- ナノ -


後編


しばらく続いた沈黙を、最初に破ったのは鴇であった

どうしたものかと天を仰いで、少し姿勢を正して三郎に声をかける


「鉢屋、顔をあげなよ」

「……………」

「鉢屋ってば」

「……今、無理です」

「1人で盛り上がるなよ」


ぐすりと鳴った鼻に、再度鴇が溜め息をついた

それをきっかけに、止めようとギリギリの線で保っていた三郎の緊張の糸がぷつりと解け、小さな嗚咽が喉を突いた

そこまでくると、鴇もマズイと思ったのか、少しだけやんわりとした口調で言葉を続ける


「…何も、お前との縁を切るだなんて言ってないじゃないか」

「でも、行き先を、教えてくれない」

「決まっても決まってなくとも伏せろって学園長先生からもきつく言われてるんだよ」

「あんなジジイの言うこと、聞かなくったって…」

「こら、学園長先生に対して何て口の利き方だ」

「…………………」


鴇は小さく笑ったが、三郎はそれどころではなかった

結局、またはぐらかされるのだろう

鴇がこうやって笑う時はいつだってそうだった

三郎の横をするりと、また抜けていくのだ

三郎の気持ちを置いて

何とも言えない気持ちを抱えて三郎がぎゅっと拳を膝の上で握りしめていれば、温かい掌が三郎の頭に乗った


「まだな、したいことを見つけられてないんだ」


ポンポン、と雷蔵に似せた髪を軽く撫でて鴇が笑うように言った

初めて続いた先の会話

え?と顔をあげようとした三郎を、コッチは見るなと誤魔化すように鴇が上から少し強く押さえた

鴇がどんな表情をしているかはわからない

ただ、鴇にしては珍しく手探りな話し方だ


「本当に、決めてないんだよ 忍になるかもしれないし、武士として家を復興させるかもしれない」

「……………」

「商売だって嫌いじゃないから商人になるかもしれないし、静かに雅之…大木先生の家でらっきょう作りを手伝ってるかもしれない」


確かめるように、鴇は将来を口にした

今まで教えてくれなかった進路の片鱗を、それは決めていないという不確定要素そのものであったが、誤魔化しではないだろうことは鴇の声からわかった

これまで過ごしてきた日常で、彼が何かを悩みながら口にする時の癖は知っている

ゆっくりと、小さな間を挟みながら、それでも適当ではない言葉を確かに紡ぐその癖を

これは、嘘偽りのない言葉だ


「私の決まってもいない道を聞いて、お前が歩みを緩める必要はないだろう」

「……………」

「お前にはお前の未来がある それを選ぶだけの才能と実力をお前はもっているし、今年はそれをもっと貪欲に広げておくべきだ」

「…それは、」

「鉢屋、私なんかが、お前にとって大きな意味を占めてくれていることは嬉しい でも、お前はもっと大きな世界を知るべきだ」

「………」

「さっきも言った お前との縁を絶つなんてことは言っていない 私の行く道と、お前の行く道に近しいものがあるならば、共にゆければ楽しかろうと思っている」

「だったら、」


行く道を教えてくれるのかと期待に満ちた視線を向けた三郎に鴇は再度首を横に振った

強い否定ではない、しかし確かな拒否であった


「私の行く道を先に聞けば、お前はきっと合わせるだろう それができるくらいの器用さと力がお前にはあるのだから」


でもね、と鴇がまた三郎の髪をくしゃりと撫でた


「それはお前が選んだ道ではないよ お前が私の道を辿っただけ」


ゆっくりと、静かに降ってくる鴇の言葉は優しいが、三郎にとっては残酷だ


「何度でも言うよ 鉢屋 お前はお前の行く道を広げられるだけ広げておくべきだ」


寂しいとどれだけ私が泣こうとも、この人はきっと折れてくれないのだ

私の世界には、貴方さえいてくれればいいと思うのに、それは幻想だと笑うのだ

夢でもいい、この温かさと緩やかな時間が続くのであればと思うのに、

鴇は現実を突きつけてくるのだ


「腑抜けるな 鉢屋 これまでの人生よりも、遙かに長くて厳しい未来がこれからも続くのだから」


どれだけ、どれだけ鴇が大事なことを言っているか、理解しているつもりだった

しかし、何度どんなに優しい声で紡がれても私にはそれが届く気がしない

それは私が未熟者で、目先のことにしか今気が向いていないからか

形も見えぬ未来より、明確に想像できるこれから数ヶ月後の未来の方が、自分にとっては一大事だと考えているから

だから鴇がどんなに丁寧に、私の未来を案じてくれても私はこの不満に満ちた表情を隠すことができないし、この手を離すことだってなかなかできやしない

だってここにあるのだ

私が欲しい熱も、泣きたくなるくらいの優しさも


「こら、ふて腐れてるな」

「………だって」

「年明けからそんな顔ばかりするのなら、私も部屋に引きこもるぞ」

「…ずるい」

「ずるいのはお前だろ 私が困るのをわかっていて、そんなことばかりするのだから」


チクリと刺された言葉に、渋々と掴んでいた手を離す

怒っただろうか、怒るに決まっている 女々しいことばかり何度も口にする自分に、苛立つのも無理はない

離れた瞬間にテキパキと餅をとりわけだした鴇の姿を見れば、寂しいのはやはり自分だけなのかとまた胸の奥が重たく感じた


「ほら、冷めないうちにお食べ」


しん、と静まりかえった空間に少し気まずさを覚えながら渡された餅を静かに口に運ぶ

甘い砂糖と香ばしいきな粉の香りは例年変わらぬというのに、私は一体何をしているのだろう

小さく溜め息をつき、2つ目の餅を挟みあげれば鴇が静かに口を開いた


「欲しい、欲しいと要求ばかりなんて、都合がよすぎるだろ」

「……………」

「お前は、動かずして何を得られると思っていた?」

「それは、」


その少しキツめの物言いに跳ね上げるように顔をあげた私を、委員長が静かに笑って見ていた

それは説教だとか侮蔑の表情ではなく、どこか挑戦的な笑みで

それにドクリと心臓が鳴った


「委員…長」

「言っておくが、私から情報提供する気はさらさらない」

「…学園長の命だから」

「そうだね 先程も述べたが、それがお前のためだと私は思うから」

「でも、」

「ん?」

「でも、私が『偶然、気付いてしまう』のは仕方がない話ですよね?」


確かめるように、そして挑むように問えば、委員長がそっと目を伏せて、何でもないことのように呟いた


「そうだな それは仕方のない話だ」


すっと、胸のなかで渦巻いていた嫌な気持ちが晴れていく

そうだ、そうなのだ

何を悠長なことを言っていたのか

何を、


(甘ったれるにも、ほどがある)




目から鱗が落ちた気分だった

重かった空気を肺から追い出し、丸まっていた背中がすっと伸びる

繋ぎ止めようとするのに必死で、確約だけを求めようとしていた自分は何と保守的だったのだろう

欲しい欲しいと思うだけで、怠慢になっていた

欲しいなら、手を伸ばせ

遠いのであれば、たぐり寄せればいい

得られない原因は、己の努力が足りないからだ

この人がどんなに優れた人だからといって、幻ではないのだ


「顔、考えてることがだだ漏れだぞ」


笑うようにかけられた言葉に無意識に上がった口角を三郎はさっと隠すように手で覆った

鴇は三郎に意図が伝わったことを確信したのだろう

先程とは目の色が変わった三郎を頬杖をつきながら眺めていた


「まあ、そう簡単に気付かせる気もないがね」

「私だって、簡単に諦める気はありませんよ」


すぐさま強気な口調で反論すれば、少し驚いた顔をして、鴇が楽しそうに笑った

そして、


「食べたら、まず初参りな」

「え?」

「お前は寒がりなんだから、ちゃんと防寒してくるんだよ?ほら、この間私がやった襟巻きあるだろ アレ、巻いてこい」

「委員長、」

「それで町に行って、ゆっくり初売りでも覗いて、美味しいもん食べて帰ろう 年始めだ、奢ってやるよ」

「え、いや、それは」

「尾浜達には内緒だぞ」

「………!」


大事な年末年始を2人きりで過ごせる贅沢さ

今年はその先の目標だって立てられそうだ

慌てふためきながらも、嬉しさから目を輝かせた三郎に鴇はまた静かに笑うのであった










(…とは、言ったものの)


新しい湯をもってくると部屋を出た鴇は小さく息をついた

冷え切った廊下で吐いた息は白く霧散したが、鴇は気にせず静かに歩を進める

年が明けた

春はもうすぐそこまで来ている

ずっと先延ばしにしていた進路を、決めねばならぬ時期が迫っていた

誰もいない長屋をゆっくりと歩き、水汲み場へと向かう

この慣れ親しんだ学び舎も、数か月後には出ていかねばならない

寂しさはあるが、未練はない


(今のところは、かな)


先ほどの三郎の様子を見ると、どうしても後ろ髪が引かれてしまう

あれだけ三郎が戸惑うのと同様に、鴇だってすんなり去れるほど気持ちの整理ができているわけではない

自分の行く先を、何人かに聞かれた

小平太を筆頭に6年生には一通り聞かれたし、利吉にだって聞かれた

そのどれにも誤魔化すと言っては失礼だが、はっきりしない答えを返した

鴇は鴇なりに悩んでいた

行く先を選べと言うが、皆は何を基準にしているのだろう

鴇は金も名誉も望んでいるわけではない、人並みの暮らしができればいいと思っているし、名をあげたいわけでもない

血が躍るような戦いを望むか、否、それは鴇が欲するものでは恐らくない

ダラダラと怠けて過ごしたいわけではない、ただ今一つ、自分自身の将来が思い描けていないのだ

だから先ほどのように三郎に声をかけられれば、そちらに引っ張られそうになってしまう

多分、本当にぼんやりとした考えだが、鴇は自身の見聞が狭いのではと思っている

選べるようでいて、選べていない未来は自分の無知によるなのかもしれない

正解もなければ間違いもない

ただ、この小さな世界に閉じこもっていてでいいのか、それは最近よく思うことである

水を汲み、また廊下を戻る

静かな廊下が落ち着かないのは、それだけ自分が多くの人に囲まれて過ごせてきた証だろう


(…どうも、一人になると見当違いなことを考えそうで嫌だ)


ガリガリと髪を掻き、強く短く息を吐く

今からこんな収拾のつかなさそうな考え方をしていてどうするのか

そもそも新年からこんなことを悶々と考えるのもどうなのか

今日くらいは忘れるか、と鴇はガラリと部屋の戸を開け、再び三郎との年明けをゆっくり過ごすことに決めたのであった




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