- ナノ -


05 声もかたちも熱情もない


学園長はそっと傍に控えた忍たまを伺い見た

まだ生徒であるその忍たまは、静かだが、何処か冷たい空気を纏っていた


(やはり、こうなるか)


はあ、と溜息をつけば、ギロリと不機嫌な視線が突き刺さる

それに気づかぬ振りをして、彼が入れた茶を啜れば、彼の心情を現したような苦さの茶であった


「……これ、鴇」

「何でしょう」

「茶が渋い」

「目覚ましには、丁度よいかと思いまして」


にこりともせず、その忍たまは、嘉神鴇は大川平次渦正にそう言い放った

目の前にはもう1人、客人がいた

年の功は自分と同じ頃だろうか

知り合いかと言われれば違う、彼は歴とした依頼人であった

依頼の概要は聞いていた

だから自分はこれからのことを考えて、鴇に立ち会うよう命じた

命じたのだが、


(ここまで機嫌が悪くなるとは、思わなんだ)


ある意味想定できた範囲ではあったが、まあ、大丈夫だろうと楽観視していた

これは少々面倒である


「そんなわけじゃ、鴇 お主もいい加減腹を括れ」

「腹は括りますよ 納得はしてませんけど」


手厳しい言葉を返しながら、鴇も小さく溜息をついて立ち上がった

一度この席を外れる、ということは鴇が自分の要望を呑んだというのと同義である

尤も、鴇が反対することなど滅多にない

なぜならば、自分は彼に許可を取りたいのではなく、決定事項を告げる立場にいるからだ

それを鴇自身も強く意識をしているのだろう

学内の催事であれば拒否の一つもできるが、学外、忍術学園を頼ってきた事案であれば鴇に拒否権はない

本当は文句の一つも反論の一つもしたいだろうに、それをグッと飲み込んだ感が強い


「手潟殿、しばしお時間いただいても大丈夫でしょうか」

「はい、お手数おかけいたします」


客人、手潟潔斎(てがたけっさい)に茶と菓子を薦め、鴇が自分をチラリと見た

会話がしたいのだろうと意図を汲んで、中庭に面した廊下に少し寄る


「…先生、まだ昨日の厄介事が片付いてませんけれど」

「そうじゃなぁ」

「…そもそも、これは大規模な人手が要りますよ 的確な配置をしなければ、こちらも被害を被ります」

「だからお主を立ち合わせておるんじゃろうに」

「………まぁ、状況は理解しました」


鴇の眉間の皺がまた一つ深まる

表情と返事が噛み合わんと思いつつ、あまりそこに触れた所で自分は何か決定を変えるつもりもない

よし、それではと思っていれば、廊下の向こうからヘムヘムが走ってくるのが見えた


「ヘム、」

「どうかした?ヘムヘム」


この忍犬、自分と鴇がいれば、鴇の方に擦り寄っていく節がある

機嫌の悪かった鴇もまた、ヘムヘム相手だと表情が綻ぶ

主人は誰だと言いたいが、ここはグッと我慢をすれば、ヘムヘムが口に咥えた紙を鴇へと渡した


「ああ 鉢屋からか、ありがとう」

「ヘーム!」


渡された半紙にさっと目を通した鴇の表情が険しく歪む

これは朝から生徒が大分登校してきたことを察するに、である


「鴇、見せなさい」

「…頭の痛い内容ですよ」


鴇が懐にしまっていたメモと合わせて貰えば、確かにと言わんばかりの内容である

しかし、である


「……鴇」

「はい」

「お主、これをどう捌く」

「……………」

「これ、鴇」

「実に、気が乗らないんですが」


言わねばならぬか、と視線で訴えかけてくる鴇に、平次は早くしろと言った

気が乗らぬ、と鴇がいうのであれば、それは自分の脳裏に浮かんだ計画と近しいものなのだろう

こちらは名案だと思うのに鴇がそう思わぬのは、自分達生徒を巻き込んだ解決案だからである


「ーーーー、」


ざっくりと聞いた内容に、平次は満足気に頷いた

やはり、この忍たまは多角的に物事を見ており、実に効率の良い考え方である

あとは、そこに自分が乱数を入れてやればいいのだ


「よしよし、鴇 着いてきなさい」


手潟にしばらく時間を潰しておいてくれと伝言をし、平次は渋る鴇を連れ、職員室へと向かうのであった







職員室のざわめきが酷い

それも仕方のないこととわかっているだけに、鴇は小さく溜息をついた

昨日からの調査の結果、教師陣も学級委員長委員会も同じ結論に辿り着いた

見過ごせない宿題の入れ替わりは一つ、


『一年生の山村喜三太が、六年生の課題「オーマガトキ城主の褌をとれ」を実施している』であった


本当にやっているかの判断はかなり難しいが、登校日を過ぎているのに彼が登校してこないのが強い裏付けとなっていた

そして、追って入った情報によると、山村喜三太と同室の皆本金吾が彼が宿題について「難しすぎる」と嘆いてたのを耳にしている

これはもう確定でいいだろう

そして間が悪いと言えば良いのか、オーマガトキは現在、タソガレドキと戦の真っ最中である

しかも、オーマガトキの旗色は悪く、領地内には兵も忍も入り乱れている

そんな中に忍者のたまご、しかも1年生が悪目立ちをしないわけがない


(救出メンバーの選定をどうするか)


先生方の話を聞きながら、鴇も考えていた

速やかにするのであれば、教師2名ほどと上級生1、2名が妥当だろうか

先に先見役を飛ばすほうが早いか、しかしそうなると手潟の方の事案が、


「喜三太救出は宿題をやってこなかった生徒による選抜チームに行かせる」

「は?」


鴇の考えがまとまるより早く、大川平次が声高らかに宣言した内容に、鴇も思わず声が出た


「学園長、突然の思いつきをやってる場所ではないですぞ」

「そうですよ、何だって」

「黙らっしゃい!」


教師陣も鴇と同じような感想を持ったのだろう、やいやいと批判が飛び交う中、平次の視線は鴇と合ったままである

彼は先程から鴇の反応を想定しているのだろう

彼を好々爺だと誰かが言ったのを思い出しながら、鴇もまた平次の目を見返した


「1のは、きり丸 福富しんべえ」

「3のろ 神崎左門」

「4のい 平滝夜叉丸」


早々に読み上げられる宿題をやってこなかったリストに載った生徒達の名を聞きながら、軽い眩暈を感じる

やはり何処か癖のある生徒の大集合である

これをどう捌くかを考えていた鴇で合ったが、


「5のろ 不破雷蔵 鉢屋三郎」

「6のは 善法寺伊作    以上」


「ちょっと待ってください」


思わず静止を入れたのであった

















鉢屋三郎は困っていた

それはもう、とても

そして、しまったとも思っていた

目の前には険しい表情をした委員長、嘉神鴇の姿がある

普段、鴇は自分を嗜める時、怒鳴りはしないものの視線は厳しいものを向けてくる

しかし、今日は無言であり、何処か視線も合わない

それでも、そこにちょっと座れと言われれば、座らぬ訳にはいかなかった


「あ、の 委員長」

「別途通達があったと思うが、」

「あ、はい …すみません」


鴇が言っているのは、喜三太救出隊の話なのだろう

宿題をやってこなかった生徒が対象と聞いており、その中に自分の名が挙がったのだ

鴇が自分に一言言うとしたら、その件くらいしか思いつかない


(雷蔵に付き合っての宿題放棄、はやはり不味かったか)


生徒の模範になれ、と言われる学級委員会委員長の自分が、いくら同室で双忍と呼ばれるほど親しく模する雷蔵が宿題に手をつけなかったからといって、自分もやらないとは幼稚が過ぎた

いや、いつもの予定であればこんなのは個人への注意であって、学年の違う鴇の耳に入ることなんてまず無い

そう思っていたのだが、今回は変に公開されてしまったため、三郎にとっては気まずさしかなかった

無駄な抵抗は見苦しいなと三郎は素直に頭を下げた


「悪ふざけが過ぎました」

「いや…私も課題をやってないから、お前を叱り飛ばすことできんのだがね」


鴇が微妙そうにしているのは、そのせいなのだろうか

ただ、三郎が鴇の名誉を守るために一言言わせてもらえば、鴇は課題をやっている中で違和感を覚えたから中断したと聞いている

そんなことを気付きもせず、単純に放棄した自分と同列に揃えるのは失礼というものだ


「それで複雑な心境になってるんですか?」

「…てっきり、私も選抜隊に入るものだと思っていた」


鴇にしてみれば、それが手っ取り早かったというのもある

自分と鉢屋、あともう1人教師か上級生でいけるか、と思っていただけにこれは想定外であった

そのため、先程学園長に待ったをかけてみたのだが、


『私も課題をやっていません 選抜隊ではないのですか』

『この状況で、お前さんが出払ってどうする』

『しかし、』

『お前はこちらを手伝いなさい、鴇』

何処か有無を言わさない平次に鴇は頷くしかなかった

こうやって正面から目を見ながら話す時、平次の決意が固いというのは鴇もよく知っている


「いつものアレじゃないんですか 委員長と私が長期不在になるということのリスク回避」

「そう長期にもならんだろう まあ、山村1人の救出隊としては人手を割きすぎだとは思うがね」

「どちらかというと、下級生は置いていきたいんですがね」

「上級生が多いからな、実地訓練も兼ねてるのかもしれん」

「…善法寺先輩も置いていきたいんですが」

「そこはすまんとしか言えん」


変なものを引き寄せないといいんですが、と呟けば、鴇が渋い表情で頷いた

選抜隊の上級生は、決して実力のないメンバーではない

伊作は最上級生であるし、平だって四年生の上位3位にきっちり入る優秀な忍たまである

ただ、懸念しているのは三郎も鴇もそこではない

付加要素は理解しているが、一度下った学園長の命令が取り下がらないということを痛いほど知っているのも自分達だ

仕方ないと割り切って、準備を始めることにする


「出発、何時だ?」

「昼には出ますよ 簡単な装備だけ各自してこいと」

「厚着先生と日向先生もおられるから、滅多なことはないと思っているが、気をつけてな」


たがが、と言っては口が悪いが、一年生を1人探すくらいで鴇がこれだけ歯切れが悪いことはないのだろう

携帯食や忍具を詰め込む手を止め、じっと見つめれば、それに気づいた鴇が少し目を逸らした

そのまましばらく双方黙り込んだが、鴇の方が諦めたように小さく溜息をついた


「詳細はこれからだが、面倒な話が来てる」

「…客人の件ですか」

「園田村の村長だ 恐らく、戦回避の相談が始まる」


珍しく大きな話が来たなと三郎は素直に驚いた

忍術学園を頼って学外から客人がくることは多いが、個人の頼みや隠密での依頼が多い

戦回避とまでいくと学園全体で手を貸す話になるかもしれない

鴇が嫌がっているのは恐らくそこなのだろう


「学園長先生が私に残れというのが、そういう方向性で対応なさるからなんだろう 人手がいるのと全体調整の話が出てくる」

「……委員長、私やはり残りましょうか」

「いや、学園長先生がきっと却下される」

「しかし、喜三太1人と、」

「そこは比較をしないでくれ 鉢屋」


口をついて出そうになった言葉を、鴇がやんわりと止めた

生徒1人と学園中の生徒、どちらを選ぶような話は鴇にとっては無意味なのだろう

1人だろうが2人だろうが、鴇が重視するのは生徒そのものだ


「…失礼しました」

「まあ、恐らくどうせすぐにお前と合流すると私は踏んでいる」

「?」

「現場を見もせずに指示は出せんという話」

「…なるほど では、私は動けぬ委員長の鷹の目とでもなりますかね」

「期待してるよ」

「お任せを」


少し表情が解れた鴇に三郎も小さく笑う

どうせ勘右衛門も此処に残るのだ

人手が足りないかと心配したが、三郎がここで鴇と離れてもそれほどの痛手は起きないだろう

そして鴇の言うとおり、現場の指揮を学園長が鴇にさせると言うのであれば、彼の予想通り自分達はすぐに再会する

で、あれば三郎がすべきは鴇のために、より多くの現地の情報を集めることだ

何処かストンと胸に落ちて、三郎もようやく目の前のことに集中できそうであった

鴇も立ち上がり、これから話を聞きにいく準備をするのだろう

半紙やら筆記具やらを簡単にまとめると予想した三郎は、自分も荷物をまとめることにした

少し気を抜いたそんな時、


「すまんな 最後の数日くらい、お前とゆっくりしたかったんだが」

「……い、え!」


ポンポン、と突然通りすがりに頭を軽く撫でた鴇に三郎は驚いて顔を上げた

そこには困ったように笑ういつも通りの鴇がいた


「気をつけて行け 鉢屋 怪我のないよう、油断のないよう」

「……はい!」


くしゃりと鴇が三郎の前髪を撫でる

そこには自分を案じる優しい目があった

数時間前、鴇が自分のことなんてさして気に留めてないのかと不貞腐れてたのは何だったのか

こうやって、自分が欲しい言葉も、愛情もきちんと表現してくれる鴇に自分は何を不満に思っていたのか

それが何だかとても嬉しくて、三郎はそっと目を細めるのであった





>