- ナノ -




高い天井、広い部屋

外はまだ雨が降り続けているのだろう、湿った空気の匂いがする


「具合はいかがか」


視界に入り込んできた濃紅の髪の男に鴇はぼんやりと視線を移した


「……よくは、ないなぁ」

「はは、そうでしょうな」


嫌味ではなく、少し困ったように笑った蜻蛉切に鴇は目を細めた

水は飲めそうか、と尋ねた彼にこくりと頷く


「聞きたいことは、あるだろうか?」

「…薬研は、」


そっと尋ねた蜻蛉切に、鴇も息を吐くように言葉を紡いだが、続かず黙り込む

手足を静かに動かしてみたが、圧迫感や拘束されている感触はない

それに気づいた蜻蛉切がまた苦笑する


「拘束してはどうか、という話もあったのですが、薬研殿が猛反対しましてな」

「…お人好しだなぁ」

「……そうではないのでしょう」


微妙な間をあけて紡いだ蜻蛉切に鴇は視線を合わせた

相も変わらず真っ直ぐな姿勢を崩すことなく、蜻蛉切が水を湯呑に注ぐ


「貴方がこの本丸から脱しようとした原因は、自分のせいだと彼は言いました。」

「………何を馬鹿な」

「何一つ説明しなかった、不安を抱えたまま休めるわけがなかったのに、と」

「………………」

「…理由は、それでよろしかったか」


正直な言葉を聞きたい、そう聞こえてきそうな正面からの視線に鴇は鴇で真摯に答えるべきだと思った


「身体を、起こしたい 手伝ってもらっても?」

「よろこんで」


蜻蛉切の肩をかりて、鴇は上半身を起こした

その際触れた左肩がジクジクと焼けたように痛んだ

包帯がまた増えたことを感じながら、鴇は先ほどの問いに答えた


「そうではない」


短く、しかしはっきりと鴇は否定した

そしてそれに続く言葉を蜻蛉切の視線が求めた


「貴方がたは、人ならざる者とだけ聞いた 私は「それ」にあまりいい思い出がない」

「……………」

「一方で、薬研も…蜻蛉切、貴方も…貴方がたはとても人らしかった 献身的で、朗らかで、とても安心できた」

「…では、何故」

「情が、移りそうだと思った」


渡された湯呑の水を一口口に含む

焼けた身体に染みわたる気がして、そしてその先の言葉をゆっくりと吐く


「貴方がたが、私に何を求めようとしてるかは知らない 私は忍だ 応じれないものだってある そんな時、」

「……………」

「私と親しくなったあの子が利用される可能性が頭を過ぎった それを防ぐなら、早く距離をとるべきだと思った」

「そんなこと、」


ゆっくりと顔をあげ、鴇が蜻蛉切の目を見据える

何かを反論しようとしていた蜻蛉切がそっと息を飲んだ


「一方的な責め苦の方が気が楽な時がある 拷問なり身体を暴くなり、それなりの覚悟は常にある それが忍の生き方だ」

「…………」

「そこに第三者を介入させられるのは精神的に来る それが懐を開いた相手なら、尚のこと だから、」


もう一口、水を飲んで鴇は小さく息を吐いた

手の中の湯呑を手持ち無沙汰にゆらゆら揺らして、目を瞑る

そして、謝るように呟いた


「だから、お前は何一つ気に留めなくていいんだよ 薬研」


その声を皮切りに、スパンと襖が開き、立っていたのは眉間に深い皺をつくった薬研藤四郎であった

 












「あんた、馬鹿だろ」

「待て、待たれよ!薬研殿」


ズカズカと、大股で歩を進めてきた薬研が鴇の胸倉を掴んだ

苛立ちの籠った声をきいた蜻蛉切が慌てて止めようとした蜻蛉切に、いらぬと鴇は手で制した

この人の子は、実に落ち着いていた

鴇が脱走を試みたのは昨日の明け方のことであった

鴇用の朝餉の献立を、薬研が厨に頼みにいった隙に部屋を抜け出したらしい彼は、存外早く発見された

審神者でもない人の子がこの本丸に踏み入れた時、警戒レベルがあがる仕組みらしく見えない壁が張られるとは聞いたことがあった

それは付喪神である自分たちや、動物・虫等には関係ないらしく、彼のように身を焼くようなことはない

動き回れるとは思っていなかったのでその説明すらしていない中の逃走

薬研はそれが真っ先に脳裏に浮かんだのだろう 早く見つけないとマズイと蜻蛉切に協力を請いにきた次の瞬間であった


バチンっ!!


本丸の空気が、まず大きく揺れた

続いて今度はもう少し小さな衝撃

説明もそこそこに、顔を真っ青にして薬研が走り出す

それは初めての事象であったが、心配していたことが現実になったと察したのだろう

薬研が走り出し、慌てて後を追った自分

ようやっと追いついた時、自分の目に映ったのは左半身が焼けて気絶した人の子であった


(あの後は、大変だった)


「俺の心配してる場合かよ あんた、死にかけてたんだぞ」

「…それこそ、お前には関係ないだろう」

「夢見が悪ぃ!大体、そんな身体で逃げれると思ってんのか」

「それなりには動けた 外にさえ出られたら何とか離れれるさ」

「………だからって!」

「薬研、お前こそ、私に言いたいことがあるんじゃないのか」


怒鳴る薬研の言葉に特に抗うことなく返していく人の子が、薬研に問う


(まただ、)


この人の子は、正面から人の目を見る

逸らすことを許さず、そして深い何かを問う目である


「お前こそ、私の心配をしている場合ではないだろう」

「…何だよ、それ」

「本当なら、殴り掛かってもいい話だ お前の懸命な治療を受けたくせに私は逃走した それなのに拘束具すらつけさせず、まだお前は私の身を案じている」

「……それで?」

「薬研、お前の願いを言えばいい」

「…あんた、俺がそんなことで」

「善意によるものが大きいというのは、身をもって感じている とても静かで、とても温かい時間だった」


不本意な解釈をされてると思ったのだろう、胸倉を掴む薬研の手は離れない

いつ殴るかもわからないと蜻蛉切が警戒するなか、そっと、人の子の掌が薬研の髪を撫でた

それにビクリと肩を震わせながらも、薬研も視線を逸らさなかった


「お前が見返りを求めていると言ってるんじゃないんだ ただ、お前は時間を欲した 私に説明する時間を、それがお前を縛っている」

「……それは、」

「薬研 お前に感謝をしている 本当だ だから遠慮はいらない」

「だけど、」

「そこから先は私が決める 応じれない時もある、ただそこまでをお前が難しく時間をかける必要はもうない」

「大将、」

「お前の話を落ち着いて聞けるくらい、お前はそのくらい、私の信用を得ている」


だから、いいんだと

その人の子は静かに薬研に笑ったのであった


















「…辛くはないですかな」

「大事な話なのでしょう 布団の中からというのは好きではない」


座椅子でももってこようかと言う蜻蛉切に鴇もやんわりと断った

幸い、下半身に特別酷い傷はない

寝着に羽織だけもらって正座をすれば、襖が開きゾロゾロと人が入ってきた

年齢も容姿もバラバラ、大人もいれば子どももいる

十数人といったところか、皆少し遠巻きに鴇を見て、畳に腰を降ろす


「あ、あの」

「秋田 後にしろ」


入室するなり近寄ってきたのは鴇がぶつかってしまった桃色の髪の子どもであった

何か言いたげに近寄ってきた彼を、鴇の横にいた薬研が制止する

それに見るからに項垂れてしまった彼が何だか可哀想で、鴇は薬研に声をかけた


「薬研 少しだけ時間を」

「……少しだけだぞ、大将」


ありがとう、と呟いて鴇は秋田と呼ばれた少年に声をかける


「怪我は、なかったかな」

「あ、ありません!あの、そのごめんなさい!!僕がいきなり飛び出したから」

「あれはどう見ても私が悪い 申し訳なかった」

「そんなことないです!それに、怪我だって…」

「秋田、下がれ」


遮るように割り込まれた少年がはっと我に返り、立ち上がる

ペコリと深く頭を下げて大勢の方へと戻る姿を鴇は見ていた


「悪いな大将 あれ、俺の弟だ」

「そうか、悪かった 本当に気にしないでいいと伝えておいてほしい」

「わかった」

「薬研、そろそろ始めたいのだが」

「………ああ、わかった」


軽く円陣のような集まりのなか、鴇の横には薬研と蜻蛉切が、そして向かい合うように大半の男たちが座る

不躾な視線こそないものの、そのなかで前方に陣取っているのが数人

逃走した日にも遭遇した男たちも含まれている 


「はじめに、大将には名乗るなと俺から言ってある 煽るような発言はやめてくれ」

「わかった」

「あと、これは大将の身体を預かってる身としての頼みだ こうしてきちんと座ってくれているがまだ熱もあるし怪我だって治ってない 長時間の拘束と力に任せるようなことのないよう頼む」

「万が一があれば、某が割って入る」

「そんな野蛮な会議にならないことを祈るよ」


竜胆色の髪の男、確か歌仙と呼ばれていたか、が中立を申し出た蜻蛉切に小さく溜め息をついた

思うところは各々あるのだろう、ただちょっとやそっとの話でないのはこれだけの人間が集まったのだ、鴇も理解している

そして、ここにいる者たちは皆、「人ではない」はずだ


「それでは始めよう」













「僕たちは、刀剣が人の形となった付喪神だ」


はじめの一言はそれだった

歌仙兼定と名乗った竜胆色の髪の男が、静かに語りだす


「半年前、僕らはこの本丸に顕現された 審神者(さにわ)と呼ばれる人の子の呼びかけに応じて」


彼とは出会い頭があの朝の逃走時だったこともあり、多少の緊張感をもって鴇も対面していたが、実に簡潔に整理して話をしてくれたと思う

それが、時の政府や歴史修正主義者だのと、鴇にとっては何のことかさっぱりわからぬ要素がふんだんに盛り込まれていたとしても、だ

彼らは付喪神、つまり神格の存在だという

それをどこまで信じるか、という話はあるが妖や怨霊といった禍々しいものではないのは鴇も肌で感じ取られた

それは隣りあわせの存在ではないが、鴇にだってそのあたりの区別がつくくらいの勘どころはある


「この本丸では、審神者が絶対的な存在だった 主の霊力で守られ、他の刀剣達が顕現される 主の下で僕らは力を振るい、人としての生活をすることになった」


ただ、疑問があった

彼らが言う「審神者」と言われる存在が見当たらないのと、


(…怪我人が多いな)


所々に目につくのは、彼らの衣服の下の包帯である

そしてどこか疲れたような表情をしているものが多い

現に目の前にいる歌仙兼定も着物の下の肌に青い痣ができている

その視線に気付いたのだろう、歌仙は何も言わずそっと着物の裾を正して隠した


「顕現されてひと月、突然審神者が消えた」


突然放り込まれた言葉に鴇は視線を歌仙へと戻した

ぎり、と歯ぎしりする音がどこからか聞こえた

歌仙も眉間に皺を寄せて、どう紡ごうか悩んでいるようにみえる


「…それは、外部からの要因によるものか、本人の意思によるものか」

「……君は、容赦がないね」


自嘲するような笑みが全てを語っていた

攫われたとでもいうならば、彼らの頼みは主を探してほしいというものだっただろう

だが、事態はそんなものではないようだ


「消えた、というのが適切ではなかったよ この本丸の審神者は、この本丸を捨てたんだ 何も言わず、突然、何の未練もなく」

「…それは、確かなのか」

「捨てる直前、彼女…審神者は本丸の資源を使い切った 維持するのに必要な資材も、怪我をした僕らの手当ても全て後で、とだけ言って理解できない行動をとっていた」

「……………」

「ここは外部の時代と繋がっているが、僕らは審神者の命なしでは此処から出られない そして、当然審神者を追うようなこともできない …付喪神といっても、物なんだよ」


ぐすり、と小さな嗚咽が後方から聞こえた 

子どもたちの方からなのだろう、退室するかという声も聞こえたが、しばらくして音が消えた


「私に、何を望む」

「………………」

「今更、言葉を選ぶ必要もないだろう 私は私なりに答えをだす」

「……この本丸に、審神者として留まってもらいたい」

「…?その前の審神者が戻ってくるまでという話だろうか しかし、」

「そうじゃない」


気まずそうにする歌仙の言葉を遮って、薬研が割って入る

薬研、と別の男が制止しようとしたが、薬研は歌仙の隣に正座して真っ直ぐに鴇を見る


「本来、審神者のいないこの本丸に人の子は入ってこられない 政府が後任を送ってでもこないのであれば」

「?薬研、よくわから」

「俺たちは、政府が大将を審神者に使えと送り込んできたと思っている」


空気が、張った

しかし、鴇の理解はいまひとつ付いていけてない


「待て、審神者というのはそんな誰でもいいものなのか」

「いや、俺たちは腐っても付喪神だ 審神者の霊力をもとに動くことができる」

「私には、霊力なんてもの」

「ある 悪いが、調べさせてもらった」


ペラリと懐から髪を取り出した薬研が、すっと鴇の前にだしたが鴇は読む気がしなかった

それがあろうがなかろうが、基準なんてものはわからないし、書面にあるから何だというのか

特殊な力がなければ務まらぬところに押し込まれようとしている、助けれるようなものかわからない


「治療の時に血液を調べさせてもらった 基準値を超えているかどうかくらいしかわからないが、十二分に超えている」

「薬研、理解が間違っていたら言ってくれ お前達は素性も知れぬ人の子を、主に持ちたいと言っている」

「そうだ 間違ってない」

「馬鹿な 私がどうこうではない、お前達はそれが納得がいく話なのか」

「納得できるかどうかなんて次元は、超えてしまった」


しばらく黙って薬研と鴇の会話を聞いていた歌仙が、静かに口を開いた


「言っただろう この本丸は審神者の霊力を中心として成り立っていた この本丸も、僕ら刀剣男士も」

「?」

「審神者からの霊力供給がなくなった 僕らはその時点から取り残された 資源もなければ、物資もない」

「俺たちは人の形をしているが刀剣だ 本体を治すにも審神者の霊力が必要だ」

「…厄介なのは、人の身をもったことだ 本体の負傷とは別に、この身体は飢えもあれば不調もある 人としての生活をせねば、維持できない」

「だけど、審神者が消えた本丸は不安定だ まず太陽が姿を消した 延々と雨が降り、作物が育たなくなった 付き纏う湿気は、鋼の身をもつ僕らにはあまりよくない」


想像していたよりも悪い状況に鴇は眉間の皺を深めた

要するに、要するにだ


(籠城状態で、陥落寸前ではないか)


生み出されて一か月で捨てられて、何とか凌いでいるが外から供給されるようなものは何もない

根本的なところが、彼らの言う「審神者の霊力」だったのであろう

表面上は凌げても結局消耗戦だ

思っていたことがある

ここで出される食事は、粥と漬物以外は見たことがなかった

それは自分の体調に合わせてくれてたのかもしれないが、実際は他になかったのではないだろうか

米や漬物など、保存食で食いつなぐ生活、そして見え隠れする怪我はもうずっと放置されているものなのだ

ここに来て約1週間、雨が止んだところを見たことがない

外に繋がってないと思っていた部屋部屋は、全て雨戸を閉めていたのではないだろうか

見えた範囲だけでもそんな事情があったのではと勘繰れば、何か冷たいものが背筋を走る


「大将」


かけられた声に咄嗟に顔をあげた

気になっていたことがある

薬研が自分を呼ぶ時のこの言葉

貴方やお前など、曖昧なものではなく、明確な位置づけを示す呼び名

妙な口癖だと思っていたが、そうではない

薬研は初めから願いを口にしていた

あれは、

眉間に酷く深い皺を寄せて、薬研がぎゅっと拳を膝の上で握りしめる

相当なジレンマがあったのだろう、こんな一方的な要求をせねばならない自分に

彼らには選択肢がないのだ

朽ちるしかもう道がない


「いきなり何言ってんだって、思うだろうけれど、 それでも」

「止めろ 薬研」


思わず制止した言葉に、薬研が顔をあげる

あの快活な笑顔はなく、酷く疲れた表情だ

この少年が、言葉を濁していた意味がわかった

名乗るなと初めに忠告してくれた意味がわかった

彼は、これほど自分達が困窮した状態であるにもかかわらず、私がまだ引き返せる道をギリギリ残してくれていたのだ

彼らは神だ

彼らのなかでの審神者と自分達との位置関係なんて正直知らない

それでも、やろうと思えば言葉巧みに鴇を騙し、審神者とやらに据えるための実力行使にだって十分でられた話だ

そんななかで設けられたこの席は、鴇の意思を問おうとする譲歩された場であったのだ

だから、


「お前の、願いを聞こう」

「大将、だけど」

「全て譲歩できるかはわからない だけれど、お前と蜻蛉切が私にしてくれた恩くらいは、返させてもらう」

「そんな、簡単なものじゃ」

「命を救われた お前達にとっては、ちっぽけな命かもしれないが理由はそれだけでいいと本人が言っている」


泣きそうな少年の髪に鴇はそっと手を伸ばした

するりと流れるような黒髪を経て、彼の白い頬に手を沿える

冷たいながらに、脈打つものが確かにある

その掌にポタリと落ちた涙は、熱をちゃんともっている


「…すまない、助けてくれ 大将」

「私にできることならば、喜んで」


静かに嗚咽をもらした薬研の背中を、鴇はポンポン、と叩くのであった

06 慈悲や孤独やそういうのを全部



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