抜きにして、得体のしれぬものを解明しようともせずに一人で先走ったことについては、だ

それは確かに己の未熟さが招いたものだ

それは呆れられても仕方がないし、何を言われても我慢して聞いてられる

しかし、その誹謗中傷が鴇に向くというのは、三郎には我慢がならないのだろう

挑発するような竹谷の言葉に反応して、また三郎も声を荒げて反論しようとするのを鴇が強制的に止めた

名前を呼ばれて我に返ったのか、気まずそうに鴇を振り返った三郎を手招いて、鴇が三郎を背後へと押しやった

三郎を引っ込め、前に立った鴇と眉を顰めた八左ヱ門が対峙する


「やあ、竹谷 不破」

「…嘉神先輩 お帰りになったんですね」

「ああ、先ほどね」

「…それで、何の用です?」

「しばらく鉢屋、私の方で預かるから」

「は?」


邪魔しないでくれと鴇を睨んでいた見ていた八左ヱ門の目が、その言葉で訝しむような疑いの目に変わる

あげた声と、その目を見ればわかる 

不信と軽蔑の色さえ混じっている八左ヱ門は、三郎がしたことに本気で怒りを抱いているのだ

だからその三郎を擁護する鴇も八左ヱ門に対しては怒りの対象になりうるのだろう


「…三郎を、庇うんですか?」

「意味がわからんよ 竹谷」

「嘉神先輩は、三郎が何をしたか聞いてるんですよね?」

「勿論 その上で、任せてもらっている」


鴇の後ろに守られているように立つ三郎を竹谷がまた強く睨む

竹谷にとって、一般人であり女である葛葉に手をあげようとした三郎を簡単には許せそうになかった

それに加え、三郎が反省もしておらず、しかも三郎にとっては罰でも何でもない鴇の監視下に入ったことは卑怯に思えた

三郎が先生方や仙蔵達を丸め込んだのか、それとも鴇を懐柔したのか、そんな風にしか今の竹谷には見えない

それが穿った目であることは重々承知だ、それでも竹谷はそれほどまでに三郎に腹を立てていた

そんな苛立ちと不快感が腹のなかで渦巻く竹谷の気持ちを無視するかのように、鴇が三郎に声をかける

鴇は八左ヱ門がいくら非難をしても怯みもしなければ、お伺いをたてるような真似をしない

そんなのは鴇のこれまでを見てきた八左ヱ門だって理解している


「鉢屋、取り急ぎ必要なものだけ持っておいで」

「………はい」


鴇の静かな声に三郎が小さく返事を返し、部屋に入ろうと竹谷の横を通る

鴇は三郎を逃がすつもりなのだろう、それに表だって異を唱えることができず竹谷はギリ、と歯を噛みしめた


「卑怯者」


ボソリと呟かれたその言葉に三郎が一瞬大きく目を見開いたが、今度は反抗することなく静かに部屋に入る

当たり前だろう、鴇が上手く自分を抑えようとしているのを激情に任せてぶち壊すなんて三郎にできるはずがない

それほどまでに、三郎は鴇へ絶対の信頼と忠誠をもっているのだから


パタン、


閉じられた戸を竹谷が睨む様子を、不破がどうしようかと不安気な表情で見つめている

その様子を鴇もちらりと盗み見ていた

鴇は不破はきっとどちらにもつけないのだろうと推測していた

自分への遠慮と竹谷の面子、それを考えられない不破ではないと踏んだからだ

そうなると鴇がすべきは竹谷を抑えることだ

不破は、まだ今は相手にすべきではない


「嘉神先輩も、甘いっすね」

「………随分、突っかかるな 竹谷」


腕を組んで静かに笑った鴇を竹谷は睨んでいた

これほどあからさまな竹谷も珍しい、鴇も黙って耳を傾ける


「だってそうでしょう 俺達が止めたから、葛葉さんは無事だっただけで、一歩間違えれば死ぬとこだったんだ」

「そうらしいな それについては、お前達に感謝してるよ」

「だったら、三郎は罰せられるべきでしょう」


竹谷の言葉に、鴇は少なからず驚いていた

普段は温厚で、仲間想いの竹谷を此処まで言わせるということは、それほど竹谷にとって葛葉も仲間と同様大事な存在であるということ

それが何者か、そんなところで躓いている自分や三郎と同じ目線で語れないのはここが原因だ

一歩もひかない竹谷に鴇が問いかけを続ける


「牢につないでおけと?」

「それくらいじゃ、反省しなかったみたいですけど」

「では、身体に言い聞かせろと?」

「少なくとも、自分が何をしたか自覚して、反省するまでは」

「あれは、そこまで馬鹿ではないよ」


普段よりも過激な言葉を見え隠れさせる竹谷の言葉を鴇が制止する

竹谷の言い分もあるだろうが、好き放題言わせたいわけではない

スタートラインが揃ってない以上、鴇は竹谷の話をそうかと頷き続けるのは正直無理がある


「あれは私達の目で見えるよりも遙かにたくさんのことを考えていて、私達が思うよりも遙かにたくさん不安を抱えて行動しているよ」

「………そんなの」

「お前の目には、鉢屋が何の考えもなしに人に手をあげるような奴に見えるのか?」


問う鴇の言葉に八左ヱ門がぐっと黙り込む

八左ヱ門だってショックだったのだ

目の前で三郎が葛葉に刃を向けた瞬間は、戸惑いと怒りと裏切られたような悲しみがあったのだから

別に好きで三郎を嫌悪して距離をとってるわけじゃない

ただ、三郎が何を考えているのかわからないのだ


「お前達の言い分もわかるよ 何も間違っちゃいないさ」

「それなのに、」

「そうだな 私はその上で鉢屋を預かるよ」


鴇の姿勢は変わらない

腕を組み、八左ヱ門をじっと見つめる鴇は考えを変えない


「一旦は、私に任せてくれないか」

「……嘉神先輩は、三郎に甘いじゃないですか」

「くどいな 竹谷」


ピリ、とした空気に八左ヱ門と雷蔵が思わず肩を震わせた

姿勢こそ変わらないが、鴇の目が鋭くなったのは明らかであった


「学級委員長委員会委員長 私は、自身の立場の責任に則って鉢屋三郎を監視すると言っている そこにお前の意見を挟むつもりはない」


遠慮なく、そして後を引くような言いぐさばかりを続けたせいだろうか、鴇がこれ以上はもういいとばかりに強い口調で八左ヱ門に言い放つ

鋭い視線とひやりと冷たい空気を纏った鴇に八左ヱ門の背に冷や汗が流れる

鴇は基本的に後輩に強い物言いはしない

その鴇が纏うこの気配を、八左ヱ門は無視してはならない

これ以上下手な言葉を紡ぐなら、それなりの覚悟が必要だ

ゴクリ、と喉を鳴らした時、三郎が着替えや必要なものを抱えて部屋から出てきた

ピリ、と張った空気に何かを悟ったのか、三郎が驚いて鴇を見つめれば、鴇が苦笑して三郎を手招く


「い、委員長?」

「用意できたな 行くぞ」


先に三郎を歩かせて、鴇と三郎が八左ヱ門と雷蔵の横を通る


「すまんな、竹谷」


まだ身を強張らせている八左ヱ門を見て、鴇がポン、と背中を叩き去るのであった







(…アンタは、いつもそうだ)


ふわりと溶けるように消えた冷たい空気と、そっと融けるような声で竹谷に謝った鴇の背を見つめながら竹谷も大きく息を吐いた


「………雷蔵」

「…うん、大丈夫 わかってるよ」


三郎の様子がおかしくなったのは突然のことであった

僕が町から葛葉さんと戻ってきた時、毎日のように顔を見合わせていた彼女を誰だと問うてきた

初めは何の冗談かと思ったが、三郎の"ソレ"は一向にひく気配をみせなかった

僕が三郎にいい加減にしろと怒鳴ってから、三郎は僕の前で彼女が誰かを問うのをやめた

それと同時に、僕らの間には見えない線がひかれてしまった


長いこと三郎と居たからわかるのだ

三郎の目から、葛葉さんに対する不審感がいつまでたっても消えないことが

僕らが彼女と話をすれば、彼女に対する怒りや憤りのようなものを感じたし、彼女の作る料理に手をつけたくないのか、食事も一緒にとらなくなった

一時的なものにはみえなかった

冗談にもみえなかった

だから余計、何が三郎を突き動かしているのかがさっぱりわからない

1度腹を割って話をしようとしたけれど、三郎は僕に話をすることさえ諦めているようだった

1日、1日と三郎とすれ違う生活が続く

食事も、課題も、風呂も、就寝さえも

三郎は僕らから距離をとり、僕らもまた三郎から距離をとった

考え方の違いや性格の不一致なんて、今までの僕らには簡単に飛び越えられる壁だった

それでも今回歩み寄ることができなかったのは、三郎が葛葉さんを全否定したからだ

低学年の時に時折起こる「いじめ」の度を超えたようなもののように

そういったことは雷蔵はもちろん好きではなかったし、特にハチはそれが許せないようであった

女性であり、一般の人である彼女を、忍という特殊な僕らが手をだすことを、

そもそも男が女性に手をだしたことにどちらが悪いという話は意味がない

今回はどう見ても三郎が悪い、そう断言できるくらいの出来事であったから、三郎ともう少し話をしたいと思っても、雷蔵には三郎を追うことはできなかった


「意味、わかんねぇ 嘉神先輩なら、わかってくれると思ってたのによぉ…」


その大きな原因の1つが、傍らに立つハチだ

ハチの怒りも不満も僕には痛いほど理解できる

僕にとって、三郎は無二の親友だけれど、それと同じように同級のハチだって劣らないくらい大切な友だ


「…そうだね 何で、鴇先輩は」

(三郎を信じるのだろう)


僕にはハチの言っていることが正しくて、三郎のしていることが正しくないことに見える

その友が正しいことをしているのに、それを放って三郎に駆け寄るわけにはいかない

去っていく三郎の後ろ姿を見て、寂しさが込み上げる

僕やハチを見る目は、どこかまだ距離を含むのに、鴇先輩への信頼は一切崩れていなかった


(ねえ、三郎 僕と鴇先輩、一体何が違うというの)


僕は、あの人のように絶対の安心を三郎に与えられなかった

ハチが三郎に辛辣な言葉を投げた時、心に傷を確かに負った三郎だったけれど、鴇先輩が名を呼んだ時、そんな傷は吹き飛んだに見えた

僕たちという存在を諦めた三郎は、やはり鴇先輩のところへと向かったのだ

行くぞ、と言った鴇先輩に三郎はほっと安堵の息を吐いた

顔色だって此処最近ずっと悪かったのに、少し血色が戻っていて


(わからない、わからないよ 三郎)


鴇先輩も葛葉さんを知っているはずなのに

鴇先輩と僕たち、一体何がどう違うのか


(何でこんなことに、なったんだろう)


見えない距離と、届かないもどかしさを抱えながら、雷蔵は静かに溜め息をついたのであった





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(ハチ、1人部屋だったっけ?)

(ん?ああ、そうだけど)

(……泊まってく?)

(………おー)


多分ハチも気付いてる

僕の不安も、三郎の不安も

それでもお互いに譲れないものがあって、こうして僕らはまた怯えるように自分の領域を守るのだ

09_全部濁った色になる



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