- ナノ -


後編


人肌恋しい時がある

忍者なんてものをやっていると、それは顕著で

自分の手が覚えているのはどちらかというと熱が急激に引いていく感覚だ

掌から命が零れていくあの喪失感

それが自分の正義を貫く行動がゆえの結果であったとしても、その感覚にもの悲しさを覚える

そんな喪失感を埋めたくて、衝動的に人肌が恋しくなった


(誰でもいいと、思ってた)


花街にでもでかければ、そんな熱はすぐに得られると思っていた

顔もそれなりに整っていて、身体も男女問わず自分との関係を望むのだ、悪くないのだろう それなのに、


(あの虚無感といったら、)


求めていたのか、求められていたのか

名も知らぬ女が声をあげたところで何も思うところはなく、

名も呼んでくれぬ女に熱を預けたところで何も得られやしなかった

一時的な快楽と圧倒的な虚無感

欲しいと思っていた熱は奪われていくばかりで、そして堪えられないほどの孤独が追加された

何も、満たされやしなかった

フラフラと、早々に店を後にして歩く自分に、鴇はその時出会ってしまったのだ


『利吉さん?』


強い雨で視界が歪むなか、山吹の番傘を差して鴇は立っていた

鴇は一瞬目を丸くして、そして慌てて私のところに駆け寄ってきて開口一番こう言った


『なんて顔してるんですか 貴方』 と


自分を心底心配そうに見つめる鴇が酷く懐かしかった

最後に会ったのは随分前だったからか、鴇は酷く大人びてみえて


『とにかく、どこかで雨をしのぎましょう こんなに冷えてるのに何をっ』


何も言わずに鴇を抱きしめれば、驚いて身を固くはしたものの、びしょ濡れの私に触れられても鴇は文句の一つも言わずになされるがままであった

あれほど冷たかった私の身体は、鴇に触れれば熱を帯びた

黙って私の背を撫でる鴇に縋るように、そのまま私は意識を飛ばした




「利吉、さん 冗談はもう、」

「だから、冗談なんかじゃないってば」


あの後、高熱を出した自分を3日3晩つきっきりで看病してくれた鴇に感謝とある感情を抱いた

2年前のあの雨の日、私は自分の想いに気付いたのだ

自分を知って、理解してくれる存在が必要だと

弟のような存在であった鴇に、親愛の情ではなく、  

気心の知れた家族のような存在であった鴇に、慈愛の情ではなく

自分だけの存在でいてほしいという、思慕の情を抱いてしまった

指と指を絡めて床へと縫い付けて、逸らそうとする鴇の視線を無理矢理こちらに合わせる

緊張しているのか、コクリと鳴った鴇の喉に自分のなかの宜しくない感情が食いつけと叫んでいる


「鴇」


そのまま、唇を重ねてしまおうかと顔を寄せれば鴇の掌が私の顔を覆った

それははっきりとした拒絶だった

はっ、と我に返ってようやく気付く

なんだって、今日はこんなにも白黒はっきりさせようと急いたのかと

しまったと思えど時すでに遅し

鴇の目が据わっている


「貴方は、いつもそうだ」


追い詰めすぎた反動か、自分とは逆に冷静さを取り戻したように鴇が静かに口を開いた

鴇がこの声色を出す時はまずい

圧倒的有利に立っていたはずのこちらの足下がぐらつく感覚

はっきりしてるのは鴇が怒っていることだけだ


「貴方は私に問う でも、貴方はその意図を私に語らない」

「………………」

「私の答えで貴方は自身の答えを変えてしまう 鏡写しよりもまだ悪い」

「………………」

「私は答えを奪われるだけ、それが貴方を満たしたかなんてわかりやしない」


鴇の言葉のひとつひとつをゆっくりと飲み込んでいく

ああ、これは怒っている

怒っている、けれど

それに気付くのと同時に、笑いが込み上げてきて利吉はクスクスと小さく笑った

鴇は一層眉間の皺を深く刻み、怪訝そうにこちらを見やる

口づけを拒むように覆った掌を外し、機嫌が悪そうに呟く


「何が可笑しいのです」

「いや、相変わらず、私をよくわかっているなぁと」

「ご冗談を わかっていたら、こんな状態になりません」


早く退いてくださいと押し返そうとする鴇を、利吉は再び押さえ込んだ

両肩を抑え、今度は一切の抵抗ができないようなマウントをとって


「…だから、何なんですか」

「答えになってないだろ?私は問うたよ、鴇は私をどう思っているのか、と」

「私は答えましたよ 貴方の意図がわからない限り、私の答えに意味はないと」

「それを明確にすれば、鴇は私の望む答えをくれるの?」

「貴方が望む答えかは知りません 私は私の答えを告げるだけです」


だったら駄目だ、と落とすように呟いて、利吉は鴇の首元に顔を埋めた

ビクリと身を震わせる鴇は自分に振り回されてばかりで悪いと思うが、私にだって欲しいものがある


(やっぱり、私はお前が好きだよ)


自分の性格を理解し、自分の悪いところをはっきり言ってくれ、言葉を選んでくれる鴇が好きだ

それを告げれば、鴇はどんな反応を返すだろう

この少年はきっと、家族や兄のような存在として慕っていると返すのだろう

真っ直ぐで、それ以上は望めないような強い目で

それは利吉にとって欲しくない答えだ

そんな答えを明確にくらうくらいなら、曖昧なままこの微睡みに浸かっていたい


『臆病ですね 山田利吉、貴方にしては』


いつぞやどこぞのくのいちに言われた言葉が脳裏を過ぎって利吉は強く目を瞑った


(臆病にも、なるさ)


全てさらけ出して、それが報われなかったらどうしたいい

この近しい距離さえも、遠ざかってしまったら目もあてられない

そんな回答でいいのであれば、とっくに諦めている

諦められないから、


(鴇の初めてを、もらったんだ)


2年前の春、5年生になった鴇も"そういう"訓練が開始になると聞いた

当時の6年生と鴇は折り合いがすこぶる悪く、悪意をもった人間からの指導はトラウマになりかねないと呟いた木下先生に、自分が相手ではどうかと売り込んだ

渡りに船だったのか、それとも普段の行いが功を奏したというのか

快く了解を得たあの時、こんな形でも鴇と交わりたいと思った自分は酷く浅はかだったのかもしれない

指導という絶対の名のもとに熱に浮かされる鴇に想いを募らせて

鴇に知識と技術と快楽を与えるよりも自分の方が何倍も得るものが大きかったあの夜は、いつまでたっても忘れられない

気付いているのだ、もう突っ込んだ足は簡単には抜けないことを

思い知っているのだ、これは答えをださねばいけないことであるのを

だけど、




「…少し、意地悪な答えでした」


耳元で聞こえた声と、ポンポンと背を叩くその声に利吉は意識を浮上させた

鴇は利吉が回答を得るのを諦めたことを悟ったのだろう、今度は力を抜いて為されるがままの状態である


「言いすぎました 貴方にも事情があるのに、それをさらけ出せなんて、私が言うべき言葉ではなかった」

「…違う、鴇 お前が謝る話ではないよ」

「利吉さん、私」

「鴇、膝を貸してくれないか?」


鴇が口を開けたのを黙らせるかのように、利吉は身を起こして鴇にねだった

いつものように飄々とした、兄のような軽い口調でそう言えば、鴇も黙って身を起こし正座した

互いに気付いている

また私達ははぐらかし合うのだ、と

明確な答えを出すにはまだ早く、それを受け入れる余裕が互いにないことを


「…………………」

「…………………」


ゴロリと横になり、鴇の膝に頭を乗せて目を瞑る

さわさわと戸の隙間から入る風が利吉の前髪を撫でて、何事もなかったかのような空気に入れ替えていく

そして利吉は問うた

未来に繋がる話のひとつを


「鴇、進路は決まったのか?」


そう問えば、自分の顔を覗き込んでいた鴇が小さく息を呑む音が聞こえた

そして、


「まだ、模索中です」


静かに答えたその声に、そうか、と利吉も静かに答えた

鴇は夢を語らない

鴇は将来について話をしたことがない

忍になりたいとか、武士になりたいとか、商人になりたいとか、そんな具体的な職業もだけれど

どこそこに行ってみたいだとか、何をしてみたいだとか、そんな軽い会話さえも彼はしない

この少年は思っているよりもずっと慎重だ

自分の想いを口にしないのも、自分の将来を口にしないのも、その一言が何かを動かしてしまう可能性を知っているのだ

そんなこと、こんな15の少年が気に病む必要などどこにもないのに


「なあ、鴇」

「…何です?」

「好きなことをすればいい 好きな奴といればいい 誰にも、気兼ねすることなく」

「………………」

「もし、決めきらないなら、さぁ」

「………………」

「私と暮らせばいいさ」


精一杯の告白に心臓が五月蠅いくらい鳴っていた

それでも、それが大した話にはならないであろうことも理解していた

だからこんなにも緊張する必要はないのだ

鴇は疎い

向けられる感情に、向けられる期待に、向けられる想いに

鴇は聡い

自分の感情に、発する言葉に、露わにする想いに

だから、鴇が返す言葉なんてわかりきっている

きっと、白黒つけない


「…考えておきます」


そのくらいの回答なのだ、と

相変わらずの答えに諦めたように、利吉は意識をそっと手放すのであった















すやすやと、穏やかな寝息をたてて利吉は眠っていた

さらりと流れるような茶色の髪は鴇の指に絡まることなくすり抜けていく

眠る利吉の表情は、自分の記憶にある利吉に一番近い

年の近い、大切な兄の寝顔


(ごめん、なさい)


思うだけで声にしなかったのには理由がある

呟きでもしたら、その些細な声でさえこの人は拾うだろう

それが山田利吉という人で、プロの忍者である

目をかけてくれていることは昔からしっかりと理解していた

忍術の基礎、学術の基礎と理論をしっかりと叩き込んでくれたのはこの人なのだから

想ってくれていることだって気付いている

昔は何の躊躇いもなく触れてきたこの人が、ある時を境に一呼吸おくようになってきた

それが2年ほど前からであることも

何度か肌を重ねて、何度か兄弟以上の行為をした

そこには痛みも嫌悪感もなく、在ったのはただただ優しいこの人の指先と熱、そして


(泣きそうに、笑った)


利吉は昔からそうだった

飄々として、何でもそつなくこなして、年齢よりもずっと大人な振る舞いをする

私もよくそう言われるが、それはこの人を見て育ってきたからだ

売れっ子で忍者の腕前もピカイチで、そしてこの容姿だ

望むものは何だって手に入れられるだろう、それでもこの人は時折寂しそうな表情をする

忍たま達が羨望の眼差しで見つめて、それを正面から受け止めるくせに、時折険しい顔をするのだ

心からの安らぎを、彼は求めている

山田先生に会いに来られるのも理由だろうが、彼は食堂に食事をよく摂りに来る

食堂のおばちゃんの料理が美味しいというのもあるだろうが、多分理由はそこじゃない

もし、食事がまだならば、と前提条件を必ずつけて利吉さんは私を食事に誘うが、そんな建前は捨ててしまえばいいのにといつも思う


(1人は、寂しいのだ)


鴇は利吉の食事に必ず同席するようにしていた

鴇は知っている

1人の寂しさを

忍者が何を、と笑われるかもしれないが、食事ひとつにしたって、あの落ち着かない、味のわからないような状態が凄く嫌いだ

食事だけではない

家に帰って誰もいない時、囲炉裏の火が消えて空気が冷え切っている時、眠るまで誰とも言葉を交わさず、深淵の闇へと1人で落ちていくあの感覚

人が恋しい

熱が恋しい

できることなら、自分を理解してくれる人が欲しい

望めるならば、共に生きてくれる人が欲しい

鴇はどれも知っている

知っているから、今の利吉の気持ちもわかるつもりでいる

だから無下に断れないし、無責任に頷くこともできない

今見るような幼さの残る寝顔だけでなく、あの熱と色香を漂わせた床での顔を知っているだけに


(この1年で、決められるだろうか)


視線を自分の文机にそっと送る

引き出しの中には春に配られた進路希望の紙が真っ白な状態で眠り続けている

昨年は方針だけだったから適当に躱すことができた

しかし、今年は無理だろう

就職活動に学園も目を光らせてくるし、それに応じた忍務を選ぶようにしなければいけない

わかってはいるが、


(自分の未来が、思い描けない)


はぁ、と溜め息をついて再び眠る利吉に視線を送る

利吉は気付いている

私が進路を決めあぐねていることを

同じ道に安易に誘うようなことをこの人はしない

けれど、


(あまり甘やかされると、駄目人間になってしまいそうだ)


自分の懐をあまり見せたがらない利吉が、同居を誘ってくれたのはそういうことだ

鴇は別に利吉を嫌ってなんかいない

どちらかと問われれば、好意の方が随分勝っている

それでも、今以上の関係になるか白黒つけろと言われれば容易に頷けないのだ

彼の想いを満たせるのか、彼の意図を汲めるのか、それが鴇にはわからない

どれだけ自分が未熟でもいいと利吉が言ってくれても、それは甘え以外の何物でもないと思うから

だからとりあえず、


「あと1年、それで答えを出さないといけない」


結局答えを先送りにするしか、今は道がないのであった






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とどのつまり、私は愛だの恋だのという言葉が恐ろしいのだ

親愛や友愛を超えれば、それはただ熱を増してゆくだけである

焦がれるような想いはやがてその人までも焼き尽くして

その後に残るものが想像できない

孤独を満たすのが愛なのか

1人で生きることは難しい

けれどそれが孤独であるかは人次第

(私は誰を、幸せにできるのだろう)

それを考えると、ますます未来は遠く感じるのだ




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