- ナノ -

本来、3年生である自分が学園長に何かを問うなんてのはおこがましいのだろう

それでも、三郎は聞かないわけにはいかなかった

それくらいには三郎は怒っていたのだから


『よかろう 聞こう』

『…私は医療に携わる人間ではないし、救えない命なんていくらでもある』

『もちろんじゃ』

『……それなのに、』

『?』

『押し付ける気ですか あの人の命を、私に』


その言い方に、眉を潜めた山田伝蔵が何かを言おうとするのを学園長がよいと制止する

それがまた三郎を苛立たせるのか、三郎の口は止まらなかった


『今年になってから4回、あの人は医務室送りになっている そのうちの3回が毒物によるものです』

『うむ』

『数日にわたる高熱に嘔吐、一度は失明だってしかけた』

『うむ』

『入室禁止のその部屋に貴方は私だけ入室させた 私にできることなんて、何もないのに』

『うむ』


ただ頷くばかりの学園長にカッ、と三郎の頭に血が昇った

畳に拳を打ち付けて、それでも言葉が止まらない


『だから、これをやれと貴方は言うのか?』

『受けたくないか?』

『そういう話じゃぁない もっと根本的な解決だってあるでしょう』

『根本的とは?』


淡々と返答する学園長にさらに三郎の中の何かがこみ上げた

それは、この半年間よりも前から溜めに溜めた不満だったのだと思う

学園長が鴇に命ずるあれやそれ、全てに少しずつ思っていたことである


『私にこんなことを仕込むくらいなら、そこまであの人を想うのであれば、そんな危険な任務をホイホイ与えるなって話ですよ!』

『……………』

『あんたにはそれができるでしょう!自分で命じておいて、何なんだその中途半端な配慮は!!ふざけんな!!』

『……………』

『あんたは委員長を殺す気か!あの人が断らないのをいいことに、どんだけあの人を傷つける気だ!』


いや、不満ではないと三郎は主張したかった

痛々しくてみてられないのだ

あの細い身体で全てを受け止めようとする鴇を

毒に魘され、のたうち回るその姿を目の当たりにさせられ、それでもできることはない

ようやっと鴇の状態が落ち着いたというか、意識が飛んだそこにいることしか出来ることはなかった

冷たい指先を両手で握って、鴇の脈を感じたくてそこに耳を寄せ続けた

ようやっと鴇が目覚めた時、自分が至らなかったのだと困ったように笑う彼に何と言葉をかけたらいいのかわからなくて

何とか泣くのだけは堪えた私に、次はしくじらないさ、と笑ったあの人に

そうじゃないのだと言えなくて、また私は目をぎゅっと閉じたのだ


『あんたは楽しいんだろう あの人に与えた試練を、あの人が何だかんだと乗り越えるから』

『……………』

『わたしは、おそろしい』


ゆらゆらと、目の前で鴇の命の灯火が常に揺れている

何も遮るものがなく、誰もあの人を守ってくれない

まだ4年生になったばかりの、あの細い命の炎は、

少し強い風が吹けば、簡単に消えてしまうかと思えば、彼は何とかそれを維持している

ようやっと耐えたそこに、さらに強い風が吹き荒れようとしてるのが、はっきりとわかる

終わりが見えない、変に見える位置に自分はいるからなおさら、


『鉢屋三郎』


パタパタと、何かが零れるそれが自分の涙だと気づいたのは、大川平次がゆっくりと自分の名前を呼んだ時であった

はっ、と我に返ってみれば、握りしめていた拳が真っ白になっていたことに気づく

止まることを忘れたかのように涙は三郎の目からこぼれ続け、それを学園長はじっと見つめていた

あれだけの暴言を吐いたというのに学園長は全く動じていないどころかわかっていたかのように穏やかにこちらを見つめている

その落ち着きようにやられた、と三郎は小さく溜息をついた

この好々爺は、三郎が抱えていた不満も不安も見透かしていたのだ


『鉢屋』

『…………』

『鉢屋三郎』

『…わかってます わかってるんです』


ズビ、と遠慮なく鼻を鳴らして、三郎はポツリと呟いた

気は済んだかと言わんばかりの学園長に何も言われたくなくて、三郎は言葉を紡ぐ


『あの人に与えれられる任務が、どれも重要であの人が適任だということくらい』

『……………』

『それでも、私は怖いんだ あの人がいなくなることが』

『…………』

『あの人を助けたいと思うのに、それができない言い訳をずっと考えている』


だからこの役目を素直に受けられないのだ

自分の力不足が、あの人を殺してしまう可能性がある

そもそも、この半年間だってそうなのだ

彼を守るものがない

だったら自分が守るのだと、

そこに名乗りをあげられない虚しさを、私は認めたくないのだ

あの人がいなくなった時、その要因の一つに自分がなった時

そうなった時、自分はどうしたらいいのだろうか

自分で自分が嫌になるくらいでは済まないだろう

それほど、自分は鴇が大事になっている

鴇を失うこと、自分に何もできることがないこと、それら全部含めてそれがとても、とても恐ろしいのだ

その引き金を、この手で引くかもしれない

武力だって、知力だって、得意な変装術だって、どれもまだまだ未熟だ

彼の命を紡げると豪語できるほどの自信も実力もない

私は、彼の支えになれていない

それだけを、まざまざと毎日見せつけられている


『勘違い、しておらんか』


ぐるぐるといろんな思いが脳内を駆け巡るなか、トン、と三郎のもとへとやってきた学園長の杖が三郎の肩に軽く落ちる

何故かそれを振り払えない


『儂はお前に期待しておる しかし、お前がそれに応じる義務はどこにもない』


トン、


『しかし、だからといってお主にとっても、簡単に諦められるような命ではないのだろう』


トン、


『先を見過ぎるな 現実に可能性が入り込む隙を、もっとお前は作るべきじゃよ』


トントン、と杖が三郎の肩で鳴るたびに、心に小さな静けさが戻る


『……………』

『足掻く術を覚えよ 結果はそこに付いてくる』

『私、は』

『鴇を1人にするな そのために、儂はお前をアレの横においた』


学園長は気づいていたのだ

鴇が倒れるたびに、自分の無力さに押しつぶされそうになる三郎の気持ちに

鴇が委員長代理となった日、彼を支えるのだと三郎もまた固く心に決めた一方で

具体的に何をすれば良いのかと答えを見いだせなかった三郎を学園長は見ていたのだ


『お前はどう思っているか知らぬが、お前もまた、その年でようやっておるよ』

『そんな言葉は望んでない』

『じゃろうなぁ だから今日のこの提案じゃ』

『……………』

『上手く泳げ 鉢屋三郎 1人で溺れるように藻掻くよりは、ずっとマシな提案じゃ』


鴇に一番何が必要かが見えている

鴇にはできない何かが見えている

そこを強化できる術が目の前に転がっている、しかも独力では手に入らぬものばかり

畳に広がる知識の宝庫を、取得しない理由がない

使わない知識かもしれない、使わない事態が一番望ましい

そう、これは「備え」だ

私の行動のなかに組み込める選択肢のひとつ


『鴇にこのことを伝える気はない 有事の際にはお主を頼るような助言もせん』

『……………』

『勝手な期待など抱かれやせん ただ、お前の心に』


その後の、学園長の言葉がいつまでも自分の中心に蘇る










「―――、ゃ」

「鉢屋先輩っ!」

ぐい、と袖を引かれ、三郎は我に返った

鴇が戻ったのか、自分の腕のなかで小さく名を呼んだ鴇に気付いた庄左エ門が、違うことに集中していた自分を呼んだ

慌てて意識をそちらにむければ、鴇が状況の説明を視線で求めていた

額に浮かぶ汗を拭えば、眩暈からか何度か瞬きをして鴇が呟く


「すまん …まわ、り  どうだ」

「一旦身は隠せてるかと ただ、気配が集まりだしたのも事実です」


目を閉じて、気配を探ったのだろう鴇がそうだなと呟くのを見て、三郎は危惧していたことを尋ねた

どちらかというと、鴇に対する牽制を兼ねている


「委員長 毒、抜けてないですよね」


じっ、と見つめれば誤魔化すことも難しいと諦めたように鴇が口をひらく


「…左、半身がうまく、動か、ん」

「神経毒です 気管支系の回復を優先したので痺れはとれてませんよ」


鴇の忍装束の袖をめくれば、左腕は赤黒い斑点が広がっている

ここまで強いものだとは思っていなかったのか、鴇は一瞬目を大きく見開いて、深く息を吐いた


「もう、しば らく動けんな 鉢、屋悪いが黒木達を、避難させ、」

「何馬鹿なこと言ってんですか」


動く右手で庄左エ門の頭を撫で、安心させるように口を開いた鴇を三郎が強い口調で否定すれば鴇がゆっくりと三郎を見つめる

ああ、これは嫌な反応だと思いながら三郎はじっと鴇を見返した

鴇が何を考えているか、手に取るようにわかるからだ

鴇の身柄を富松に預け、三郎は懐の「ソレ」に手を伸ばす


「支給されてる薬では対応できないし、時間が解決できるような代物じゃない そんなのわかってるじゃないですか」

「………………」

「一旦退いてもらいますよ 救護室に」

「お前こそ、馬鹿な こと、言うな」


鴇が右手の感触を確かめるように指先を動かせした

それがまだ戦うつもりであることを意味しているのを理解して、今度は三郎もはっきりと深い皺を眉間に刻む

そんな三郎の苛立ちに気づきながらも鴇は自分の意見を述べるのだろう

それを三郎が容易に受け入れないであろうことを予想しながら


「私、が今戻れば、ついてこい と言ってる、ようなものじゃ、ない、か」

「……………」

「だい、たい 目立ちす ぎる 黒木、達にだって 危険が、」


しかし、そんなのは三郎だって百も承知だ

鴇と時間を共にした時間が、それを物語っている

だから、この手しかないのだ





自分の考えを述べながら、作戦続行のために体勢を整えようと鴇が手足に力をこめた時であった

ぐらり、

突然大きく視界が揺れたことに驚いて、鴇は思わず目を瞑った

恐る恐る目を開けてみれば、視界がまたぼやけだした

三半規管をやられたかと思ったが、平衡感覚はそれほどおかしくない

目にきたか、冷たい汗が浮かぶも、こみ上げてくるものが睡魔であるのに気づいてまた嫌な予感が走る


(ちょ、っと待て これっ…!)


先ほどまでの毒の影響とは毛色が違う

この感覚は思い当たるものがあった

そして、三郎を睨もうと見上げた鴇の目が大きく丸く開く

丁度「それ」を鉢屋が顔へ被せた瞬間を見てしまった


「は、ちや お まえ」

「今日こそは、言うことを聞いてもらいますよ」


にっこりと笑うその顔は、不破雷蔵のソレなんかではなかった

灰色の髪が風になびいて、毎日鏡に映ったソレを自分は見ている

心臓が、ドクンと嫌な音を大きく鳴らす

その顔を見た時、鴇は三郎が何を考えているのかを瞬時に悟った

そしてそれが、自分が一番恐れていた三郎の提案であることも悟った

痺れる舌と身体を無理やり動かして、とりあえずの静止の声をあげる

「ま、て」

「いいか お前達、私の指示をよく聞け」

「ま、て はちや、やめろ」


鴇の言葉を、三郎はもう何一つ聞く気がないのがはっきりとわかる

大人びた横顔が、妙に整って見える

視界は揺れる

後頭部にかかる重みと、クラクラするこれは毒によるものではない

こんな時に、睡魔が襲ってくるなんて緊張感のない人間になったつもりはない

睡眠薬か何かを仕込まれた

誰が仕込んだか?そんなものは聞かずとも明白だ



「私がこれから敵を引き付ける 富松、その隙にお前は委員長を背負って救護室へ向かえ」

「りょ、了解です!」

「庄左エ門と金吾は救護室までひたすら走れ」

「ぼ、僕は鉢屋先輩と」

「実戦経験のないお前達、がどうこうしようと考えるな 少しでも早く先生方と連絡をとって、迎えにきてもらえ」

「でも!」

「庄左エ門、できることを全力でやれ」


抵抗力のない体調にぶち込まれた第2弾に、もはや抗う術はないのだろう

それでも眠ってなるものかと動く右手の掌に爪をたてれば、二言三言後輩たちに指示を出し終えた三郎が鴇の前にしゃがむ

三郎のなかではこれからの筋書きが確立したのだろう、やけに落ち着いた表情であった

それが、何とも腹立たしい


「はち、」

「あぁ、忘れていた」


鴇の言葉を遮って、三郎が正面から自分を見る

鏡に映したようにそっくりな自分が、鴇自身へと手を伸ばす

しゅるりと鴇の首から山吹色の襟巻を奪い去って、三郎が自身の首に巻けば


「これで完璧だ」


にっこりと笑った三郎に鴇のなかで何かがキレた

残った力を振り絞って三郎の胸倉をつかみ、痺れて上手く動かない舌に言葉を無理やりのせる


「か、えせ」

「?何をです」

「それは、わたし、のかお だ」

「よく似てるでしょう?いやぁ、我ながら会心の出来だと自負してますね」

「ふ、ざけ んな は、ちや」


ひっぺがしてやろうと三郎の顔に手を伸ばすものの、容易に避けられ力が抜ける

カクンと嫌な感覚と共に体制が崩れれば、三郎が

「鴇の顔をした三郎」が鴇の頬をゆるりと撫でる


「ふざけてなんかないですよ そっちこそ、我儘ばかり言わないで素直に言うこと聞いてください」


腹が立つ

無性に、どうしようもなく、抑えきれないくらいに腹が立つ


「人の姿で少々時間をかせぐだけなんて、いつもやってきたことだ」

「お、まえ…!」

「今更何を怒るんです 私は鉢屋三郎 学園一の変装名人ですよ これが私の正しい使い方」


ケラケラと笑う三郎を鴇は睨みつけた

こういう時の三郎もまた、とても頑固だというのを鴇は知っている

互いに譲れないものがある時、自分から距離を取ろうとするときの三郎の常套手段だ

何てことはないというそれが、一番嫌いだと鴇は思う

だって、


(だったら何で、お前はこんなに名残惜しそうに私の手を握るのか)


私が気づいていないとでも思ってるのか

お前が私の目を見ずにそんなことを言うときは、強がり以外の何物でもないということを

お前の冷たい手が、それを雄弁に物語るということを


「足手まといです さっさと治療して、戻ってから3倍働いてくれたらいいです」

「……ま、て…はち、……」

「ま、その間に私が全部片付けてたら出番なくなりますけどね」


1つ、はっきりしていることがある

私は今までしたことがないのだ

三郎を囮にした陽動作戦なんてものを


(お前も、したことがないはずだ)


忍務で私の変装など、この3年1度だって

それは私とお前は共に動くことが前提で、必要ないと決めた取り決めだったはずだ

私の代わりとして、お前を置いていくなんてシチュエーション

そんなもの、ろくなものではないのだから

ぞっとする

初めて破られた取り決めと、破らなければならないこの状況に


「やめ、ろ」

「…………」

「頼むから、やめて、くれ」


それが忍として、現状打開策として最善なのかなんて知ったことか

私はそれを自分に許さなかったし、逆のことをしてもお前は私をぶん殴ると言った

それは私たちの間での、暗黙の取り決めで、絶対の約束だと思っていた

それなのに、


(そもそもだ、そもそも何で)


何で勝手に準備をした

その面も、いつから準備した

何で勝手に覚悟した

何で、


(それが今日なんだよ 鉢屋)


クラクラする

自分のなかのどうしようもない怒りと、やるせなさとが沸々と煮えたぎって熱を発して

鉢屋の目の奥に見える感情に

これに代わる案が何一つ出てこないことに

そして、そんななか意識が沈んでいきそうな自分の醜態に

プツリ、と鴇の意識が音を立てて落ちた

一気に力の抜けていく鴇の手を三郎が掬い上げ、脈が少し落ち着いたことを確認し、安堵する

体勢が崩れる前に、三郎は鴇を正面から抱きしめた

ぎゅうっと、普段なら痛いからやめろと笑い交じりに言う声は聞こえない

鴇の熱と、脈打つ鼓動が確かにある

自分の守りたいものを全身で感じて覚悟はより強固なものとなった


「大好きです」


意識のない鴇の耳元で、三郎は小さく呟いた

その声は、先ほどまでの虚勢を張った声色なんかではなく、鴇と穏やかな時間を過ごすソレであった


「貴方の姿を借りるんです 恥じぬ成果を成してみせます」


そんなもの、誰が頼んだと貴方はきっと言うでしょうと小さく笑って

それでも、なのだ


「これが、私の譲れないもの」


死ぬつもりなんてない

自分が行くのは鴇が本来進むべき道だ

その下見をまずやろう

それが、次に来る貴方の露払いになるなら本望だ


「ご武運を、私の敬愛する委員長」


ゆっくりと、そして静かに三郎は目を瞑った

ぎゅうっと、最後にもう1度鴇の身体を強く抱いた

そして、次に三郎が目を開いた時、その表情は嘉神鴇のそれであった

もう力の入らない鴇の身体をそっと地面に横たわらせて、三郎はすっくと立ちあがった

残された下級生達の頭を撫で、次の瞬間、深い闇の中に単身で飛びこんだ

一度もこちらを振り返ることなく

鉢屋三郎は嘉神鴇として、単身闇に消えていったのであった

48_ふたりはふたつに分かたれた



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