- ナノ -


あなたにはわからない今日がある (次屋)


次屋三之助は3年ろ組、体育委員会に所属する忍たまである

これは彼が2年に進級した春の話

嘉神鴇との日常の、ある一コマである






「…あれ、ここどこだ?」


もはや口癖になったこの言葉に、三之助はポリポリと頬を掻いた

見渡す限りの雑木林

たしか自分は先ほどまでは河原の近くにいたはずだが、


『無自覚な方向音痴』


周囲からはそのように暴言を受けているが、三之助自身は心外に思っている


(俺が方向音痴なんじゃなくて、この世が広すぎる)


これが三之助の持論である

視界にも捉えていない場所に迷わず進むなんて、磁石でもなければ無理だ

三之助だって何も馬鹿ではない

例えば「その角を右に曲がって1つめの部屋が保健室だ」と言われれば保健室にだって容易に辿り着く

つまり、三之助を上手く誘導できない周囲の環境が芳しくないのだ

そこいらに立て看板を作ってさえくれれば、何も山1つ向こうの野原で作兵衛に怒られながら捕獲されることだってない、そう三之助は真剣に思っている


(それを、何で滝夜叉丸先輩も作兵衛もわかってくれないのか)


はぁ、と溜め息をつき、ひょいと塀を乗り越える

三之助が道を誤れば、口やかましくソレに怒鳴るのは同級生の富松作兵衛と委員会の先輩である平滝夜叉丸だ

2人は自分と左門を回収し、何故こんなところで迷ってるのかと嘆くように説教を何度もしてくる

しかし三之助にしても、左門にしても、別段迷っているつもりはこれっぽっちもない

ちょっと見慣れないところに来てしまっただけ、それが2人が探し人達に返す言葉である


(それに、)


誰だったか、この世は丸い球体のようにできていると言ったのは

それならば、どんなに迷ったって一周回ればもとに戻ってくるはずだ

探すのに苦労すると嘆く2人に、こうなのだから、ゆっくり待ってればいいじゃないかと言ってやろうと思う


「ね、どう思います?問題ないでしょ?」

「考えて欲しいのは、その一周にどのくらいかかるか、だけどな」


自分を背負って走るその人が笑う

揺れる視界には、太陽にキラキラと反射する灰色の髪が揺れている


「えー、結構かかる感じなんすか?」

「まあ、富松が泣きべそをかくくらいにはかかるんじゃないか?」

「夜までに会えれば十分だって思うけどなぁ、俺」

「ははは、知らないって罪だなぁ、次屋」


ひょいひょいと禁止区域の罠を飛び越えながら、またその人が、

嘉神鴇先輩が笑った







気がついた時、三之助は河原から離れ、森を突き抜け、見知らぬ場所に立っていた

右を見ても左を見てもピンとくる景色ではない

裏山で手裏剣の特訓をすると作兵衛が言った

掃除も早く終わったし、のんびり行くかと1人で歩き出してそれで、現在に至る

どこをどう間違ったのか、思いだしてみれどトンとわからない


「こら、此処は下級生の立ち入り禁止区域だぞ」


悩んでも仕方がないと一歩前に踏み出そうとすれば、むんずと首根っこを掴まれて息が詰まった

む、と振り向けばそこには三之助も見知った人がいた


「あ、」

「次屋、また迷子かい?」

「まさか、奇遇っすね 鴇先輩」

「うん、今日も見事に無自覚か」


嘉神鴇は三之助の所属する体育委員会委員長代理の七松小平太と同級の忍たまだ

小平太が何かと鴇、鴇と口癖のように名を呼ぶので、あまり人に関心をもたない三之助も彼の名前だけはすぐに覚えた

5年ろ組学級委員長委員会の委員長代理である彼は、柔らかい物腰と穏やかな気質が人気の上級生である


「で、どこに行きたかったんだ?」

「裏山で作兵衛達と待ち合わせしてて」

「お、方角としては直進で正解だ」


ふふふ、と笑った彼の表情は相変わらず綺麗だ

鴇が小平太と一緒にいると三之助は妙な気分になる

そこいらのくのたまよりも手入れの届いた灰色の髪と、中性的で整った顔立ち

小平太が絵に描いたように男らしいからか、それとも鴇の仕草が女のそれよりも細かく美しいからか

先輩2人が並ぶその光景はまるで恋人のソレのように見えて、小さく三之助の胸をざわつかせる


(なんて言ったら、ぶん投げられる)

「どうした?次屋」

「何でもないっす」


むくむくと育つ想像力を押し込めて適当に笑う

三之助は知っている

この嘉神鴇という忍たま、見た目をそのまま信じたら痛い目に合う


上級生の誰よりも穏やかな笑顔は、1度怒らせると背筋が凍るほど冷たい空気を纏う

その綺麗な顔にフラフラと吸い寄せられて、押し倒そうとした上級生が保健室送りにあったと聞いたのは1度や2度ではない

そもそもこの嘉神鴇という忍たま、暴君と呼ばれる七松小平太と組み手と言う名の殴り合いを平気でやる武闘派だ

入学した当初、その姿を目の当たりにしてぶっちゃけ引いた

引いて引いて、


(そんで、慣れた 格好いいって思えるまでになったから、俺も大概だ)

「ところで、裏山へはこの立ち入り禁止区域をまっすぐ進むんだが」

「はぁ、」

「戻れるの?」

「え、鴇先輩連れてってくれるんでしょ?」

「その絶対的な自信はどこからくるんだ」

「?連れてってくんないんすか?」


まさか、連れて帰るよと鴇が三之助に背を向けて、ん、と促した

それに疑問を抱くことなく鴇の背にひょいと三之助が飛び乗る

軽々と三之助の身体が持ち上がり、視界が一気に広がる

ぎゅうっと鴇の首にしがみつくように腕を回せば、ふわりと優しい匂いがした


「準備万端 いつでも出発して大丈夫っす」


端から見れば、華奢に見える鴇の背は、乗ればとても広いことを知っているのは三之助くらいか

軽々と自分を肩車する小平太に比べれば力強さこそないが、その背がとても安心できることだというのは変わらない


「まったく、お前くらいだよ 私を馬代わりにするのは」

「えー、馬だなんて思ってないですって」

「はいはい それでは出発するよ ご主人様?」


直後、ひゅっ、と風をきる音が耳の横を走る

自分では出せない速度で景色が流れていく、これがこの特等席から見える景色であった

三之助にとってはこれは1年の頃からの当たり前なことで、それを知った滝夜叉丸が真っ青な顔で鴇に土下座して謝ったのはつい最近のことである

それに加え、鴇を慕う鉢屋三郎が、酷く不機嫌な表情でやめろと1度言ってきたことがあったが、三之助だって譲りたくないものの1つや2つある

嫌だと鴇の背にしがみつけば、1年生にムキにならないでよと何とか鴇が三郎を宥めて曖昧になった


(いいじゃん あんた達は、もっと好きなことができるんだから)


隠れた鴇の背でそんなことを思ったのは誰が知るのか

三之助は知っている

七松小平太が幸せそうに彼に口付ける姿も

鉢屋三郎が彼に向ける思慕と色の混じる視線も

飄々と彼の膝上で眠る綾部喜八郎が時折鴇に抱きつく抑えきれない衝動も


(俺は、そこまで望んでないし)


次屋三之助は周囲が思うよりも物事を冷めた目で、よく言えば客観的に見られる忍たまであった

先輩たちの鴇への振舞いについて口にした時、同学の藤内や作兵衛が顔を真っ赤に染め上げるような反応を三之助はしなかったし、

左門のように仲がいいんだな!と馬鹿みたいに笑うこともできなかった

意外なことに、三之助は周囲のそういった人間関係を鋭く悟れる少年であった

それは幼いながら自身も淡い恋心のような情景を鴇に抱いたがゆえか



見て見ぬ振りをするのが楽であった

見て何も感じていない振りをするのが最善であった

偏見も、軽蔑ももちろんなかった

だって、三之助の心の奥底でモヤモヤと渦巻く感情もきっと嫉妬のようなものだったのだから

ただそれを、詳しく分析したところで、どうなるというのだろう

そもそも、三之助は他の先輩の忍たま達よりもスタート時点で出遅れているのだ


3年という年月は、自分達のように思春期真っ直中の者達にとっては大きなハンデで

三之助がそれを痛感するほどに、鴇は三之助を手のかかる後輩としか思っていないのだから

だから鴇は三之助に屈託なく笑い、無防備に背中を提供する

その背で三之助が色々と物思いに耽ることに気付くことなく

言葉の代わりに抱きつく腕に力を目一杯こめたところで、鴇は速度を落とそうか?とトンチンカンな答えしか返してくれないのだ


「おーい、次屋 起きてる?」

「………もちろんでーっす…」

「お前、ちょっと意識飛んでるでしょ 折角普段入れない禁止区域を通過してるんだ 少し見ときなよ」

「俺、勉強嫌いっす」

「何て張り合いがないんだか ここ、四年生になったら夜間訓練で使うんだからな」


溜め息をついた鴇に、怒りました?と頬を寄せれば、鴇が当たり前だ、と言葉で叱る

しかしその横顔はどう見ても笑っていて、三之助も声をあげて笑った

ひとしきり笑って、鴇が軽い口調で呟く

それはとても優しくて、安心のできる声で


「着いたら起こしてやるから、寝てていいよ」


この瞬間が永遠には続かないことも知っている

聞こえたその言葉に適当に返事をして、三之助は静かに目を閉じるのであった














「次屋 こら、次屋」


ぼんやりと浮上した意識と、ぼやける視界に広がったのは彼であった

キラキラと光る灰色の髪が、強い風に靡いている

相変わらず綺麗な人だと思いながら、三之助はじっと相手を見返していた


「起きろ こんなとこで寝たら、風邪ひくぞ」


伸ばされた手が、三之助の細く節だった手を握って上へと引く

状況がわからず、ぼんやりとしていれば彼が、鴇が小さく笑った


「今日の鍛錬は終わったんだろ?私も学園に戻るから、一緒に帰ろう」

「……あー……はい、」


髪についた草葉を取り、制服の埃を払う

そうだった、たしか委員会で七松先輩に組み手の相手をしてもらって、負けて悔しくてふて腐れていたんだっけ


「小平太にやられたか」

「今日は勝ちを譲っただけっすよ」

「そうか ふふ、ではまた明日再戦か」

「明日は勝つんで、問題ないっす」


なら今日はゆっくり身体を休めろと鴇が笑う

その横顔は、いつもと何も変わらない

ただ変わったのは、彼が最終学年の証である松葉色の制服を身に纏ったことだけだ


「?どうした?」

「………………」

「立てない?おぶってやろうか?」

「……冗談でしょ 俺、もうチビじゃないです」

「背、一気に伸びたものな」


すくり、と立ち上がれば、地面が遠ざかる

上級生達に比べればまだまだ発展途上ではあるが、同学年のなかでは三之助は群を抜いて背丈がある

線は細いが、しなやかな筋肉とすっと伸びた手足は委員会で鍛えられたものだ

鴇が軽々と持ち上げた、そんな小さな三之助はもういない

こんな大きな図体で鴇の背に乗るのは躊躇われた

成長と共に、三之助は特等席を自然に失ったのである


しがみつくのには無理があった

そして、固執するにはもう恥ずかしくて無理だった

それでいいと思う

いつまでも、子どものように甘えるのにはこの姿は不似合いだ

そう考えられるようになったのは三之助が大人になったのか、臆病になったのか

大きな図体で今も鴇に飛びつく自分の委員長を見れば、そこはわからなくなるのだが


(きっと、あの人は知っていた)


自分が尊敬する小平太は、恐らく三之助が鴇に憧れではなく、思慕に近い感情を抱いていたことを知っていた

それでも、彼が鉢屋三郎や綾部喜八郎を鴇から追い払うように三之助にかかってこなかったのは、それが到底叶わぬものだと判断したからであろう

それはきっと年長者の余裕

鴇と苦楽を共にし、鴇と肩を並べて生きてきた、あの人の絶対的な自信である


(でも、さ)


帰路につこうと前に一歩踏み出した鴇に、三之助が後ろから抱きつく

少し力を込めれば、足を止められるくらいには力も背丈も追いついてきた


「?どうした?やっぱりおぶるか?」

「だから、おぶるのはもう無理ですって」

「馬鹿言うなよ まだ三年生を背負えるくらいの余裕はあるさ」

「背負わなくていいんで、」


空いた鴇の左手に、自分の右手を重ねてしっかりと繋ぐ

少し冷たい彼の手と、熱をほんのりともった自分の手の温度が融けて心地いい

ん?と首を傾げた鴇にしれっとした表情で三之助が口を開く


「手くらいは、引っ張ってください」

「ふふ、そうこないと」


楽しそうに、嬉しそうに鴇が笑う

きっと彼は三之助がこうやっていろいろと考えていることなんて一切わかっていないだろう

それでもいい

下級生のただの戯れだと思っていればいい


(いつか、いつかは思い知ればいい)


馬鹿みたいに遠くから眺めるしかできなかったこの想いを、

成就するかどうかなんて知ったことではない

でも、知らずにいられるのも少し悔しくて

少なくとも、学園に戻るまでの数十分は、鴇は三之助の手の中にいるのだとしばしの優越感に浸りながら

三之助はぎゅっと鴇の手を握る手に力を入れたのであった






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