- ナノ -

鴇の全身の力が抜けるのと、三郎が地面に煙玉を叩きつけたのはほぼ同時であった

立ち込める煙の中で右肩に倒れこんだ鴇を担ぎ、左手で目を見開いていた庄左エ門の手を力任せに引く


(十時の方角へ)


簡単な矢羽を作兵衛に飛ばし、金吾も連れてくるよう伝えて、半ば引きずるように鴇と庄左エ門を茂みへと担ぎ込む

ジャララ…!

手元の小石を数個掴み、明後日の方角へと投げれば、空気がそちらに流れる

こんなのはほんの数分しかもたない目くらましだが、しないよりはマシだ

ガサガサと草木を分ける音が少しして、気配もそちらへと流れる

周囲の音と気配が消えるまで、ただ静かに待つ


「「……………」」


息を殺し、全神経を尖らせていた三郎は少しだけ安堵の息を吐いた

ギチリ

鈍い痛みが三郎の腕に届く

庇うように抱き止めていた男の、音のない苦悶がそこには表れていた


(最悪だ)

「鴇、先輩っ」


最低限にまで抑えた声で庄左エ門が名を呼ぶも、鴇は返事を返さず、自身を強く抱きしめて目を瞑り続けていた

鴇が自身を抱きかかえるように掴んだ己の腕に、深く爪痕が残っている

ギチギチと、音でも聞こえてきそうなほど強く食い込む痛みは、声なき声と同義であった

時折ビクンと大きな痙攣を起こし、息を呑む音と、フーッと威嚇にも似た吐息が漏れ出る

鴇が行き場のない痛みを逃がすように地面に何度も額を擦りつける様子が痛々しい

会話をする余裕などないのだろう

浮かぶ汗がポタポタと落ち、荒い息だけが聞こえてくる

その異様さに庄左エ門が顔を青くし、傍らの三郎を振り返り見た


「鉢屋先輩、鴇、先輩は…」

「毒だ」

「そ、…先輩っ…」

「待て 庄左エ門、今は…」


パンッ!

三郎の制止より先に、青ざめた庄左エ門が鴇に触れようとするのを鴇の手が強く弾く

驚いて固まった庄左エ門と、鴇の視線はちゃんと交わっていた


「「……………」」


強い眼光だけが庄左エ門を捉えるが、相変わらず鴇は一言も発しない

その代わり、息遣いだけが荒くなり、自身を強く抱きしめなおしてまた息を吐く

そんな2人の間に、三郎は割って入った


「庄左エ門、下がってろ」


見たこともない鴇の様子に庄左エ門が言葉を失いながらもコクリと頷く

謝る余裕もないのだろう、段々と姿勢すら保てなくなり、のたうち回るように地面に爪をたてて鴇が痛みを逃がそうと藻掻く


「委員長、動けますか」

「……………」


待てと言わんばかりに、鴇が荒く小刻みに息を吐く

立て直そうとしているのだろう、三郎もなるべく触れないように様子を見守る

ここで焦らせても意味はない


「……っ、ぁ」


そんななか、鴇の身体がもう1度大きく震えて、ピタリと止まる

吐くか、と三郎がのぞき込めば、鴇がぎゅうっと強く目を瞑り、急に仰け反った

えづくようにパクパクと口だけを動かし、ビクビクと強い痙攣が身体に走ったのを見て、今度は三郎が青ざめた


(マズイ!)


即座に懐から手拭いを取り出して、三郎は鴇の口へと押し込み、動きを封じるように抱きしめた


「……っ、ぅぁ!!」


声にならない呻きと何度も痙攣する身体を、今度は三郎は容赦なく押さえつけた

行き場のない痛み、血管が浮き出た手の甲

ガリガリと、縋るように三郎の腕に鴇の爪痕が強く残る

それでも三郎は微動だにせずに鴇を抱きしめ続けた


「委員長、委員長」

「…!ぁ!っ…―――!!」

「駄目です 堪えて」


三郎の腕にはもう何本も引っ掻き傷が残っただろう、それでも三郎はじっと痙攣が収まるのを待った

苦しさと痛みに悶える鴇が離せと言わんばかりに暴れるが、三郎はただただ鴇を抱きしめ続けた

自分の中に響く鴇の痛みを三郎は一緒に感じたいと思った

それでも、実際はその何十分の1も感じられないことはわかりきっていた

ただ、ひたすら待つしかないのだ

それから何度かの痙攣の後、鴇の身体から突然力が抜けた

それまで泣きそうな表情で様子を伺っていた庄左エ門が、ぎょっとした表情に変わったが、三郎には妙な確信があった


(この毒に、致死性はない)


あの少女は、これが「嘉神鴇」だと認識して毒を打ち込んだ

そうであれば、殺害が目的ではないはずだ

もう何人もの刺客と遭遇したが、どれも鴇の居場所を聞くばかりで明確に殺害の指示は受けていなかった

つまり、これは鴇を「無力化」するための毒である


(…ただ、委員長には効きすぎる)


向こうは知らないだろうが、鴇は特別薬が効きやすい体質だ

大袈裟、というのとは違う

大半の人間が軽い眩暈で済むような毒も鴇は発熱と強い眩暈で動けなくなったことが何度もある

効きすぎる、というのは本来の効力よりも強い症状がでるから厄介なのである

併発する症状だって、本来のものとは少し違う

これだって、無効化させるくらいだからそれなりに強いものなのだろう

グラグラと揺れる鴇の頭を自分の肩に寄り掛からせ、三郎が顔をのぞき込もうとすれば、ピクリと鴇の指先が動いたのに気づく

表情を見れば、意識が飛ぶ手前なのだろう、焦点が合っていないのは明らかであった

それでも、自分がやるべきことに変わりはない


「委員長」

「………………」

「辛いでしょうが、もう少し起きててください」

「………………」

「状態、見ますよ」


落ち着いた三郎の声に、鴇がわずかにコクリと首を動かして頷いた

鴇が一番理解しているのだろう

この状況で意識をとばすのが一番まずいことを

ここに居るのが三郎だけでなく、下級生達もいることがまず足枷のひとつであった

鴇と三郎の2人であれば、庄左エ門達3名を敵の手を躱して保護するのは比較的容易であったが、鴇も保護対象となるとハードルが一気にあがる

のたうち回り、気を紛らわせるために叫んでしまえたら楽であろう状況を、鴇が堪えに堪えているのはそのせいだ

今、鴇が悲鳴の1つでもあげようがものなら、一斉に取り囲まれてしまう

力の入らない鴇の身体を三郎が自身の肩口へと抱き込んで、首元を探る

腕に近い肩口、針で刺された跡には黒い血が滲み、赤黒い斑点がぶわりと広がったソレに三郎は眉間に深い皺を刻んだ


(…斑点は血管に沿って広がっている)


三郎は自身の頭巾をしゅるりと解いて、鴇の右肩を縛った

大分遅くなったが、鴇の利き腕にはまだ力は入る

これ以上そちらに毒が回らないようにしてやらねば、いざという時に武器を扱えなくなる


(回復、するかが問題だが)


支給されていた医薬品と手持ちの薬から適当な丸薬をいくつか見繕い、鴇の口元へと運ぶ

口に入れていた手拭いを抜けば、鴇が苦しそうに大きく息を吐いた


「は………ゃ」

「委員長、飲んで」


ビクビクとまた痙攣がでてきたなか、鴇が何とかソレを飲もうと口を開きかけるが、縋る力が急に強くなったことに気づいて三郎はまた手拭いを鴇の口内へと押し戻した

それと同時に、また鴇の身体に大きな痙攣が走り、声にならない悲鳴が肩口で零れる


(くそ、自力では無理か)


三郎もまた鴇の身体を押さえつけたが、鴇の痙攣は止まらない

ギリギリと手拭いを噛む音と三郎に縋りつく力の強さに痛みの酷さが容易に想像できる

薬を飲ませるタイミングを誤れば、毒による強烈な痛みに耐えようとするあまり舌を噛み切りかねない

そうなればもっと面倒なことになることはわかる

しかし解毒薬を少しでも摂取しないことには自然回復なんてありえない


「大丈夫、大丈夫ですよ、委員長」


落ち着けと、言わんばかりに背をゆっくりと擦れば、少しだけ鴇の身体の力が抜けた

ポタポタと、生理的に流れる鴇の涙が三郎の服の胸元に落ち、染みとなる


「少し、我慢してください」


三郎の意図は十分に鴇に伝わっているのだろう

小さく頷いた鴇も何とか薬を飲もうと息を整え、準備に入る

鴇の呼吸を見計らい、手拭いをさっと引き抜けば、鴇が大きく息を吐いた

ぎゅうっと目を瞑り、鴇が口を開く

丸薬を口元にもっていって、あとは


「…………!!」

ガチン!


「鉢屋先輩っ…!」

「大丈夫だ 庄左 騒ぐな」

「………は、…ひ………」

「貴方は人の心配をしてる場合じゃないでしょ ほら、飲んで」


鴇の口内に押し込まれた三郎の左手の指の第二関節からは血が滲んでいる

タイミングが合わず、三郎の手を噛んでしまった鴇が眉間に深い皺を寄せた

それを何でもないと表情を変えず、三郎が鴇に再度薬を飲み込むように促す

左手で口を閉じぬよう支え、その隙間から薬と竹筒に入った水を押し込めば、コクリと確かな音をたててソレが鴇の喉を確かに通った

そしてまたすぐに痙攣の始まった鴇の口に手拭いを戻して抱きしめる


「は、ち……」

「怖くない 大丈夫だ」


三郎の左手は、ぐちゃぐちゃであった

鴇の唾液と吐瀉物、そして噛み切られたことで血が滲んでいるが三郎は一切気にしていなかった

それと同じくらい、酷いことになっている鴇の顔を手拭で拭き取って抱き寄せる


「楽にして、焦らなくていい」


目を瞑り、じっと堪えるだけの鴇が小さく首を縦に振ったのを感じ、三郎は小さく息を吐いた

そうはいったものの、症状から中和しそうなものを取り繕って飲ませただけだから完治はしないだろう

ビクリと引きつけるような痙攣こそ減ってきているものの、赤黒い斑点は消える気配がない

その斑点の広がり具合を確認して、三郎がもう1度息を吐いた

鴇の視界に入らないように左手を庄左エ門の方へと差し出せば、庄左エ門も唇を噛みしめながら三郎の左手を竹筒の水で注ぐ

そして、


「委員長、少し我慢です」


ペチペチと頬を叩いて、三郎は自身の小刀を鴇に見せた

鴇はそれで理解したのだろう、ふー、と息を吐いて了解の瞬きをゆっくりとしてみせる

ピッ、と三郎は小刀で鴇が毒針を撃ち込まれた付近の皮を裂いた

ぷくりと浮き上がった血の玉が、あっという間に裂いた線上に乗る

そして、ガブリと三郎はそこに噛みついた

ビクン、と鴇が痛みに跳ねたが三郎は構わず傷口を吸い上げた




「は、………ぁっ……」

「……………………」


強く掻き抱かれるように鴇の爪が、三郎の背へと食い込む

その強さに比例するように口のなかに鉄の味がいっぱいに広がる

それでも三郎は吸い上げる力を緩めることはなかった

しばらく吸い上げて、ペッ、と鴇の血を懐紙へと吐き出してみれば、やはり赤というよりは黒い血がそこに滲んだ

それを何度か繰り返し、吸い上げた血が徐々に赤みの方が強くなるのを確認してから三郎は傷口を洗浄した

これで少なくとも応急処置はできたはずだ


「「………………」」


少し間をおいて、薬も効いてきたのかぐったりとした鴇を庄左エ門達に任せて三郎はどうしたものかと周囲に気を向けた


(これ以上は、此処では処置できない)


それは三郎ならばすぐに判断のつく話であった









鴇が毒にすこぶる弱いというのは、鴇と親しい忍たまであれば周知の事実である

毒は忍者を志すものであれば、扱えねばならぬ術のひとつ

自身から相手へと繰り出すものもあれば、当然自身がそれを受けた場合、耐える力を要求される

忍術学園でも下級生のうちから身体への"慣らし"が授業の一環として行われるのだが、鴇はそれら全てを身体が受け付けなかった

香や霞扇の術で使用されるような空気を媒体として取り込むような毒であれば多少の免疫があるのだが、直接打ち込まれると見事に駄目で

これは訓練だとかそういう次元の話ではないのだと、学園長が頭を悩ましていたのをはっきりと覚えている

そして、そこから自分の第二幕が確かに始まった



『お前に問おう 鉢屋三郎』


鴇が学級委員長委員会の中で最高学年、委員長代理としてその任務を背負った四年生になった年

半年ほどが経過したその時、三郎は個別に学園長に呼び出されこう言われた

そこに鴇はおらず、大川平次と山田伝蔵、そして野村雄三だけがその場に立ち会った


『嘉神鴇を、支えるつもりはあるか』


突然何を言い出すのかと思いながら、三郎はすぐさま答えた


『勿論です』


幼心であったが、本気であった

それを言い切れるほどには、その時既に三郎は鴇に尊敬と信頼の念をもっていたのだから

即答した三郎に対し、学園長は今度はこう問うた


『嘉神鴇の命を、預かる覚悟はあるか』


その質問の意味を三郎は掴みかねた

これは何か試されているのか、

それともこの答えで自分は何かを見極められようとしてるのか

答えが出ずに空気だけを飲み込んで、それでも何かを答えたくて学園長に問おうと口を開きかけた時だ


バサバサバサッ!


学園長がすぐ横に積んでいた大量の巻物を、三郎の前へと投げるように広げた

それが開き切る前に、三郎の目はそれらの紙面を走った

各地方に伝わる毒薬の伝承、武器への仕込み方と効果一覧、毒薬の製法と解毒方法など

ありとあらゆる情報がそこに集約されていた


『これは上級生、そして儂が許可した生徒にしか閲覧を許しておらん巻物じゃ』


代々の保健委員長が多かったか、と学園長は言った


『本来これは、鴇自身に学ばせるものなのかもしれん』


しかし、と学園長が口ごもる

その時、学園長が言いたいことを瞬時で三郎は悟った

これが必要になるのは鴇がその身に毒をくらった時である

しかし、その対処を鴇が自身に施すことは可能か

答えは否だ

数分をまたずして毒は鴇の体内を巡り、あっという間に死に誘うだろうから

明確な意図を読み取った三郎が、学園長へと視線をやれば、静かにそれに応える視線があった


『あまりにも、あまりにもあやつには毒への耐性がない 一撃食らえば、致命傷になるといってもよい』


この学園にいる以上、生徒に耐性をつけてやるのが本来学園がする支援であった

しかし鴇にはそれができない

それは努力だとか積み重ねだとかで何とかなる限度を超えていた

体質、それは学園が手ほどきできる話の範疇に収まらなかったのだ


『鴇は優秀な忍になる まだ上級生になったばかりのあの年で、学級委員長委員会の委員長代理を務められると儂は判断した』


それは期待も込めての任命だったのだろう

学園長は鴇が任命を戸惑ったのに拒否は認めなかった

ただ、務め上げよと強い口調で命じたその姿を、三郎は鴇の隣で見ていた

すごい話だ、と周囲が浮かれるなか、鴇だけが顔を強張らせていたのをはっきりと覚えている


『学級委員長委員会はこの学園では特殊な立ち位置にあることは理解しているな?鉢屋三郎』


じっとこちらを見据える学園長に三郎も黙って首を縦に振った

学園生活を充実させ、支える各委員会とはまた違い、学級委員長委員会は学園長の名のもとに結成された委員会である

それは学園そのものの維持・存続のための任務、すなわち他の委員会よりも"外の世界"に目を向けた任務を受けることの多い委員会であった

学園内では暇そうなイメージが強いかもしれないが実態はとんでもない

現に下級生の三郎でさえ、何度か「外」の任務に出ている

それ自身にも鴇が嫌がったことを覚えている

そして、行った先の外は「それなり」の現場であった

言い方は選びたいが、「実践」に近い任務が非常に多い委員会なのだ


『儂が教育で支えてやれるような次元に鴇の毒への耐性はない』

『…………………』

『お前が、これらを習得してくれるのが最適解だと儂は思うておる』

『…………………』

『お前もまた、優秀な忍になる 天才の名を欲しいがままにし、それに驕らぬ鉢屋の子よ』


学園長は知っているのだろう

三郎の家系が特殊なもので、三郎自身が既に毒の取り扱いに精通していることを

三年生になったばかりの三郎が、これらの資料が何なのか、一瞬で判断できたのがその証だ

そして、鴇の片腕として自分を指名し、保健委員会の忍たまではなく、自分に頼むのはきっとそういうことだ

ただ、


『私も貴方に問いたい』


三郎は背筋を伸ばしてまっすぐに学園長を見るのであった

47_夜がいくら壊れても



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