- ナノ -


02


(さて、)


いつまでも此処にいるわけにもいかないので、身支度を整えて鴇は体育委員会へと赴いた

数歩歩いただけでも違和感がある

小平太の身体は思っていたよりも軽く、力も有り余っている

これなら常に動き回りたがるのもわかるなと思いつつ、ガラリと体育委員会の部屋の戸を開けた


体育委員会の部屋は学級委員長委員会とはまた大分違った雰囲気である

書物よりは用具や備品の方が多く、少し土の匂いが強い

幸いまだ誰も来ていなかったらしく、部屋には小平太の姿をした鴇1人

何をするかな、と思っていたところに目に飛び込んできたあるもの

鴇は引き寄せられるようにそれを手にとった





(今日のメニューは裏裏裏山での走り込みと塹壕堀を10往復、ああ、寒中水泳もするとおっしゃってたっけ)


先日体育委員会委員長である小平太から言われていた特訓の内容を思いだして、滝夜叉丸はゲンナリしていた

前半はいいとして、寒中水泳はいただけない

今日はまだ気温も低い いくら春だからといって自殺行為だ


(かといって、1度やると言ったことを撤回する人ではないし、)


むしろ寒いから寒中水泳だろう、ときょとりと首を傾げられそうだ

はあ、と溜め息をついて廊下をとぼとぼと歩く


(体力ばかり養って、このままでは脳みそまで筋肉になってしまう)


それは自分だけではなく、後輩も想って愚痴であった

平滝夜叉丸は、周囲の忍たまが思っているよりも律儀な性格であった

小平太の思いつきのようなトレーニングに音もあげずに付き合い、どんどん先に進む小平太の後ろでへばる四郎兵衛や金吾達の様子も気遣う

自分で言うのも何だが、結構な苦労人だと思っている


(あ、帳簿整理もしなくてはいけない……)

「平、入室の際は一声かけろ」

「は、はいっ!!すみません、嘉神先輩っ!!」


ガラリと委員会の部屋の戸を開けた途端に飛んできた言葉に思わず背筋が伸びて90度に頭をさげた


(ん?嘉神先輩?)


自分で言ったが、彼の人が此処にいるわけがない

そう思って顔をあげれば、やはり七松先輩しか居られない


(いや、しかし 平と呼ばれたような…)

「た、滝夜叉丸 遅かったな!」


はて、と滝夜叉丸が首を傾げる一方で、ゴホンゴホンと珍しく咳きをして小平太がニコリと笑う

今、嘉神先輩居られましたかね、と尋ねようとする前に入り口からゾロゾロと人が入ってきた


「ちわーっす」

「こんにちはー」

「失礼します」

「よし、全員揃ったな 委員会を始めるぞ」


何やら書かれていた書類を横によけて、小平太が委員会の開始を告げた

早速走り込みか、と腰をあげかけた滝夜叉丸に小平太が声をかける


「滝夜叉丸、今日の議題は」

「へ、ぎ、議題ですか?」

「あー、じゃなかった 今日の活動内容は?」

「裏裏裏裏山への走り込みと塹壕堀を10往復、それから寒中水泳です」

「は?」

「え?」


何か言い間違ったか、それとも足りていなかったか、そんな心配をしていたが、七松先輩はもっと違うところで戸惑っているらしい

ちょっと待て、と日誌をバラバラと捲る


「……あの馬鹿、後輩を殺す気か」

「あ、の?七松先輩?」


ぎゅっと太い眉根を寄せて呟かれた言葉が聞き取れず、どうしたのかと尋ねれば、はっと何かに気付いたように小平太が顔をあげる

少しだけ宙にさ迷っていた視線が、滝夜叉丸に定まって小平太が口を開いた


「滝夜叉丸、お前メニュー、組んでみるか?」

「へ?」

「今日の鍛錬、何が妥当だと思う?」


何の冗談か、あの小平太が自分の決めたメニューを決行せず、しかも自分の意見を取り入れようとしているだなんて

しかし、自分を見る小平太の目は落ち着いており、ちょっとやそっとのことでは却下されなさそうだ


「……………え、っとですね」

「おう、言ってみろ」


滝夜叉丸は恐る恐る希望を述べてみることにした


「走り込みは、いつものことなのでやりましょう 欠かすと欠かした分、次が辛くなりますから」

「そうだな、肺機能と筋力への負荷は継続してかけた方がいい」

「塹壕堀も腕力と背筋を鍛えるのにはいいです」

「うん、それでいい あれは全身の筋肉を使うからな 姿勢さえ間違わなければいい鍛錬になる」

「ただ、…あの、」

「?どうした?」

「寒中水泳は、まだ厳しいのではないかと…」

「今年に入って、寒中水泳をやった覚えは?」

「え、いえ、今日が今年初回です」


それを聞いて小平太が何やら安心したように大きく息を吐いた

それに首を傾げれば、我に戻ったかのように小平太も相槌をうつ


「寒中水泳もう少し、先に延ばそう みな…金吾にはまだ厳しいだろうし、四郎兵衛は風邪気味だろう?」

「!そうなのか?四郎兵衛」

「!い、え 大丈夫です」

「大丈夫とかそういう問題じゃない 悪化させたら後々大変なことになるから言っているんだよ」

「う…………」

「どうして四郎兵衛が風邪をひいていると?」

「声の端々に掠れがある」


ちょっとおいでと手招きされた四郎兵衛が小平太に近寄れば、両手を喉にあてて小平太が触診する

口を開けた四郎兵衛に、ああ、やはり腫れてるなと呟いて、あとで生姜湯を作ってやるから飲むようにと四郎兵衛の髪を撫でて言った七松先輩に部屋の中が静まりかえる

その空気に気付いたのか、慌てて四郎兵衛の頭から手を離した七松先輩に、少し頬を赤らめた金吾が呟く


「なんか、今日の七松先輩 嘉神先輩みたいですね」

「……つーか、鴇先輩じゃねーの?」


ぽわん、と呟いた金吾に対し、流石3年生にもなると警戒心がついたのか三之助がズバリと皆が思ったことを口にする

ピタリと動きを止めた小平太に三之助が近寄って、ひょいと顔を覗き込む


「変装っすか?」

「な、何を言っている この顔は剥がれんし、私が七松小平太以外の何者に見える!」

「だって、七松先輩 触診とかしねぇもん 体力つけたら治るとか言うし」

「う………」


小平太がたじろぎ、滝夜叉丸に視線を送ると、滝夜叉丸もどういうことですか真っ直ぐな視線を向けており、誤魔化せそうにない

いや、でもここはもう少しでも引き延ばさなければ、

無意味だとわかっていながらも、粘ってみるかと声を振り絞る


「た、滝夜叉丸 私は」

「嘉神先輩、駄目ですよ」


滝夜叉丸が苦笑して鴇の手元を指さす

何だと視線を下に向ければ、鴇も気づいた

これは駄目だ


「七松先輩はそんな事務仕事、見向きもしませんからね」


ぴたりと手を止めてみれば、先ほどから気になっていたもの

小平太が溜め込んでいたらしい体育委員会の帳簿が仕上がろうとしていた

これが職業病というやつだ


「…そもそも、衝動的に動く小平太を、どうやって真似ろというんだよ」


もう誤魔化すのは無理だと思って、鴇は渇いた笑みを浮かべるのであった


















一方、鴇の姿の小平太も、学級委員長委員会にて鴇の真似事をしていた

体育委員会とは違い、この委員会は蔵書と書類に埋もれている

小難しい話を司会の鉢屋三郎が進めていき、各々が書類に取り掛かる

座る形だけはなんとか保っているものの、この空気は正直耐え難い

そんなモゾモゾとしている鴇の姿の小平太が苦しんでいるのと同様に、此処にも悩んでいる男が1人いた


(………何だろうか、この違和感は)


鉢屋三郎は先ほどから感じる酷い違和感をどう捉えるべきか悩んでいた


(違和感、というレベルの話ではない)


嘉神鴇という忍たまを、入学してから毎日のように見てきた鉢屋にとって、今日の鴇の様子がおかしいことは火を見るより明らかであった

先ほどより書類に目を通してはいるものの、処理が全く進んでいない委員長は体調でも悪いのだろうか

いや、それだけではない、何というのだろう

そう


(全体的に、雑、だ)


雑というのか、豪快というのか

例えば普段の鴇であれば、書類に取り組む間は必ず正座をしている

真っ直ぐに伸びた姿勢からさらさらと流れるように筆が走る姿が三郎はとても好きなのだ

足を崩すことも滅多にないし、実技でもないのに胡座をかいて悩むようなこともない

茶の飲み方、筆の走らせ方、紙の捲り方、どれをとっても美しい所作であったはずの鴇が妙に男らしいというか豪快な仕草を繰り返している


(なんか、嫌だ)


勘右衛門に相談しようとも、今日は勘右衛門と彦四郎は委員長に頼まれていたお使いのため休んでいる

残るは自分と庄左ヱ門だけなのだが


「鴇先輩、どこか具合でもお悪いんですか?」


どうやら庄左ヱ門も委員長の様子がおかしいことには気付いているようだ

心配そうに首を傾げた庄左ヱ門に声をかけられた委員長がビクリと反応する


「い、いや 私は元気だぞ!!」

「でも、なんだかソワソワされているようですが」

「大丈夫だと言っている!」


そう言って腕をグルグル回すところだとか、ピョンピョン跳ねている時点で私の知っている委員長とはほど遠い姿だ

明らかにおかしいのに大丈夫だと凄まれて、どうしたものかと此方をちらりと見た庄左ヱ門に三郎は任せろとコクリと頷いた


「委員長、失礼します」


何だと問い返される前に深く頭を下げて、素早く委員長の顔に手を伸ばす

例え声も体格も私達の知っている嘉神鴇そのものであったとしても、変装であればどこかに正体を隠す何かがあるはずだ

一番わかりやすいのは顔の面、こればかりは何かで覆うしかないのだと変装名人である自分が言うのだ、間違いない

確認したい衝動のままに三郎は顔の面を剥がしにかかった

どこのどいつだ、人のところの委員長の名と顔を語る不届き物は


「…っ!!鴇に触るな!!」

「は?」


三郎は本気で面を剥がそうとしていた

そんじょそこらの人間では回避できないほどの速度で挑んだつもりであったが、首と顔の境目に指先が触れた瞬間に強い力でビッ、と指を弾かれた

そこにあるべき面の淵はない、何故だと戸惑うより先に一瞬で身を引いた相手が妙な言葉を叫んだ


(いや、私はこの台詞を言う人を知っている)


この威嚇するような目つきと、反射速度

委員長に触れようとする度に、この殺気立った視線と気配がいつも自分に向けられた

ビクリと震えた庄左ヱ門を後ろに隠して、三郎が鴇を見つめる

目の前のこの人は、姿形は嘉神鴇その人だ

ただ、中身はまるで、













「邪魔するぞ」


ガラリと障子が開き、そこに立っていたのは今思い浮かべた人物

七松小平太であった

彼はゆっくりと私と委員長を見て、何事かを悟ったらしい

少し眉根を寄せて、困ったように笑った

私の良く知る、あの人のように

そして、


「はは、やはりお前も全然駄目だな 小平太」


そう言って、すまなかったねと庄左ェ門を抱き上げたのであった











「鴇、すまん やっぱり難しい無理だ」

「私もあっという間にバレたよ ま、こうなるよな」


ワハハと豪快に笑う委員長と、腕を組んで小さく溜め息をつく七松先輩

傍から見た目ではいつもと真逆な光景で違和感を覚えるが、纏う空気はそう、まるで


「委員、長?」

「すまん 鉢屋、黒木 迷惑をかけたな」

「む、鴇 私は迷惑をかけたつもりはないぞ」

「1つも委員会活動は進んでないだろう 迷惑意外の何物でもあるまいさ」


少し気分を害したような委員長の表情に、宥めるように七松先輩が彼の髪を優しく撫でる

なんだろう、複雑な気分だ


「な、七松先輩なのですか?」

「お!滝夜叉丸、お前達、今日の鍛錬は終わったか?」

「思いだした 小平太、この時期の寒中水泳はやめろ」

「?何で?」

「まだ湖には雪解け水も流れ込んでる 死ぬぞ」

「私大丈夫だ」

「お前の心配じゃない、皆本や時友の心配をしてるんだ」


ぶー、と口を尖らす委員長に、私の顔でそういうことをするなと七松先輩が言う

状況がわからず、段々説明するのもややこしくなってきたので


「「とりあえず、説明お願いします」」


三郎と滝夜叉丸がその言葉を口にしたのはほぼ同タイミングであった










「…とまあ、こんな次第」

「…本当にろくなことをしませんね 善法寺先輩は」

「もとに、もとには戻れるんでしょうね!」


事情を伝えてみれば、遠い目をする滝夜叉丸と、顔を青くした三郎と感想は様々であった

特に三郎の狼狽ぶりは酷かった

変装ではなく、中身が入れ替わっているという事態に三郎は想像以上にショックを受けたようだ

掴みかかる勢いで聞いてきた三郎に、鴇も困った様子である


「まあ、戻れないと困るなぁ」

「何を悠長な!」

「鉢屋、鴇に怒鳴るな」

「委員長の姿でゴロゴロするの、やめてくださいませんかね!」


三郎としては死活問題なのである

自分が慕ってきた鴇のなかに、自分が毛嫌いしてきた小平太が入っている

しかも彼は自由だが何だか知らないが鴇の恰好で好き放題振舞っている

鴇の尊厳だとか、三郎のなかの崇高な鴇の姿を片っ端から崩してくれてるものだから、たちが悪い

本来であれば力づくにでも正すのだが、如何せん恰好は鴇である

手を挙げるなんて恐れ多いことを三郎にできるわけはなかった

半ばヒステリックになってきた三郎をどうどう、と抑え、小平太の姿で鴇が苦言する


「小平太、後輩の前だ ちゃんと座れ」

「んー、鴇は堅いなぁ」


ダランと寝そべって鴇に手を伸ばす小平太に三郎の拳がワナワナと震える

それに気づいた庄左ェ門が気の毒そうに背をさすった


「鉢屋先輩、落ち着いてください」

「だって、庄ちゃん 私のなかの委員長が崩れていく…」

「でも七松先輩の姿をした鴇先輩に慰められるのも嫌なんでしょう?」

「複雑なのっ!身体が受け付けないのっ!」


半泣き状態の三郎に、どうしたものかと庄左ェ門が鴇を振り返った

だが、どうこうできる範囲を超えている

鴇も肩を竦めて笑うしかなかった

収集がつかなくなってきた室内にどうしたものかと思っていれば、ガラリと戸が開いて立花仙蔵が顔を覗かせた


「お、此方にいたか 鴇、小平太」

「おー 仙蔵、簡単にバレた」

「だろうな お前達に演技が出来るとは思えん」

「…お前、自分でやれと言っておいて…」


いろいろと想像できたのかくつくつと笑う仙蔵に鴇が溜め息をつく

結局、一番楽しんでいるのは仙蔵のようである

ただ、仙蔵は一応伊作の監視役をしてくれているらしい


「そういえば、戻る薬だが」

「!できたか!」


思い出したように状況を口にした仙蔵に室内がシンと静まり、鴇も前のめりになる

鴇だって先ほどから無抵抗のように見えるが、現状を打開したいことに変わりはないのだ

勢いに若干身を引いた仙蔵が言いづらそうに口を開く


「いや、完成の目星だけ伝えにきた もう少しかかるらしい」

「…で、いつだ」

「明日の朝だな」

「寝ずにやらせてか?」

「もちろん」

「………仕方ない、わかった」

「まあ、待つしかないな」

「そんな……」


大きく溜め息をついた鴇と、すっぱりと諦めた小平太

そして残されたのは膝から崩れ落ちた三郎の嗚咽であった




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