- ナノ -


07 あなたのためのわたしなんです


「そうですか、学園の中に入っていないから良かったですか」

「皆、ちゃんとしてくれないと困るよねぇ」

「はは、本当に」


口調は至極穏やかなのに、空気はどこか冷たい

出鼻をくじかれた苛立ちもあって、仙蔵は静かにため息をついた

ものの十数分前の出来事である、自分たちが曲者を取り逃がしたのは



鴇から立ち話の流れで苦無を一本譲り受けた

その時から、既に我々のやることは決まっていた

学園をぐるりと囲む塀の近くに不審な影があることに鴇も仙蔵も気づいていた

鴇がいう「面倒なこと」のひとつでもあったのだろう、その曲者をとっ捕まえていいかという視線に対し、快諾を得た矢先のことであった


(…捕らえられる距離だ)


少し迂回をして、曲者の死角から接近を試みた仙蔵は、姿勢を低く駆けていた

遠目から確認できるのは、その男が校内の様子を覗う様であった

忍装束でこそないが、身の隠し方・気配の消し方からいって腕のたつ者に思える

こんな白昼堂々と忍術学園を偵察に来ているのだ、こちらも不意をつくくらいの方が丁度いいと思っていた時である


「あー! そこの人 学園内に入るなら、入門証にサインをー!」


突然空気がビリビリと震える

驚いた仙蔵が音の方へと視線をやれば、馬鹿みたいな大声で、その曲者へ呼びかけたのは、うちのへっぽこ事務員であった


(まずい!)


見つかったことは向こうも想定外だったのだろう

呼ばれた瞬間、肩を大きく揺らした曲者であったが、小松田秀作が入門手続きの話しかしないことを見ると気が抜けたように息を吐いた


「あー、すみません ちょっと枝にものを引っかけただけだったので」


ニコリと笑って背を向け、さっさと撤退を始めたのを見て仙蔵は地面を蹴る力を強めた

相手の用事が済んだのか、はたまた今回は諦めたのかはわからぬが、今日この学園がバタついているなかでまた新手の事象である

可能な限り、捕獲して口を割らせたい

まだ少し、距離があるが届かぬ距離ではない

さらに加速し、学園の塀も軽く飛び越えた仙蔵が、曲者の背を視界に捉えた


(いける)


懐に手を忍ばせ、鴇から借りた苦無に指先が触れた瞬間である


「なっ…!」


突如背にずしりとした重みが走り、仙蔵は地面へと叩きつけられたのだ











「―…っ、小松田さん、貴方には一度はっきり…!」

「仙蔵、やめとけ」


時はそこから少し進む

曲者を追おうとした仙蔵を妨害したのは、またしても小松田秀作であった

このへっぽこ事務員、他の事務処理はとんと駄目なくせに、何故か入出管理だけはピカイチなのである

入出門表への申請がないなかの出入りについては、ネズミ一匹取り逃がさないが、逆に言うとその塀の境界線さえ侵さなければ追随はしない

なので、今回の曲者は「侵入前」だったので彼にとっての取り締まり相手はないという基準だったようだ

曲者を追おうとした仙蔵をまさかの内部の人間が邪魔をするという事態

仙蔵はそれはもう怒りに打ち震えていたが、鴇はそこまで怒ってはいなかった

実は、この小松田秀作のこの技術、鴇も何度か苦しめられたことがある

学園長を狙った曲者の侵入で、似たようなことが何度かあったのだ

追いたいのに妨害をされる、逆に上手く追い込んだのに塀を超えられない

これが3度続いた時、鴇は学園長と安藤に無許可の通行証の申請をしたくらいだ

学級委員長委員会の上級生、ならびに学内外の警備を主に担当する体育委員会委員長と用具委員会委員長である小平太と留三郎にも同じものを発行した

このへっぽこ事務員、鴇だけでなく、あの小平太までセーブして見せたのだ


(この動体視力と機動力が、何故一片たりとも通常業務に反映されないのか)


火急の事態の際、こんなことで後れをとるのは洒落にならないから申請したのだが、次からは6年生には一律許可もらえないか学園長に駆けあってみようかと鴇は思った

今日は仙蔵はまだ外出許可を申請してなかった、そのせいだ


「小松田さん 今からかなりの生徒達が出入りします まとめて申請はするように伝えてるので速やかに手続きいただけると」

「夏休み明けなのに、大変だねぇ」

「本当に」


その大変の片棒を担いだのはどこのどいつだ、という言葉はぐっと飲み込んで

自分の横でキレる寸前の仙蔵の腕を引き、鴇は早々にその場を離脱した

何か言いたげな仙蔵にいいからいいから、と小さく笑えば、仙蔵の眉間の皺が一層深く刻まれた


「……おい、鴇」

「やめとけ あの人は、何を言っても通じん」

「しかしだな」

「視界にいれると、苛立ちが募る 早々に視界から消せ」


ニコリと笑いながら、どこか小松田を直視しない鴇の意図に仙蔵がようやく気付いた


「………そういう、話か」

「そうさ 私だって、腸煮えくり返るくらい苛立ってるって」


しかし、暖簾に腕押しというか何というか

本人が全く反省しないというより、悪いとも思っていないのだ

実に不毛な争いは、もう最初から取り扱わないのが精神的に一番楽だ

ははは、と笑いながら鴇はまた静かにため息をついた

そう、別に鴇は寛容なわけではない

小松田秀作に関しては、諦めの域に達しているだけである


(この状況で曲者まで現れた もう少し、学園内に人を残すべきか)


問題も山積みな上、どれもなかなか消化できていない

また新しい課題に対して、どう対策をとるか考えあぐねていた時である


「委員長」


頭が痛いと思っていた鴇に遠くから声がかかる

そこにいたのは、外出のため私服に着替えた三郎であった


「あれ、まだ出発してなかったのか」

「もう出ますよ 一年生達の出発準備が遅くて」

「…余計なものは持って行かないように伝えておけ、荷が重いと遅くなるぞ」

「伝えてはいるんですけどね 何か遠足気分でついてきてる気がします」


肩をすくめた三郎であったが、どことなく疲れた様子の鴇と、仙蔵に首を傾げた


「お疲れですか?」

「まあ、ちょっといろいろあってな」

「立花先輩も?」

「…貴様、何か嗅ぎつけてるだろう 鉢屋」


眉間に皺よってますよ、と鴇の額を示唆する三郎に、仙蔵が嫌そうに顔を歪めた

仙蔵がこういうのも、どこか三郎がにこやかだからに他ならない

そもそも、三郎は出立直前だったはずだ

ただ鴇が近くにいたからというだけで、戻ってくるかというと、まあ鴇大好きな鉢屋としてはあり得るのだが、この後輩、そんな健気なだけの性格をしていない

にこやかというか、ニヤリというか、何となく纏う空気が何もない時と違う気がしてみれば、やはり三郎がニッコリと作った笑顔を見せた


「委員長、お耳を拝借」

「?」


クイ、と袖を引っ張った三郎に言われるがまま、耳を傾けた鴇がしばらく三郎の言葉を受け入れる

ボソボソと、仙蔵には聞き取れない声で話すのがまた腹立たしい

しかし、こんなのはある意味慣れたもののため、仙蔵は様子を見守ることにした

そして、


「…!」


突然鴇の顔色がパッと明るくなる

目を丸くした鴇にさらに三郎が耳元で二三囁いて


「…でかした!」


感謝を全面的に出すように、鴇が三郎に抱擁を交わした

想像以上に鴇の反応が良かったのだろう、三郎はその挙動に少し驚いたようだったが、もらえるものは全てもらうかと言わんばかりに鴇の背に手を回し返した


「結構いい置き土産かな、と」

「流石、よくやった」

「私、優秀ですからね」

「あー、本当に助かった 恩に着る!」


よしよし、と言わんばかりに抱き着く鴇の背をポンポンと叩く三郎もまた、自信に満ち満ちていた

恐らく、鴇が抱えていた問題のうちのどれかに対して、三郎が良い情報をもってきたのだろう


「溜め込んではいけませんよ、委員長 私と合流してから捌けばいいんです」

「こっちは気にするなと言ってやりたいんだがね」

「私と貴方の間で、それは無理というものでしょうよ」

(こちらは完全に蚊帳の外か)


まるで恋人同士の会話のようだと、仙蔵は思わず肩を竦めた

六年生達が鴇と協力するのとはまた一線違う意志の疎通方法がこの2人には昔からある

鉢屋が頭が特別良く切れることも、要領が恐ろしく良いことも周知の事実だ

だが、それを無償で全力で提供してもらえるのは、やはり鴇だけなのだ

来年、鉢屋三郎はきっと学級委員長委員会委員長の座につくのだろう

もしかすると、尾浜勘右衛門の方になるかもしれないが、どちらにしても鉢屋がこの学園のトップに立つのは見えている

その時、この後輩は今以上のパフォーマンスを発揮するのだろうか、と仙蔵は思う


(大人になれるかどうか、だろうか)


鴇は今の学園長、学園の教師陣に恩がある

それは学び舎の生徒としてだけではなく、今の鴇が鴇たるそれを確立させたことによるものだ

だが、鉢屋はそうではない

鉢屋がいつだって拘ってきたのは、鴇だ

鉢屋は学園長と鴇であれば、明らかに鴇を優先する

鴇がいなくなった来年、奴はどう生きていくのだろうか


(まあ、尾浜をサポートする、という方向性で行くんだろうが)


ちらりと横目で奴を見る

真面目なやり取りの合間に時折見せる緩んだ表情は自分達の前では見せないものだ

なんと扱いづらい後輩か、そんなことを考えていたからだろうか

ばちっと目があった瞬間、鉢屋の表情がすっと引いた

いつも通りの飄々とした、変化の乏しい表情である

それに気づいたのか、小さく笑って鴇が三郎の背中を軽く押す


「鉢屋、そろそろ出発だろう 気を付けて」

「委員長も、お気をつけて」


一応、形式だけの礼を鉢屋は自分にとった

ただ、それが中身を伴わないのであろうことも知っていたから、仙蔵もヒラヒラと手を振って返す

出立するため正門へと向かう鉢屋の背を2人で見つめながら、仙蔵は鴇へと呟いた


「すまんな、私ではお前の期待に沿えなかったようで」

「?どうした、急に」

「いや、なに 見せつけられたからな」


ふふ、と小さく笑えば、鴇もああ、と小さく笑った


「贔屓はよくないんだが、どうにも鉢屋は優秀だ」

「自慢か」

「ああ、まあ、自慢だな」


鴇も自覚しているのだろう、仙蔵が言いたいこともわかるのか、これ以上は勘弁してくれとばかりに両手を上げる


「驚くほど、こちらを意識して動いてくれる 痒い所に手が届くとは正にこのことだ」

「お前限定だ」

「そんなこともないと思うがね」

「そんなことはあるさ」


少しくどかったのだろう、鴇が困ったようにまた笑って、とりあえずと歩を進める


「動機が何であれ、それが学園に還元されるんだ 細かいことは言わんでやっておくれよ」

「…少し、口がすぎた 聞き流してくれ、まださっきの失態に言い訳をしたいような心境でな」

「はは、お前のせいじゃないというのに」


ポン、と鉢屋にしたのと同じように、鴇が自分の背を軽く叩いた


「しかし、仙蔵 やはり状況はよくないんだ 六年は基本、外に充てたい」

「お前はどうする」

「私も出る ここからでは何も見えん」

「学園内はどうする」

「仙蔵、頼まれてくれ あと半日、ここに残ってほしい」

「何をしろと」

「学園長先生の近くにいてくれ 情報はそこに集約する」

「ほう」

「後に学園長先生から私たち前線部隊に連絡を出したくなるはずだ 一番早く正確に伝えてくれるお前を残したい」

「お前が残った方がいいのではないか」

「いや、私は前線に行かねばならない 今回はやはり園田村が中心地になるはずだ」


サラサラと、懐にいれてた半紙に何かを書き記し、鴇がそれを仙蔵に渡す

見ても、と目で問えば、コクリと鴇が頷く


「それだけ、外に"目"を放ってる あとは私が前線でそれらを踏まえないと判断を誤りそうだ」 


喜三太の件も含めて、学内では恐らく何も進みやしない、と告げて鴇の表情から笑みが消えた

こういう時の鴇の予測は外れたことがない

二三、言葉を交えて今後の展開や方向性を確認していく

やはり、こういった大ごとの対応に慣れてる鴇らしく、機械的に物事が整理されているのがよくわかる

ひとしきり説明を受け、小さくため息をついた鴇の肩をポンと叩けば、鴇が首を傾げて振り向いた


「?どうした、仙蔵 何か考」

「あまり、気負いするなよ 鴇」


遮るように、先手で釘をさせば、鴇の表情が少し苦笑いに変わった

大丈夫だ、ともう一度肩を少し強く叩けば、鴇もこくりと頷いた


「学外はどうも、勝手が違うからな」

「そうは言うが、お前はいつも上手くやる」


そんなことはない、と視線を少し伏した鴇の表情は硬い

鴇は総力戦の時、こういった表情をよくする

それは当たり前のことなのだろう

少数精鋭で動いてきた学級委員長委員会は、手の届く範囲だけ気を配ればいいのに対し、今回のような話は全体に気を配る必要がある

学園長が鴇を一生徒として今回扱ったのであれば、鴇は宿題をやってこなかったあの集団のなかに入れたはずだ

そうでなく、指揮系統の方へと加えたのだ

この場合、求められるのは生徒としての役割ではなく、学級委員長委員会委員長としての役割なのだ


「好きに振る舞え 私はお前の指示に従おう」

「これは心強い支援だ」

「冗談だとでも?」

「いや、こうやって声をかけられたということは、私は不安が表情にでてるということだ」


パン、と頬を両手で叩いて、鴇が深呼吸を繰り返した

よし、と呟いて、鴇が正面を見る


「落ち着いたか?」

「大丈夫 心配かけた」

「なに、言うほど心配はしていない」


ニヤリと笑えば、鴇も静かに笑った


「では、私も準備にはいる」

「よろしく頼む」


こうして、2人は再びそれぞれの役割へと向かうのであった




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