- ナノ -


前編


木枯らしが外で吹き流れ、ヒューっと寒々しい音が耳に届く

カタカタと震える障子を横目に、熱した鉄瓶に茶葉を注ぐ

熱をもった葉から香りが立ち、しばらく蒸すために蓋をそっと重ねる

その傍らで金網の上に並べた餅と睨めっこをしている三郎に鴇は声をかけた


「鉢屋 焼けた?」

「もう…ちょっとですかね」

「いくつ食べる?3?4?」

「勘右衛門と同じ感覚で考えないでくださいよ 2つでいいです」

「おいおい、年明けだぞ、しっかり食えよ」

「…なら3つで」

「何つける?きな粉だっけ?」

「委員長は砂糖醤油でしょ」

「海苔もほしい 一緒に炙って」

「はいはい 仰せのままに」


炭が熱せられ、囲炉裏のなかでパチリと鳴る

いつもは騒がしい学園も、今日はただただ静かだ

それもそのはず、今は正月休み

生徒達は年末から実家に戻ってそれぞれの家族と正月を迎えている


「…なあ、鉢屋 よかったのか?」

「え、良くないですよ きな粉に砂糖、それは譲れません」

「そうじゃなくて」

「?」

「家、帰らなくてよかったのか?」

「…何だ、またその話ですか」


何か準備に至らない点があったのか、そんなことを気にしていたらしい三郎が、鴇の言葉に止めた手を再開する

瞬間的に伸びた背筋も猫のように丸くなる

自分との雑談と、実家の話、真剣に聞くべきは逆ではないかと鴇は思わず心の中でつっこんだ

しかし、三郎にとっては三郎の実家の話は興味がないらしい

また餅に集中しだす前に鴇も言葉を続ける


「何だじゃないよ お前、去年もその前も帰らなかったじゃないか」

「いいんですって 別に帰ってやることがあるわけでもあるまいし」

「家族で正月を迎えるのがやるべきことだろうに」

「お、いい感じだ 焼けました」

「…まーたはぐらかす」


そう小さく呟いて、もう食べれますと餅を箸で持ち上げた三郎の横顔を鴇はそっと盗み見た

実質、この光景ももう見慣れたものである

鴇には帰る家がない

血の繋がった家族はとうの昔に無くし、家も焼けたからだ

鴇を引き取った大木雅之助も、鴇が幼い頃は寂しがらせまいと帰省を促したが、最近では鴇が気を遣うなと言ったことから帰省は必須ではなくなった

まあ、鴇の場合、普段から学園長のおつかい帰りにちょくちょく帰省しているから特段雅之助も気にすることはないのだろう

それに甘えて雅之助も好き勝手にしており、ここ数年の習慣としては、年末から正月にかけて野村雄三に勝負を挑むため外出中である

今年最後の決闘に始まり、仕事始めならぬ初勝負と何かと因縁の押し売りをしている最中だ


(毎年、野村先生には申し訳のない話だが)


そうは思っても、雅之助は鴇の言うことを聞きやしないのだ

例年の年明けに学園に戻ってきた雄三に鴇が謝罪に行くところまでが1セットである

少し話が逸れたが、正月休みと言いつつも一週間ほどの休暇

特に帰省する必要もないし、やることだっていくらでもある鴇はこうやって学園に1人残っていたのだが、いつからか三郎も残るようになった

何てことはない、自分が1人で残っていることを気にかけてくれているのだろう

それが容易に汲み取れるだけに申し訳なさだって確かにあった

ただ、それを三郎に言及して帰らせようとしたところでこの後輩は一切首を縦にふらない

それを理解していることもあるし、三郎が家に帰らない、帰りたがらない理由も鴇は知っている

そして、この2人だけの年越しを三郎が存外嬉しそうにするものだから、鴇も甘えている次第である

やはり、年越しは誰かと過ごしたいと思うのは仕方のないことなのだから

しかし、と小さくついた溜め息が聞こえたのだろう、餅を皿に取り分けながら三郎も何の気なしに呟いた


「大体、あの人達は私が帰っても帰らなくても何も気に留めませんよ」

「…お前の、気にしすぎだと私は思うがね」

「私はこちらの方がずっと気が楽で、満足しています」

「私としては、嬉しい一言なんだがなぁ」


鉢屋家は少々特殊な事情をもったお家である

それは三郎が「趣味」と称すには完璧すぎる変装術や、この年では充分すぎるほどの武術を身につけていることからも暗に推測ができる

鴇は武家の出身であり、ある地方の城主とも所縁の深い家系であったから"その存在"を知っている

鉢屋家はそこらの商人、忍者の家系ではない

もっと根深く、入り組んだ集団の中に生きる血筋だ

鴇も茶を湯呑に注ぎながら、口を開く


「今年も帰ってこないのか、と文が届いただろ」


その一言に先ほどから流すように聞いていた三郎の動きがピタリと止まった

そのままぎこちなく鴇の方へと視線を寄越し、眉根を寄せて問う


「…何で知ってるんですか」

「いや、まあ、お前を引き留めているのが私だからな それなりの 苦言は耳に入るさ」

「…! また委員長に文を寄越したんですか!」

「声が大きい 充分聞こえてる」 

「しかしっ……」

「季節の挨拶だよ 昨日お前が美味いと食べた干菓子と茶もその時一緒にいただいた」

「むっ……」

「私経由ならお前が食べることをご存知なんだろうな 今度何かお返しをしようか」

「だから、いいんですってば…」


鉢屋家の人間もまた個性が強い

三郎が嫌がるような横柄な態度をもつ人間も確かにいるが、鴇と連絡をつけたがるような変わり者もいる

他人の家の事情なのであまり深入りはしないが、三郎が毛嫌いするほどのものではないと思うし、鴇自身、家族とはうまくやってほしいと思うのだが、変なところで頑固な三郎にはまだ難しいのかもしれない

鴇に手紙が来ると言っても、そこの主旨は三郎の近況を知りたいというところにある

それがまだ鴇にとっては安心できるところであった

顔を赤らめたり慌てたり、顰めたりと百面相に忙しい三郎を見て鴇は小さく笑った


「来年は帰るんだぞ」

「…どうですかね」

「此処に残る理由もないだろ ちゃんと帰って、安心させてやりなよ」


そろそろ網から追いかけて焼いていた餅をあげるか、そう思って鴇は箸を手にとり、餅へと伸ばした

箸の先が餅に触れるその直前、ガッと掴まれた手首に驚けば、三郎が眉を顰めてこちらを見つめていた


「?鉢屋?」

「来年は、一緒に過ごせないのですか?」


その言葉に鴇は静かに息を飲んだ、そしてそれを悟らせまいと笑って三郎を見返した

新年早々この話題か、と思ったが折角の休暇に揉めたいわけではない

鴇は深く考えていないような体裁で軽く返事をすることにした


「そうだなぁ 卒業しているし、何をしてるか想像もできないしな」

「……………」

「年越しくらいは、私も家に帰るようにするかなぁ」

「……………」

「まあ、でも不確定な話だし、どうせコロコロ変わってしまうだろうから気楽に考えてお」

「貴方の行く道を、教えてはもらえないのでしょうか」


やんわりと三郎の手を解こうとした鴇を、離すまいと三郎がまた強く握った

再度腕を引こうとしたが、三郎は力を緩めることをしなかった

少しの間、鴇も三郎の目をじっと見たが引く気はないらしい

今度は意思表示も含めて小さく溜め息混じりの息を吐けど、三郎の手の力は弛まない

睨むような、しかしどこかしら泣きたくなるような表情でこちらを見る三郎に鴇は少し迷ったが口を開いた

やはりはっきりさせねばならぬのだろう、と


「鉢屋、その話は」

「…何度も聞きました 知らぬ方が互いにとっても良いのだと」

「そうだよ 大体、毎年後輩が先輩に進路を尋ねて答えてもらったという話も聞かないだろ」

「そう、ですが、」

「みんな同じなんだよ 私だって卒業された先輩の進路を聞いたことがある それが浅はかな問いであったと気付いたのはこの年になってだ」

「しかし、」

「どこで敵対するかもわからんし、下手に情報をもたない方がいい それに、」

「私は!」


鴇の言葉を遮って、三郎が声を荒げた

その先の鴇の言葉を聞きたくなかったからだ

鴇は時折三郎がどきりとするような言葉を突然吐こうとする

そんなのは聞きたくないし、想像したくもないというのに

それよりもまず、三郎は焦っていた

上級生達は大体冬の始まりから春までに進路を決める

鴇だってきっと同じなはずだ


(このままでは、撒かれてしまう)


鴇は進路に関わる情報を一切漏らしてくれなかった

もう何度もそれとなく聞こうとした、それでも全く情報は零してくれない

進路が既に決まっているのか、いないのか、それさえも正直わからない

だって忍になるような人間ばかりだ、自身の情報なんて簡単に伏せてしまう

ましてや鴇はこういった情報漏洩は絶対にしない

多少の尋問や拷問でも口を割らない、そういう訓練を受けた人間だ

それを委員会活動で嫌になる程見てきたのだ

それでも、諦められないくらいの好意と執着を三郎は鴇に持っている

ましてや、


「貴方と敵対する気なんてこれっぽっちもありません」

「それは、その時にならないとわからんよ」

「たとえ、進んだ先の組織が敵対していても、私が貴方の、」

「私の首をとってこいという話だって、普通に可能性としてはあるよ」


ムキになって答える三郎をちらりと見て、鴇がさも当然のように零した発言は三郎の神経を逆撫でるものであった

冗談でも言ってほしくなかったソレに、三郎は眉根をぎゅっと顰めて声を荒げた


「可能性があっても、実行にいたるものか!だって私はっ、」

「鉢屋、これは意味のない会話だよ」

「そんなことはない!何でそんなことを平然と言うんです!第一、知らずに斬った相手が委員長だったなんてことになろうがものなら…」

「やめろ 鉢屋」


真っ直ぐ、射るように自分を見据えてこの話題を断ち切ろうとする鴇に三郎は思わず口を噤んだ

自分と鴇の温度差が痛い

そして、その鴇の目を真っ直ぐ見れずに三郎は下へと逸らした

鴇は言う

自分を追うなと

自分を頼らず、独り立ちをしろと

最近、そう五年生になってからそれをしつこいくらいに三郎に言うのだ

冗談半分なんかじゃなく、嫌になるくらい真剣な表情で


(その言葉の何もかもが、私の心を強く抉るのに)


意味を、理解しているつもりだ

自分が鴇に抱く感情と、何かあれば真っ先に鴇が三郎の脳裏に浮かぶのは甘えと依存であることを

それを無くせと鴇は言う

自分のことを抜きにして、三郎の考えをもてと言う

だが、三郎にだって言い分はある

自分の力量が足りずに鴇を頼っているわけではない

鴇が不在の時の有事の際は全て三郎が判断し、こなしているし、課題や演習で鴇を頼ったことは一度だってない

それは三郎が普段から注意していたことだ

そうではないのだ、三郎にとっての嘉神鴇という存在は

三郎が大事にしてきたのは、自分の行動で鴇が喜んでくれるか、褒めてくれるか、笑ってくれるかのいずれかなのだ

鴇の傍はとても心地よい

ゆるりと流れる時と、穏やかな彼の声は三郎に泣きたくなるほどの安堵と眩い世界を与えてくれる

永遠にこれが続くとは思っていない

しかし、これがもう数ヶ月後にはなくなってしまうことを考えたくもない

それを鴇は認めてくれない


(胸が、痛い)


この1年、「これ」を考える度に胸がぎゅうっと痛い

鋭い瞬間的なものではなく、真綿でジワジワと締め付けられるような鈍いけれど確実な痛み

こみあげてくるどうしようもない混沌に、吐き気を催すが当然吐くものはない

この不安と寂しさに押しつぶされそうなのに、それを相談できる相手は誰もいなくて

普段、そういった痛みを伴う悩みの解決は鴇がしてくれたのに、今回はその当人が相手だから八方塞がりだ

勘右衛門はおそらくこんな不安を抱えていない

それは薄情でも何でもなくて、勘右衛門は鴇をそこまで深く自分に絡めないように距離を設けていたからだ

鴇の言いつけを、彼はしっかりと守っていたのだ

それが三郎にはできなかった

自業自得なそれを、決して解消されることのないそれを、自分はいつになったら消化することができるのだろうか

何度、真っ暗な闇のなかでグルグルと渦巻くこの気持ちを抑え込むように布団に丸まっただろうか

何度、思い詰めたそこから鴇がいなくなる夢を見て、泣きたくなるような朝を迎えただろうか

あの虚無感を、あと半年も経たぬうちに正式に迎えないといけないのだ

唇を噛みしめ、俯いた状態が続くなか、静けさのなかに鴇が小さく溜め息をついたのが聞こえ、三郎はビクリと肩を震わせた

女々しい奴、しつこい奴と思われているだろう

そんな鴇の自分に対する評価が正月早々グングン下がっているかもしれないと思いつつ、それをどうにかできる気は全くしない

だって、


(だって、諦めがつかない つくわけが、ない)


諦めるには鴇は自分にとって影響が大きすぎたのだ

じわりと滲んできた涙に視界がユラユラと水面のように揺れる

一言で言えば、寂しいのだ

鴇のいない生活が、鴇のいない空間が、

自分の知らぬところで、自分の知らぬ人と生きていくかもしれないこの人と、繋がる何か確かなものを得ておきたいのに、鴇は何も残してくれそうにない

するりと自分の手をくぐり抜け、気がついた時には陽炎のように消えてしまうのだろう

卒業前日まで普通に委員会の話をして、卒業の日には別れの挨拶もなく忽然と姿を消していそうな気がする

寂しい、寂しい

この人の温かさばかりを受けていたから

この人の優しさばかりに甘えていたから

この気持ちに区切りをつけるようなきっかけもなく、ただ時間切れだけを迎えそうなのが恐ろしい

これまで散々離別の準備をしろと鴇は言ってきた

鴇なりの忠告だったのだ

それを怠ったお前の責任だと断ち切られても文句は言えない

痛いくらいに拳を握りしめて三郎は眉根をぎゅっと寄せて俯いた




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