- ナノ -




「ほら、大将 メシだ」

「…いら…」

「管で流し込まれる方が好みなんてことはないだろう?」


鴇がこの城に担ぎ込まれてから3日が経った

とは言ったものの、日付の感覚があるのは昨日の夜からだ

初日はぶっちゃけ記憶がない


「しょう…」

「薬研」

「…薬研、君は何だか楽しそうだな」


小さな土鍋から大盛りで粥をよそった少年に鴇は小さく溜め息をついた

この少年…薬研藤四郎はその体躯に似合わず実に豪胆である

判断が早く、とても頭がよく回る

鴇がのらりくらりと躱そうとしても彼は決して屈託なく笑い、譲らなかった


「…そんなに食べれない」

「そう言うなよ 食わなきゃ治るもんも治らんぜ」

「薬研殿、入ってもよいだろうか」


鴇が薬研と視線の攻防を繰り広げる中、戸口の外から声がした

低く、落ち着いた声の主は知らないが、やはり何人かはいるのだろう

鴇の表情に緊張が走ったのを横目で見ながら薬研が応、と返事を返す


「失礼する」


入ってきたのは、とても体躯のよい男であった

片手に浴衣やら厚手の布を抱えて入室した男は豪快にスタスタと入ってきた薬研と違い、静かに襖を閉め、畳のへりをよけて音を立てずに歩いてくる


「着替えか?」

「ああ、汗もかいていることだろうと思って……!目が覚めていたか」


穏やかに薬研と会話をしていた男であったが、鴇が起きていることに気付いていなかったのだろう

近くまできて視線が交わった時、驚いたように目を丸めて

小さく笑った


「気分はいかがだろうか」

「……………」

「ああ、すまない 良いわけはなかった」


鴇が警戒していることを察知したのか、言葉を返さないことには腹をたてた様子もなく、男は薬研の方を見て困ったように笑った


「申し訳ない、食事中だったか また出直すと」

「まあまあ、気にすんな ゆっくりしてってくれよ」


どちらが年長者なのかわからない口調で薬研が男の背中をパンパンと叩く

濃紅の長い髪を揺らして男が戸惑ったように鴇を見た


「大将、そう難しい顔するなよ こいつは蜻蛉切 大将の治療とか手伝ってもらってた」

「や、薬研殿 自分は手伝いと呼べるほどのことは」

「この通り、えらくでかいが、えーと、何ていうんだ?気は優しくて力持ちな温厚なお人だ」

「薬研殿!」


豪快に笑う薬研の言葉に慌てる大男の表情に他意はない

どんな力関係なのかはわからないが、鴇はすべきことをすることにした


「…手を煩わせて申し訳ない 感謝する」

「!いや、本当に大したことはしていないのです 頭をあげられよ」


見苦しい体制と思うが、上半身だけ何とか起こし、深々と頭をさげれば、それにも驚いて彼が慌てて制止する


「俺がもう少し力があれば大将担いだんだけどなぁ」

「薬研殿!」


はっはっは、と笑う薬研にこれ以上相手に気を遣わすなと男が小声で叱咤するが、薬研はお構いなしである

ようやっと鴇が口を開いたからか、彼は背筋を伸ばして鴇の前に正座し、名乗った


「お初にお目にかかる 蜻蛉切と申します」

「……ぁ、」

「蜻蛉切、大将には名乗らなくていいと言ってある」

「…そうですな 今はそれがいい」


ここまで丁寧な態度で名乗られた相手に自分も名乗らないのは当然失礼極まりないのだが、鴇は昨夜の薬研の言葉も覚えていた

どうしたものかと薬研を見遣れば、それでいいと薬研が間に入って蜻蛉切へ補足した

それが通るのか一抹の不安はあったが、それはここでは理屈として通るらしい、気になさるな、と彼は困ったように笑った

じっと蜻蛉切と名乗った男を見遣る

濃紅の髪に常人離れした体躯、ここまでの武人を鴇は見たことがない

そして、薬研の言葉に同調した、ということは彼もまた「人ならざる者」だと考えるべきだろう

薬研は詳細をまだ語ってくれないが、2人とも確かにどこか浮世離れしている

ただ、当初抱いた不信感は、それほど助長しなかったのは彼らの気の良さだろうか


「さて大将、着替えが控えてる メシ、食ってもらうぜ」

「おや、食欲がわかないのですかな?」

「粥だから、実質はほとんどないってんだ ほら、大将」

「食べられた方がいい 腹に何かいれねば、薬も飲めますまい」


薬研だけであれば躱せたであろう食事も、本当に心配そうに気を遣る蜻蛉切を前にすれば無下にするのは憚られた

匙に乗せられた粥を食べるために渋々口を開けば、薬研が嬉しそうに笑った

一口、二口と食べ進めて鴇は眉根を顰めた


「?どうした大将 口にあわねぇか?」

「…………いや、その…」

「…薬研殿、一口の量が多すぎやしないだろうか」


口ごもる鴇の気持ちを察したのか首を傾げる薬研にそっと蜻蛉切が呟いた

自分の体調からすれば十倍粥でも十分なのだが、全粥である上に薬研の一口の盛りがとてもいい

また、ごねた自分が悪いのだが少し水分を吸って重たくなってきた

見かねた蜻蛉切が鍋の中の水分を少し足して喉通りがよくなるよう気遣ってくれた

何というか、できる大人な対応である


「なるほど、悪い 気付かなかった」

「…いや、我儘ばかりですまない」


申し訳なさそうに鴇が謝れば、きょとんと目を丸くして薬研が笑う


「よし、口に合わねぇわけじゃないなら、頑張って食べてもらうぜ 大将」


要領を得たとばかりに前のめりになった薬研に鴇がたじろぐ姿を見て蜻蛉切も小さく笑った

それは何だかとても懐かしい感じがした

もう何年も前に卒業した、あの箱庭の学園で過ごした少し騒がしくも血の通った時間

過ぎった思い出に鴇も小さく口元を緩めたのであった




























再び深い眠りについた鴇の顔を薬研が覗き込む

血色は大分よくなった

ただ傷から来る熱は夜間にあがりやすい

額に浮かぶ汗を細目に拭うが、薬が効いているのだろう鴇は目を覚ます気配がなかった


「そんじゃ、やってしまうか」

「起こしてしまわないだろうか」

「薬がよく効いてるし、起きても別に疚しいことをするわけじゃないから構わんさ」


よろしく、と手をヒラヒラ振った薬研に蜻蛉切は小さく溜め息をついて眠る鴇の首の後ろに腕をいれる

この青年は歌仙や陸奥守くらいのそれなりの身長があるように見えるのだが、随分軽い

ただ、運び込まれた姿からすると草の者であれば身を軽くするのが常なのかもしれない

すんなり抱き起せた上半身を自分に寄り掛かせれば、よっしゃ、と薬研が眠る鴇の帯をするするとほどく

初日も思ったがこの青年、やはり身体に残る傷跡が多い

背中の傷は武士にとっては恥であるが、この青年は前も後ろもそれなりの深さの傷跡がある

ただ、今回は正面の肩口から胸にかけての傷と腹の矢傷が大出血の原因だ

薬研が縫合を初日に済ませたこともあり、見れる状態であるがまだ傷口は生々しい


「腕、あげてくれ」

「うむ」


全身にじわりと浮かぶ汗を傷口に触れないよう薬研が慎重に拭いていく

風呂にいれるわけにもいかないのでここ数日はこの繰り返しだ

彼が起きている時にやってしまえば楽なのかもしれないが、それは薬研が止めた


「見ず知らずの人間に、意識があるなかそこまでされるのはまだ抵抗あると思うんだよな」


先刻の食事の様子を見てもそれは結構明らかで、あれは薬研の性格に押されて無理やり押し込めたがコレは確かにそうかもしれない

いくら男といえど、裸にひん剥かれて身体をいじられるのは気分のいいものではないだろう

そう言ってる間に手際よく汗を拭っていく薬研はどんどん寝着を剥いで行く

ものの10数分で身体を清め、ついでに湿布やら塗り薬やらもやり替えた薬研は流石だと思う

自分達は基本手入れ部屋での治癒になるが、人の身体で負う特有の小さな切り傷や火傷等は人と同じ方法でも治療できる

誰もやったことのないソレらの治療を代行してきたのがこの薬研藤四郎である

彼も性分にあうのだろう、調合やら医学書やらを暇があれば眺めている

ただ、今回のような大掛かりな治療は薬研にとっても初めてだったはずだ

一昨日、治療に立ち会った蜻蛉切がやったことは主にこの青年の身体を押さえつけることであった

麻酔ひとつにしたって効いたかを確認できない

そのなか縫合をしなければならず、ズブリと針を差し込めば時折反射的に人の子が抗った

意識は朦朧としていたはずだが、ビクン、と身体が大きく跳ねるたびに薬研は深く眉間に皺を寄せた


『や、薬研くん 大丈夫な』

『うるせぇ!やるしかねぇんだよ!』


あまりに青年が暴れ、痙攣が続くものだから零した燭台切の言葉をかき消すように薬研が吠えた

大丈夫なんかなんてわかるはずがない

不安なんてものではなかっただろう、やり方が正しいかどうかなんてわからない

ましてや自分達はこの青年に死なれるわけにはいかなかったのだから

自分達の今後に大きく影響する彼は言い方が悪いが生け捕りにする必要があった

それが、薬研の小さな両手にかかっていたのだ

縫合を終え、容体が安定した後も薬研は付きっ切りで看病に徹した

自分と燭台切が代わろうかと申し出たが、いらぬと一点張りで

白衣を脱がず、手を組んでずっと青年をじっと見つめていた

昏々と眠る青年は、2日目の朝、一時的に意識を取り戻した


「!大将」


小さな唸り声とうっすらと目を開けたことに気付いた薬研が慌てて駆け寄る


「わかるか、大将 生きてるぞ」

「……………」


意識は戻っていないのだろう青年は、ぼんやりと薬研の顔を見て、小さく首を縦に振って、それからまた吸い込まれるように意識を飛ばした

回復とはいえない、ただ処置後、初めて目を覚ましたという事実は薬研にとっては大きな変化だったのだろう

後ろ姿からは薬研の表情はわからなかったが、小さな嗚咽が聞こえた

これ以上を薬研に聞くのは野暮だと思い、蜻蛉切はその日そっと襖を閉めた

恐らく、薬研は一線をもう超えている

自分が救い上げた人の子の命はそれは思い入れがあるのだろう

先刻の食事の時の様子だって、ある程度血の通った会話をしていて、甲斐甲斐しく世話を焼いている

どこまでが治療で、どこまでがそれ以上かはわからない

しかし、この数日、薬研には本来の快活さと笑顔が戻っている

だからだ、だから余計


「蜻蛉切!」


バタバタと、まだ周囲が薄暗い夜に近い早朝

血相を変えた薬研が部屋へと駆けこんでくる

急変でもしたのだろうか、どうしたのだと問う前に薬研が泣くように叫ぶ


「大将が、消えたっ…!」


その言葉に、眠気もふっとんで蜻蛉切も部屋を飛び出るのであった




04 雨は解れてもういない



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