- ナノ -


03


ふっ、と意識が浮上する

まだ外が薄暗いところを見ると、夜明け前であろう

身体が酷くだるい、ぼんやりとそう思いながら鴇は身体を起こそうと動いた


「いっ……!」


初めに襲ったのは全身の痛みであった

そしてその痛みを口にだそうとした時に、喉を痛めていることに気付いた

起こそうとした身体を諦め、また布団に戻った鴇は天井を見上げて悩んでいた


(…っ、…?)


昨晩の記憶が曖昧だ

ガンガンと、悪酔いした時のように頭痛もある

よくわからないがまだ夜明けではないのだ、もう1度寝てしまうかと鴇は目を瞑った

そして、


「……………!!」


唐突に思い出した

ガバリと反射的に上半身を起こせば、再び腰の痛みが鴇を襲う

しかし、今回はそれよりも記憶が戻った衝撃の方が勝った


(なんて、)


どこまで覚えているかと言われれば、あまり自信はないが仙蔵に相手をしてもらったところまでは覚えている

あのクラクラとのぼせるような身体の熱と、止まらない情欲をそのまま仙蔵にぶつけた

聞いたこともないような自分の声が、どこか遠くで聞こえて

押さえつけるように仙蔵が熱を逃がし続けた

別に仙蔵とこうしたことをするのは初めてではない

こちらが変なものをもらった時、そして仙蔵もまた同様な事態に陥った時、自分達はこうして熱を交わす

そこには愛だの恋だのと言ったややこしい感情はなく、ただ機械的な所作のひとつである

そう割り切れる関係というのが前提だから、あまり抵抗がないといえばないのだが


(それにしたって、)


思わず鴇は顔を覆った

この1、2年の間で一番酷いありさまだった自負がある

吐いても吐いても込み上げる欲に抗うことを諦め、ただただ快楽を貪った


(いくら、仙蔵が自分の状態を承知した上での行為だからといって、限度がある)


そして、はっと我に返った


「せ、」

「ほう、ようやっと私を思い出したか」


隣に敷かれた布団からあがった声に鴇が慌てて振り返れば、また身体が酷く傷んで鴇は唸った

くつくつと小さく笑う仙蔵は鴇が起きてからの動きをずっと見ていたようだ

頬杖をつくその姿には余裕がみられた

それに少しほっとして、鴇はずるずると布団に再び倒れこんだ


「…声、かけろよ…」

「しばらく黙ってみてる方が面白そうだったのでな」


腰、いかれてるだろうから寝てろと言う仙蔵の言葉に鴇は大人しく従った

身体もまだ酷くだるく、抗うのには無理があった


「身体はどうだ」

「……おかげさまで、大分抜けた」

「ほう?」

「悪かった 後は静かに自室で寝て…」

「馬鹿言え、お前の意識がふっとんでから3時間くらいしか立ってない」

「……嘘だろ」


では何か、この身体の怠さはまだ薬が抜けきってないことからきているのか

げんなりとした鴇が深いため息をつけば、仙蔵が身を起こしてガサガサと枕元を探った

どうやら仙蔵は寝ずに自分が起きるのを待っていてくれたようだ

感謝しかないのははっきりしていた


「とりあえず、解毒剤を処方した 飲めるか」

「……飲む  …本当にすまん、仙蔵」

「大した話ではない 忘れろ」


本当になんてことはないように振舞う仙蔵に感謝をしつつ、鴇は重い身体を起こした

渡された白湯と薬包を大人しく受け取り、さっさと薬を口へと放り込む

どれくらい身体に残っているかはわからないが、飲むにこしたことはない

こくりと薬を飲み干して、ようやく慣れた部屋の暗さに目を凝らす

着てきた忍び服ではなく、真っ白な寝着に代わってはいるわ、あれだけぐちゃぐちゃにしたはずの布団も綺麗にやり替えられている

それもこれも全て仙蔵のおかげだろう、それがはっきりとわかるだけに申し訳がなかった


「せ、」

「とりあえず言っておくが、気にするな」

「……そっちは、身体大丈夫か?」

「まあ、問題ない」

「…………絶対大丈夫じゃないだろ」

「野暮だし、墓穴を掘りにくるな 鴇」


ふわぁ、っと小さく欠伸をして仙蔵が何でもなかったように呟く

仙蔵は気にするなと言うが、これだけ自分の身体にダメージが残っているのだ、欲の向け先になった仙蔵もそれなりの負荷があったと思う

眉間に皺のよった鴇の視線に気付いたのだろう、仙蔵がやれやれと言わんばかりに溜め息をついた


「お前の相手ついでに、私もそれなりに発散した それでいいだろう」

「…そうはいっても、だ」

「足りないならまだ付き合うが」

「いらん これくらいなら何とでもなる」


ケホリと咳をして、鴇が大丈夫だと小さく溜め息をついた

ガンガンと、頭の芯の付近に鈍く響く痛みに鴇はまた眉を潜めた

仙蔵の言うとおり、薬の効力は薄れているものの悪酔いした感じが抜けない

薬物に弱い自分の指標としてもわかりやすい余韻は忌々しさしか感じない

手持ち無沙汰に薬包されていた紙を指先で弄る


そして、再度溜め息をついた


「寝てしまえ 鴇 今は何をしても、苛立ちか怒りしか感じんだろうよ」

「……来てたか」

「?伊作か?いや、こ」

「違う 鉢屋」

「いや?どうした 何か」

「仙蔵」


じっと自分を見つめて問う鴇に、仙蔵は少し息をのんだ

鴇は何とも言えない表情をしていた

眉間に深い皺を寄せて、自己嫌悪に陥ったような

それで鴇が何を察したかを理解して、仙蔵はお手上げだと両手をあげた


「嘘をつくだけ、無駄だな」

「何か、変わった様子はなかっ」

「お前も答えろ 鴇 何故わかった」


余計な会話を打ち切ったことに仙蔵なりに腹が立ったのだろう

鴇の質問も遮って、仙蔵が問うた

その様子にはっとした鴇が、やってしまったと額を押さえた


「…すまん 何て態度とってんだか…」

「いや、構わん で?何故わかった お前の意識が飛んでる時に外に来た お前が気づく要素はないと思うが」

「これ」


先ほど鴇に渡した薬包紙を渡してきた鴇に仙蔵は首を傾げた

何の変哲もない、真っ白い紙だ


「?」

「折り方が、鉢屋特有」


無数に走る折り目をその通りになぞっていけば、なるほど確かにあまり見ない包み方である

寸分のずれもなく、几帳面な癖に個性が際立つ鉢屋らしい折り方であった

それに今度は仙蔵が天を仰いだ

鴇に気を遣わせまいとしてきたのに、肝心なところを押さえていなかったからである


「すまん、ここまで気が回らんかった」

「何の気遣いだ 謝られるような話じゃぁない」

「…鉢屋に知られるのは、嫌だろうと思ってな」

「鉢屋には、全部ばれるよ」


こう折れば確かに少々のことがあっても開かんな、と仙蔵が感心しながら口にすれば、思っていたのとは異なる回答が返ってきた

それに驚いて顔をあげれば、鴇が何ともいえない面持ちで布団を見つめていた


「昔からそうだ こちらが見せたくないと思っていても、鉢屋を躱せたためしがない」

「…何か、言われるのか?」

「別に何も  知らないの?あの子はそういう気遣い、ピカイチだよ」


はは、と笑う鴇はどこか元気がなかった

いや、こんな状態だから元気はもちろんないのだが、小さく笑ったと思ったらそっと溜め息をついた


「随分長く時間を共にした 息をつくように嘘をついても、互いにすぐにわかる」

「それは嫌だな」

「だろ?私は慣れたけど、………うん、慣れた、かな?」

「何だ、そのよくわからん問答は」


少し宙を見て、少し目を瞑って

そして少し唸ったあげく鴇がよし、と呟いて立ち上がった

着崩れた寝着を整え始めた鴇を仙蔵がじっと見つめる

そんな体調でどこに行くというのか、

その鴇の行動が何を意味してるのかなんてもう十分にわかって、仙蔵はため息をついた


「お前も難儀だな」

「…世話になった 感謝してる」

「何度も言うが、まだ治まってないぞ」

「これくらいなら自制できる」

「どうだか」

「…うん、まあ………向こう次第かな」

「そこまでわかってて、何故行かねばならんのだ」


馬鹿め、とまた溜め息まじりに呟けば、鴇が困ったように笑った

体調もまだやはり良くないのだろう、血の気はなく疲労が見える


「茶番だと笑ってて」

「言っておくが、そっちにまで割って入る気はないからな」

「ああ、迷惑かけた」

「全くだ」


骨がおれる、と呟いた仙蔵の肩をポンポンと叩いて、鴇は自室へと戻るのであった










まだ少し、肌寒い風にあたりながら三郎は鴇の部屋の前にいた

忍務の報告先である鴇は今日は帰ってこないのは百も承知であったが、気が付けばここへと赴いていた

あれから風呂にも入り、埃やら血の匂いは流してきたというのに目が冴えて仕方がない

こんなところに留まっていたとしても何も変わらないし意味もないとわかっていても、どうしても自分の中の何かが割り切れなかった


(わかって、いるけれど)


部屋の主のいない戸にそっと触れ、額を寄せる

いつも忍務から戻る夜は、鴇が部屋を温めて寝ずに待っていてくれた

それがたった1度ないだけで、こんなにも堪えるとは思っていなかった


(…………………)


ゴン、と小さく音を立てて額を打ち付けて目を瞑る

今日はいろいろと想像してしまいそうで眠れそうにない

また足元を走った冷たい空気に小さく身震いしながら、三郎はため息をついた


「……かえろ」

「帰んの?」


決心したその矢先、突然背後から湧いた声に三郎は大きく肩をビクつかせた

驚いて振り返れば、そこにいたのは今日はもう会えないと思っていた鴇であった


「なっ、」

「寒い 入った入った」


薄い寝着1枚で戻ってきた鴇が、三郎が驚くのも気にせず背をポンポンと押す

鴇が半ば強引に部屋に押し込む勢いに、三郎は逆らうことをやめた


「委員長、あなた」

「ちょっと待て 火鉢くらいつけさせてくれ」


薄暗い部屋の中、鴇が小さく呟いた言葉に三郎はハッと我に返った

何故このタイミングで鴇が戻ってきたのかは知らないし、聞きたいことはいろいろあったがまずもって鴇は万全の体調ではないはずだ

慌てて顔をあげれば、やはり鴇の足取りは少し覚束ない

いつもであれば流れるように来客者を招き入れる鴇が、少し待てと言いながらも肩で息をしている


「私がやります」

「いや、いいよ すわ…」

「貴方こそ、座ってなさい」


自分が羽織っていた上着を鴇の肩にかけ、そのまま肩を抱くように座らせれば鴇は大人しくその場に座り込んだ

いや、正確に言えばへたり込んだと言った方が正しい

よくよく見れば、顔色は悪く呼吸が浅かった

カチ、と火打石で火花を散らし、着火したのを確認してからの三郎の動きは早かった

勝手知ったる何とやら、鴇の部屋の布団を敷き、床板を1枚剥がして囲炉裏にも火をいれる

それをボンヤリと見つめている鴇の前へと膝をつき、手を差し出した


「さあ、」

「……悪い」


鴇を布団の中にいれ、三郎は鴇の部屋の薬棚の使用許可を申し出た

自室に戻って自分の専用棚を持ってきてもよいが、鴇の部屋にだってストックは十分ある

よしなに使って、と呟いた鴇に遠慮なく、と三郎もポツリと返す


「委員長」

「んー…?」

「触れても?」


ウトウトと、少し目蓋が重くなってきているように見える鴇の目が、三郎を伺いみるように見上げた

熱を孕んだ、どこか濁ったような目の色がいつもの鴇と違って見える

数秒間、じっと見つめ合った挙句に鴇がそっと視線を伏せるように外した


「……………」

「脈を、はかるだけです」

「…………やめとけ」


ケホリ、と掠れた声で拒絶した鴇を、三郎は静かに見ていた

断られるのはある意味想定内であった

だって三郎は知っている

鴇のこの不調は、単なる風邪やら何やらではないということを

少し迷ったが、三郎もこのまま大人しく帰るつもりはなかった

いや、モヤモヤと、この胸の底の何かが消えぬうちは帰れないと思った




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