- ナノ -


露光の夜を綴じ(学級 夏の夜)


ひゅるりと火の玉が空へと昇る

少しユラユラと、それでも力強さだけは見て取れたそれは一瞬何もなかったかのように消えて


ドーーーーーーーン!!


夜空に大輪の華を咲かせた

うわぁ、と彦四郎が口を大きく開けば、堪え切れず勘右衛門が口に手を当てて大声で叫ぶ


「たーまやーー!」


夜空に声が吸収されれば、それに呼応するようにまた花火が花開く


「…始まっちゃったじゃん」


勢いよく叫んだものの、勘右衛門の頬がぷうっと膨れる

それを見た彦四郎が苦笑いをすれば、縁側にゴロリと倒れて勘右衛門が苛立つ声で叫んだ


「三郎!!いつまで待たせるんだよ!!」


障子の向こうは学級委員長委員会の教室だ

勘右衛門が叫んでみたものの、中からは返事はない

しかし、声はしないがゴソゴソと人が動いている気配はしっかりある

あるというよりは、中に3人いるのは知っている

苛々と床板を指で叩いていた勘右衛門がしびれを切らして、横に座る彦四郎へグリンと視線を向ける


「彦四郎!!開けちゃって!!」

「え、でも、」

「いい!俺が許可する!!」


勢いに押されて彦四郎がそろりと障子を開く

思い切り開けなかったのは中の様子を知っているからだろうか


「あの…」


そっとかけた声に中にいた庄左ヱ門と鴇が苦笑した

その表情の意味が、まだまだ時間がかかることを示していて

彦四郎ももう一度渇いた笑みを浮かべるのであった













「ちょっと!鉢屋!!」


彦四郎はそろりと開けたが、勘右衛門はもう容赦をしなかった

スパン、と障子をあけて勘右衛門がズカズカと部屋に入り込む

部屋の中には学級委員長委員会の委員長である鴇、今年委員会に加わった黒木庄左ヱ門、そして同級生である鉢屋三郎がいた

…そして、何故か三郎は少し遠巻きからじっと鴇を見つめている

これが今どういう状態なのかは、勘右衛門はわかっていた


「お前、いい加減にしろよっ…!」


こちらを見もしない三郎に舌打ちをしながら、勘右衛門は待ち人であった鴇に近寄った


「鴇先輩 もういいですよね はやく、」

「まだだ 勘右衛門」


あともう少しで鴇の肩に手が届くという距離で、勘右衛門の手を三郎がわっしと掴んだ

掴まれたまま後ろに下げられ、そして相変わらず三郎は鴇をじっと眺めている


「……俺さぁ、けーっこう待ったと思うんだよね」

「うむ」

「さっきさぁ、一発目の花火もあがったわけよ」

「そうだな」


生半可な返事を繰り返し、ああでもないこうでもないと呟く三郎に勘右衛門の堪忍袋の緒が切れる


「いい加減にしろよ 馬鹿三郎 どんだけ待たせんのさ…!」

「待て、もう少しだけ待て」

「聞き飽きたわ その台詞!」

「あと、髪だけ結わせてくれ」






ことの始まりは、今夜近くの河原で花火大会があると庄左ヱ門が聞いてきたことからである

用具委員会はその前から場所取りと親睦を兼ねて先に繰り出しているし、作法委員会や体育委員会も皆で行くと口をそろえて嬉しそうに話していた

そんな話をしていれば、彦四郎がいいなぁと小さな声で呟いた

本日、学級委員長委員会は委員会の真っ最中

2週間後に迫る組別対抗戦の運営計画を片っ端からまとめていたところである

まだまだ終わりが見えないということもあり、あまり大声で賛同できなかったのだろう、呟いたもののすぐに委員会活動に意識を戻そうとした彦四郎に鴇が気づいた


「私達も行こうか」

「え?」

「花火大会 お前達は初めてだろう?」


そういえば、学園長のおつかいこそあれど、あまり委員会で出かけたことがなかったね、と鴇がまず筆を置いた

そう鴇が口火を切れば、その向かいにいた勘右衛門がやったぁと拳をあげた


「いつものとこだよね 出店もあるんだよ 楽しいよ!」

「買い食いばかりすると、また目方が増えるぞ 尾浜」

「大丈夫大丈夫 あ、鴇先輩 浴衣着ていく?」

「そうだな 折角だからそうするか」


折角の花火大会、忍び装束も無粋だから浴衣着用で行くかと鴇も深く考えずに頷いた

そこまでは、そこまではよかったのだが












「……鉢屋 皆待ってるから、さ」

「もう、ちょっとだけ…!」


鴇が庄左ヱ門と彦四郎の浴衣を見立てて着せている間に、さっさと着替えた勘右衛門がやってきた

普段着ないような派手な橙色の浴衣で、袖は既に捲り上げられている

これは全力で満喫するモードだなと鴇は小さく笑い、では自分も着替えるかと、立ち上がった鴇に待ったがかかった

先ほど、花火大会に行くことが決まってすぐ、ちょっと部屋に物を取りに行ってくると消えたはずの三郎である

両腕に抱えきれないほどの荷物をもっており、それが何かに気付いた鴇が恐る恐る声をかけた


『…鉢屋、随分多い荷物だね』

『委員長の見立ては、私が!』


ずらりと畳の上に並べられたのは色とりどりの浴衣と帯、化粧道具

その量と品揃えを見ていた鴇が何かに気付き、口元を引き攣らせて尋ねた


『…鉢屋、聞いても?』

『どうぞ』

『お前、私に女装していけと?』

『いえ、でも、この間ちょっと似合いそうな浴衣が手に入って…』


始まった、と鴇は静かに宙を仰いだ

この後輩、自身が変装の名人であるためか、着物や小物、化粧道具を大量にもっている

そして、それを自分で試す一方で鴇にも色々と着せたがる傾向がある

髪を結うのは自由にさせているが、何かソワソワしてると思った時は大体何かを鴇に試したい時で

鴇の見立てに関しては誰にも譲れないものがあるらしい

斉藤タカ丸が鴇の髪を弄ろうと近寄れば、毛を逆立てて怒るし、鴇自身が適当に着替えて出かけようとすれば必ず待ったをかける

鴇だってだらしのない格好は嫌いだから、そんなに酷い身なりをしていないはずなのだが、三郎の脳内では何十通りと鴇に試してみたい着物や髪型があるらしい

つかまったら最後、結構な時間がかかるのである





柔らかい藤色に朝顔が咲き誇り、

鮮やかな藍色には白波の波線が波打つ


落ち着いた山吹に藍の燕が飛翔して、

深い緑に緋色の蜻蛉が軽やかに舞う


『……これ、全部鉢屋先輩の持ち物ですか?』

『変装道具は、全部鉢屋の自前だね よくこんなに種類を集めたものだ』

『委員長 ちょっと動かないでください …うーん、やっぱりこっちの方が』


初めこそ、好奇心から見立てを見守っていた庄左ヱ門と彦四郎であったが、ここまで長丁場になるとは思っていなかったのだろう

庄左ヱ門は珍しいのか、大人しくじっと見つめているが、彦四郎は少し眠たげな様子だ


『…今福 そこの棚に羊羹があるから、ちょっとそれでも食べて時間潰してて』


数十分かけてようやく浴衣が決まったが、今度は帯を色々あてて考え出した三郎に鴇は小さく溜め息をついた

青藍の生地に大柄な白木蓮の柄の浴衣は、灰色の髪の鴇によく似合うのだろう

羽織らさせてきた三郎の口元が少し綻んだのを見るのは嫌な気はしない

自分のことよりも鴇の着付けをこれほど楽しそうに行うのだ

普段いろいろと面倒をかけているだけに頭ごなしに拒否するのは如何なものかとも思っており、なかなか鴇は強く言い出せない

しかし、鴇自身は基本三郎に好きにさせ、じっとしているのは慣れているが勘右衛門達はそうはいかない


(あとは化粧…ああ、髪も残ってるなぁ)


結局は女装とまではいかないが、女性の支度と大して変わらない時間を要してしまっている

そもそも、三郎が先ほどから選ぶ生地や小物は女性用のものが中心だ

繊細な細工のものに目がない三郎にとって、やはり女性ものは興味深く、また鴇がそれを着こなせるものだから余計だろう

しかし、花火大会が始まってしまったことも手伝って、勘右衛門はすでに苛立ち絶好調

もうキレた!と掌を大きく広げて三郎に宣言する


「あと5分!それで強制終了!!」

「なっ…!最後の仕上げを焦らすとかっ…!お前にはこの芸術美がわからないというのか」

「鴇先輩が綺麗なのは今に始まったことじゃない いいですよね!鴇先輩」

「3分でいい 私もいい加減疲れてきた」

「!委員長までっ!!」


帯も選んで少し油断していたのか、さらりと同調した鴇にギョッとして、三郎の手元の速度があがる

勘右衛門はいくらでも待たせられるが、鴇はダメだ

鴇が動き始めてしまったら、それは三郎には止めようがない


「くっ…!この間買った頬紅を試したかったのに」

「そこそこでよろしく」


涙をのむ三郎に鴇が小さく笑って目を閉じる

3分が短いのかと言えば、実はそうでもない

忍務で急ぐのだと言えばものの数分で見事に化粧をしてくれるし、服だってさっさと着付けれる

要は鉢屋の拘りだけの話なのだ

それを踏まえたうえで鴇も勘右衛門の与えた時間を削って宣告している


「くそ、勘右衛門が急かすからっ…!」


ブチブチと文句を言いながらも、手は恐ろしい速さで動いている三郎を庄左ヱ門と彦四郎が目を丸くして見つめている

先ほどまで眠たげであった彦四郎も、ここまでの早業には目を奪われるのだろう

身を乗り出して食い入るように見つめる1年生2人

器用だよねー、と茶を啜りながら笑った勘右衛門に黙れと三郎がふて腐れ気味に口を尖らせる


「委員長、髪の高さ 指定ありますか?」

「いや お前に任せるよ」


一応鴇の好みを確認してきたが、三郎のなかでイメージは固まっているのだろう

止まることなく、あれよあれよという間に鴇の髪が結われていく

細かく編み込まれた髪をまとめ上げ、項がすっきりと見えるように丁寧に結う

差し込まれた簪も、小さな珊瑚石がついたシンプルなものだが品がよい

少しだけ手を止めて、三郎が鴇の頬をそっと持ち上げて3方向から確認して

最後に柿色に近い紅をすっと引いて、静かに筆をおいた




「……結局、女装か」

「会心の出来だと自負しています」


鴇が完成した姿を姿見で確認すれば、どこをどう見ても女の姿であった

満足したのか、三郎もニコニコと笑い、仕事あがりの一杯よろしく麦茶を飲み干す

此処まで仕上げられてしまっては、今日は粗野な言動は無理だなと鴇は静かに思った

射的とか、土手に腰かけ掛け声とか以っての他だ


「鴇先輩、美人ですねぇ」


がっくりと鴇は項垂れていたが、勘右衛門達には好評のようだ

仕上がりを見た勘右衛門が、ほうっと感嘆の息を吐けば、彦四郎と庄左ヱ門がコクコクと首をたてに振る

褒めてもらった礼にニコリと笑えば、庄左エ門と彦四郎の頬がぼっと赤くなった


「ちなみに、今回のポイントは此処だ!この大胆な絵柄に反して、繊細な編み込みと上下のバランス」

「はいはい」

「あとはこの顎から肩胛骨にかけての流動線と、この襟足の美しさ!これは委員長の素材があってこそのものだよね、というやつだ」

「知るか」


満足そうに解説する三郎を今度はばっさりと切り捨てて鴇がすっと立ち上がった

そして、感心したように自分を見つめる勘右衛門の前へと近寄れば、勘右衛門が首を傾げる


「鴇先輩?」

「ちょっと立って、尾浜」


突然の鴇の言葉であったが、立ち上がった勘右衛門の姿を鴇がじっと見つめる

勘右衛門は窮屈な浴衣の着方は好まないらしいが、それを加味してもゴロゴロと寝そべっていたせいか現状はかなり酷い


「着崩れしすぎだ だらしのない格好は嫌い」


勘右衛門の腰に腕を回し、帯を少し強く結わえ直して襟元をきゅっと正す

ついでに裾のずれも整えて、これでいいか、と下から見上げれば、勘右衛門の顔がみるみるうちに赤くなっていく


「?尾浜?」

「うっわ、俺 こんな美人な奥さん欲しい」

「は?」

「勘右衛門!委員長で変な妄想をするな!!」

「鴇先輩、俺のお嫁さんになりませんー?」

「その髪引っこ抜くぞ!バ勘右衛門!!」

「…黒木、今福 騒がしい先輩は放っておいて 私と花火大会にくりだそうか」

「「おいてかないで!」」






ぎゃあぎゃあと騒ぐ2人を後にして、夜の世界へと歩み出す

繋いだ両手には小さな掌

大きく歩幅をとれない私を気遣うように2人の小さな忍たまが何度も私を見上げる


「速くありませんか?」

「大丈夫大丈夫 女装自体はよくやるしね 慣れたものだよ」


ありがとうと笑えば、耳を真っ赤にして2人がよかったです、と小さく呟いた

その誠実さをお前達も見習えば、と先を歩く三郎と勘右衛門に揶揄うように声をかければ、男は狼なんですよーと反論が帰ってくる


「で?どこで見るの?」

「去年はあの高台のお屋敷の屋根を拝借したんですけど 鴇先輩その恰好じゃ登れないですかね?」

「馬鹿言うなよ 何ら支障ない」

「委員長、あまり激しい動きは…」

「黒木と今福は連れてあがって 私1人くらいなら本当に問題ないから」


わかったわかったと、目を咎めてくる三郎に鴇も溜め息をついて譲歩する

すると隣で話を聞いていた庄左エ門と彦四郎がギョッとしたような表情で勘右衛門達に問いかける


「や、屋根に上るんですか?」

「そうそう いやあ、良い感じなんだよ 瓦も冷たくて、涼しいし」

「そ、れって無断侵入じゃ…」

「ははは、当然だろう やはり金持ちはいいところに屋敷を立てている」

真面目な問いをしているつもりなのに、さも当然のように返してくる勘右衛門と三郎の回答は滅茶苦茶だ

いいのか、と言いたげな表情で自分を見上げてきた2人に鴇は思わず吹き出した


「…っ、鴇先輩っ!」

「笑ってていいんですか だって、それって…!」


良くはないかもしれないが、楽しかったのは鮮明に覚えている

忍務帰りということもあって、ここらで一番見晴らしのよい屋敷の屋根に上り、出店で買った食べ物をつまみに花火を堪能した

2年、3年、4年と三郎と勘右衛門とつるんで過ごした時間

年を重ねるごとに私達の進める場所も変わっていった

少しだけ羽目を外して、規則とかは一旦忘れて

血生臭さとは無縁の空の大輪に心を躍らせた


「ま、ひと夏の忘れられない経験ということで」


鴇が却下しなかったというのが、逆に安堵の材料だったのか

何か言いたそうな表情だったのも束の間、少し目を輝かせた後輩2人はとても頼もしい

ぎゅっと握った手に力が入り、少しだけ歩みが早くなる

このあたりがやはり彼らの好奇心の強さだと鴇は思った


去年も歩いた真っ暗な道のり、今年は2人増えて歩く

同じ道だけれど、やはり違う

自分が手にしたのは花火のような強い光だ

キラキラと、力強く輝くソレは酷く眩しく愛おしい


(来年は、この輝きを見ることは叶わぬけれど)


またこの時期になれば思い出すのだろう

そして、それは確かに鴇のなかの大事な思い出となっているのだろう

そんなことを思いながら、鴇は小さく笑うのであった







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