- ナノ -

ちゃぽん、と湯が小さく跳ねる

深夜ということも手伝って、風呂場には誰もいない

ざばりと熱い湯をかけて浴槽へと身体を滑り込ませれば、先に湯に浸かっていた鉢屋が慌てて目をそらすのが見えた


「何照れてんの」

「べ、別に」

「そういえば、お前と風呂に入るのも久しぶりだね」

「そ、そうですっけ」

「うん」


たしかに5年と6年の入浴時間が被ることはあまりなかったし、委員会で一緒に入ったのももう1ヶ月も前だ

と、いうよりも三郎は鴇と2人だけで風呂に入るのが苦手である

均整のとれた肢体とほんのりと上気した鴇の風呂での表情はどこか艶めかしいものがあるからだ

今だって、鴇のきめ細かい肌を水滴が伝うのを見ていれば、


(いやいやいや、そんなこと考えてる方が疚しい…)

「それで、本題に入るけど」


浴槽の縁に寄りかかって、呟くように鴇が尋ねた言葉に、三郎も背筋を伸ばした

鴇が食堂や座敷牢でなく、風呂で会話することにしたのも警戒のためだろう

学園全体が肯定するものを三郎1人が否定しており、ましてや罰則もなく完全に自由にさせようというのも考えにくい話だ

いつどこで聞き耳をたてているものがいるかもしれない

そうなれば、天井裏もなく、壁越しに聞くことも叶わないこの風呂場が1番そういった話をするには今のところ向いている

多少の声も、湯を打つ掛け流しの水が消してくれるからだ


「まずは報告、お前が見たこと・聞いたこと・感じたこと、現状と感情を切り分けて説明して」

「………わかりました」


それから三郎は、なるべく順序立てて事のあらましを説明した


見知らぬものの出現

それを違和感なく受け入れる学園

初めに感じた嫌な感覚

彼女を既存の者であると言いはる生徒や教師達

そして鴇が帰ってくる直前までの話

鴇は目を瞑って黙ってそれを聞いていた

先に手を出してしまった自分の焦燥な行動を鴇に告げるのは勇気が要ったが、全て話せと言われたのもあり三郎は下手に隠し立てはしなかった

話を終えると同時に、鴇が目を細く開けてそうか、と小さく呟いた

次に鴇が口を開こうとした時、ガラリと風呂の入り口の戸が開き、誰かが入ってくる気配

此処も邪魔が入るのか、と溜め息をついた三郎とは逆に、鴇は静かに湯に浸かったままだ

ヒタヒタと歩く音に少しばかり緊張する

居心地悪くさえなってきたが、隣の鴇が湯の中で寛いでいるのを見て三郎も小さく息を吐く


立ちこめる湯気の中から現れたのは、6年は組の善法寺伊作であった

鴇や三郎とは反対に、熱めの湯に身体をくぐらせて大きく息を吐く

場所を変えた方が、と鴇を見た三郎であったが、鴇が動く気配を全くみせないため静かに待機する

どうするのかと見ていれば、鴇が伊作に背を向けたまま口を開いた


「で?お前の見立ては?伊作」

「うーん、まだ何とも、かな」

「は?」


鴇の言葉に三郎が素っ頓狂な声をあげた

自分の理解が間違っていなければ、善法寺伊作は「この事態」を理解している一人のように聞こえた

どこまで口にだしていいのか、迷う三郎の視線を受けて、鴇が苦笑して口を開く


「葛葉を知らない私が、帰ってすぐなのに仙蔵達の話に合わせられたのは何でだと思う?」

「それって、まさか」

「伊作も、"こちら側"だ 鉢屋」

「そんなはずは、だってアンタっ…」

「こら、鉢屋」


思わず敬称も何もかも外れてしまいそうな三郎を鴇が小さく窘める

だってそうだろう、三郎は完全に孤立していたし、善法寺伊作は"あちら側"のように振舞っていたのをこの目で確認したのだから

あはは、と笑う伊作を三郎が睨むように凝視すれば、鴇も機嫌悪そうに呟く


「それでも、鉢屋を放っておいたのは正直どうかと思うんだが、」

「だって、鉢屋が先走っちゃうんだもの 仕方ないじゃない」

「どうせお前のことだから、鉢屋を実験台にしたんだろ」

「あれ、バレちゃった?」

「…鉢屋、やっぱり一回コイツぶん殴っておきなよ 私が許すから」

「ちょ、ちょっと待ってください」


どういうことですか、と問うてくる鉢屋に鴇が困った顔で伊作を見れば、伊作もどうぞと肩をすくめる

話を続けたいのに、それよりも疑問が湧いてしまっている三郎に説明をしないと納得できないだろう


「私が学園に戻ってきた時、最初に接触してきたのが伊作だった」


強い雨の中、学園に戻ってきた鴇を出迎えたのは伊作である

いつもであれば、守衛を兼務する事務員の小松田秀作が顔を覗かせるはずなのに


「おかえり 鴇」

「…小松田さんはどうした」

「ちょっと吉野先生と話するからって、あ、夕飯食べた?葛葉さんに何か作ってもらうように言ってこようか?」


伊作が上手かったのは、葛葉という名をさりげなく会話に混ぜたことである

鴇が彼女を知っていれば、鴇は普通に返事を返すし、知らなければ不審そうな目でこちらを見ると判断してのことだ

当然葛葉を知らない鴇は首を傾げて問うた



「?誰だ、葛葉さんって」

「いい、鴇 黙って聞いて」



ニコニコ笑っていた伊作の表情が急に引き締まる

普段の緩い男のソレではなく、忍のタマゴに見合った目だ

それで鴇も気付いた


「何かが起こっている」ということに


普段はあまり伊作を信用していない鴇であるが、緊急時においては受け入れる

この6年、不運だの何だのと言われながらも此処まで残ってきた伊作の実力は本物なのだから

先ほどの会話は暗号か、敵襲か流行り病か、緊張の続く鴇に伊作が早口でまくしたてる


「私は何をすればいい」

「多分、すぐに仙蔵達が来ると思う キミの帰りを待っていたから」

「ああ」

「とにかく"仙蔵達"の方に話を合わせて "鉢屋"の会話に同調しては駄目だよ」

「は? 鉢屋?お前、何を」

「事情はあとで、いいかい、絶対"鉢屋"の相手は後回しにするんだよ 上手くやってね!」


その後の話は三郎も知っているとおりだ

仙蔵達の会話から、どうやら葛葉という者が渦中の人物であるらしく

それに異を唱えたらしい三郎が座敷牢にまで突っ込まれたと聞けば穏やかな話ではない

鴇の知る三郎は、感情だけで動くような忍たまでは断じてない

それなのにここまでやらかしてるのは何故なのか、その疑問だけがずっと残る

とりあえず鴇は仙蔵達と同調しながら、鉢屋の身の安全を確保しなければならない状況であることを悟ったのである


「相手に傷を負わせなかったのがせめてもの幸いだった 傷まで負っていたら、私でもこうやってお前を連れ出すのは許可がおりなかったはずだ」

「……すみま、せん」

「間に合って、良かった」


本心からの言葉だというのは、三郎にだって見て取れた

湯で顔を洗う鴇は疲れた顔をしていたが、帰ってきてからようやっと気が少し抜けたのだろう

深い安堵の息を吐く鴇が静かに笑って鉢屋の髪を撫でた

その指先は三郎が求めていた優しさだった


「僕、お邪魔かな?」

「私が言いたいのは、よくも鉢屋を囮に使ったなということだがな」

「鴇はすぐ帰ってくるって聞いてたからね 下手に僕が行くよりはって思って」

「予定よりも3日も遅れたがな」

「やだなぁ、学園内で対立でもしてればよかったわけ?」

「…で、"何とも"ってのはどういう意味だ」


これ以上は言い合っても仕方がないと判断したのか、話を最初に戻す鴇に伊作も笑顔を引っ込めて説明する

伊作だって馬鹿ではない

隠密は得意とするところだし、放置していたわけではない


「間者じゃないかって、初めは考えていたんだ」


突然現れた人間、相手先に潜伏させ、情報を奪っていく類かと伊作は初めに思った

男が多いこの学園で、あれだけの見目の良い女性が入れば口も軽くなるのだろうか、と


「でも、少し様子が違ってて」

「…生徒達は、彼女が元々学園にいた人間だと言っていることだな?」

「うん、新参者ではなく、古参の者だって言う時点で、生徒達の認識まで動かされてしまっている」


伊作も葛葉は"知らぬ者"であったが、それを口にするとマズイ気配を察知していた

人当りのよい笑顔で此方の情報は渡さず、伊作はこの数日を過ごしてきた

見知らぬものが壁一枚向こうで暮らしているのは、少々気分がよくなかったが、仕方がないと割り切ることにした


「言い方が悪いけど、鉢屋が最初の犠牲者だったからね 僕に言わせてみれば、鉢屋は何も間違ったことを口にしていないのに、彼を見る周りの目がまるで異端者を見るような目だった」


曖昧を嫌った鉢屋の行動が、皆の視線を集め、良い意味でも悪い意味でも物事の現状を浮き彫りにした

意見は分かれることをせず、鉢屋は孤立し、事態の深刻さを悟った


「下手な接触を避けようと思ったのは、鉢屋の浮いた感じを消さないためだった あれだけ葛葉を否定してしまったんだ いきなり思いだした、って言うのは不自然だったからね」

「………まあ、仕方ないか」

「で、僕なりにいろいろ調べてみたんだけど、まだ何人かは"こちら側"の子が学園内にはいると思う」


そう切り出した伊作に鉢屋が目を見開く


「し、しかし 私もいろいろあたってみましたが、」

「言っただろ?鉢屋は目立ちすぎたんだ 同調したらどうなるか、それを考えて口を噤んだ忍たまもいるんだよ」

「……そういうことか」


額に手を当てて、深く息を吐いた鴇を伊作が見つめる

人の心理というものは複雑だ

自身の真実と周囲の真実、それが絡んで人は行動に移る

自身が正しいと行動しても、それを周囲が認めなければそれは真実にならない

自身の判断を信じ続けて捕らわれた三郎と、周囲の判断を懸念して自由に動き回っていた伊作

どちらが正しかったのかなんて、追求するのは野暮なのかもしれない


「鴇、僕はキミが今回の対応の鍵になると思ってる 葛葉が来てから学園で変化が在ったのは君が帰ってきたことだ」

「……………」

「鉢屋を連れて、学園内を回ってみてくれないかい?きっと君と接触したがる忍たまが出てくるはずだ」


葛葉を否定した鉢屋が、帰ってきた鴇と一緒にいるのを見れば、鴇がどちら側に人間か確認したくなる忍たまがいるはずだ

ましてや鴇は最高学年、学園を束ねる学級委員長委員会の委員長である

後輩たちは自分では変えようのなかった事象を、鴇ならばと鉢屋のように期待してもおかしくはない

学園内の影響調査をするにしても、どれだけの生徒の認識が侵されているのか、これで少しは見分けがつくだろう


「見当のついている子はいるか?」

「伏木蔵は"こちら側"、なかなか勇ましい子でね 「先輩は、どちらですか」って聞かれたから答えて保護した」

「そうか、委員会の先輩だから、聞きやすかったんだろうな」

「6年は駄目だね シラを切る意味もないし、鉢屋の動きに警戒してたから全滅 僕も鴇がいなかったらどうしようかと思ったよ」

「今回は知らない側の方が楽だな どうやって元に戻すか、だ」

「とりあえず、仙蔵は注意だよ 僕らが何かしてたらすぐ気づく」

「そうか」

「あと、小平太の扱いも注意かな あまり鉢屋を構いすぎると、小平太がついてきちゃうよ 身動きとれなくなるのだけは回避してね」

「……難しいことを言う」


はー、っと溜め息をついて鴇が湯の表面を見つめた

何だって今年はこういうことが多いのか、愚痴りたいがそうも言っていられない


「よし、一旦は影響調査だな 伊作は伊作で動いてみてくれ 何かあったら連絡 相手がわからないんだ、無理に押し切ろうとするなよ」

「了解」

「鉢屋、しばらく私と一緒にいろ 私の監視下にいるのが釈放の条件だからな」

「わかりました」


今回はどちらかというと緊急性はないが、解決が困難そうな話である

学園への影響も未知数であるし、何より味方が不明なのは痛い

とりあえず下手な行動に出る前に伊作と鉢屋を確保できたのがもっけの幸い


(特に、鉢屋を回収できたのはでかい)


下手な動きが目立ってしまった鉢屋であるが、そこは1番初めに異変に気付いたので仕方がないだろう

忍務などとはまた違う

イレギュラーな事態なのだから、これを叱咤するのはあまりにも可哀相だ

特に今回は大分鉢屋の精神面を削ってしまった 

この子は敵地に1人だと恐ろしいくらい才能を発揮出来るが、身内には甘い

それは忍としてはどうかと問われるかもしれないが、入学してすぐの時、人と関わろうとしなかったことを思い出せば鉢屋にとって良い傾向だと鴇は思っている


「んじゃ、解散」

「鴇、大丈夫?顔色良くないけど」

「……お前、私が長風呂駄目なの知ってて言ってるだろ」

「ふふふ、さぁ?」


食えない奴、と髪の水分を絞りながら鴇が浴槽からあがり、鉢屋もそれに続く

先ほどからだんまりを決めている鉢屋に鴇が声をかける


「鉢屋、温まったか?」

「…私も、長風呂苦手なんで」

「そうだった さっさと出るか 伊作、お前はまだ入ってるか?」

「うん、髪を洗ってから出るよ」


ヒラヒラと手を振って、鴇と鉢屋が出たのを確認してから伊作が大きく息をつく

とりあえず留守中の最低限の仕事と、鴇が帰るまでがなんとか踏ん張れた

鴇がどう思っているか知らないが、これはこれで結構大変だったのを理解してくれるだろうか


「……鴇、今回は結構厄介かもしれない」


鴇には話をしていないが、伊作は今回の件にある見立てをたてていた

ただそれは、言葉にするよりも実感してから意見が聞きたいというのが本音である

鴇が帰ってきたことで、心配事であった鉢屋の回収はできた

鴇がいれば鉢屋の心配は何ひとつ要らない

鉢屋は鴇の前では何の信念も揺らがないのだから


(それはそれで、いいのかって話だけど)


ちゃぽん、と湯で遊んで溜息をつく

伊作だってこの数日は居心地が悪くて仕方がない

見知らぬ存在は、思ったよりもストレスになるし、可愛い後輩や友達を取り込まれた状態は好ましくない

鴇の帰還は、伊作にとっても希望であるのだ


「気をつけてね 2人とも」


疲れた、と呟いて伊作は静かに湯に沈むのであった

08_人には聞こえない話をしよう



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