- ナノ -

「おいおい、これをどうにかしろって?」


びしゃりと水の跳ねる音を遠慮なくたてて降ろされたソレを見て、薬研は口元を引き攣らせた

あっという間に水溜まりが廊下に広がる中、それが赤黒く一気に染まっていくのを目の当たりにしたからだ


「仕方なかろう、手入れ部屋で治るようなもんでもなしに」

「俺は医者じゃねぇんだけどなぁ」

「政府が引き取る気配をさらさら見せん 後はこちらで何とかしろということだろう」

「くっそ…足元見やがって」


手首の脈をとって、その遅さに薬研は舌打ちを打った

酷く小さく遅いソレは、今にも消えそうな印象が強い


「何か会話は?」

「……………」

「小狐丸」

「一言二言、生きてはおる」

「まずは止血、あと濡れたまま布団は勘弁だ」

「薬研、タオルだ …ああ、全然足りそうにないなぁ」

「ありったけ持ってきてくれ あと、湯とさらしも」

「……余裕はそんなにないんだけどね」

「歌仙」


溜め息交じりに呟いた歌仙を薬研が強い口調で呼び止めた

黙って視線を合わせた歌仙に、薬研が問う


「このお人が次の、でいいんだよな?」


その言葉に、その場に集まっていたもの達が口を噤む

不安気に見上げる者、当たり前じゃないかと言いたげな者、どちらとも言えない表情をしている者

歌仙はちらりと横に立つ男を見た

加州清光はただじっとボロ雑巾のような人の子を見ていた

そして


「…選択肢なんて、ないのわかってんじゃん」


自嘲気味にそう告げた

それは納得のいくようなものでも何でもなかったが、薬研にとっては別に構わなかった

この本丸が、コレをそう扱うのであれば自分のやることは一つだけだ




「おら!見せもんじゃねぇぞ 秋田、燭台切と蜻蛉切呼んできてくれ 前田・平野 湯とタオルと包帯ありったけかき集めろ」

「薬研、僕は?」

「乱と歌仙はこんのすけから治療薬ぶんどってきてくれ」

「えっ……くれるかな」

「さわりたくもねぇなら、薬くらいよこせって言え!刀に人の子の手当てさせてんだ、それくらい罰当たんねぇだろうが!」

「僕に怒鳴んないでよぉ~」

「歌仙の旦那、あんたそういう交渉得意だろ 何でもいいから取ってきてくれ」

「……君は僕のことを何だと思ってるんだい」

「急いでんだよっ!ごちゃごちゃ言ってねぇで、さっさとっ…!」

「何がいる」


いい加減苛つきだした薬研とまだ気が乗らないらしい歌仙が一触即発な空気になってきたところで不意に反対側の廊下から声があがった

何の感情も面に出さずに問うた長谷部に薬研は小さく息を飲んだ

まさか長谷部から声があがるとは思っていなかった、ただこの際はどうでもいい

本来ならこういうのが一番得意なのはこの男だ


「鎮痛剤と感染症を防ぐ薬、あと縫合もするから麻酔と解熱剤も欲しい」

「輸血は?」

「勿論欲しい 血液サンプルすぐとるから頼めるか」

「必要ならば」


踵を返して廊下から執務室へと歩を進める長谷部に乱も追いかける

少し重い腰をあげて、歌仙もそれに続く

薬研はそれには目もくれず、目の前の黒衣をビリっと破るのであった























「いやはや…助かった… ありがとな、ご両人」

「いや…これは、なかなか」

「ちょっとしたトラウマになるよね…」


深夜、何とか形を保っている医務室で3振りの刀剣がぐったりと座り込んでいた

立ち入り禁止と貼り紙をしたのは薬研である

部屋の診察台は真っ赤に染めあがり、やり替えないと使う気も起こらないだろう

それくらい、酷い有様であった


「人の子は、ここまで重傷でも生き永らえるものだろうか」

「…それは、生きていた時代にもよるのかもね」

「違いない 新しい大将は、いくつもの修羅場を潜ってきたようだ」


もう布切れになってしまった黒衣の装束は草のものが纏うソレだ

身体の至る所から出てきた暗器を見てもそれは明らかであった

「武士」ではなく「忍び」だ


「まあ、それよりは男だったという方が俺は驚いたがね」

「…そのわりには豪快に服を裂きましたなぁ」

「優先順位ってのがあるからな」


泥水と血に塗れてよくわからなかったが、見えていたのは陶器のように青白い肌

骨格も細く、何より整っていたので女だとばかり思っていたが、脱がしてみればまごうことなく男であった

細くも鍛えられた肉のつき方、そして何より身体中にいろいろな傷の跡があった

刀傷、矢傷、それは前の主にはないものばかりであった


「…どう、思う?」


ポツリと呟いた光忠の言葉に、薬研も蜻蛉切も多くの質問は寄せなかった

主語も何もないソレだったが、言いたいことは皆わかっている


「僕らのしようとしていることは、正しいのだろうか」

「…意味のない、心配だな」

「どうして?だって、この人の子は」

「アンタはどう見えた?」

「どうって、……!」


薬研の方を見た光忠はギクリと動きを止めた

薬研の白衣は血が飛び散っているが、その胸元にべとりとついた人の掌の跡

処置中に一時的に戻った不安定な意識下のなか、抗った人の子の爪痕である


「何か勘違いしてるかもしらんが、俺は、この大将、一筋縄でいかんと思っているぜ」

「薬研くん…」

「助けたことと引き換えだなんて、馬鹿も休み休みだろうよ」


よっこいせ、と椅子から腰を上げ、昏々と眠るソレの頬に飛んだ血を拭う


「蜻蛉切、悪いが隣の居間に運んでくれ あとは目が覚めるまで待つしかない」

「承知した」


それなりに身長のある人の子であったが、蜻蛉切は軽々と抱えて隣の部屋へと移動させる

今回、ここの処置にあたり薬研が蜻蛉切と光忠を選定したのにはそれなりの理由がある


偏見から物事を決めない

とりあえずは聞く耳をもつ


これに特化した人間をここに呼んだつもりだ

血でドロドロになった白衣を脱いで薬研は小さく溜め息をついた

ぎゅっと目頭を押さえれば、先ほどまでの光景が瞼の裏に焼き付いて離れない


(…今夜は寝れないかもなぁ)



小さくため息をついて、薬研は静かに後をついていくのであった

02 声もかたちも熱情もない



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