- ナノ -


04


まだ少し、肌寒い夜の風に身を任せて鴇はゆっくりと息を整えていた

四方の風が流れ込んでくるこの場所は、耳の良い鴇にとっては状況を押さえやすい利点があった

じんじんと衝撃の余韻が残る右腕の袖を捲れば、傷はないものの青くなっている


(随分と、腕をあげたものだ)


先ほどの五年生の襲撃、去り際に見た勘右衛門達の悔しそうな表情を思い出して鴇は小さく笑った

別に委員会の後輩だからと手を抜いたわけではない

優先順位こそ、仕留めやすい順を意識したものの侮った覚えもなかった

一番意識が薄かったのは不破と竹谷だろう、それは間違いない

あれでは駄目だ

命をやり取りするなかでというのは今回大袈裟なのかもしれないが、一瞬で気持ちを切替えれないのであれば当然の結果だろう

そういう意味で、意外であったのは久々知であった


(…手荒な真似をしてしまった)


実は鴇が最初に狙ったのは久々知兵助であった

鴇のなかで、兵助の評価は微妙なところにある

腕はたつ

しかし、どこまで一瞬で切り替えられるかはよくわからない、と

それは兵助があまり感情を表に出さないことにあったし、鴇の知る兵助は酷く穏やかなものだからだろう

その評価に引っ張られて未知数のものを先に仕留めたいという気持ちが勝ったのも確かだ

背後で雷蔵と八左ヱ門が罠にかかる声をあげるなか、鴇は兵助の背後に降り立った

時間はない

手刀一発で落とし切るつもりであった鴇であったが、それよりも早かったのは兵助であった


(!)


鴇の右肘に強い衝撃が走ったのと、兵助が寸鉄を力いっぱい打ち込んだのは同時であった

想定外の迎撃をくらった鴇は煙幕のなか兵助の状態に驚いた

ごほっ、と煙幕の煙を吸ったらしい兵助は眉を酷く顰めていたがしっかりと構えをとっていた

寸鉄は何も刺すばかりがお家芸ではない

点穴と呼ばれる身体中の機関の要所にあるツボのようなものを弄れば、一時的に調子を狂わすこともできるという

そういえば伊作に医学書を借りてたなぁと思いながら、鴇はその次を間髪いれずに兵助の右腕を強く弾いた


「……っ!」

「いい動きだね 久々知」


余分な攻撃をもらってはしまったが、この至近距離での攻防が鴇の得意分野であることに変わりはない

開いた身体を立て直す暇も与えず、兵助の身体のバランスを鴇が崩す

しまった、と目を見開く兵助の鳩尾に鴇も力いっぱい拳をいれた

ドン、と腹の奥に響く打撃に兵助の息が一瞬止まり、背後に立つ木の幹に押し付ければ、兵助の身体から力がズルズルと抜けていく


(次)


兵助が戦闘不能になったと判断し、次の標的に狙いを定めようとした鴇であったが、つい、と何かに袖を引っ張られる感覚に視線を戻した


「……ま、……だ」

「……へえ、驚いた」


それは純粋な感想であった

鴇の渾身の一撃を食らったというのにまだ意識を残した兵助に鴇の興味はまた戻った

力を抜いたつもりはないし、鴇はこれで仕留め損ねたということはここ数年ない

小平太や長次のように、分厚い腹筋をもつわけではない兵助が何故堪えれたのか

答えはすぐにわかった


(あの、一瞬で)


右手に現れた違和感に鴇が気づいたのと、何とか意識を保っている兵助がにっと笑ったのは同時であった

兵助の想定内の状況に陥ったのだろう、それは素直に鴇も認めざるをえなかった


「…うん、いい腕だ」

「そ、れは…どう、も」


痺れて強張ってきた右腕をブンと振ってみたものの、しばらくは握力が入りそうにない

これは兵助が初めの一撃で鴇の右腕を封じたからである

鴇は目一杯力をこめて打ち込んだつもりだが、実際はその半分程度も力は入ってなかったのだろう

そりゃあ意識も残るわけである


「しかし、それはお前が苦しいだけだろう 捨て身にもほどがある」

「あ、とは 勘右衛門達が、」

「…そうだね 少し休んでな」


動く左腕の袖の袂から取り出した布を鴇は笑って兵助の口元にあてた

これ以上の追撃は気が引けたが、そのまま放っておいて何か仕込まれても堪らない

せめてものの情けで薬を吸わせれば、静かに戦闘不能へと落ちていく

そもそも兵助はこれ以上の抵抗は無理と悟っていたのだろう

何ら抗うことなくそれを吸い、あっと言う間に意識を落とした

今度こそくたりと力の抜けた兵助の背をポンポンと叩いて、鴇は前を向いた


「お前を初めに相手しておいて、正解だった」


たった数分の攻防がここまでのものになると予想していなかっただけに、鴇は思わず苦笑した

予定を大分超過した

これでは強襲をかけても躱される可能性が高くなってしまったなと思いながら、鴇は次の攻撃に転じるためにその場を離れた

それからのことは先述したとおりである

結果は案の上であった

タイミングが少しずつずれてしまい、三郎は仕留め損ねるは、それに引きずられて勘右衛門も取り逃がした

面倒なのが残ったと素直に思う


(恐らくこれで一番気が引き締まったのは尾浜の方だな)


鴇の三郎に対しての評価は常に一定だ

一番気を抜いていないのは三郎であっただろう

あれにはそういう風に指導し続けたというのもあるし、何より三郎は鴇の性格を知っている

今回の件、いろいろと言い分はあると思うが鴇が本気で思うところがあると理解してるのも三郎だ

一方で尾浜はどこかまだ楽観視してたところがあったのだろう

本気で警戒していたのであれば、初めからチームを分散したはずだ

こういうのは三郎よりも勘右衛門の方が得意だから三郎は勘右衛門の意向に沿っていたのだろう

それなのに、あんな大人数でいつまでも地上を歩いていた時点で鴇にとっては襲撃しやすいことこの上なかった


(さてさて、どう動いてくるのやら)


鴇は知っている

あの2人だけで陣形をとるときの容赦のなさを

もともとあの2人は正攻法の動きをしない

鴇が指示をすればこそ、綺麗な型にはまる動きをするが2人だけであれば奇策をとる

勘右衛門はそういう戦術を立てるのに長けているし、それを実現するだけの実力が三郎にはある

勘右衛門がどこまで制御をかけるか、そしてそれをどこまで三郎が受け入れるか

想像して背筋に嫌なものが走るのを感じながら鴇は静かに笑った

眠っていた何かを叩き起こしたのは自分だ

そして、それを望んでいるのも自分なのだから


「さて、と」


一旦勘右衛門と三郎のことは置いておいて、鴇は次に取り掛かることにした

右腕の握力は八割がた戻ったと思う

兵助が点穴に打ち込んだ要領で鴇も同様に点穴をいじった

正確さはあまりないかもしれないが、応急処置としては十分だろう


(あと、4時間)


月の昇り具合から時間を確認し、鴇は再度視線を前へと向けた

裏山を逃げ続けるのは別に無謀な策ではないだろう

一週間近く、相手を尾行して気づかれなかった実績だって鴇には何度もある

本当に勝ちをとりにいくのであれば、地べたに伏せ、息を潜めているのが一番手っ取り早いのだって十二分に理解している

ただ、状況はどうもそれを素直にさせてはくれないらしい


「ほんと、お前は私を煽るのが上手い」

「相手をしてくれ 鴇」


明るい月明りのもと、鴇の目に映ったのは屈託なく笑った小平太であった












ここで息を整えていた鴇が、その視線に気付いたのはもう30分も前のことである

鴇としては、五年生を先に片付けることは決めていたが正直次はどうするか決めあぐねていたところがあった

相性の問題、体力と残り時間のことを総合して考えると、どのペアから向かってもそれなりのダメージを負うだろう

何も必ず対峙する必要はない

ただ、それを許してくれる相手ではどれもないことは明白であった

鴇からあれだけ喧嘩を売るような行為をしたのも確かだし、今日はどうも一言言ってやらないと気が済まないくらいには鴇も腹を立てている

何も無策でいくような無謀さはない

ただ、順番を間違えると後半戦はかなりキツイ

鴇には迷いがあった

真逆の順番のどちらを選択しようかと思っていた矢先である

強い視線を感じたのは


「……………」


視線の先、大きな岩上に影がひとつ

それは小平太であった

もう見つかったか、とため息をつく鴇とは逆に、小平太は微動だにしなかった


(…………?)


距離はしっかり離れているものの、視線はばっちり合っている

それは明白なのに小平太がこちらに向かってくる様子も、姿を隠す様子もない

じっと、ただ宙を2人の視線が交じり合う

長次の姿は視認できない

そういう作戦かとも思ったが、どうにも小平太の動きの意図が読めない

怪訝な表情をしている鴇に小平太も気づいているのだろう

ただ、小平太はじっと待機をしている

それがどういうことなのか鴇は唐突に理解した

そして、溜め息をついた

ガリガリと髪を掻いて、もう一度溜め息をひとつ


「―――――……」


ピィ、と矢羽根を単発で飛ばせば、小平太が嬉しそうに笑う

普通では考えられない結論が合っていたことに呆れて鴇は頭を痛めた

静かに時が流れるのを待つ

視線だけは互いに外さず、それでも動きはとらず

整った息と、戻った体力を携えて鴇は右腕の拳を握っては開いてを繰り返した

痺れはもうない

千本を掌のなかで回転させても何も違和感もなければ動かしづらいところもない

よし、と立ち上がればそれを見た小平太もすっくと立ちあがった

そして、小平太が口を開いた


「もういいのか?」

「おかげさまで」


ニコニコと笑っている小平太だが、目が笑っていないことを鴇はしっかり認識していた


(ああ、いやになる)


それがどれだけ恐ろしいことか、鴇はちゃんと理解している

小平太が望むもの、それはたったひとつだ


「お前のそういうところ、ほんとどうかと思う」

「ケチがつくのは不本意だ 私は万全で本気の鴇と交わりたい」

「冗談 お前だけで力を出し切っていてはこの夜は超えられんよ」

「はは、おかしなことをいうな鴇 私は負けるつもりはこれっぽっちもないぞ」

「はっ 私だって譲るつもりは毛頭ない」


これまで、何度だって小平太と鴇は相対をしてきた

組手だって、試合だってそれこそ数えきれないほど

しかし、今回のようなシチュエーションはない

共闘こそ多かったものの、本気で仕掛けてよく、そしてそこまで鴇が本気で勝ちをとりにいくような状況はこれが実質初めてだ

勝ちに拘りがないわけではない

しかし、ここまで自由にふるまっていいという条件もなかなか珍しいのだ


「鴇がそんな目をしているの、久しぶりに見たからな」

「…どんな目か知らんが、それなりに怒ってはいるさ」

「嘘だな 鴇、理由づけなんて後からいくらでもすればいいさ」


大岩にたった小平太が、トントンと爪先を弾く

それに反応するように、鴇も肘の関節を慣らすように腕を捩じる

そして、小平太からリン、と鳴った鈴音に視線を注いだ

鴇と同様に小平太の首にも組み紐が絡んでおり、鈴が鳴っている

意図は理解していたが、一応問う


「…その首の鈴、どういうつもりだ」

「?鴇の条件と合わせた 私のこれをとれば、鴇の勝ちでいい」

「阿保か 私の勝利条件はお前を戦闘不能にすることだ」

「なら私も合わせる お前の方が条件が難しいのは不本意だ」


当たり前のように言い放った小平太に鴇はまた溜め息をついた

要するに、である


「小平太、話をややこしくするなよ」

「拘ってるのは鴇の方だろう 私は本気のお前とやりたいだけだ」


どちらかを選べという小平太は要するに鴇との相対だけを望んでいたのだ

ここに五年生対六年生だなんて構図はなければ、六年生側の勝利なんて括りも小平太には毛頭ない

小平太のなかではこれは自分と真剣勝負ができる唯一の場としての認識しかないのだ

だから鴇が万全な状態を望むし、痺れる腕を回復する時間だってきちんと待った

腹がたつのはそれを真正面から当然のようにやってみせることである

決して手出しはせず、ただ静かに獲物が回復するのを待つのは余裕でもなければ驕りでもない

小平太は決して鴇を侮ってなんかいない

だから上からの発言もなければ、気遣うような発言もない

小平太が求めるのはただ純粋な相対

そして、鴇の全力である

ぞっとするほどの真っ直ぐな視線はそれを雄弁に物語っているし、何より鴇の背筋には嫌なものがこみ上げている

小平太の本気を、鴇は知っている

これからソレを相手にせねばならないという一種の覚悟を求められているのだ


「…いいよ いつもどおりでいこう 戦闘不能にした方の勝ち それしかいらない」

「はは、そっちを取るのか 実にお前らしいな 鴇」

「どこかで腹は括らないといけなかったんだ 流れに身を任せるのも存外悪くない」

「疲れ果てたお前をとっても、私には何の意味もない」

「お前はそういう奴だよ 小平太」

「それに乗っかってくれるお前が、私は本当に好きだぞ 鴇」

「それはどうも」


ブツリ、と首の鈴を外して小平太が投げ捨てる

真っ直ぐ、ただ真っ直ぐと向けられる視線は焦がれるように熱い

じりじりと、焼けるような熱量の視線が堪えられずに鴇はそっと目を閉じた

そして、その次の瞬間、両者ともその場から音もたてずに姿を消した

はっきりしてるのは、一番骨のおれる時間が始まるということだけであった




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