- ナノ -


前編


人間というのは実に逞しく、実に都合がよく解釈する生き物にできている

昔よく遊んでやったからというだけで

夜泣くその子が寝付くまで背をなで続けたというだけで

学問や忍術を教えてやったからというだけで

こうも図々しく相手に甘えていけるものなのか

これではどちらが年上かわかったものではないと思わず自分でも呆れて小さく息を吐く


「?どうしました 溜め息なんて」

「いや、大きくなったなと思って」

「ふふ、何ですか それ」


ある春の昼下がり

利吉は鴇の部屋へ訪れていた

校庭からは下級生たちが遊んでいる声が遠くに聞こえるが、六年長屋自体は静かなものだ


「随分大人びたものだ 町娘達が放っておかないだろう?」

「興味ありませんし、貴方にそれを言われると何だか嫌味ですよ」

「?なんで」

「ご自分の顔、鏡でご覧になってはどうです 利吉さん」


鴇の横でごろりと寝転んで、質問がてらに鴇に視線を向けたが、鴇は笑うばかりだ

そのまま再び視線を手元に落とした鴇へ、利吉は寝転んだまま手を伸ばした

もう少し、自分に興味をもってくれたっていいじゃないかと思ったのだ


「ちょっと、危ないですって 私針を持っているのに」

「どう、直せる?」

「これくらいの裁縫は朝飯前ですね」


文句を言うのもそこそこに、チクチクと鴇が器用に自分の着物を縫っていく

敵と交戦した時に破いてしまった着物の袖

利吉だって裁縫くらいは出来るが、忍務がようやっと終わって此処にこれたのだ

優先事項は他にあるし、面倒だと思っていれば鴇が縫おうかと申し出てくれた

それであれば、と素直に甘える

上着を鴇に預け、利吉は鴇の部屋で横になっていた

これだけ気を抜ける場所も利吉にとっては少ない

相変わらず静かで、和紙の匂いに包まれている部屋だ

以前来た時よりも増えている蔵書や忍具に彼が最高学年であることを実感する


「右肩、青くなってますね」

「?ああ、一昨日強く打ち付けてしまってね」

「痛みがあるなら、薬を用意しますが」

「いや、見た目ほど酷くない 痛みもないんだ」


露わになった上半身に走る数々の傷を、鴇はちらりと見てそうですかと呟いた

これは彼なりの心配の仕方

素直に問うても答えない自分から答えを引き出すためのさりげない気遣いだ


「………………」


それ以上は特に追求もせず、チクチクと素早く、だけど正確に鴇が縫い物を進めてゆく

集中しているのだろう、視線が手元に釘づけで、それが何だか面白くなかった

ほとんど力の入っていない手でクン、と引けば、鴇が再び視線をこちらへと向ける


「もう、何ですか」

「構ってよ 鴇」


ニコリと笑ってそう告げれば、鴇が小さく溜め息をついて"何か御用ですか"と問う

棒読みなソレに利吉は小さく笑った


「つれないなぁ」

「生憎、2つのことをいっぺんにできるほど器用ではないので」

「よく言うよ 学級委員会委員長様が」

「大体、任務終わったばかりなのでしょう?こんなところに来てる場合ですか」

「うん、たまの休みだからね ゆっくりしたくて」

「であれば、ご自宅でゆっくりされたらいいんですよ」

「…これだから鴇は駄目なんだ」

「何故に私は突然の駄目だしをもらわねばならぬのです」

「鴇に会いたくて、わざわざ此処に来てるのに そんなつれない態度でいいと思ってるのかい?」

「は?」

「え?」


驚いて手を止め、こちらを凝視した鴇の反応に、利吉もまた驚いて声をあげた

この少年はこんな初歩的なことにも気付いていなかったというのか

驚きを通り越して少し嘆きながら利吉は再び口を開いた


「…呆れた 何で私が休みの度に此処に来てるかわかってなかったのか?」

「や、山田先生に会いに来たついでかと もしくは他の生徒に掴まらないように逃げてくるのに絶好の場所と思ってらしたのかと」

「父上には用事があった時しか会いにこないし、忍たま達を撒くくらい、私にとっては容易いことだよ」

「…私の部屋が昼寝するにはちょうどいいと思ってるわけじゃぁ…」

「間違っちゃいないけど、前提はそこじゃない」


大体鴇は昔からそうなのだ

自分に寄せられる好意というものにとんと疎い

昔はそれも個性だと思って放っておいたが、ここまでくるともはや罪だ


「じゃあ何か?鴇は大の男が突然前触れもなくやってきて、部屋でゴロゴロするのは別におかしな話じゃないってことかい?」

「…まあ、私の周りでは珍しいことではないので」

「は?」


小平太に鉢屋に綾部に、最近では次屋と神崎もか

(あ、鉢屋はゴロゴロはしないか)

指折り数えてゆけば、利吉の眉間に皺が刻まれる

それに気付いた鴇は苦笑して口を噤んだ

利吉がこれを聞いたところで、面白くはないのだろう 丁度、縫物も終わったところだ

最後、犬歯で糸をプツリと断って、寄った布をほぐす

終えた裁縫の針を針箱に仕舞い、口をへの字にして黙りこくる利吉の傍へと身体を寄せた

この人は昔からそうだった

私の身を案じてくれて、私に友ができるかを気にかけてくれるくせに私が友と仲良くしているのをみるとどこかつまらなさそうな、


(寂しそうな顔をする)


不謹慎であるとわかりながら、鴇は小さく笑った

それに気づいた利吉が少し口をとがらせてジロリと睨んだ


「どういう笑いだ、それ」

「いえ、貴方に嫉妬してもらうなんて、なかなか贅沢だなと思って」

「…お前は、時々意地が悪いね」

「利吉さんほどじゃぁないですよ」


鴇が8つの時、両親や知り合い全てが斬り尽くされた時

大木雅之助に引き取られた鴇を気にかけてくれたのは山田一家であった

雅之助に子育てができるのか、という心配もあったのだろう

所帯をもつ山田伝蔵が年の近い利吉に鴇の様子をみるように告げたのはそんな配慮からであった

一人っ子であった鴇にとっても、そして同じく一人っ子であった利吉にとっても、互いは興味深い相手であった

鴇は初めこそ躊躇したが、利吉を兄のように慕った

穏やかで博識で運動神経抜群で、そんな利吉は鴇にとって憧れの存在であり、

利吉も素直で実直で、自分についてこれるほどの才能をもった鴇に弟のように接した

利吉は鴇に何も隠しやしなかった

自分の感情も、考えも、何も隠さず接した

そんな利吉が、時折頑固で愚痴をこぼす彼が、周囲が羨むほどの完璧な人間でないと知って鴇は少し安心したものだ


「はい、直りましたよ」

「…ありがとう」

「ちゃんと羽織ってください まだ春先ですから風邪をひいてしまいますよ」

「……そうだな」


先ほどの会話をまだ怒っているのだろうか

何となく反応の悪い利吉に鴇はしまったなと思った

この人は一度拗ねると意外と根が深い


「そうだ、お茶でも淹れましょうか 美味しい団子があるので」

「…私を食べ物で釣ろうとは、随分甘くみられたものだ」


いけない、逆効果だった

また深く皺を刻んだ眉間に鴇は苦笑した

小平太に喜八郎に三郎に、先程あげた忍たまの扱いは鴇は心得ているつもりだが、利吉に関してはいつもわからない

それは彼が自分よりも大人で、こうやって口先で誤魔化すことができないくらい経験値があるからだろう

彼に惚れた娘達はさぞ攻略が難しかろうと鴇はまた小さく笑った


「…今、面倒な奴だと思っただろう」

「なんですかそれ、思っちゃいませんよ そんなこと」

「どうせ私は口五月蠅い小姑みたいな男だよ」

「だから、勝手に人の言葉を想像して怒らないでくださいよ」

「じゃあ鴇は私のことをどう思っているんだ?」

「何をいまさら、そん」

「鴇 答えてよ」


呆れて溜め息をついた鴇がまた離れようとするのを利吉は許さなかった

ぎゅっと掴んだ手首は細い

利吉が出会ってすぐのあの頃に比べれば随分と逞しくなったが、それでもまだ20にもならない青年である

初めて会った鴇の印象は、酷く危ういものであった

両親を殺され、家を失くし、見知らぬ世界に放り込まれた彼はまるで無防備な存在で

それなのに人に頼るということを知らないその姿勢に随分と戸惑ったものである

それでも、手を伸ばしても、その手を掴むということを知らぬ鴇を放っておけなかったのは彼があまり子どもらしくなかったからだ

子ども特有の我が儘も、ぐずつきも、本能だけで動くようなこともなく

身体中を巡る武士の血が故か、自らを律し、ならぬものはならぬと言い切る鴇には、力の抜ける相手が必要だと思ったのだ


(…なんて、気の置ける相手が欲しかったのは、果たして誰だったのか)


1年、2年と兄のように接してきた

3年、4年、5年と気の知れた家族のように接してきた

その間に、面倒を見ていたつもりが、いつの間にか自分の方が救われていることに気付いた

自分がフリーの忍者となって、心身ともに削られる日々を過ごす中、唐突に鴇に会いたいと思うことが多くなった

鴇は自分を"忍たまの憧れの利吉さん"としてはみない

自分が愚痴をぶちまけても無理矢理話を合わせるようなことはしないし、感情を露わにしても宥め賺したりはしない

それはもう身内のような気軽さで、血のつながりこそないが、家族に近しい存在だと思っていた


(そう、2年前までは)


じっと見つめると鴇は困ったように視線を少し逸らした

すらりと伸びた手足、すっと鼻筋の通った端正な顔

どうしたものかと思案する物憂げな視線に心臓がドクリと鳴る

利吉は自分のこの想いを理解している

この鳴る心臓は、もはや彼を弟のような親愛の情でみてはいないのだろう

鴇に触れるこの手は彼を恋しいと熱をもっているし、彼の目に自分が兄のように映るのはもはや本意ではない


「そんなに難しいことを、聞いたつもりはなかったんだが」

「っ!」


掴んだ手をぐっと引き寄せて、そのまま床へと押し倒す

ゴン、と鴇が頭を打ち付けた音が聞こえたが、利吉にはどうでもよいことであった


「何ですか、何か気に障ることを私は言いましたか」

「何も お前はいつも何も言ってはくれないから」


後頭部の痛みに苛立ちを覚えたのか、少し語気を強めた鴇に利吉もしれっと答える

起き上がろうとする鴇の上に覆い被されば、今度は鴇が眉間に皺を寄せた


「わけが、わからない」

「一生懸命考えてくれ まあ、納得のいく答えを出すまではこのままだけどね」

「利吉さ、!!」


押し倒した時にはだけた着物合わせ目に唇を寄せれば、鴇がビクリと跳ねた

押しのけようとする鴇の手を掴み、掌にも唇を寄せれば鴇がまた震える


「気づいてないふりをするのもいいさ でも、私がそんなに我慢強い方じゃないの鴇は知ってるだろ」

「………………」

「ま、た そうやって私をからかう」

「からかってなど、いないさ」

「悪、趣味だ」

「私の好みに口を出すなんていい度胸だね 鴇」


眉間に皺を寄せて私を睨む鴇の額にそっと口づけを落とす

親愛とも、思慕とも判断のつかない口づけを

私の気持ちは決まっていて、それを鴇がどう受け止めるかだけが論点だった




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