- ナノ -


02


「鴇先輩、超怖い」

「……冷やかしなら帰れ 尾浜」


委員会室を出て十数歩、春の陽気を満喫するかのように縁側にごろりと横になっていた勘右衛門を鴇が嫌そうに見下ろした

勘右衛門はその鴇の様子を気にも留めずにゴロゴロと寝そべっている


「まあ、まあ ここ座ってよ」

「…言っとくけど、私、今機嫌そこそこ悪いかんな」

「知ってますー」


ペチペチと手の届く範囲を適当に叩く勘右衛門の横に鴇は座った

この後輩、こういった時にどれだけこちらが嫌だと言っても全く気にしない素振りをするものだからタチが悪い


「お団子、食べます?」

「いらん」

「落雁は委員会室の中なんですよねぇ」

「それもいらん」

「もぉー 少し甘いもん摂った方がいいですってぇ イライラしてんだったら余計」

「やかましい」


普段の3割増しくらいで口が悪い鴇に団子だ落雁だと進める勘右衛門はへらりと笑った

自分が苛立っているということも手伝って、それが何となく腹が立つが勘右衛門にあたるわけにもいかない

ガリガリと髪を掻いて小さく息を吐く

頬杖をついて中庭をぼんやりと見やれば、勘右衛門が笑って呟いた


「鴇先輩さ 三郎のこと、許してやってよ」

「…真っ先に逃げ出したやつの第一声がそれか」

「えー、結構悩んだんですけどぉ?俺が同席する方が三郎も説明しにくいかと思って遠慮したら、鴇先輩めっちゃ怒って出てくるし」

「…別に、怒る予定はなかったんだよ」


鴇自身、自分が何にそんなに苛立ったのかイマイチわからなかった

別段、三郎が自分に扮していても何ら思うところはない

昔からそうだ

三郎が平時に鴇の姿を借りることはほとんどなく、あったところで悪さをしたことはない

普段顔を拝借されまくっている同級生や下級生達が怒るような悪戯もされたことは一度だってない

気分が良いものではないかもしれないが、腹をたてるような被害も受けていないのだ


「私宛ての手紙のなかを勝手に読んだわけでもないしな」

「じゃぁ、何でそんなイライラしてんの?」


何で、

正面から問うた勘右衛門の言葉に鴇はそっと眉を顰めた

そんなの、こっちが聞きたい

そう言い返すかと勘右衛門の方を見れば、のんびりとした口調とはまた別に大きな目が、自分をじっと見つめていた

この目が苦手だ

この後輩、三郎とはまた違って観察眼に長けている


「………………」

「………………」

「俺さ、多分わかるよ その苛立ちの原因」

「………へぇ」


問いに答えず見返していたからか、先に口を開いたのは勘右衛門の方であった

にっと笑って身体を起こした勘右衛門に鴇も気のない返事をする

こんな会話をしているが、勘右衛門は鴇がその原因に気付いたうえで口を割らないことを読んでいると思ったからだ

ここで聞きたくないなどと話を切ったら、こちらが逃げたと同義である

小さく溜め息をついて、諦めて胡坐をかけば、勘右衛門が面白そうに笑った


「鴇先輩はさ、三郎が不安そうな顔をしたのに腹立ったんでしょ」

「…………」

「ちょっとちょっとー 相槌くらいは打ってよ 答え合わせしないと終わらないじゃん」

「…さてね お前に付き合わないといけない道理はない」

「堅いなぁ」

「…………」

「三郎は、今日鴇先輩に負い目しかないわけよ 鴇先輩の留守中に姿を拝借して、引き際をミスって恋文までもらっちゃって」

「知ったことじゃない」

「それでもアイツ、ズルいことはできないの 相手が鴇先輩じゃなきゃ、いくらでも誤魔化すくせに」

「それもどうかと思うが」

「他の連中の何十倍も気を遣ってる、それに鴇先輩は苛つくわけだけど」

「……………」

「あんなに鴇先輩に構って欲しくて良い子にしてるのに」

「……………」

「報われないわー 三郎、かわいそー」

「はいはい、わかったからもう黙ってろ」


わざとらしく声をあげる勘右衛門に鴇がお手上げと肩をすくめた

勘右衛門がケラケラとひとしきり笑って、そして静かに鴇を見る

じとりと鴇が再度見返せば、勘右衛門がにこりと笑った

ガリガリと、少し唸って鴇が小さく溜め息をつく

そして、思った


(少し、腑に落ちた)


もういいや、と鴇も縁側にごろりと寝転んで、宙を見る

麗らかな春の陽気らしい天気に、少し気が抜ける

ぼんやりと空を見上げて鴇も口を開いた


「こっちはさ、何ら怒るつもりはなかったんだよ」

「うん」

「別にそんなに畏まるようなこともないだろう 鉢屋がいろんな奴らの顔を借りて、好き放題してるのだって知ってる それが今回は私だった、それだけだ」

「うん」

それならそれでいいんだけど、と鴇が呟く

「中途半端なんだよ 徹底して謝罪するのかと思ったら、告白への返事を知りたがる」

「あれねー 本人が1番びっくりしたんじゃないです?」

「そうだろうな 直球すぎて、こっちも戸惑った お前みたいに開き直って後学のために知りたいとでも何とでも言えばいいのに」

「えー 誰そのデリカシーのないのー?」

「お前だよお前」


鴇が寝転んだのをこれ幸いと、勘右衛門が鴇の腹の上に頭を寄り掛かるように少し乗せた

鴇も慣れたもので大した反応は見せず、勘右衛門の独特な髪を手持ち無沙汰に指に絡める


「何年、一緒に過ごしたと思ってる 鉢屋はいらん気遣いが多すぎる」

「わーかってないなぁ 鴇先輩 三郎はその慎ましさで鴇先輩の右腕の座に君臨し続けてるんだよ?」

「お前とは大違いだというのは重々承知だよ」

「なんとー」


茶化すなとペチッと勘右衛門の額を叩いて、鴇は小さく息を吐く

眩しい陽光にそっと目を閉じて、呟く


「語らずは美徳かもしれん ただ、それを隠しきれないなら意味がない」

「…あいたたた キビシー」

「あいつの質問の1つや2つ、それなりに答えてやるのに」

「えー、鴇先輩 時々はぐらかすじゃん」

「答えたくないものの1つや2つ、私にだってある」

「?なんか矛盾してません?」

「してないね 尋ねて断られる可能性だって普通にあるって話」

「だからぁ、断られたらね それはもうショックなの 腹のなかにズーンって響いて、ご飯不味くなんの」

「…らしいんだけど、え、何?メシ食えなくなるくらいショックなわけ?」

「ショックだよねー 三郎ー」


障子の向こうに投げかければ、静かにと委員会室の戸が開く

そこに立っていたのは小難しい表情をした三郎であった


「……何だって、こんな丸聞こえなところで話すんです」

「別に聞かれて疾しいものでもなし」
「めんどいもん お前、鴇先輩がどう思ってるか知りたいんでしょ?」

「~勘右衛門っ!」

「俺に八つ当たりしないでよ」


鴇の頭付近に正座をし、顔を真っ赤にした三郎が勘右衛門に声を荒げれど、勘右衛門はどこ吹く風である


「…っ、大体、何て恰好してる 委員長の上に乗るな!」

「それは三郎が決める話じゃないだろー」

「……!委員長、すみません すぐどけま…」

「別にいいけど」


勘右衛門の戯言に付き合うつもりはないと表情を引き締め直した三郎の言葉を、鴇はわざと否定した

驚いたように目を見開いた三郎を、鴇は寝ころんだまま見上げた

表情の意味はわかっている

三郎からすれば良かれと思ったものを自分が不要と回答したからだ

薄情だとは思ったが、今日は少し、意地悪をしたい そんな気分であった


(意地悪、というか)


「お前も来たらいいじゃない」

「なっ!?」

「そうそう 今日、昼寝日和だと思うんだよねー」


勘右衛門とは反対の片側の縁側をトントンと叩いて、三郎を呼ぶ

三郎はとても驚いて、驚いて驚いたあげく


「…………………」

「……三郎さぁ、こういうの 畏まる方が後に引けなくなるんだってー」

「う、うるさい!」


顔やら耳やらを真っ赤にして、三郎は石のように固まっていた

頭からの湯気が見えそうだと思いながら、それでもじっと見つめれば三郎が見てくれるなと顔を背けた

それがどうにもじれったくて、鴇はもう一度隣を叩いた

おずおずと、移動してきて正座を続けようとする三郎の腕を、今度は容赦無く鴇が引く


「う、わっ…!」

「人の頭上でゴチャゴチャ騒がない」


頭から鴇の腹へと突っ込んだ三郎の後頭部を、鴇はポンポンと宥めるように叩いた

ケラケラと笑う勘右衛門と、耳まで赤くした三郎がまた固まる

それが何だか可笑しくて、鴇も思わず噴き出した


「……委員長っ!」

「何を緊張するんだよ 添い寝なんて、何十回としただろうに」

「え、何それ ちょっとくわしく!」

「うるさい、勘!」

「そろそろ慣れてくれてもいいと思うんだがね 鉢屋」


後頭部から背中に手を伸ばして、ゆっくりと撫でれば三郎がビクリと反応する

また走った緊張感にポンポンと背を叩いて、鴇は口を開いた


「大人しくて行儀のいい鉢屋三郎も可愛いが、遠慮なく甘えてくる尾浜勘右衛門だって私は可愛いよ」

「きゃー、鴇先輩の人たらしー」

「………勘右衛門のは図々しいって言うんです」

「はっ!それで羨ましがってちゃ世話ないけどねー」

「…喧嘩売るなら買うが」

「買えるもんなら買ってみなってんだ」

「こら、尾浜 煽るな 鉢屋も人を挟んで揉めるな」


五月蠅いと三郎と勘右衛門の頭上に乗せた掌に少し力を入れて、潰すように押さえつければグウ、と変な声が漏れ出た

強制的に黙らせて、鴇は小さく笑った


「余所行きの顔も有難いのさ お前がしゃんとしてくれてるから、体裁を保ってられる」

「……………」

「語らずとも察せるだろう それがお前の優れた才能だ しかし、語るにこしたことはないと私は思うよ、鉢屋」


不破に模した髪をやわやわと撫でて、鴇は静かに呟いた


「本音と建て前の配分もあるだろう 相手の地雷を押さえて口を噤むのも賢いし、必要なことだ お前はそれがすごく上手い」

「……………」

「それでも、吐き出し切れないソレは、お前の中を渦巻いてやしないのか」


ぎゅっと自分の装束を掴んだ三郎の指先の力がこもる

それでも鴇は淡々と呟くように吐き出した


「納得がいかなければそう言えばいい 理屈が通らないと思ったなら、口を噤め」

「……………」

「どうせ相手は私だ こちらだって言いたくなければそう言うさ」

「……………」

「納得のいかなかったものを、簡単に飲み干すなよ 鉢屋 私はその癖を利用してるぞ」


自分のなかでモヤモヤとした苛立ちが消えなかったのは、恐らくこれなのだろう

鴇は勘右衛門にこういった歯がゆさを覚えた記憶がない

歯に着せぬ物言いの勘右衛門のソレは、とてもわかりやすい

白か黒か、別に白を黒だと言ったとて、勘右衛門に気にしない

聞きたいことを聞いて、勘右衛門は自分の向き先をはっきり決めるから

三郎はそうではない

なまじ鴇の事情を優先しようとするからだろう、聞き分けよさそうに引くその姿は時々違和感を覚える

今の答えの何に納得したのか、今の言葉は三郎が知りたかったソレなのか

長い付き合いで、三郎が飲み込んだ言葉の先が想像できるから、鴇はもどかしいのだ


(伏せているのは私だが、それを暴こうとするくらい、別に怒りやしないのに)


今回の件だってそうだ

私の告白の返事が何だと言われれば、それは三郎に教える義理はない

ただ、何故聞いたのかくらいは答えればいいではないか

それは変装名人としての鉢屋三郎が抱えた疑問なのか、自分を慕う後輩としての鉢屋三郎が抱いた疑問なのか

もう少し踏み込んでいいのであれば、お前はどうして欲しいと思ったのか

別にそれを聞いたからと言って、自分の返事を変えるつもりはない

ただ、それをそれだけ切羽詰まった表情で聞いたくせに、簡単に引き下がった三郎に自分は苛立ったのだ

この後輩は、何度言葉を飲み込むのだろう

それは果たして美徳なのか、嫌われないための処世術なのか、

そんなのはどうでもいいが、私の答えや口調一つにそれだけ右往左往するお前は、欲しいものの一つも言えないのか


「で?で?じゃあ、鴇先輩何て答えるの?」

「ははは、誰が言うか」

「はぁ?今の流れなら教えてくれるもんじゃないの?」

「教えてくれるもんじゃないよ」


ちぇー、と言って勘右衛門が身を起こした

ガリガリと髪を掻いて、よっこらせと立ち上がる


「ま、俺は鴇先輩が何て言うのか予想ついてるし、答え合わせしたい訳でもないからね」

「わかったような口を利かない さっさと土産を黒木と今福に渡してきてよ」

「はーい、はいはい」


勘右衛門が去って、三郎もそっと身を起こす

やっと追い払えた、と呟く鴇の横顔をそっと伺い見れば、それに気づいた鴇が困ったように笑う


「私が何と答えるか、知って何かお前の身の足しになるんだろうか」

「…いえ そう言った興味からじゃなかったです」


ガリガリと、三郎もまた髪を掻いてポツリと呟く

少し悩んで、伏せた視線を少しだけ上げる


「私は、委員長のことをよく知らないんだなと、急に怖くなりました」

「そうなの?」

「そうだと思ったんです」


鴇なら何と答えるか、あの瞬間、頭に何も浮かばなかった自分に三郎はとても驚いたのだ

他人であれば、流れるようにつける嘘もつけず、かといって、こんな感じだろうと見繕った答えも持てず

誰よりも長く一緒にいた自負があった

誰よりも、鴇を知っているつもりであった

あの時、あの瞬間、喉がカラカラに乾いて、張り付いたそこからは何も出なかった

それは、自分が鴇のことを何も知らなかったからではないのだろうか


「それ、考えすぎだな」

「いや、だって」

「私以上に、お前は私のこと知ってると思うけど」


乱れた髪を整えるためか、髪紐を解いた鴇が軽く頭を振った

ふわりと靡いた灰色の髪は、相変わらずキラキラと瞬く


「私だって人間だ 用意した答えを常に持ち歩いてるもんじゃないよ」

「……………」

「告白の返事だって、これから考えるさ」


またはぐらかされたのかと思って、鴇を見た三郎が、小さく息を呑んだ

少し眉を顰めて、困った表情の鴇が目の前にいた

先程の言葉に嘘偽りがないのが、とてもはっきりと感じられた


「ちゃんと、伝えてくれてありがとな」

「委員長、私は、何も礼を言っていただくようなことは」

「適当に誤魔化さないで持ち帰ってくれた それが私を理解してくれた証だと思ってる」

だからありがとうでいいんだよ、と呟いて鴇もその場を去っていった





結局、鴇が例のくのたまに何と返事をしたのか三郎は知らないし、鴇も語らない

ただ、時折彼女に上級生として手を引いてる鴇の姿を見て、三郎は何だかとても安堵するのであった




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