- ナノ -


02


「わかってるようで何より ほら、飲め」

「…苦いんでしょ、ソレ」

「子どもみたいなこと言うなよ」

「まだ成人してません 立派な子どもです」

「屁理屈ばかりこねるなら、無理やり流し込むぞ」

「…飲みます」


チビリと薬湯を飲み、顔全体を歪ませた三郎に鴇は知らぬ顔を決め込んだ

普段こういったことには一言も文句を言わないくせに、三郎はこうやって体調が悪い時に我儘みたいなものを繰り返す

それが単に甘えたいだけだというのはもうわかりきっていて、鴇も本気で取り合うつもりはなかった


「苦い」

「それはさっき言った」

「熱い」

「冷ましたら一層苦くなるぞ」

「………………」

「ほら、一気に飲んでしまえ」


むう、と唸った三郎にヒラヒラと手を振って、鴇は取り合わなかった

三郎も飲まないことには先に進まないというのはわかっているため、ぎゅっと眉を顰めて薬湯を飲み干す

まあ、三郎の甘えたは百歩譲ってこれ自体かなり苦いというのは調合した鴇自身がよく知っている

一気に飲んだ三郎がその余韻に苦しむのはわかっているため、薬棚をごそりと探す


「苦い 不味い 酷い」

「酷くはないだろう」

「委員長が、優しくしてくださらない」

「何て言い分だ」


グズグズと呟きだした三郎をみれば、少し焦点が定まっていない

握りしめた湯呑をやんわりと回収し、額に手をあてれば、熱が先ほどよりもあがっている

床に入り、薬を飲ませたため身体がようやっと体調不良の状態に切り替わったのだろう

鴇が脈をとったり喉が腫れてないか触診をしても、されるがままである


「…少し寝るといい 薬が効いてきたら楽になる」

「口のなか、こんなに苦い状態で?」

「わかったわかった」


恨めしそうに自分を見る三郎に笑って、鴇が懐紙のなかからソレをひとつ摘まみ上げた

布団のなかからぼんやりと自分を見る三郎に、食べるかと問えばこくりと頷いた

少しざらついたソレを、三郎の口元に持っていけば雛鳥のように口を開く

カリ、と表面が小さく割れる音がして、そして三郎の表情が少し和らぐ


「あま、い」

「好きだったろ ソレ」


琥珀糖と言ったか、干菓子だが氷のような見た目のそれは優しい甘さをもつ菓子である

餡子のようなしっかりとした甘さを好む勘右衛門とはまた違い、三郎は少量で自然な甘さの甘味を好む

これを初めて鴇が食べた時、三郎が好きだろうと思い食べさせれば、三郎はいたく気に入って

それ以来、鴇は少量だが常備するようにしていた

コンコン、と胸に響くような咳をし始めた三郎に鴇は我に返った


「灯りを落とそうか」

「………いやです」


肩まで布団をかけて、消灯を促そうとした鴇に三郎ははっきりと呟いた

その答えは鴇も予想していて、小さく笑った


「相変わらずだな」

「委員長を、独占できるというのに 何だって見えなくしないといけないのです」

「普段から嫌というほど見てるだろうに それに、寝たら楽になる」

「………どうせ、少しすれば寝てしまう それまでは、好きにさせてくれたっていいではないですか」

「開きなおりだしたよ なんて奴だ」

「………………」


鴇の皮肉を無視して、何やら枕やら布団をひっぱって、ゴソゴソと少しずつ身じろぐ三郎がチラチラと鴇の様子を伺う

それを面白そうに見下ろしていれば、鴇がのってきてくれないことに三郎が眉を顰めた


「どうした 鉢屋」

「…………意地が悪いですね」

「おねだりは?」

「……………」


恨めしそうに自分を見上げる三郎の視線に耐えきれず、鴇がクスクスと笑えば、三郎がまた深く眉間に皺を刻んだ

それでも、諦めがつかないのだろう 目だけで訴えてくるそれに鴇が降参の意を込めて両手をあげる


「悪かった悪かった いいよ、ほら来い」

「……………」


来いと言いつつ、向かうのは鴇の方であった

三郎の枕元まで移動して、胡坐をかいた膝をポンと叩けば黙って三郎がその間に頭を乗せた

流石に膝枕とは違い、楽ではないから枕こそ挟むが、しっくりとくる角度を少し探して三郎が満足そうに息を吐いた


「いつも言うけど、よくこれで眠れるな」

「……いいんですー…」

「まあ、今更か」


頬杖をつきながら、自分の懐に近いところで眠ろうとする三郎の頭をゆるゆると撫でれば、安心したように三郎が目を瞑る

すんなりと目を瞑ったところを見ると、やはり体調はよくないのだろう

この後輩は、いつもそうだ

至近距離で人と接するのを誰よりも警戒するくせに、時折こうやって鼓動が聞こえるくらいにまで近寄る

そこに絶対の信頼があることを鴇は理解している

三郎がこんなことをしてくるのは自分に対してだけだということも含めて、でだ

だから、

「いいんちょう、」

「んー?」

「なにか、話をしてください」

「無茶ぶりばっかだなぁ」


微睡む三郎が、何か意味のある会話を求めているわけではないことは知っている

ただ、声を聴いていたいだけなのだろう

相手が自分を見守ってくれているという確かなソレは、どうしようもなく安心することを鴇だって知っている








パチパチと、炭が小さく爆ぜる音と

隙間風でカタカタと揺れる障子の音


「明日は、雪が積もるかもしれないな」


緩やかに頭部を撫でるその指先の熱と

トクトクと乱れぬ鼓動が耳元で確かに聞こえる


「灯りのない夜に、雪だけがただただ鮮明に見えている」


冬の深い夜に、そっと声が降って

高くもなく、低くもないソレはとても心地の良い音だった


「こういう夜が、好きだよ」


目を瞑っていても、鴇が静かに笑ったことが伝わった

声をあげて笑う彼も好きだが、こんな融けるように微笑む彼が好きだった


「周りの音が吸い込まれて、ゆっくりと時が流れて」


三郎の手の甲に、鴇がそっと手を重ねた

ゆっくりと掌を返し、ゆるゆると指先を動かせば鴇の指先が無作為に絡む

鴇の親指の腹が、三郎の親指の付け根をそろそろと撫でる

力も何も入ってないそれが心地いい

親にだって、こんなに優しく触れてもらったことがない

泣きたくなるくらいの安堵感が、鴇の隣には確かにある


「鉢屋、」


こうやって眠りに落ちる時、いつも思う

もう何度も過ごしてきた夜、馬鹿の一つ覚えのようにまた思う

このどうしようもなく愛しいこの人が、自分の名を呼んでくれるこの瞬間が


「鉢屋、」


まるで壊れ物でも扱うように、慈しむように自分の名をそっと落としてくれるこの瞬間が

ただただ大切だった

誰かの理解は求めていない

誰かに自慢をしたいとも思っていない

これは自分だけが知る時間で、これは自分だけが大切に抱えていたい時間で

この夜が、明けなければいいと、


「よい夢を、鉢屋」

(私は何度望むのだろう)








すうすうと、寝息を立て始めた三郎の横顔を見下ろして鴇は小さく息を吐いた

今夜は冷え込むだろう

火鉢に炭を追加して、火を絶やさないようにせねばならない


(熱冷ましも、多めに煎じておいた方がいいかな)


薬湯は飲ませたものの、いつもの三郎の熱の出し方から考えると朝方にかけて熱があがりやすい傾向がある

汗をかいたときの着替えも準備するか、といくつかやることが思い浮かんだが、いまひとつ気が乗らなかった


「………………」


気が乗らない、というのは語弊があった

何となく、離れがたかったというのが正しいのかもしれない

鴇の膝に擦り寄るように眠る三郎の髪を、再度鴇はゆっくりと撫でた

何度、こうやって夜を過ごしただろうか

三郎が同級生と喧嘩をしてきた一年の夜、

毒の耐性をつける訓練で見ているこちらの方が気を病みそうだった二年の夜

初めて人を手にかけた三年の夜

委員会の任務で大怪我をして帰ってきた四年の夜

その節目節目に立ち会ってきた

その都度、こうやってただ静かに寄り添って

三郎が深く眠れるようにと祈ったものである


あと何度、こうやって夜を共にできるだろう

あと何度、こうやって彼に降りかかる痛みに寄り添ってやることができるだろう


(鉢屋、)


恐らく、自分は今酷い顔をしているだろう

声をだしたら、いろんなものが零れてしまいそうだった

眠る三郎の目を覆うように掌をそっと翳して鴇はゆっくりと背を丸めた

この腕のなかで、無防備な寝息をたてる後輩が愛おしかった

下手な嘘と不器用な言動は、ささやかな彼の抵抗であった


(ごめん、)

(ごめんな)


声にならぬ声でひた謝る

勝手なのは自分だった

未来につながる約束は一切しないようにしていた

それが鉢屋のためだと私は信じていた

そしてそれが、自分を言い聞かせるための言い訳だというのも嫌になるくらいわかっていた

互いにもう数えるほどしかないであろうこの静かな夜を、少なくとも自分は手放す踏ん切りがついていないのは明白であった

この箱庭の学園から巣立って、初めて迎える来年の冬の夜を私は越えることができるだろうか

今のように、心地の良い熱もなく

耳に届くこれらの音全てがなくて、朝を迎えることができるのだろうか


(お前は一年、ちゃんと練習してから出ておいで)


私はもう手遅れだ

今日、お前が私を想って離別してくれようとしたソレを気付かぬふりしてお前の手を無理やり引いた

言動の端々から読み取ることが容易にできたのに、それに無理やり蓋をして

一歩踏みだろうと決意した三郎の想いを無造作に掻き乱した


(私が一番、どうしようもない)


ぱたぱたと、鴇の手の甲に数滴、何かが零れた

それに目を見開いて、鴇は静かに身体を起こした

数秒間だけ、鴇は目を瞑った

その数秒間で、鴇は自分の弱さを思い知った

ほんの数分、この長い夜のなかでは本当に短いその時間で鴇は春までの課題を再認識させられて

その後、鴇は静かに溜め息をつくのであった





=============================================

(お前が好きだと言ってくれたこの声で、お前を突き放すなんてできるわけもなくて)

(貴方が好きだと言った私が、貴方の手を振りほどくなんてできるわけもなくて)
 

あと何度、こんな夜を自分達は繰り返すのだろうかと目をとじた2人が同じことを思っているというのは

果たして気付いていただろうか




>