- ナノ -

ポタ、

額に浮かんだ汗が頬をつたうのを鴇は苛立つように拭った

鉢屋が地面に撒いた油は、もう大分気化したようで地面を走る炎の明るさも、もうあまり期待できない

なによりあまり長時間強い光を所持するのは危険だ

鴇としては1対1を望むが、相手はそんなこと知ったことではないだろう

今こうやって獣に集中していても第三者が弓のひとつでも引けば鴇の首は簡単に吹っ飛ぶ

それでも始めにこのような形を仕向けたのはこの巨体の狼の目を引きたかったからだ

鴇にだって体力に限界がある

短期決戦で決着をつけたい、そんな想いがあった

しかし、これが思ったより上手くいかない


(ある程度は覚悟していた けれど、)


照度が落ち、闇が戻りつつあるなか、獣の目が時折光る

目の前の遠慮のない殺意と、見えない殺意が鴇の神経をどんどんすり減らしてゆく

庄左ヱ門が手渡してくれた鉈は確かに切れ味がよい

小太刀では通らなかった斬撃が、確かな手ごたえをもって与えられている

しかし、やはり刀ではないからか扱いに神経を使う

柄ひとつにしたって、鴇の手の大きさと微妙に合わないから無駄な力が入ってるところがある

それに、


(ここまで倒れないのは、誤算だ)


ふう、と息を吐き、手の中の鉈をまたヒュンと唸らせれば鉈についた血がピッと地に飛んだ

あれから随分と斬りつけた

小型の狼はあれから遠巻きにこちらを見据えるばかりなので傷は浅い

しかし、大型はわけが違う

幾らか滲む血に毛が染まろうと、何事もないかのように振る舞われてしまえばどうしたものかと悩むだろう

こういった野生動物を仕留める手段はいくつかある

火縄で急所を仕留めるか、至近距離で深く確実に仕留めるか、毒でじわじわと体力を削るか


(もしくは、)


獣達のさらに奥の、闇に鴇は目を凝らす

それに反応するかのように再び獣が地を蹴る


「…………!」


もう一度低く構えた鴇の懐に、大きな獣が飛び込んできた

片手で立てるように振り下ろした鉈にガキン、と太い爪が打ち鳴って

付けられた勢いに鴇の身体が後方に押し戻される

何とか姿勢を保ったまま、もう片手に握った鉈を垂直に振り切れば、

それを読み取っていたかのように狼が一瞬で離れて、また地を蹴って突っ込んでくる


(くそっ!)


学習している

どうしたって狼より体重の軽い鴇はこうやって片手を防御と衝撃の受け流しに回してからでないと攻撃に移せないことを

必死で堪えた身体に力と瞬発力は残っておらず、振り切ったもう片方の手の刃に力が乗らないことを

そうかといって、初めのように両手を使って円舞のように切るには相手が頑丈すぎる

あれは人間のように薄皮一枚の下に血が流れるものに有効であって、こんな分厚い獣相手には致命傷にならない

そもそも斬るという行為は、制止しているものに大きな有効打が与えられるのだ

刃に垂直に向かってくるならまだしも、これだけ素早く乱れて動かれては力のベクトルは分散して流れてしまう


「う、ぁっ!」


瞬間、

思案の真っ直中、受けきれなかった勢いで鴇の身体は吹っ飛んだ

連続の突進に構えなおす隙を狙われたせいである

庄左ヱ門達がいる用具倉庫とはまた別の、物置に打ち付けられて、ガラガラと立てかけてあった板や積んであった木箱が崩れ落ちる


「いっ……!!」


打ち付けて痛む背中に呻く間もなく、舞う砂埃から飛び込んできた大きな影に鴇は慌てて片手を突き出した


ガキン!


鉈を収めていた鞘が丁度縦に狼の口へとつっかえるように収まって

生暖かい息だけが鴇の顔へと吹きかかった


「こ……っ…のっ…!」


相手の体重が右手にかかり、ふるふると震える

なんとか均衡に保つのが精一杯だ

吹っ飛ばされた拍子に鉈の一振りは手放してしまったらしい

腰につけていた鞘でなんとかかみ砕かれるのは避けられたが、降ってくる鋭い爪は健在

鴇ももう片手の鉈でなんとか弾くが、圧倒的に体制が不利だ


(ま、だか 鉢屋)


ピシリと鞘に縦筋が入ったのを見て鴇は舌を打った

もう押し切られるのを覚悟せねばならない、

腕一本、最低限の被害に抑えたとしてもそれは諦めないといけないだろう

それならば、せめて利き腕でない方を食わせた方がマシか

口惜しさから鴇が下唇を強く噛んだ時である


ボトリっ、


鴇と狼が取っ組み合いをしている真横に、"それ"は突然降ってきた

鈍い音と、飛んできた時に跳ねた赤い液体が狼の鼻頭に飛び散り、


「――――!!!」


狼の目の瞳孔がぐっと開き、声にならない声をあげるように背をのけぞった

制止した体躯

露わになった喉

それを鴇が見逃すわけがなかった

仰け反られたせいで片腕が解放され、鴇は両手でしっかりと鉈を握った

左下から右上へ、撫で上げるように渾身の力で鉈を振れば、鉈の刃が肉に食い込む感触が伝わる

重い

それでも今までの手応えのない感触よりよほどマシだ



ザクリっ!



身体全体で転がる勢いのままに振り切れば、バシャリと先程まで鴇が倒れていた場所に血の雨が降り注ぐ

抜け出た身体をなんとか立て直して、次の一太刀のための体制をとる

静かであった

ただの数秒が、数分にまで感じた

動きをとらず、ただコチラを睨み続ける狼に、鴇も微動だにせず刃を構えた


(……来るか?)


ひしひしと伝わってくる殺意に鴇が先手をとろうかと思ったその瞬間、


バタリ、


その大きな体躯が突然糸が切れたように倒れたのであった








「…………」


バクバクと、鴇の心臓はそれからしばらく五月蠅く鳴っていた

突然ついた決着に、気持ちがついていっていない

整わない息と鼓動が頭の中で鳴るなか、ズルズルと何かを引きずるような音が鴇の耳に届いた

薄暗い闇に目を凝らして、それが何かを悟って鴇は溜め息をつくように息を深く吐いた


「…心臓に、悪い」

「同じ台詞をお返ししますよ」


暗がりがら出てきたのは三郎であった

疲れ果てた鴇が小さく笑いかければ、彼も困ったように笑った

掴んでいたソレから三郎が手を離せば、ドサリとあまり気分のよくない音が響いた


「……それが、主か」

「ですね 隠れて指示を出してました」


三郎が引きずってきたのは、獣達を操っていた使役者であった

細い身体は戦闘には不向き

それがわかっているからなのだろう動物達を自分の手足のように操ることで補っていたのは

放り出された男の身体には力が入っていない

そして、片腕がなかった


「どこにいた」

「二時の方角、距離は笛の音が届く知れたものでした」

「よく気付いたな」

「行動を変える時、狼達の耳が動いたもので」

「もう1匹は?」


そう問えば、鉢屋が来た方向を指さした

ここからは見えないが、片はついているようだ


「あれの方が主人に近かったですからね 嗅ぎつけた所を仕留めました」

「やはり命令よりは主が優先か」

「獣なんて、そんなものです 主の血の匂いがすれば嫌でも駆けつける」


ふーっ、と深く息を吐いた三郎に鴇が呟く


「…腕を切り落としたか」

「呼び笛を、握ってましたからね」


それ以上、自分の手柄については何も触れず、そんなことよりもと三郎が正面に立つ

じっと自分を見つめる三郎に、鴇も両手をあげて意を表した


「怪我はない」

「それは私が判断します」

「信用ないなぁ」

「委員長が悪いんですよ いつも隠すから」


軽口を叩きながら鴇の前に跪いて、入念に三郎が鴇の身体を調べていく

このモードに入った鉢屋を止めると後でチクチクと言われるのが目に見えているので鴇は大人しくしていることにした

正直、あまり抵抗する元気も余裕もまだない

三郎は鴇のことで頭がいっぱいのようだが、とった戦略はなかなかのものである



彼のしたことはこうだ

鴇が三郎に頼んだこと、それは獣達の使役者の探索である

獣達の動きは統率されたものであり、それは野生の動きではなかった

使役者、つまり主人がいるはずだと鴇と三郎は想定した

何をしても怯まない動物達を止める方法、それは使役者を降伏させることである

説得か屈服か、あるいはと思っていた鴇のすぐ傍に降ってきたもの、それは男の腕であった

その瞬間、三郎が前者ではなく力で押し切ったことを鴇は悟った

大狼もさぞ驚いたことであろう

自分の主の強い血の匂いを嗅ぎつけたのと、その匂いを放つものが突如目の前に降ってきたのだから

主の血が自分の顔に跳ねた瞬間、狼に込み上げたのは強い怒りであったはずだ

それが頂点に登り切る前に鴇が首を斬り落として何とか仕留めたのだが、もしあの時反撃できなければ八つ裂きになっていたのはこちらだ


「イチかバチかなやり方じゃないか?」

「ああでもしないと、嬲り殺されてました」

「まあ、そうだな」


やはり心臓に悪いと呟いた鴇に三郎は相槌を打たなかった

鴇が言いたいこともわかるが、三郎にだって言い分がある

三郎が男を見つけたのはつい先程のことである

闇に紛れ、時折聞こえる細く高い音を追えば、男が1人、木の上に立っていた

生け捕るか気を失わせるか、できれば捉えて次の情報採取につなげたいと思っていたのだが

振り返った三郎の目に映ったのは狼に跨られている鴇であった

それに加え、三郎に決心をさせたのは目の前の男が咥えた笛とは別の笛を取り出したことによるものである

持ち替えたそれを吹き始めれば、随分手前にいた小型の狼が駆け始める

向かうは鴇の方角だ

もうこの時点で、三郎のとる手段はひとつであった

今なら完全に鴇を仕留められると油断した敵に、三郎は全速力で突っ込んだ


「なっ、」


一瞬で相手の懐に入り込めば、突然の敵襲に男は目を丸くした

慌てて笛を吹こうとするその手をまず、三郎は忍刀で斬り跳ねた


「ぎっ…!」


酷い悲鳴が喉の奥から溢れでる前に押さえつけ、深く胸に刃を刺せば、静かに決着はついた

ここに想いはない

瞬きをするよりも早く、三郎は次へと駆けだした

たっぷり血の乗った忍刀をブンと振る

闇夜の空気がざわついて、荒々しい獣の吐息があっという間に自分へと向かってくるのがわかる

主の匂いと笛からの信号が途絶えたせいだろう

激昂した獣ほど、扱いやすいものはなく、三郎は短く強い息をふっと吐いた


(人とはまた違った、嫌な後味はあるけれど)


同級の八左ヱ門が生物委員長代理であることも手伝うのだろう

動物の命を絶つあの瞬間、力無くまるで犬のように鳴いた小さな声がまだ耳に残っている


(まあ、だからといって)


鴇が喰われてもいいというかというと話は別だ

慈愛だとか何とか綺麗なものは傍らに捨てる

だって三郎にとってそんなものは鴇に比べればちっぽけなものなのだ

拾い上げた使役者の腕を近くへ投げればこちらに駆けていた小型の狼が思わずそれを目で追いかける

ここからは鴇の判断と同じものを三郎はとっている

気が逸れた一瞬を仕留める

それは三郎の腕をもってすれば容易いものであった

横たわる狼を横目に、三郎は再度使役者の腕を拾い上げて今度は用具倉庫へと駆けた

きっと鴇と対峙している大狼も同じ反応をすると三郎は想定した

突然降ってくる主の腕

獣であればそれが誰のものかくらい匂いで一瞬で悟るだろう

あとは鴇の腕を信じていればいい




「傷は」

「見てのとおり」

「自己申告もまず聞きます」

「深いのは何も」

「頭から血を流してる人がその申告もどうかと思いますが」

「出血は派手だけど、深くも何ともない どちらかというと打撲だな 骨は…まぁ、大丈夫」

「どこです」

「…大丈夫だって」

「委員長」

「肋骨、少し痛む」

「そうですね 腫れてます」

「……お前のそういうとこ、ほんと嫌い」

「無自覚か確信犯かで大分違いますからね」


しれっと告げる三郎に鴇も小さく笑った

怒っているわけではないだろうが、心配をかけたのも確かで

されるがままにしているのもそういう理由だ

真剣な表情で自分の容態を確認する三郎を他所に、鴇も上からじっと三郎の動きを確かめる


(怪我は、ないか)


両手足、違和感のある動きはない

息に乱れのあるものの、傷などもみられない

どうやら三郎の方はそれほど苦戦したような戦闘もしてないようだ

それだけに安堵して静かに息を吐く


「?どこか痛みますか」

「いや、ただ…疲れたな」

「体力勝負もいいとこですからね だから手伝うって言ったんですよ」

「あ―…説教いらない」

「反省、してないでしょ」

「してるしてる」


不満そうな表情の三郎の髪をくしゃりと撫でれば、少し耳を赤くしながら三郎が触診を続ける

しかしずっとこうもしてられない

まず最初に切り出したのは三郎であった


「委員長、1回救護棟に」

「却下 黒木達をまず避難させる」

「それもですが、委員長貴方だって、」

「二度は言わない 黒木達の避難が先」

「………わかりました」


こうなった鴇が三郎の言うことを取入れやしないことを三郎もわかっているのだろう

何か言いたげな三郎を手で追い払い、用具倉庫へと庄左エ門たちを迎えに行かせて鴇は静かに息を吐いた


(とは、言ったものの)


三郎の背中を見送りながら、鴇は再度深く息を吐いた


「まいった」


思わず本音が飛び出るほどには体力が消費したことに鴇は戸惑っていた

こんな力押しの戦法を鴇は普段とらない

小平太ほど体力馬鹿ではないし、長次ほど筋力があるわけではないからだ

相手が悪かった、この一言に尽きるのだがまだまだこれからだというのにこの疲労は、と鴇は思わず舌を打った

手足が鉛のように重いし、身体のいたるところが軋む


(…座ったら立てなくなるな これ)


意識をしてしまえばどっと疲れが込み上げてきてしまった

自分を激励するかのように鴇は深い呼吸を何度も繰り返した

新鮮な空気を取り入れて、身体中に巡らせてやらねば回復だって遅くなる

そうやって呼吸を意識しながら身体中の埃をパンパンと払い、鴇は三郎が引きずってきた獣達の主人という男を見下ろした


(これが、鵺の一味)


細く長い手足、といえば聞こえはよいかもしれないが少々手足が身長に対して長すぎる

奇形とまではいわないが、世間一般からみれば少々浮世離れするかもしれない

持ち物を探ってみたものの、出てくるのは狼達を操っていたという笛と多少の携帯装備

刀や投降武器をもっていないところからみると本当に獣遁以外は使えないのだろう

何か鵺に繋がるものはないかと探ってみたが特にめぼしいものはなかった


(幹部でも、ないか)


幹部が入れているという入れ墨も見当たらず、やはり体力だけ使ってしまったか、と鴇は溜め息をついた

骨折り損の何とやらだな、と思いつつ、まあこんなのが学園をうろつき回るのを防げたのを良しとするかと思っていたら


(…………お、)


パタパタと小さな足音が耳に届き、鴇は音の方に歩きだした

ここは下級生達にとって刺激の強いものが多い、そう判断して距離を稼ぎたいと思ったからである







「鴇先輩!」


暗闇から出てきた庄左ヱ門がポスンと鴇の懐に飛び込んできて、鴇は目を丸くした

飛びついてくる直前、彼の表情が珍しく泣きそうであったからだ


「どうした 黒木、お前らしく」


そう言いかけて鴇は静かに口を閉じた


(お前らしくないよ、なんてどの口が言うのだろう)


そう思い直してその小さな頭をゆっくりと撫でた

あまり感情を露わにしない彼にしては確かに珍しいのだが、ぎゅうっとしがみつくその身体の小ささに彼がまだ10になったばかりであることを思いだした

こんな血と暴力が飛び交う実戦、目の当たりにすることなんてなかっただろうし

その一部に関わるだなんて心の準備もなかっただろう

何も言わず、ただただ縋るようにぎゅっと自分の服にしがみ付く庄左エ門の背を鴇はゆっくり撫でた


「…うん、怖かったよな ごめんな」


ふるふると首を振る庄左ヱ門に鴇は謝るが、追いついた三郎は鴇の理解が少しずれたなと思っていた

三郎が用具倉庫の戸を開けた時、庄左ヱ門は泣いても飛びついてもこなかった


「鉢屋、先輩  鴇先輩は、」


不安と恐怖が入り交じったあの視線と声が三郎には痛いほど伝わった

鴇は庄左エ門が実践に震えていると思っているのだろうがそうではない

庄左エ門が恐れたのは三郎と同じだ

鴇がいなくなってしまうかもしれないという現実を、庄左エ門ははっきりと認識してしまったのだ

目の前の悪意と暴力の塊が鴇に向く様を見せつけられて、そこに自分ができることはほとんどなくて


(待つしかできないなんて、拷問だ)


昔自分が感じたソレを、この後輩も辿ったのだろう

三郎はそれが堪えれなくて鴇の隣に立ち続けているのだから

そんなことを三郎が思っているなか、庄左ヱ門の頭を撫でつつ、鴇が状況を確認する

1年生の庄左ヱ門と金吾、3年生の作兵衛が取り残されていた状態

事情はよくわからないが、何か手違いがあったのだろう


(…どうするか)


三郎に3人を救護棟に送り届けるように指示をするか、それとも一緒に向かうか

ここから救護棟までは少し距離がある

連れて行くのは下級生だから、次の襲撃があった時に大して動けないと想定した方がいい

そうなった場合、三郎1人よりは自分もいた方が確かだが、敵の目当てが自分であることを考えるとあまり一緒にいない方がよい気もする

地面に残る火を足で消しながら悩んでいれば、三郎が近寄ってきて小声で囁く


「一度、救護棟に戻りましょう」

「…3人連れて戻るのはお前でも厳しいか」

「というより、委員長も一度治療を受けた方が」

「それなら却下 連れていけるなら鉢屋、頼みたいんだが」

「あ―…」


言葉を誤ったと気付いた三郎が苦い顔をした

自分の一言が別行動の決定権を導き出したのを一瞬で三郎は悟った

そして、それに気付いた鴇も困ったように笑って三郎の前髪をくしゃりと撫でる


「鉢屋」

「嫌です」

「心配してくれてるのもわかってる でも、これは譲れないんだよ 鉢屋」

「……………」

「とにかく、此処は離れよう 騒ぎすぎたし黒木達がいるから、」

「見つけた 嘉神鴇」 






突然、背後に沸いた気配に鴇も三郎も完全に出遅れた

鴇の片手は庄左ヱ門の頭、もう片手は三郎の頭と塞がっていたし、

それは、その少女はとても小さかったので鴇の背後に降り立った少女は三郎の視野からは完全に外れていた

今までなかった気配が突如殺意に変わる


「っ!!」

「鴇先輩っ!!」


一瞬であった

庄左ヱ門と大して変わらない背丈の少女が、音もたてずに鴇へと飛びかかってきたのは

振り向きざまであったことも手伝い、鴇は瞬時に庄左ヱ門を抱えて横に跳ねた

人1人抱えての跳躍なんてたがが知れている

少女は手に何も武器をもっていない

少しだけとれた距離と残る片手で振り払う、そう判断したのに


(速い)


想像よりも数倍早い速度で鴇の間合いを詰めてきた少女に鴇は目を丸くした

多少タイミングを外したが、それでも鴇は少女の腕を掴めるかと思っていた時である


ブスリ、


少女の掌が鴇の肩に触れたその瞬間、何かが鴇の肩の肉に深く突き刺さった

そのままぐっと少女は鴇の肩を掴み、今度は突き放すように押し返す


(なに、を)


鴇に刺さった異物も、少女が離れるタイミングでズルリと抜けるのがわかった

その少女が離れるほんの数秒、何の表情も浮かべない少女の掌で何かが鈍く光った

見えたのは黒い針

それには見覚えがあった

忍たまではなく、くのたま達がよく使う、


「しまっ……」


それが何かと気付いたのと、鴇の視界がぐにゃりと揺れたのは同時であった

刺された右肩に痺れが走り、激痛から息が詰まる

ブン、と追い払うように三郎が前に出れば、少女は身軽に後方へと飛び、また闇へと消えた


「待て!」

「は、ちや!」


追おうとする三郎を鴇が制止すれば、何だとばかりに三郎がこちらを振り返る

三郎は気付いていないのだ

鴇が何をもらってしまったのかを


「は、やく 隠れ ろ」


揺れる視界、込み上げてくる痛みと吐き気を何とかこらえてそれだけを伝えると

鴇はぐらりとその場に倒れたのであった












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全身から冷たい汗が噴き出して

鼓動が嫌に鳴るくらい大きな音で耳の中に響く

揺れた視界と失った平衡感覚

事態を察知した鉢屋の瞳孔が開いて、それさえも渦に呑まれてく


(しくじった)


それらの不安と苛立ち、全てが吐瀉物と鳴って


待ち構えるのは暗転であった

46_まばたき一つで火は消える



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