- ナノ -


この夜は君にあげる(小平太)


さらさらと、流れるように鴇の筆が紙面を走る

文字と文字の間は等間隔、歪むことなく整然と並ぶ文字は書道で使う手本のようだ

きっちり止めの部分で筆を押し止め、鴇が筆を横に置く

そのまま筆から判へと持ち替え、朱色の墨で学級委員長委員会委員長の判がポンと押される

出来上がった書類にほう、と覗き込んでいた金吾と庄左ヱ門が感嘆の息を吐いた


「ふふ、そんなに凝視されると手元が狂いそうだ」

「僕、鴇先輩の字好きです」

「書いているの見てるだけでも勉強になります」


目をキラキラさせて感想を告げる2人の言葉に鴇がにこりと笑う

勉学よりも遊びの方が好きな子が多い1年は組だが、庄左ヱ門と金吾は勤勉な忍たまだ

庄左ヱ門は言わずもがな学級委員長らしく、読書に計算に兵法に、何でも吸収しようとする姿勢があるし

金吾も庄左ヱ門ほど座学が好きなわけではないが、武家の子であるためか基本的に物事に取り組む姿勢はまっすぐだ


「よし、これを学園長先生のところに持っていきなさい 今日は庵でゆっくりされてると聞いたから、ご在室のはずだよ」

「はい!ありがとうございます!」

「だが、どうして皆本がこの書類を?」


そう言った鴇の手元にあるのは体育委員会の活動申請の書類だ

少し遠出をしたいという内容は、小平太の無茶が盛り込まれているかと思いきや意外と真面目な内容であった

これは恐らく小平太の要望を滝夜叉丸が上手いことまとめたのだろう

字こそ小平太の独特のものだが、文体自体は妙に整っているのはそのせいか

別に書類を持ってくるのは体育委員会の誰でもよいのだが、鴇に会うということでいつもは必ずと言っていいほど小平太がやってきていたのにと鴇が首をかしげる


「期限だって、今日までだから遅れたわけでもないし、不備だってないんだが」


何か疚しいことでもあって顔を合わせれないのかとも思ったが、そうでもないように思える

気味が悪いなと呟けば、金吾があの、と言いにくそうに口を開く


「実は、」



























ガンガンと頭をトンカチで殴られたような痛みが襲う

うーと唸って寝返りを打てば、ズズっと鼻水が垂れてクシャミをひとつ


「…これ、完璧に風邪ですよ 七松先輩」

「うる、ざい 風邪なんか、私ひかん」

「保健室に行きましょうよ」

「いや、だ」


ゲホゲホと咳をする彼と、一体何度同じやりとりをしただろうか

ぎゅっと手桶の中で手拭いを絞り、額のそれと交換するがすぐに熱をもってしまう

どうしたものかと困り果てれば、部屋の戸がガラリと開く


「平、いいよ あとは私がやるから」

「へ、あ、嘉神っ、先輩!?」


突然の鴇の来訪に、驚いた滝夜叉丸が素っ頓狂な声をあげた

そしてその声に布団のなかの小平太がビクリと身体を奮わせる


「き、金吾、お前!」

「ごめんなさい…」

「平、皆本を叱らないでやってくれ」

「し、しかし」

「下級生に口止めを強いるなんて、上級生のすることじゃない」


嘉神先輩の少し強い口調に七松先輩が被った布団が1度大きくビクリと跳ねる

これからの展開を想像して七松先輩を気の毒に思う

さあ、此処にいたら風邪がうつるからと嘉神先輩が私達を部屋の外へと連れ出す

その間も七松先輩は布団のなかで身を固くしたままだ


「すまん 平、いつからだ?」


一旦全員外へ出て、嘉神先輩が私に尋ねた

先ほどの口調とは打って変わって、いつものそっと落ちるような声は静かだ


「昼に委員会が始まってもこられなかったので、呼びに来たらあの状態で…」

「…どおりで、午前中の仕事がはかどったわけだ」


恐らく日頃から七松先輩に邪魔をされているせいだろう

快適に過ごしてる場合じゃなかった、と額に手を当てて嘆く嘉神先輩に、こうなったらと洗いざらい話す


「…嘉神先輩にだけは言うなって口止めされてしまって、」

「同室の中在家先輩は本の買い出しに行かれていて、お留守ですし」

「保健室もいやだとごねられてしまって…」

「そうか、長次も外出中だったな すまん、失念していた」


助かったよ、と困ったように笑った嘉神先輩に、いえ、と慌てて首を横にふる


「あ、あの やはり保健室に行かれた方がいいと思います」

「そうだな、ありがとう」


今日は両委員会休みにしよう、と滝夜叉丸とついてきていた庄左ヱ門に告げて、鴇は静かに小平太の部屋へと戻るのであった

















「驚きましたよ 小平太くん お風邪だそうで」

「…………ち、がう」


からかいまじりに見下ろせば、小平太がうーと唸って否定する

鴇が思っているよりも小平太はこの事態を不本意に思っているらしい

苛めても今日は可哀相かと思い、鴇が小さく溜め息をつく


「なんで、隠すんだか」

「私、風邪なんて、ひ、かん グシュンっ!!」

「はいはい、まずは鼻をかめ」


鴇が小平太にちり紙と屑入れを差し出せば、ちーんと鼻をかむ

しかし、スッキリとした様子はなく、小平太がもう1度クシャミをした

鼻頭は赤く、重症のようだ


「熱は?高いか?」

「熱なんて、な」

「いい加減に認めろ 怒るぞ」


少し強い口調で告げれば、ビクリと小平太の身体が跳ねる

固まった小平太のボサボサの髪を掻き分けて手を額に当てれば、かなり熱い

鴇が眉間に少し皺を寄せ、両手を小平太の喉にあてる

額と同じくらい熱があり、一部が腫れている


「高いな 昼間でこれなら、夜はもっとあがるぞ」

「鴇、うつ、るから」

「出てけって?ようやっと認めたと思ったら今度は何を心配してるんだか」


鼻で笑い飛ばし、鴇が小平太の部屋の箪笥をゴソゴソといじる

何してるんだ、と小平太が眠そうな目で見つめていれば、突然布団が剥がされ、抱き起こされた

正面から抱き寄せられドキドキしていれば、鴇が小平太の制服である忍装束の腰紐を緩める


「鴇っ……」


スルスルとあっという間に上着を脱がされ、小平太がこれはもう「そういうこと」かと理解する

身体が重く頭もぼんやりとしているが、鴇が求めてくれるならとぎゅっと鴇の背に手を回す

鴇、と耳元で熱い吐息混じりに名を呼べば、鴇が小さく溜め息をついた


「阿呆 服を寝着に着替えさせるだけだ」

「………なんだ、」

「何だとは何だ この熱じゃ身体動かすのもしんどいかと思ってサービスしてやってんのに」

「鴇に誘われた、かと」

「私が病人を襲うような鬼畜にみえるか?」

「……私は、嬉しい」

「熱で頭沸いてんな」


意気消沈に任せてグデンと体重を鴇の肩に預ければ、少しは自分で動けとブツブツ文句を言いながらもさっさと鴇が小平太の服を着替えさせる

ほら、バンザイと言われ両腕を上げれば、中に着ていた薄手の肌着も脱がされて寒さにブルリと身体が震えた


「う…さむい…」

「熱あるからな」

「鴇っ…」

「汗ふくから、もう少しだけ待ってろ」

「う……ん、」


熱のせいで熱くてたまらないのに、外気に身体が震える

鴇が濡れた手拭いで汗を拭いて、乾いた手拭でさっと水分を拭う

不快感が払拭されていくが、いかんせん寒い

カチカチ、鳴った歯にもう少しだけ、と鴇があやすように言って手早く肩や背に手を伸ばす


「よし、着替え終わり」

「すま、ん」

「次は移動な」

「は、え?鴇っ」


ひょいと小平太を抱えて鴇が部屋をでる

鴇は時折、その細い身体のどこにそんな力があるのかと思わせる行動にでる

こんなの男としては情けない、そんなことを思えども身体は上手く動かない


「鴇っ…どこ行く…」

「私の部屋でいいだろ」


グラグラと揺れる頭を鴇の肩に預ければ、鴇が当然のように呟く


「布団、気付いてないのか?」

「?」

「不衛生だぞ 制服で布団に入り込んだから泥だらけだったじゃないか」

「む……だって、」

「だってじゃない あれじゃ治るもんも治らん」


カラリと鴇が自分の部屋の戸を開く

始めに私の部屋を見て移そうと考えていたのだろう、整然と片付けられた鴇の部屋には布団がひかれていた

そっと降ろされ、布団に横になれば、鴇の部屋に久しぶりに来たことに気付く

ぼんやりと鴇を見つめれば、鴇がテキパキと氷のうやらちり紙などを準備して、枕元に座った


「あとでお粥作ってやるから、少し寝ろ」

「鴇っ……」

「ん?」

「……怒って、ないのか?」


ズズ、と鼻を鳴らして恐る恐る尋ねた小平太の言葉に鴇が一瞬目を丸くして、次の瞬間小さく笑った

それは、小平太が思っていたよりもずっと穏やかに、ずっと優しく


「何か怒られるようなことでも?」

「……たぶ、んない」

「なら、大人しく看病されてろ」


小平太には風邪を引いたら鴇が怒るイメージがあるらしいが、鴇には心外な話だ

そして、その元凶となった出来事だって鴇は当然覚えている


(あれは、お前が無茶ばかりしたからだろうに)


小平太が言っているのは3年の時の話だろう

下級生から上級生にあがる冬に、随分と無茶な鍛錬をしていた

鍛錬量を増やすのは構わなかったのだが、小平太は真冬でも川で潜水をしてみたり雪の中を掘り進んでみたり

鴇が部屋に戻ってみれば、真っ赤な顔をした小平太がよく唸っていたものだ

その度に小平太に説教をしたし、長次も黙ってはいたが呆れと無謀な鍛錬を快く思っていなかったため、二重の説教に小平太は身を縮めていた

それも手伝って今回のように隠そうとしたのかもしれない

子どもか、と思いながら手拭いを手桶の氷水に浸す


ここ最近、季節の変わり目とでもいうのか、寒暖の差も大分あった

加えて学科試験など、小平太の苦手な頭を使うものもあったからかもしれない

今日のは怒らねばならないものではないと鴇は思っている


(そもそも、私だって別に小平太を怒りたいわけじゃない)


小平太は時折自分に怒られるとビクつくことがあるが、鴇にとっては不本意だ

だってそのあたりの分別を小平太は理解してくれないのだから

鴇は純粋に小平太を心配しているつもりだ

だから彼が無茶をしたり、取り返しのつかないことをしようがものなら止めるし、止めるのに多少手荒になったって仕方がないではないか

一方、鴇が怒っていないとはっきりしたことで小平太は安心したのだろう

ウトウトと目蓋が重くなってきている小平太の額に冷たい手拭いを乗せれば、気持ち良さそうに目を細めた


「何かあったら、遠慮なく呼べ」


そう笑った鴇に小平太もぼんやりと頷いた









さらさらと、鴇の走らせる筆の音が心地よい

真っ直ぐ伸びた背筋と、真剣な眼差しの横顔

まだ仕事の残っているらしい鴇が書類を仕上げていく姿を小平太は見つめていた

眠いがなかなか寝付けないのは体調が悪いことも手伝っているのだろう

うとうとと微睡ながらも、小平太は完全に意識を落としてはいなかった


「…どうした?茶でも淹れようか?」


時折私の視線に気付いて鴇が優しく問うてくれる

それにフルフルと首を振れば、遠慮はしなくていいからな、と鴇がまた優しく返してくれた


(うれ、しい)


身体も頭も重く、喉も痛いがその苦しさを嬉しさが上回る

鴇が甘やかせてくれる時間は、年次が進むに連れて減っていくばかりで、こうやって鴇を見つめていられる時間も随分減った

私も鴇も授業に委員会に課題にと忙しくなったし、そもそも稚拙な遊びをしなくなった

鴇は昔はよく笑った

今のように落ち着いた綺麗な笑みも大好きだが、昔は小平太がちょっと馬鹿なことをすれば声をあげて笑った

それが小平太はとても嬉しくて、何度も何度も繰り返したものだ

笑顔ひとつ、身のこなしひとつ

どれをとっても時が流れたことを嫌でも最近感じる

悪いことばかりではない、鴇は男に使う言葉ではないかもしれないが、美しく育ち大人びた

それでも寂しいことには変わりはない

あと1年

あと1年でこの生活にも終わりが訪れる


(それから、どうなるのだろう)


また鴇の横顔を見つめる

大人びた顔立ち、綺麗な人

大好きな、友

鴇は将来を決めているのだろうか

小平太にだってやりたいことくらいある

城仕えは多分性に合わないから、フリーの戦忍になれたらいいとは思っている

血が滾り、心も躍るような戦いを続けていたい

けれども、


(鴇のいない生活が、想像できない、)


何のために戦うのか、何を得たいのか、何を守りたいのか

そんな沸き上がる質問に答えは出ないが、失いたくないものはと自身に問えば、必ず鴇が脳裏によぎる

それでも小平太は知らない

鴇が卒業後どうしようとしているのかも、鴇の夢もやりたいことも

鴇は教えてくれない

それが本当に決めていないだけなのか、告げる気がないのかも含めて

考えれば考えるほど不安になり、思えば思うほど先が見えなくなる

つ、と自然に涙が零れたのに気付いて慌ててうつ伏せる

勝手に不安になって、勝手に泣きたくなって、今日の自分はやっぱり変だ

こんなことしてたら、鴇に呆れられる

鴇は昔からこういうのに敏感だ

今日だって絶対に迷惑をかけた

委員会が忙しい時期だというのに、私が此処に鴇を留まらせている


「小平太?」

「な、んでもない」

「何でもなくないだろう どうした、辛いか?」


大丈夫だ、とブンブン首を横に振れば、本当に?と鴇が尋ねる


「…ちょっと、鼻水が目から出た」

「はは、何だ その言い訳は」


温かい眼差しに小平太が笑えば、鴇も追随は不要と判断したのか小さく笑う

鴇は必要以上に問わない

それは必要な距離感なのだろうかとはいつも思う


(やめ、よう 今考えるだけ、無駄だ)


未来に不安はあれど、今は今を生きるしかない

風邪で弱気になったのかもしれん、と自分で理由づけて小平太が傍まで来てくれた鴇にソロソロと手を伸ばす


「眠れないか?」

「も、少しで寝る だから、な 鴇」


その、とゴニョゴニョと口ごもる小平太を笑って鴇の細くてひんやりとした手が熱い小平太の手を覆う


「寝るまで、こうしておいてやるから早く寝ろ」


どこまでも優しいその声に、小平太も小さく笑って目蓋をゆっくり降ろすのであった








赤い顔はしているが、深い眠りについた小平太を確認してパタリと戸を閉める

何からするかなと悩んだが、体調が悪くとも食欲はあるだろうと思って粥を作ろうと思う

しかし鴇には調理場に行く前にすべきことがもう1つ


「…で?何の用だ?」

「いやぁ、小平太愛されてるなって思ってね」

「何の用か、聞いてるんだが」


部屋の外で座って待っていた伊作をジロリと睨めば、伊作が嫌だなぁと笑う

何で知ってる、と鴇が問えば、平が教えてくれたと伊作が返した


(適当に返事するんじゃなかった)


6年の中では暗黙の了解があるが、鴇は保健室をほとんど使わない

怪我もするし、病気にもなるが大体それに関しては長次か三郎に一任されている

そう言えば何か誤解が生まれそうだが、正確には保健室を、ではなく伊作にはかからないという意味だ

別に鴇も伊作の腕を疑っているわけではない

しかし、鴇にとって伊作は天敵ともいえる

胡散臭い伊作の薬に何度もしてやられたことを考えれば、当たり前の反応なのかもしれない

鴇は保健室の主が新野先生の時しか利用しないし、自分の大切な友だって伊作に診せる気にはどうしてもなれないのだ


「症状は?」

「熱が高い あと喉も腫れてるし、鼻もやられてるな」

「典型的な風邪だね 薬渡しておくよ」


そう言って持ってきたらしい薬やら備品やらを盆に乗せて鴇に渡す

本当なら診断くらいはしたいが、鴇も初見で症状を判別できるくらいのの医療知識をもっているからまあ問題ないだろう


「これ、薬湯と体温計 あ、夜に熱上がったらこっちの薬ね」

「…丸薬の方だけでいい」

「小平太が薬湯嫌がるから?風邪になると随分甘いんだね いつもなら嫌いなモノも容赦なく食べさせるのに」

「うるさい」


見透かされていることに鴇が不快そうに視線をそらす

手慣れた様子で処方した薬の服し方を確認していく鴇はずっと気難しい表情だ

しかしそれが、小平太を心配している表情だというのは伊作もよく知っている

恐らく今夜は熱があがると踏んでいるのだろう


「で?鴇は今から何処へ?」

「…………ちょっと席を外すだけだ」

「ああ、お粥作りにいくの?小平太喜ぶよ」


言い当てられたことが気まずかったのか、鴇の眉間の皺がまた一層深くなる

鴇の行動は難しいようでわかりやすい

それを裏付けるのはいつも小平太に辛辣な言葉を吐いているが、眼差しだけは優しいことだ

小平太には気の毒な話だが、鴇は小平太に関しては甘やかす姿を第三者に見られるのは好きじゃないらしく、特に後輩の前ではそれを見せないようにしている


「じゃあ、戻ってくるまで僕が様子をみてようか」

「伊作」


戸に手をかけようとすれば、鴇の強い呼び声に止められる

振り返れば鴇が伊作が開けようとした障子を軽く抑えた

入るな、ということらしい


「…今寝付いたとこだ 勝手に入るな」

「鴇ってさ、結構独占欲強いよね」

「お前が入ったら、私の部屋がめちゃくちゃになるから言ってるだけだ」


もう、辛口なんだからと笑って伊作も引き手にかけていた手を引いた

無理して入る必要もないのだから


「わかったよ じゃあ看病は任せるね」

「当然だ」


ヒラヒラと手を振って食堂へと向かう鴇の後ろ姿を見送って伊作も部屋へと戻る

初めから入れるだなんて伊作も思ってはいない

だって入ったら、鴇は小平太を甘やかすことができなくなるのだから


(なんて、不器用なんだか)


さて、薬を多めに準備しておこうかなと間延びした声をあげながら、伊作も保健室へと戻っていくのであった




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