- ナノ -


綺麗なものばかり光る世界だった
(学級+α 夏の日)


「あーーっつい!」


急に上がった大声に、彦四郎はビクリと肩を震わせた

それに連動するかのように筆先がぐしゃりと揺れて紙に墨が広がる


「わわっ…!」

「勘右衛門!彦四郎に謝れっ!」

「い、いえ すみません」

「ごめーん 彦四郎ぉっ でもむりーっ!」


声の主は学級委員長委員会に所属する尾浜勘右衛門であった

真夏の真昼間、委員会活動をしている最中ではあるが、勘右衛門は限界であった

いくら室内にいるといっても風がなく、じわじわと籠る熱気にやる気はそがれていく


「あっつい!去年も大概だったけど、何なのさ この暑さ!」

「そうはいってもなぁ」

「大体、何だってこんな中、くっそ真面目に書類をやっつけないといけないんだよ」

「それが仕事だからだよ」


ギャンギャンと喚く勘右衛門に適当に相槌を打ちつつ、三郎もふーっと息を大きく吐いた

勘右衛門の肩をもつわけではないが、たしかに今年は酷く蒸す

ポタポタと滴るように落ちる汗を拭えど、一向に涼しくなる気配はない


(…こんな状態だというのに)


まだ横で暴れている勘右衛門は放っておきつつ、三郎は部屋の奥を見つめた

一番奥の風通りがあまりよくないところに我らが委員長である嘉神鴇は座っていた

先ほどからの勘右衛門の喚き声なぞ聞こえていないかのように、鴇は目の前の紙面に集中している

鴇の横に並んだ巻物は既に4つ

学園長が鴇に依頼したのであろう、暗号の解読だと聞いている

そんな大事なものをこんなところで広げていいのかと言われれば、別に構わない

ここにそれを解読できる人間は限られているし、鴇がここに持ち込んでいるという時点でたがが知れているのだ

本当に重要なものであれば鴇は必ず自室に持ち帰るし、三郎にだって見せない

それが学園長とその膝元のお庭番である学級委員長委員会委員長との関係である

じっと紙面を眺めていた鴇が、筆を置き、静かに目を瞑る

物思いに耽るように少しだけ眉間に皺を寄せて肘をついた

トン、トンと指先で一定のリズムを立てて鴇がゆっくりと思案に没頭する

それは静止画のようにとても整っており、三郎は思わず見とれていた


(あそこだけ、時が止まったようだ)


だが、ここからの鴇の閃きが早いことも三郎は知っていた

ほんの2分ほど経過した後、ゆっくりと目を開き、筆を取り出した鴇が次々と巻物に何かを書き込んでいく

墨で紙面を塗りつぶし、朱色の墨で印を打ち続けるところを見ると、やはり解読は終わったのだろう

そこから十数分で一気に仕上げる姿はやはり惚れ惚れする


「お茶、入れましょうか」

「ん?あ、ああ…」


ふーっ、と大きく息を吐いて巻物を直し始めた鴇の様子を見計らって、三郎は鴇に声をかけた

鴇も委員会内の空気を読むのを忘れていたらしい

そっと声をかけた三郎に今気づいたような反応をした自分に鴇自身も苦笑した

ちらりと室内の様子を悟ったらしい鴇が立ち上がり、縁側へと進む


「?どうした 尾浜」

「もうダメ、今日は暑くてやる気おきません」

「勘右衛門!」


その態度にこの野郎、と三郎が姿勢を正そうと強い口調で呼んだ

しかし、勘右衛門は起き上がる気力もなく、ぐったりと畳の上に伏せたままダラリと答える

勘右衛門はいつだって自由だ、いい意味でも悪い意味でも


「…今日はもう終わるか」

「え?」


そんな勘右衛門の様子を視野にいれながら、パタパタと、手で自身を仰ぎながら呟いた鴇に三郎は思わず聞き返した

だってまだ始まって2時間ほどしか経っていない

駄目だというわけではないが、鴇と過ごせる貴重な時間が突然なくなるのは何だか惜しい気がした


「ここまで暑いと非効率だしなぁ」

「そんな中で巻物を5本一気に仕上げた貴方がいいますか」

「だって、もう溶けてる奴がいるじゃないか」

「…勘右衛門!」

「無理無理 俺、あっついのキライだもん」

「私も得意じゃぁないよ」


今日は勘右衛門がいくら伸びてようが別段鴇は構わないらしい

実際、鴇も暑いのだろう

集中していた時はそうでもなかったが、今は頬を汗が伝っている

懐から取り出した手拭いで額の汗を拭った鴇が苦笑した


「しかし、」

「どうした鉢屋 そんなに急ぎのものあったか?」

「そういうわけでは、」

「風がないからなぁ 再開するなら夕方からの方がマシだろう」

「……そう、ですけど」


珍しく引かない三郎に鴇が首を傾げる

少しむくれた様子の三郎に鴇が勘右衛門をちらりと見れば、勘右衛門が気怠そうに口を開く


「そーじゃなくてぇ、三郎は鴇先輩に構ってほしいだけだと思いますけどー」

「勘右衛門!」


何だってコイツはそういうバラすようなことばかりするのか

何の嫌がらせかと思って睨めど、勘右衛門はいつも通りどこ吹く風だ

三郎が怒る一方で、鴇はクツクツと笑っていた、意図が伝わったらしい


「なんだ、なら皆で行くか」

「?どこにです?」


おいで、と彦四郎と庄左ェ門を手招きして鴇が笑う

黙って作業はしていたが、2人とも額に玉のような汗をかいている

少し上気した様子を見て、鴇も決心を固めたようだ


「いいところ」


鴇に額の汗を拭ってもらいながら、彦四郎と庄左ェ門達もまた首を傾げるのであった














「うわー!」


キラキラと光る水面と同じように、キラキラと目を輝かせて彦四郎が叫んだ

着替えと手拭だけ持っておいでと言われて鴇に連れられてきたのは裏山の水場であった

魚がとれるような川があるとは噂で聞いたことはあったが、まだ1年生の彦四郎と庄左ェ門は来たことがなかったのだろう

少し上流に来れば滝もあり、泳げる広さの水場になっており、絶好の納涼スポットであった

道中、うだるような暑さに文句を言っていた勘右衛門も、水の匂いを嗅ぎつけたあたりからは足取りも軽くついてきていた

現金な後輩である


「鴇先輩、俺泳いできていい!?」

「構わんよ ついでに昼飯調達しといて」

「りょーっかい!彦四郎、一緒にくる?」

「はい!」


素早く上着を放り投げ、鴇が投げてよこした竹籠を鷲掴みにして勘右衛門が意気揚々と川へと走る

彦四郎も暑くて仕方がなかったらしい、珍しくテンション高めに勘右衛門へとついていく

勘右衛門と彦四郎の上着をひょいと拾い、適当に畳みながら辺りを見渡す


「黒木も行っておいで 気持ちいいよ」

「?設営をされるんじゃないんですか?」

「え?」


鴇と三郎の横にちょこんと残った庄左ェ門へ川に行くよう伝えたところ、そう返された

鴇の荷物のなかに厚手の大きな布と縄があることに気付いていたのだろう、首を傾げてソレを見やった庄左ェ門に鴇と三郎が苦笑する


「ほんと、目端が利くようになったものだね」

「勘右衛門にも見習わせたいもんだ」


知っていて遊びに駆けだした勘右衛門と、当たり前のように残った庄左ェ門の性格の差だろう

別段苦になるほどのものでも何でもなかったが、日よけのために持ってきたソレの設営は鴇と三郎、そして庄左ェ門の好意に甘えてものの数分で片がついた

ある程度落ち着き、鴇が三郎へと声をかける


「鉢屋、黒木を連れてってやってよ」

「構いませんが、委員長は?」

「少し寝不足でね ここで涼んでるよ」


さらさらと流れる川に足をつけて岩場に腰かけた鴇に、なるほどと三郎が頷いた

確かにここ数日夜遅くまで仕事をしていた鴇の目の下はうっすらと隈ができていた

あまり無理に動くと先に日射病でくらりとくるかもしれない

先ほど張った日よけの下であれば日蔭であるし大丈夫だろう

それに何より、鴇は庄左ェ門を気にしていた

遊びに行きたい反面、鴇の傍を離れていいか悩んでいるらしい庄左ェ門は誰かが連れ出してやらないといけない

いつもの鴇であれば、自分が率先していくのだが、そこは本音でいくとまだ本調子ではないのだろう

珍しくこちらに頼んできたところを見るとそれを拒否するわけにもいかなかった


「じゃあ、行くか 庄左ェ門」

「はい!」

「あまり深いところに近づいてはいけないよ」

「はい!」

「そのあたりは、私が気をつけておきます」


嬉しそうに返事した庄左ェ門に鴇もヒラヒラと手を振って見送る

三郎も暑いのは苦手だ

こちらを少し気にはしていたが、割り切ったらしく駆けていく後ろ姿を見ながら、鴇はそっと目を閉じた

サラサラと水の流れる音

風が水面に冷やされて、心地よく頬を撫でていく


(…やっぱり、此処は落ち着く)


そんなことを思いながら、鴇は意識を手放すのであった


















「やはり鴇だ」


半刻ほど経っただろうか、突然真上から降ってきた影と声に、鴇はゆるゆると瞼を開いた

逆光のせいか、顔がはっきりと見えないと思っていれば水に浸かっていただろう冷たい手が急に鴇の頬を覆った


「どうした鴇 こんな所で」

「こへ、いた?」


ポタポタと水を垂らしながら声をかけてきたのは小平太であった

全身ずぶ濡れのところを見ると、泳いでいたのだろう

小平太が少し動けば、そのあたりに水飛沫が飛んだ


「…暑いから、委員会で涼みにきた」

「そうか 奇遇だな 私達も今日は水練にしていた」

「やっぱり今日は暑いよなぁ…」


寝起きのせいか、少しぼんやりとしている鴇に小平太がクスクスと笑う

いつもであれば、身体を拭いてこいだの、水飛沫を飛ばすなと小言が飛んでくるのだが鴇も暑がりだ

涼みにきたというそれは本音だったらしく小平太が冷えた手を頬から目じりに動かせば、気持ちよさそうに鴇が目を細めた


「鴇は泳がないのか?」

「うーん、そろそろ水に浸かってもいいかな 黒木達も待ってると思うし」

「久しぶりに競争するか?」

「勘弁してくれ 休みにきてるんだ」


ちぇー、と口を尖らせた小平太に鴇が小さく笑った


「そっちの他の子たちは?」

「滝の方に行かせた 私は鴇が見えたから来た」

「それは邪魔してすまなかった」

「いいさ別に 鴇に会えてラッキーだ」




どうも学級委員長委員会と体育委員会は同じところに行きついたらしい

それならば滝場にいるメンバーと合流するかと、鴇も立ち上がって上着を脱ぐ

普段、鴇は黒地の肌着を身に着けたうえで制服を着こんでいるが、今日は本当に暑かったのだろう

珍しく前掛けタイプの肌着を纏っており、髪も高い位置で結っているため背ががら空きである

荷物を簡単に片している鴇の後ろ姿はどこか艶めかしい

無駄な肉が一切ない背と、背中から腰へと流れるような曲線美に小平太はゾクリと肌が泡立つ感覚を覚えた


「?どうした 小平太」

「…なんでもない」


小平太の視線に気付いたのか、鴇が首をかしげて声をかけてきたのを小平太は笑って誤魔化した

ガリガリと髪をかいて、熱に浮かされそうな自身を制する

一体何人が、この完成された美しさを知っているだろうか

ザブン、と川に身を沈めた鴇の横で小平太はそんなことを思っていた


「っは、やっぱり暑いときは此処にかぎるな」

「そうだなぁ」


気持ちよさそうに水に潜る鴇に小平太が笑う

ポタポタと髪から水を滴らせている鴇はいろんな意味で色っぽい

濡れて肌に張り付いた制服と、水中で白く浮かぶ鴇の肌

一体いつから自分は鴇をこんな目で見るようになったのか

此処は、自分と鴇と長次、3人で毎年くる場所であって

自分たちはそんな変化に気付かぬくらい、毎日を共にしたはずなのに


「?置いてくぞ 小平太」


ぼんやりとそんなことを考えていた小平太へ先を泳ぐ鴇が声をかけた

それに慌てて小平太は待ってくれと声をあげるのであった










「おーい、庄左ェ門、彦四郎ー」

「金吾ー?」


滝下から呼ばれる声は耳に入っているが、それに返事する元気がない

1年は組の黒木庄左ェ門と皆本金吾、1年い組の今福彦四郎は滝上の崖の上で固まっていた

体育委員会のメンバーと合流したのが30分ほど前、面白い遊びがあるのだと勘右衛門たちが教えてくれたのがこの崖上からの飛び込みであった

上級生たちは皆慣れているのだろう、勢いをつけて飛び込んでいく姿は容易に見えたのだが、いざ自分たちがとなるとどうにも足がすくんで

一年生トリオはいまひとつ一歩を踏み出せずにいた


「無理無理無理」

「…ちょっと、この高さは…」

「…………」


無茶な訓練には慣れていそうな金吾も首をフルフルと振っているところを見ると、初見殺しとしては確かな高さらしい

降りてこいと呼ぶ先輩たちが鬼のように思えて仕方がない

同じように体育委員会の2年生、時友四郎兵衛なら此処にいてくれるかと思ったが甘かった

彼はあれだけおっとりとした表情をしながら、軽く飛び込んでいってしまったのだ


「…コツとか、ないのかなぁ」

「飛び降りろとしか言わないんじゃない?」


ポツリと呟いた庄左ェ門に彦四郎が渇いた笑いを浮かべれば、また金吾が首を縦に振った

実際、体育委員会でもそういったアバウトな指示は日常茶飯事だ

そんなことを呟きながら崖下を覗き込んでいた1年トリオは大きく溜め息をついた

いつもであれば、こういった時にフォローしてくれる三郎や滝夜叉丸でさえ下で待っているのだ

あまり効果的なアドバイスは見込めそうにない

その時、


「まあ、度胸試しに近いからな」

「しっかり掴まってるんだよ」


ひょい、と身体が浮かぶ感触に3人は慌てた

地面が遠ざかり、振り返ったと同時に自分たちの委員長の顔が間近にあった


「「鴇先輩!?」」

「七松先輩っ!」


自分たちを抱えて、両委員長が助走をつけるために少し下がる

何をしようとしているのかを瞬時で理解した庄左ェ門達は咄嗟に鴇達の首にしがみつく

金吾にいたっては、気の毒に小平太に俵担ぎをされており、しがみつく箇所はない


「い、いきなりですかっ!?」

「ま、だ 心の準備がっ…!」


七松先輩は仕方がない

強制飛び込みだなんて通常運転だ

しかし、普段あれだけ穏やかな鴇がこの調子というのはどういったわけか

彦四郎なんかはビクついてしまっている

それを理解してるのか、鴇は笑った

この細腕に2人も抱えれることも知らなければ、これだけ楽しそうな鴇も自分たちはあまり知らない

そして、


「頭で理解するより、この方が早い」

「はははっ!いけいけどんどーん!」


景色が流れるように駆けて、次の瞬間ふわりと浮遊感に内蔵が持ち上がる

それが怖くてぎゅっと鴇にしがみつけば、鴇が庄左ェ門達に呟いた


「新しい景色だ、見逃すのは勿体ないぞ」


風圧に押されながら、庄左ェ門と彦四郎は目を開けた

眼下に広がるのは広く濃い木々の緑と、真っ青な水面

地上にいるだけではわからないソレが、延々と広がっている


「わぁ…」


驚くと同時に、一気に加速して落ちていく

体感したことのない速度だが、鴇がしっかりと二人を抱えてくれている

何も恐ろしいことはなかった


「息を吸って!」


楽しそうな鴇の声と同時に、結構な衝撃を受けながら5人は着水したのであった










キラキラと、大きく立った水飛沫が霧散して太陽の光に反射していた

ケホケホと、咳き込む彦四郎の背を撫でながら、鴇は昔を思い出していた


『無理だ』

『鴇!大丈夫だって!』

『意味がわからない お前の大丈夫はいつだって無茶だ!』


自分も確かに躊躇した思い出が此処にはあった

小さな世界に閉じこもって、小さな物差しで物事を見測っていたものだ

ショック療法のように、突然自分の手を引いて滝に飛び込んだ小平太を、当時長次が酷く怒ったのを覚えている

そんな無理強いの仕方があるか、と言えど小平太は言ったものだ


『それでも、お前に見せたい景色だったんだ!』


あの時の言葉と、あの時の小平太の気持ちが今ならよくわかる気がした

半泣き状態の金吾を、小平太がおかしいなとあやしている姿を鴇はそっと盗み見た

水飛沫に塗れながら笑っている小平太はもう立派な上級生であった

大きな節だった手が、小さな金吾の背をポンポンと撫でている

それが、急激な時間の経過を鴇に感じさせた


「…珍しいことをしますね」


目を丸くして隣へと泳いできた三郎の声に鴇が振り返った

1人寄越せと手を伸ばした三郎に、ビックリして放心状態の庄左ェ門を渡す

大丈夫か、と三郎が同じように背を撫でれば、庄左ェ門はコクコクと頷くばかりであった


「今日は飛べなくても仕方がないかと思ってたのですが」

「いいものは、早く見せてやりたくてさ」


いくら鴇が抱えているといえど、結構な荒業に鴇が出たことに三郎は素直に驚いていた

鴇の性格であれば、2人の気持ちが整うまでは待つと思っていたのだ

彼にしては、とても珍しい

そして、三郎の言葉にははは、と笑う鴇はやはり少しテンションが高い

七松小平太に感化されたのだろうか


「鉢屋、」

「はい」

「来年も、連れてきてやってよ」


笑い声と同時に、ぽつりと呟いた鴇の言葉に、三郎は庄左ェ門を見ていた視線をあげた

今、少し声が震えていなかっただろうか

そんな三郎の気づきなぞ構いやしないように、

ぐっしょりと頭から濡れた鴇は、笑っていた

髪から滴る水が頬をつたって、ポタポタと落ちる


「キラキラと、光る思い出をたくさん作ってやって」


また頬を伝ったのは滴だったのか、それとも涙だったのか

判断がつかないのは、鴇が笑い続けているからだ

とても楽しそうに、とても愛おしそうに

それは、ひとつ裏返せば泣き顔のように


「…気が早いんじゃないですか まずは今年遊ぶことを考えてくださいよ」


ぎゅっと絞った手拭で三郎は鴇の顔を拭った

為されるがままの鴇はそっと目を伏せている


「…それも、そうか」


強く目じりを指で擦れば、鴇が小さく笑った

そんな中、腕のなかにいた彦四郎と庄左ェ門が段々と正気に戻っていく

あとから込み上げた興奮に、頬を上気させて

もう1回やるか、と尋ねた鴇に、2人が目を輝かせて頷く


後ろをついていきながら、三郎は想う

あの高さから飛び降りたなか、この人は一体何を見たのだろう

立ち上げた水飛沫は、この人に一体何を見せたのだろう

鴇はもう、来年の自分たちを案じている


「貴方がまず、作ってやればいい」


わかっていないのだ、この人は

自分たちが大事にした思い出に、それを作っていたのは自身であることに

来年は来年の思い出ができるだろう

しかしそれが、鴇のいた日々と同じくらい光り輝くかなんてわからない

三郎が欲しいのは、この瞬間の色褪せない鴇との思い出だというのに


「?鉢屋、何か言った?」

「いえ、なにも」


少しだけ震えた三郎の声は、そっと水のなかへと落ちていくのであった






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過ぎ去る日々と、あっという間に駆けた夏のひと時が

今はただただ恋しいと思う日が来るのだろうか





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