- ナノ -


03


パタリと障子を閉めて室外へと出た鴇は、少し遅れて出てきた喜八郎にすまんと謝った

まさか喜八郎が場を正すとは思っていなかった

臨戦態勢に入っていた鴇であったが、後輩が場を取り繕うために動いたことで我に返ったのだ


「…あー…悪かった 反省してる」

「言っておきますけど、鴇先輩のお願いだから聞いたんですからねぇ」

「そう言うけど、お前も先輩らしくなったね」


部屋の中では藤内がしどろもどろながら一生懸命説明している

留三郎だって四年生の作兵衛を可愛がっていた身だ

後輩の懸命な姿を無下にするような人間ではない


「僕はまだ、あの人を委員長と認めていません」

「それでいい、まだ初日だ 留三郎が作法委員長として信用に値する男と思えたら、認めてやってくれ」

「…鴇先輩だったら、今すぐにでも委員長って呼ぶんですけど」

「それは光栄だけど、私は学級委員長委員会委員長だからね」

「ちぇー」


予定より随分時間をかけてしまったと気づき、鴇は見送りに出てきた喜八郎を室内へと送り返した

また来てくださいね、とあの表情の変化に乏しい声でせがんで戻っていった喜八郎は思っていたよりもずっと落ち着いた空気を纏っていた


「…ああやって、大人になってくんだろうね」

「そうですか?私から見れば綾部なんてまだまだ子どもですよ」

「ふふ、お前と1つしか変わらないだろうに」

「私と委員長だって1つしか変わりませんよ」

「おっと、そうだった」

「まあ、でも私は貴方には遠く及ばないと思っていますがね」

「思ってもない謙遜は嫌味になるぞ 鉢屋」

「おや、本音なんですがね」


静かに笑った鴇の横顔に、三郎はほっと息をついた

鴇は喜八郎が委員会のことを思って態度を正したと思っているが、三郎は喜八郎が口にした通り、鴇が相手だから体裁を整えただけだと思っている

綾部喜八郎という忍たまは、自分が認めた相手にしか尽くさない

そこに先輩だの後輩だのはなく、ただ自分が認めたか否か、彼はそういう忍たまだ


(まあ、私も同じようなものだが)


鴇を慕う三郎にとって、それだけが気になるところであり、守れるのであれば他はぶっちゃけどうでもいい

とりあえず厄介なことにならずにすんで良かった

折角鴇は安泰だというのに、巻き込まれて活動停止だなんて洒落にならない

安堵の息を吐きながら、鴇と三郎は最後の目的地、図書室へと辿り着いた

扉の向こうは音がなく静かなものだ

それが逆に不気味でもあるのだが、


「…どう、思います?」

「小平太に図書委員長が務まるわけがない」

「あ、やっぱりそこはそうお思いで」

「あれの自室を見てそう思わない奴は馬鹿だ」


じゃあ七松小平太を図書委員長に任命した学園長は馬鹿だということか、

そんなことを思いながら三郎は恐る恐る図書室の扉を開いた

嫌な予感しかしないと思う反面、どこかもう諦めている鴇を見て三郎も覚悟を決めるしかないのであった













整然と並ぶ書物

見やすく管理された書物の在庫表と貸出カード

塵ひとつ落ちておらず、磨き上げられた床には補修したいと思っていた座布団までもが綺麗に繕われて並んでいる


「すっげー!」


目を輝かせて図書室を見渡すきり丸や九作を傍目に、長次は静かに息を呑んだ

たしか二刻ほど前に自分が訪れた時、此処はゴミ捨て場のように酷い有様であった

積み上げた書物は崩れ、埃が舞い上がり巻物は広がり放題

補修していた蔵書はバラバラになり、貸出票は床に散乱していた

それを仕出かした張本人、新図書委員長に任命された小平太の管理のひどさに閉口し、外へと呼び出したほどである

言い訳次第では多少の制裁も否めないと思っていた長次であったが、小平太は堪えてなくて

あとで直しておくという言葉が信用できず戻ってくれば、一体これはどういうことであろうか


「お?綺麗になってる」


一緒に戻ってきた小平太が室内を覗き込んで首をかしげた

先程まで各委員会が野次馬のように校庭へと集まっていたのだ

当然小平太も図書委員会も此処を片付けていない

それならば誰が、


「…何だ?」


少しの物音と、図書室の奥 蔵書置き場からゾロゾロと誰かがでてきた

倉庫から出てきたその集団は、ピカピカの図書室とは正反対に埃に塗れている

ゲホゲホと口布越しに咳き込む小さな忍たまの頭を撫でながら光のあたる場所にでてきたその集団をよく見ようと長次は目を細めた

小平太はもうそれが誰かわかっているようで、ダラダラと汗を流して視線を床に向けて頭を低くしている

その集団が口布や頭巾を一斉に外せば、見慣れた集団、学級委員長委員会のメンバーの面子がそろっていた

各々手に雑巾やらハタキやらを握りしめ、疲れが滲み出ている


「…小平太」


その集団の筆頭にたった人物、鴇からくぐもった声が聞こえ、小平太の背筋がピンと伸びた

そして条件反射のようにその場に正座した小平太に、鴇が近づく


「此処はどこだ」

「…図書、室だ」

「そうだな ありとあらゆる情報が集まる知の宝庫だ」

「…う、うむ」

「管理、できんの?」

「…努力す、」

「できない約束はするな」

「すまん、無理だ!」


清々しいまでの回答に鴇がはぁーっと溜め息をついた

ある意味希望通りの回答をもらえてよかったと言うべきか

どんなに体制が変わろうと、鴇はこれに関しては初めから無理だと踏んでいる

人には生まれ持っての向き・不向きがあり、整理整頓なんてのは習慣化しているかどうかの二択しかない

まあ、それなりの努力と周囲の協力があればできなくはないのだが、あと1年の間に何とかものになるかどうかの低い確率を底上げしていく気は鴇にはない

小平太の整頓能力の向上なんて、この6年間何度も試みた

そして失敗に終わったのだから

だから此処に来た時、戦場のように荒れ果てた図書室はある意味想定内であったし、覚悟もしていた

ただただ長次に申し訳がたたない

あれだけ蔵書の手入れと図書室の管理に気を配ってくれていた長次の領域を、こうも無残な姿にしてしまったことだけが悔やまれる

学園長を止められなかった自分にも責任の一端はあり、これは学園の危機だ

だから現状復帰とお詫びの意をこめて学級委員長委員会で片付けをしたのだ

埃で顔を汚した庄左ヱ門の頬を手拭いで拭いながら鴇は思案する


(…学園長先生に、直談判してこよう)


先程の留三郎の時には変更がきかないと言ったが、開始早々の初日からあの壊滅状態にまで陥った経緯を伝えれば考え直してもらえるかもしれない

学級委員長委員会委員長である鴇には申し入れをできる権限もある

学園の崩壊を、学園長だって望んではいまい

眉間に皺を寄せて唸る鴇の肩を、長次がそっと叩く


「……鴇」

「長次 本当にごめん、ちょっと学園長先生と話をしてみるよ なんとか、」

「…各委員長は、もとの委員会に戻ることに、なった」

「は?」

「…先程、決まった」


鴇が申し訳なさそうに長次に謝るのを、気にしなくてよいと言わんばかりに長次が止める

告げられた内容に驚いたものの、どうも自分達が図書室の片付けをしている際に何かが起こったらしい

学園長は一度口にしたことを気まぐれで撤回したりはしないから、きっと「それなり」の何かがあったのだろう

長次と小平太以外は何故か煤けた状態であることから推測すると、あまりいいことではなさそうだが


「それは、よかった なら、引き続き図書室の管理、お願いするよ」

「…わかった 現状復帰、助かった ありがとう」


ゆるゆると髪を撫でられれば、疲労がたまっていた鴇の表情にも余裕が生まれる

鴇は長次が好きなのだからなおさらで、少しにやけてしまった表情を自覚していれば、面白くなさそうに三郎や勘右衛門が自分を見つめているのに気がついた

担当外であることと、想像以上の重労働を強いられた不満はやはりあるのだろう


「風呂、行くか」

「はーい」

「それで、その後は甘味でも食べにいこう 慰労も兼ねてご馳走するよ」


疲れ果てた彦四郎を抱き上げて鴇が笑えば、やったーと一年生よりも勘右衛門が喜びの声をあげた

庄左ヱ門を同じように抱き上げた三郎に鴇が視線を送れば、静かに笑みを浮かべている


「!鴇、私…」

「私よりも先に、お前が気にすべきことがあるだろ 体育委員長」


飛びつきたいのを我慢しているのか、うずうずしている小平太に鴇が先に釘を打てば、小平太があ、と声をあげて図書室から飛び出していった

他の六年生達は先に自分の元の委員会に戻っているのだろう

小平太も送り返して鴇はやれやれと空を仰いだ

これでしばらくは安泰だ

仕事と心配事が一気に解決したなと鴇はほうっと息を吐くのであった









「それで?どうじゃった?」

「?何がです?」


一旦、改選は取り消しとなったもののまとめた報告書をもとに学園長に事の結果を報告した鴇は何かを聞きたそうにしている大川平次に問い返した

あれだけの騒動を起こしたと言うのに、学園長はそうか、と気楽なものである


「学級委員長委員会を、抜けれそうかという話じゃよ」

「…その話ですか」


鴇の淹れた茶を飲みながら問うた学園長に、鴇も困ったように笑って湯呑に手を伸ばした

三郎には黙っていたが、学園長から鴇には宿題がでていた

それが上記の問いである


「私はあまり自分を過大評価したくないのですが」

「ふむ」

「少なくとも、この一年は抜けれそうにないですね」

「やはりお主が抜けると維持は難しいか」


どうしたものか、と呟いた大川に鴇は静かに笑った


「そうじゃないんですよ 先生」

「ん?」

「組織なんてのは、誰かが抜けても何とかなるものです もとに戻すのにそれなりの時間と苦労が伴いますが」

「ほう」

「思っていたより、ずっと懐いてくれてます」

「?何の話じゃ」

「学級委員長委員会のメンバーの話ですよ」


鉢屋の反応は、想定していた範囲であった

あれは親離れできない雛のようだ

そして、自分もなかなかこれから他所で心機一転といかなかっただろう

ただ、いい機会ではあったのだ

一年後に向けての予行演習くらいの気持ちでいればいい、自分も改めてどうしようかと一瞬で不安がこみあげたのだ

これを鉢屋だけ叱るわけにもいかない

自分もまだ覚悟できていないのだから

ただ一方でそれを尾浜がフォローできる確信が鴇には得られた

それだけでも十分だ

そして、


「…黒木も、今福も 私を必要としてくれていた 不謹慎ですが、それがどうしようもなく嬉しくて」

「お前は、意外と小心者だの 鴇」

「先生 私なんて、底の知れる一人の忍たまですよ」


数か月、黒木と今福が所属した期間はそんな僅かだというのに離れたくないと涙まで浮かべてくれたのは純粋に嬉しかったのだ

そして、それは学級委員長委員会に愛着をもってくれたことと同義だと思っている

一年生にやらせるには中々難しいものを多く与えているし、他の委員会よりは遊びが少ないのは自覚している

それでも、定着し、想いをもってくれればそれはきっといい方向に繋がるのだ

想いがあれば、堪えられる

それがどれだけ苦しいことがあっても、確かな支えになるのは経験済みだ

それが確認できただけでも有難い騒動ではあったのだ

ただ、


「先生、どうかご慈悲を 私のいなくなった後、あの子達にあまり無理を言ってくださらないで」

「わしは、大分無茶を言っているかの 鴇」

「まあ、私がこうやって悩みの種に加えるくらいには、いろいろと」

「お前は、何でもこなしたからの つい期待が高まっていかん」

「あの子達は私よりもずっと優秀ですよ ただ、あまり苦労を無理に背負わせたくないものです」


軽口で会話をしているが、鴇の目はじっと大川平次を見据えていた

学園長は理解している

鴇の願いを

この数年、鴇はどんな無茶な要望にも応えた

鴇は問わない

何故そこまで無茶を自分が鴇にさせるのかを

ただ鴇は怒っている

自身のことではなく、鉢屋三郎をその境遇に放り込んだことを

鴇は卒業する前に問うだろう

何故この体制だったのかを

何故こんな無茶をさせたのかを

今日のこの進言は、その第一歩なのかもしれない

鴇は確約を得たいのだ

可愛い後輩達が、血を血で洗うような道を歩まぬように


「鴇よ」

「はい」

「大きく、なったなぁ」

「何ですか それは」


今は答える気がないことをこの数秒で悟ったのだろう鴇が、小さく溜め息をついて呆れたようにぼやく

鴇だってもう何年も堪えてきたのだ

性急な回答を得たいわけではないだろうからこんなのも慣れっこだろう


「お茶、おかわりどうですか?」

「もらうとするかの ああ、そこに豆大福がある 後で持って帰りなさい」

「ありがとうございます」


すらりと伸びた手足と大人びた横顔

茶を注ぐために急須に添えられた所作の美しさは彼が少年から青年へと育った証であった

たくさんのものを得て、たくさんのものを失ったこの青年は、これからどう生きていくのだろう

この穏やかな時間もあまり多くは残されていないことを大川も理解していた

ただ、今はまだ


「鴇 そういえば頼みたいことがあるんだが」

「…先ほどの話、聞いてました?」


ただ、今はまだ大川自身も彼を手放したあとのことを考える気にはなれないのである

眉を顰めながらも、姿勢を正した鴇に、ニカリと学園長も笑うのであった




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