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↑番外編 泣きじゃくって殴ってみせろ(三郎)


新しい、と言っても去年は空き部屋だった新しい自室へと踏み入れる

今年も一人部屋になったなと思いながら鴇は持ち込んだ私物を片していく

学級委員長委員会委員長であれば、それは仕方のないことだと鴇も理解している

手元にある私物のなか4分の1は委員会の資料で、自分以外の取り扱い厳禁である情報の塊だ


(変に、気を張らなくていいに越したことはない)


盗み見られるような管理の仕方はしていないし、そこらの人間が見たところで読み解けないくらいには暗文化をしている

ただ、扱っているものが扱っているものだけに個室の方が何かと気は楽だ


「委員長」


換気のために開けていた障子をご丁寧に叩いて、声をかけてきたのは鉢屋三郎であった


「入っても?」

「ああ、構わんよ」


そっと入室した三郎が、興味深げに室内を見渡す


「へぇ、前と少し間取りが違うんですね」

「向きが違うしな 2畳ほど広くなったが、一人だからあまり喜ぶ要素はないなぁ」


床板に積んだ資料を前の部屋と同じように配置していく

委員会の資料が当然多いが、五年の時を過ごした証拠か教本だってそれなりの量がある

低学年の時の資料は最低限だけ残して昔誰かに譲渡した

そういえば四年の時の教科書はどうしたっけと手が止まる


(あぁ、さっき見たな)

「鉢屋すまん、そっちに…」

「その額、痛そうですね」


振り向きざまにすぐ近くで発せられた三郎の声に鴇はビクリと肩を揺らした

てっきり入り口近くにいると思っていた三郎が、いつの間にか鴇のすぐ真後ろにいたのだ


「え、あ、あぁ、ちょっとぶつけた」

「へぇ?」


貴方らしくもない、と呟いた三郎が、鴇の緩く結わえた髪を一房掬い上げる

鴇の少し癖のある灰色の髪をくるりと指先に巻き付けてはするりと抜いて、また何気なしに絡める三郎は何も言わない

いつもであれば結ってもいいかと許可をとってくるのに、今日はそこまでしようとしない

何だか元気がないのか、静かで調子が狂う

くるりと巻き付けて、するりと抜いて

どこかつまらなさそうな、不貞腐れたような三郎が鴇に何か言いたげな視線を向けた


「?何、どうした?鉢屋」

「私言いましたよね?あまり根を詰めてはいけませんよと」

「?そ…だな」

「あんな蕩けるような表情、私だって数えるほどしか見たことがないのに」

「へ?」


ずい、と迫る三郎に鴇が思わず仰け反った

そして気付いた、これは元気がないわけではない

機嫌が最高潮に悪い時の三郎である

しまった、と鴇が思ったのと、そのまま壁に押しつけられたのは同時であった

ダン、と顔の横に衝立てられた三郎の腕が、鴇を逃がすまいと囲う


「ああいう、純粋無垢なのがお好みですか?」

「は?」

「どうせ私はあんなにキラキラした目で貴方を見れないし、直情的で無自覚な熱い愛の告白もできやしませんよ」

「!おまっ…」


はっ、と自嘲気味に笑った三郎が何を言い出したのか、頭に過ぎったソレがようやっとピンと来て、鴇は思わず反射的に身を起こそうとした

したのだが、


「っ!」

「知ってますよ 勘が誰を応援してるかなんて 同級のよしみ?そりゃ兵助は貴方と接する機会が少ないかもしれない」

「は…ちや、」

「でも、そんなの知るか」


眉間にぎゅっと皺を寄せた三郎が、鴇の頬を撫でる

ゆるゆると親指の腹でなぞって、目の下をまた静かになぞる

抜け出そうとした身体は、肩を押さえつけられて動けやしない


「アンタは学級委員長委員会委員長だし、アンタの後輩は私だ 余所見なんてしてくれるなよ」

「…………」

「どうせ私は可愛い後輩になんてなれないし、思わず抱きしめたくなるような?すみませんね、そんな雰囲気のひとつも取り繕えませんで」

「…………は、ちや」

「素直でも、何でもないのなんて知ってますよ」

「おい、はちや…」

「ずっとこんなんだ 捻じ曲がって捻じ曲がって、どうやったって、……どうやったって」

「やかましい」


グチグチと呪詛のように呟いていた三郎の声は、はっきりとした鴇の声に掻き消された

それが存外強い口調で、そしてそれが言葉のどおり呆れた口調であったことも手伝ったのであろう、はっと三郎が我に返ったのと、後頭部を引き寄せられたのは同時であった

時が、止まるというのはこんな時に使うのかもしれない

目の前いっぱいに広がる鴇の顔と、吐息を飲み込むように重ねられた唇と

脳が痺れるように目の前がチカチカして、目を開けたまま茫然とする自分を確認して鴇がまた唇を重ねる

激しいソレではなく、ゆっくりと、ただ深呼吸をするようにゆっくりと二度唇を重ねて、鴇が静かに離れた


「お前がしたいのは、こういうことか?」


違う、そうじゃない

いや、違わない

鴇の言葉に何と答えるのが正解なのかわからなくて、三郎は癖のように親指をぎゅっと掌に立てて握りしめようとした

それなのに、


「それ、爪やられるから止めろって、言ってるだろ」


当たり前のようにそれを読んだ鴇が三郎の指先に自分の指先を絡めた

何もかも鴇の主導権の下にいることを嫌でも感じてしまって、距離をとろうとすれば鴇が足を三郎の腰に絡めてグイと引き寄せた


「逃がすかよ」


流れるように鴇の胸元に抑え込まれて三郎は俯くしかなかった

鴇の周りの空気が冷たいのを肌が察する

鴇は普段、こういったことはしない

力任せに、相手の行動の先々を抑え込むような無理強いを、


(おこ、らせた)


思えば怒りのままに無作法を働いた

嫌味もこめて、敬語も外れて、そして兵助との逢瀬を覗き見してしまったことを暴露して

三郎だって見たくて見たのではない

いつまでたってもこの部屋に引っ越してこない鴇の様子を見に行けば、あの場面に出くわして

それでも兵助が、

あの真面目で、滅多に表情を変えない兵助があんなに優しい眼差しで鴇を見ていたのだ

あの空気も、あの絵になる光景もぶち壊すのを躊躇ってしまった自分が嫌になった

壊したいと思った卑しい自分も

これだけの感情が渦巻くくせに壊せなかった情けない自分も

どうしようもないというのははっきりしているのに


「お前、自分の顔見たことないんじゃないの?」

「………なんの、」

「純粋無垢で?キラキラした目で?直情的で無自覚な熱い愛の告白ができない?」


はっ、と鴇が呆れたように笑う

恐る恐る見上げてみれば、鴇も目が据わっている

自分が言うのも何だが、最高に機嫌が悪い時の表情だ


「お前の方が、よっぽどわかりやすい 何年一緒に過ごしたと思ってんだ」

「なっ…!」

「可愛い後輩じゃない?思わず抱きしめたくなるようなのじゃない?悪かったな、こちとら可愛いと思ってるし、思わず手がでるくらいには大事にさせてもらってるつもりだ」


三郎は知らないが、6年の同級生の間では有名な話である

鴇は自分のお気に入りに手をだされると酷く好戦的になることを

自分が認めたものを貶された時、鴇は最高潮に機嫌が悪くなる

そしてその筆頭が委員会の後輩である三郎であることを

その批判が、本人によるものだったとしても、だ


「どろっどろに甘やかせてやろうか?お前が見たことないくらい、独占欲前面にだして、そしたらお前は安心できんの?」

「……わ、たしは」

「選ばせてやるよ 鉢屋」

「……わたし、は」

「………………」

「………………」

「…………そうじゃないんだろ」


小さく溜め息をついて、鴇が俯いてしまった三郎を抱き寄せる

ビクリと震えた三郎の背を、トントンと軽く撫でる

くしゃりと、鴇の首元に額を寄せた三郎がぎゅっと目を瞑る

鴇の穏やかな心臓の音が、三郎の鼓膜をゆっくりと震わせる


「ヤキモチはいいよ、別に気分を悪くするようなもんでもなし」

「………はい、」

「拗ねるのもまぁいいよ、お前の機嫌取るの、楽しいから」

「……なんですか、それ」

「口答えは今日は許さない」

「…………すみません」


ゆるゆると鴇の背に手を伸ばそうか悩んでいれば、鴇が膝の上の三郎を抱えなおしてぎゅっと力をこめた

違うのだ

自分がずっと渡したくないと思っていたのはこの言葉と熱なのだ

微睡みにいるような

陽だまりにいるような

当たり前のように自分を傍においてくれる鴇がどうしようもなく好きで

それは今さら足りないと強請るようなものではないのだ


「心外だった すごく」

「……………?」

「何勝手に捨てられそうな気持ちになってんだか」


言い当てられた感情に、三郎は思わず息を呑んだ

それも聞こえたであろう鴇がまたポンポンと背中を軽くたたいて呟く


「何を差し置いても、お前との時間は割いてきたつもりだったし、これからもそうするつもりなんだけど」

「…………はい」

「そこ、疑うのやめろ 腹立つ」


ポツリと呟かれた言葉にどうしようもなく顔が見たくなって、顔をあげようとした三郎は強い力で抑え込まれた

藻掻こうとする三郎を押さえ込んで、鴇がグラリとそのまま身体を床に倒す


「い、委員長?」

「寝る」

「い、や でも、」

「私もお前も、睡眠足りてないから頭湧いてるんだよ」

「わ、私は頭湧いてませんよ」

「ふーん、私は湧いていると」

「え!?いや、そういうわけじゃっ」

「うるさい 寝ろ」


鴇はさっさと座布団を頭の下に敷いて、目を閉じている

こんな真昼間からさぼるなんて、普段の鴇なら絶対しないが今はなんだか有無を言わさない空気があった

三郎も諦めてくったりと身体の力を抜けば、鴇が抱き枕のように三郎を抱き寄せた


「昼からまだまだ仕事あるからな」

「……がってんしょうちですよ」

「なんだ、それ」


ぐしゃぐしゃになった顔を見られなくてよかったとか、

何と言って鴇と日常に戻ればいいかわからなかった三郎はようやっと小さく笑った

擦り寄るように鴇へと身を寄せて目を瞑った三郎の柔らかい髪をそっと撫でて、鴇もまた小さく笑うのであった




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