- ナノ -


05


私と小平太の通算戦績というものがある

誰が集計したわけでもないが、互いに大体は把握している

決して余裕なんてある相手ではない

むしろ少しでも気を抜こうがものなら手足の1,2本 簡単にもっていかれる

小さく息を吐いて、闇夜を睨む

皆が小平太のことをどう認識しているのなんかは知らない

小平太は誤解を招きやすい

細かいことは気にするなというのが口癖だからか、大雑把で空気が読めなくて粗暴で

取り分け学術については赤点の多いイメージが強いという


(そんな程度の男なら、どれだけ楽だったか)


少し分厚い雲が月光を遮る

光が消える直前まで距離を測りながら鴇はそんなことを思っていた

先ほどまで鴇が羽を休めていた巨木からはすぐさま距離をとった

極力音を殺して、痕跡の残らないように

恐らく、今夜のなかで一番細心の注意を払って鴇は闇夜を駆けた

いくつか、撒くためのフェイントもいれた

それでもついて回るのは視線である

ピリピリと、肌を刺すようなソレが何かなんて嫌になるくらい理解している

そして、



「…………っ!!」


初撃は、音もなく襲ってきた

鴇が少し様子を伺うかと足元の安定した枝に着地したとほぼ同時

少しの遅れもなく、まるで風が流れるように強い風圧が鴇の頬を掠っていく


ドゴン!!


背後の幹に、異様な音と激しい振動が響き渡る

バサバサと、周囲の木々に止まっていたと思われる鳥達が勢いよく飛び立ち、バラバラと葉が何枚も落ちていく


「…夜間の騒音は迷惑だ」

「集中しろ、鴇」

「言われなくとも」


軽口を叩いた鴇に対し、にこりとも笑わず小平太がもう片手の拳に力をこめたのが視界の端で見える

こんな至近距離で小平太の二発目を腹にでも喰らおうがものなら死ぬ

そんなことは鴇だって馬鹿ではないのだからわかっていた

左方向は幹にめり込ませた小平太の右腕が、右方向は第2弾が装填済み

完全に左右は塞がれている

それならば、


「……なっ!」


突然両腕を小平太の肩に伸ばした鴇に小平太が一瞬怯む

攻撃を仕掛けるとは思えない、それほど力をいれずに掴まれた肩の意図がわからないまま鴇が軽く跳ねて背後の幹を強く後ろ足で蹴る

背後の幹を足掛かりに、ダンっ!という音と共に鴇は小平太の真後ろへと身体を入れ替えた

そして、


「逃げるのか!鴇!」

「……………」


そのまま鴇は木の上から飛び降りた

数十メートルはゆうにある高さからの落下に腹の奥がふわりと浮く


「鴇っ!」

「誰が逃げるか」

「なっ!?」


反射的に鴇を追うために同様に飛び降りてきた小平太の気配へ鴇は呟いた

懐から2本苦無を取り出して、力いっぱいすぐ傍の大木の幹へと刺す

ガリガリっ、と嫌な音がするが、お構いなしに右腕に力をこめて再び幹にぶら下がる

少しの停滞の間に落ちていく小平太の方が先に下へと向かう

そこからもう1度、鴇は強く幹を蹴って落下した

小平太の背を今度は鴇が追う

地面はもうすぐそこだ

腰回りをごそごそと漁り、目当てのものを鴇は小平太に向かって投げた


「っ………!」

「こっの……!」


鉤縄自体はうまく小平太の利き腕に絡んだ

しかし、小平太の近接戦の技術は高い

鴇が連結する縄でどうこう画策するよりも先に小平太が先に手を打った

自分が身動きをとれるくらいの尺を鴇の着地よりも前に確保する

意志の強い目が、鴇を正面から迎え撃つ


(下手に引いたら、腕をもっていかれる)


鴇も覚悟を決めて自身の左腕に縄を巻き取った

縄に自由に扱える余力がなければ、振り回されて終わってしまう

ギシギシと、拮抗する力で縄がピンと張る


「……ら、ぁっ!!」

「………!!」


はやい

片腕を拘束しているというのに、小平太のトップスピードがほとんど落ちない

足場の悪さなんて微塵も感じさせず、そして一切の手加減を見せずに放り込んでくる数々の手法はどれも一筋縄ではいかないものばかりだ

鴇もひとつずつ捌くものの、眉を顰めたくなるくらいには負担が大きい


「難しい顔をしてるな 鴇」

「そりゃあ、予定が大分狂ってるから、なっ」


ほぼゼロ距離での攻防が続く

組手はよくやるが、ここまで本気の攻防は記憶に遠い

ふーっ、と呼吸を整えて小平太の一挙手一投足に全神経を集中させる

鴇も近接戦はかなりの得意分野である

正直なところ、他の六年生であれば近接で負ける気はしない

それはきっと小平太も同じだろう

私達は見事に対比する

剛と柔、それぞれの得意分野を伸ばし切った結果がコレである

互いに理解しているのだ

全力を出しても大丈夫な相手

全力を出さねば、やられる相手

全力が見たい相手

全力を出すからこそ、


(これだけ、苦労が勝る)


右側頭部から降りてくる蹴りを、鴇も振り向きざまに蹴り上げる

そのまま互いの身体を沿うように着地し、掌底を繰り出せば、これも小平太の拳が相殺する

互いの技術が高いと、心地のよいテンポでの応酬に繋がる

圧倒的な力で自分のペースに持ち込もうとする小平太と、それを上手くいなしてタイミングを外していく鴇

ふと、小平太と目が合う

吸い込まれそうなその目は余分なものは一切見えていない

纏う熱量にあてられそうだ

いや、それは少し正確な表現に欠ける

自身の中から込み上げてくるこの感情は、同調したいというものだ

どこまで自分の技を試していいのか

どこまで、自分達は限界まで戦えるのか

そういった胸の躍る感情が気を抜けば全身に回りそうだった

弛みそうになる口元を隠すように押さえながら、鴇はそんな気持ちでいた

ゴソゴソと、手持ちの武具入れに手を突っ込んだ時である

鴇の視界が、"ソレ"を捉えたのは

その瞬間、鴇の中で燻っていた熱がじゅっ、という音を立てて消えた気がした

そして、多分それに小平太が気づいた

太い眉をぎゅっと寄せて、鴇の胸倉へと手を伸ばす


「待て、鴇 私はまだ」

「駄目 時間切れ」


ブツリ、と互いを結んでいた縄を鴇が切った

互いに強く引いていた反動で、小平太の体勢が少しぐらりとブレた

それはあまりにも唐突で、小平太は目を見開いたが、鴇はもう小平太を見ていなかった







(構いすぎた)


駆けながら先ほどまで巻きつけていた縄をほどく

小平太との力勝負に付き合った対価というか、くっきりと青く鬱血し、縄跡がついた腕をちらりと見やる

ほどいた縄に手裏剣を巻き付け、着地点へと先に投げる

ザクリと手裏剣が大地に刺さった途端、ひゅん、と何かがその下で動いた

それを目で追って、着地するのと同時に鴇は前方2方向に千本を投げ、自身は大きく2歩下がって左前方向へと跳ねた

進む直前、右方向からキラリと光る何かが鴇へと飛んできたが、それも忍刀で叩き落として鴇は藪の中へと突っ込む


「もう!アレ全部躱す!?」

「気をつけろ 伊作!」


罠を全て解除されたことで諦めたのか、ひょっこり顔をだした伊作に留三郎の声が響く

しかし、鴇の選択肢に彼らの相手をする、というものはなかった

速度を落とさないままに藪の中を突き進み、深く息を吸った


「!留三郎、離れて!」

「なっ、煙幕か!?」


何か靄がかかったかと思っていれば、あっという間に周囲が白煙に巻かれる

鴇の反撃を警戒していた留三郎は慌てて足を止めた

もう気配すらなくなった鴇に溜め息をつく


(速ぇ)


作戦は悪くなかったと思う

小平太との戦闘は良くも悪くも目立つ

漁夫の利とは思っていなかったが、注意力がいくらか落ちるだろうと思って付近で罠を張ったのだが全て躱された


「…良く見てやがる」


伊作は近接タイプではない

こうして罠を仕掛けるのだって留三郎の何倍も上手い

しかし、鴇の方が一枚上手だったのだろう

逃走中のスピードを一切緩める様子がなく、伊作が配置した罠の形跡を流れるように見破ってしまった

そして、

手元の三節根をちらりと見る

威嚇代わりに投げつけられた千本が2本、綺麗に縦に一列に突き刺さっていた

留三郎の位置も見破られていた何よりの証拠である

まいった

ガリガリと髪を掻いて再度溜め息をつく

これが学年首席に居座る、いや、学園を守護してきた学級委員長委員会・委員長に座する男の実力か

一度野に放たれれば、簡単には捉えられない

さて、どうしたものかと思い、伊作の意見を聞くかと留三郎が振り返ろうとした時であった


「……っ!!」


ガキン!と鈍い音と重い衝撃に留三郎が身体が後退した

間一髪三節根を構えていなかったら骨がいってたかもしれない

それほどまでの衝撃をぶつけてきた男を留三郎は睨みつけた


「…どういうつもりだ、小平太!!」

「それは私の台詞だ」


そこに居たのは、明らかに不機嫌な小平太であった

意図がわからず首を傾げた留三郎であったが、小平太の後方に伊作が倒れているのを見て、事態の深刻さを知った

脳内を過ぎった憶測に、冷や汗がにじむ


(コイツ…、まさか)

「鴇は、なかなか本気で相手してくれない」


小平太が右腕をグルグル回して肩を慣らす

忍装束のいろんな箇所が破れたりよれている所から察するに、鴇と激しい交錯があったことは容易に予想できた


「今日の鴇はいい 一挙手一投足、どれをとってもいい」


よく見てみれば、小平太の腕は充血して青黒くなっていた

鴇とやり合って出来たものなのか、小平太にしては珍しい鉤縄を手持ち無沙汰に回している


「だから、この機を私は逃すわけにはいかない」


ひゅんひゅん、と風をきる音が酷く不気味に聞こえる

目の前の小平太はいつものそれとは違う


「見ただろう?あれだけの罠を、全て捌いて反撃までしている それくらい、今日の鴇は仕上がってる」

「……………」

「お前達がどんな策を練ろうと、知ったことではない どうせ鴇は全部躱す 」


抑揚のない小平太の声が、それに乗る

ピリピリと、刺すような空気は小平太の殺気によるものだ


「だがな、留三郎 私の邪魔をするなら話は別だ」


ああ、面倒なものに巻き込まれてしまった

小平太が言いたいことを完全に理解した留三郎は小さく舌を打った


「…お前わかってんのか これは個人戦じゃねぇ、年別対抗戦だ」

「知ったことじゃない」


ゴキン、と首を慣らした小平太の目は据わっていた

完全に気分を害したようだ

こうなった時の小平太が面倒だというのはよく知っている

よくよく考えてみたら、お目付け代わりの長次もいない

これはきっと長次が意図を汲んだのだ

今日の鴇がいつになく真剣なモードであること、こんな一対多の演習で、あれだけ自身のハードルを上げまくったのだ

鴇も通常よりは本気を出してきている

先ほどの逃走劇がそれを物語っている

通常の鴇であれば、あんな藪を突っ切るような真似はしない

あれは自分達から逃れるためではない

この通常よりも熱量の強い小平太を撒くための動きである

もっと言えば、自分達は完全に小平太に宛がわられた時間稼ぎの材料である


「…わかった 邪魔はしない」

「なら棄権しろ 伊作もガタガタ五月蠅かったから寝かせた」

「…!この、馬鹿がっ…!」


事も無げに放った小平太の言葉に留三郎は顔を顰めた

どこに味方を棄権させる奴がいるのかと思ったが、向けられる殺気と小平太の視線がそれが冗談ではないことを物語っていた

鴇自身があれほどの全神経を使うような逃走を強いられた相手だ、分がかなり悪いことは留三郎も理解していた


「別にそこまでする必要ねぇだろうが お前はお前で自由にやればいい」

「お前達の気配を察して、鴇が相対をやめた 外部要因は全部除く」

「…棄権を拒否すれば?」

「戦闘不能にすれば、強制アウトだな」


私はそれでも構わない

何ら問題ないとばかりに返事を返した小平太に留三郎は再度溜め息をついた

小平太のこれらの文言は、監視している先生方にも聞こえているのだろう

それでも小平太を窘めるような判定も沸いて出てこないということは、小平太の行動はルールに反してないということである

バクバクと、心臓が五月蠅いくらいに鳴っていた

留三郎は、何も小平太や鴇の相手として、自身が全く手が出ないと思っているわけではない

分はよくないかも知れないが、それなりに渡り合えると自負している

しかし、


(この熱量に勝るだけの覚悟が、今の自分にあるだろうか)


小平太がこれほど熱望する鴇の本気も、

その鴇が本気で離脱を試みた小平太の執着も、

どちらも今の留三郎には重すぎる

初めの鴇の動きに思わず目を奪われてしまった自分は、この夜の覇者になれないことは留三郎自身が一番わかっていた

手持ちの三節根を畳んで腰へと戻し、ふーっと大きな息を吐いて留三郎は上空にいるだろう教師へと言葉を放った


「六のは、棄権する」


初めに取り決められた離脱の花火玉が、上空へと打ちあがるのを見て留三郎は眉を潜めるのであった




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