- ナノ -


01



「あ、文次郎 鴇を見なかったかい?」

「いや、見てねぇ」

「おっかしーなぁ どこ行ったんだろう」

「…何かあったのか?」

「え?あぁ、いや大したことじゃないよ 仙蔵は?部屋?」

「いるが、寝てる 邪魔すると痛い目みるぞ 3日寝てないんだと」

「……うわぁ… 仙蔵の寝起きほど立ち会いたくないものはないな…」


日も落ちて、長屋の庭先で槍術の型の動きを復習している文次郎に手を振って、伊作が食堂の方へと向かった

姿と気配が完全に消えたのを確認して、深く文次郎は息を吐いた

薄っすらと小さな灯りがついている自室を見たが、何ら動きは見えない


(今下手に部屋に入ったら本気でぶっ飛ばされる)


今夜はどうにも部屋に帰れる気がしない

そして、ここを離れることもできない

はーっ、と大きく深いため息を吐いて、文次郎はまた夜間の鍛錬に集中することにした





 
「行ったな」

「…………………」

「そう身を固くするな 外のことは文次郎に任せておけ アレで結構、門前払いはうまい」

「……………っ…」

「万が一、突破されたから何だというのだ 私がいる 何も心配はいらん」


薄暗い部屋の中、湯浴みを終えた仙蔵は、手元の書物を見てふむ、と小さく唸った

そしてガサガサと薬箱の中から乾燥した種や薬草を並べてはまた首を傾げた


「鴇、悪いが情報がなさすぎる 少し待て」

「………いい、………抜けるのを、待つ」

「すまんな」


室内には2人いた

部屋の主である立花仙蔵と、ろ組の学級委員長委員会委員長である嘉神鴇であった

ただし、2人は少し距離をとっていた

入り口の扉の前に仙蔵が腰かけ、部屋の一番奥に鴇はいた

仙蔵の方は長期戦を決め込んでおり、扉の前で片膝をたてて鴇をじっと見ていた


「……見んな」

「部屋を占領していて何という言い草だ」

「…………………」

「軽口をたたく余裕もなし、か」


部屋の一番奥、そこに鴇は横たわっていた


「布団でも敷くか?」

「…いらん 変に、場を整えないでくれ」


はあ、と息を吐いた鴇は気怠そうというか何というか

ぼんやりと天井を見つめる視線は熱っぽく、頬も上気している


「欲しいものは?」

「……………」

「おい、鴇」

「え? あ、あぁ、すまん」

「欲しいものは?」

「…水をくれ」


仙蔵の声に反応し、じっと見つめていた鴇が再度の呼びかけで我に返る

鴇の回答を想定していた仙蔵は、湯呑に冷たい水を少量注いだ

少し離れたところにトンと湯呑を置けば、鴇が怠そうにそれに手を伸ばした


「そんなもの、気休めにもならんだろう」

「……言われんでも、わかってる」

「私にあたるな」

「……………」


コクコクと水を飲み干し、鴇が大きく息を吐く

身体の熱を逃そうとしているのか、そのまま鴇は目をそっと瞑っていたが、ビクリと身体が小さく跳ねたのを機にうっすらと目を開いた

難しい表情がとけない鴇を仙蔵は頬杖をついて見ていた

口には出さないが、鴇が苛ついていることは手に取るようにわかる


「なあ、鴇」

「………なんだ」

「楽にしてやろうか?」


その言葉に鴇が酷く鋭い睨みを利かせて仙蔵を見たが、仙蔵は特に動じることなく見返した

鴇は仙蔵を睨みつけているが、仙蔵にだって理屈がある


「自然になど、治まるものか」

「…一晩もあれば何とかなる」

「無理だな 伊作のソレが、そんなに簡単に抜けるようなものなわけがない」


ヒラヒラと、諦めろと手を振った仙蔵の言葉に鴇はギリと歯を軋ませた

怒りを向ける先が仙蔵だというのがお門違いなのは十二分に理解していたが、どうにも怒りが収まらない

ぐしゃぐしゃと前髪を乱して、また強く息を吐く

そんな鴇の様子を見て、仙蔵が呟いた


「お前もソレがわかっているから、私のところに来たのだろう」

「……どうしようもなくなった時の保険だ まだそんな時分じゃぁない」

「どうせ頼らざるをえんのだ さっさと済ませた方が楽だと思うがな」

「五月蠅い」


まるで手負いの獣のように、目で威嚇する鴇に仙蔵はまた小さく溜め息をついた

ここまでの話の流れでどこまで理解できるかは何ともだが、鴇は何も怪我をしているのでもなければ熱を出しているのでもない

鴇を探す伊作

鴇を匿う仙蔵

鴇を仙蔵が匿っていることを隠蔽する文次郎

1人になれない鴇

つまり、である


「媚薬を仕込むというのも、タチが悪いな」

「…あいつ、ほんと絞め殺す」

「落ち着け 今は捕まったらお前の方こそイチコロだぞ」

「知るか、だいた……っ!!」


思い出しただけで怒りがこみ上げて来たのだろう

苛立ちまぎれに身を捩った瞬間、鴇眉間の皺がさらに深くなったのと身体がビクリと大きく痙攣したのは同時であった


「布擦れしただけでそんな状態だ 大体手足の力も入らんだろうに」

「ほんとっ…胸くそ悪いっ……」


今まで開発した新薬を何故か鴇にばかり試したがる伊作が、今回仕込んだのは媚薬であった

いや、正確にいうと本人いわく惚れ薬の開発をしていたらしい

本来であれば気持ちの変化をさせる薬であるが、身体がその気になれば気持ちもついてくるのではと最低の発想で伊作が作ったのは結果、滋養強壮がバッチリの媚薬であった

毎度毎度、何故鴇で試したがるのか文次郎達は不思議がっているが、仙蔵はその理由をこう解釈している

伊作は自分の開発した薬に確信めいた自信をもっている

だから簡単にタガが外れる、本能のままに動く連中よりも鴇のように禁欲的でストイックな奴の理性を外したがる

鴇がもともと薬がよく効く体質であること、しかしそれすらも鋼の意志で抑え込んできた実績を伊作はよく知っている

それがなお伊作の好奇心をくすぐるのだろう

しかもそれがこういった三大欲求といったものであれば猶更である

そしてまた、鴇が怒り切らないというのがいけない

正確には鴇がそう取り乱すのも好まないというのを逆手にとっている

鴇は学級委員長委員会の委員長

この学園の最も模範であるべき忍たまである

伊作がどうしようもないということを鴇は自分が理解しているばいいと思っている節がある

自分がある程度我慢をしていれば、被害も最小限に抑えられると考えているのだろう

初めのうちこそ恐る恐る試していた伊作が段々大胆になってきたのはそのあたりも絡んでいると仙蔵は睨んでいる


「1人で処理することだって考えただろうに、それでも私のところに来たのだ 現実問題、お前が一番わかっていると思っているのだがな」

「…………話し相手になってくれさえすればいい 気を紛らわしたかっただけだ」

「ならば長次の方が適任ではないのか」

「…冗談 こんな見苦しい姿を長次に見せるなんてはなから選択肢にないね」

「私はいいのか」

「今更だろ」

「まあ、遠慮はいらん」


媚薬を仕込まれた場合、取り得る手段はもう数えるほどしかない

自分で処理をするか、誰かに処理を頼むか、耐えきるか

鴇だって何も修行僧のような発想の持ち主ではない

忍務なんかでやられた時は自分で処理もするのだろう

ただ、今回のは伊作の作った試薬である

1人でどうこうしようとすれば、必ずそこに伊作が現れるだろう

伊作は治療がしたいわけではない、自身の成果を確認したいのだ

それが鴇には耐えられないのだ

中途半端な欲求であれば適当に姿も消せただろう

しかし今回のはそう簡単なものではないらしい

一度理性を外してしまえば、収束するまでもう再度抑えることはできないという一種の確信めいた何かが鴇のなかでも立っているのだ

だから自分のところに来たのだと仙蔵は理解している


「小平太でも呼んでやろうか」

「いらん」

「鉢屋にするか?」

「…やってみろ 伊作の次はお前をぶちのめす」


軽口のつもりでその名を口にすれば、先ほどよりも殺気の籠った目で睨む鴇に仙蔵は冗談だと手をあげた

鴇だって気心のしれた、好いた相手であればと思ったが、そうでは断じてないらしい

末代まで祟られそうだと思いながら、仙蔵はまた小さく溜め息をついた


「何がそんなに嫌なのだ」

「…わかってるくせにそれをもっともらしく聞くお前のソレが嫌だ」

「話し相手になれといったのはお前だろう」


もういいとばかりに目を瞑ってゴロリと床に倒れた鴇を仙蔵はからかいすぎたかと見下ろした

これは鴇の自尊心の話である

伊作にはどうあっても屈したくない

欲のままに動くソレになりたくない

ましてや、その衝動を小平太にも鉢屋にも見せたくない

だけど一人で堪えれそうにない予兆だけが今回は見えているのだろう

グズグズに脳が焼けるような強い欲求を抑えながら鴇が逃げ込んだ先が仙蔵のところであった

鴇にあえて言う必要はないが、仙蔵としては満足していた

自分がこの潔癖な友人の逃げ先になり得たというそのことに

鴇は基本一人で全てこなす

それは学術も、普段の悩み事も大抵のことはそうだ

ただ、どうしようもない時、こういった誰にも相談できないようなデリケートなものであればあるほど、鴇は仙蔵を頼ってくる

それが仙蔵にとってはどこか満足できることなのだ


「提案があるんだが 鴇」

「却下」

「まだ何も言ってない」

「お前の提案ほど、嫌な予感がするものはない」

「私に遠慮するだけ無駄だというのは、お前もわかってる話だろう」


立ち上がってスタスタと仙蔵が鴇の前へと移動する

睨むことだけは止めず、じっと自分を見上げる鴇の前に仙蔵はしゃがみこんだ


「やめろ」

「割りきれ」

「…やめろ、仙蔵」

「私が相手だ、不満はないだろう」

「…その自信は、どこからくるんだか」

「私が同じ目に遭っても、同じことをする」


じっと、互いの視線が長く交わる

睨む鴇とそれを正面から受ける仙蔵

どれだけ鴇が凄んでも何ら動じない仙蔵に、鴇がまず視線を逸らした


「不本意なのは言わんでもわかってる ただ、状況は悪くなる一方だぞ」

「…………」

「脳が焼け切るところまで我慢したところで、その先には何もない それは火を見るより明らかだ」


ここ数か月のなかで一番人相の悪い状態の鴇を仙蔵は正面から見た

ふい、と鴇はまた顔を逸らしたが漏れでる吐息ひとつ、伏せる視線ひとつ色気が駄々洩れ状態である

これはくのたまのところに放り込んでも、小平太達のところに放り込んでも生唾ものだ


「天井の染みでも数えているうちに終わらせてやる」

「…やめろ、お前からそんな言葉聞きたくもない」

「諦めろ 私が優しく言ってるうちに乗っかってしまえ」

「……………」

「こんな問答に時間をかけるな 鴇」


重ねる言葉に鴇の眉間の皺が深く刻まれていくが仙蔵は淡々と告げた

この親友は、答えがでているくせに押し黙る癖がある

無理やりにでも背を押してやらねば、引き返せなくなることが目に見えていた

ほら、と仙蔵が手を広げれば、少しの沈黙の後、鴇が渋々といった様子で身を起こした

最後の無言の抵抗なのか、そこから固まったように停止した鴇に仙蔵はため息をついた


「そう嫌がるな 私が悪者のようではないか」

「………知らん」

「もう何も考えるな 起きたら終わっている」


体内の熱のせいでクラクラと焦点が定まらなくなってきた鴇を仙蔵が抱き寄せれば、鴇の嗚咽とも喘ぎ声ともとれる声が零れた

ふわりと甘い香りが鼻につき、鴇の高くなった体温がはっきりと伝わる


「…くそっ…」

「全部私に任せておけ」


鴇の中を渦巻くのは怒りと情けなさなのであろう

本来であればなし崩しに快楽を求めてもいいと思うのだが、鴇から漏れ出したのはやるせなさからくるものである

それにはもう反応せず、強く鴇の身体を抱きしめて、仙蔵は床へと鴇を押し倒すのであった






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