- ナノ -

ギィン!


鉄が震える音が何度も聞こえ、鴇の振るう刃が揺らめく炎に鈍く反射する

地面を走る炎は最低限のため、用具倉庫の格子戸から見える鴇の姿は朧気だ

でも、


(戦う姿は、いつも通りだ)


腰を落として重心を低く保ち、軸は地面と垂直に

大きな狼が勢いよく鴇に飛びかかる

それは人とはまた違った速度と角度で繰り出されて、

その度に目を背けたくなるが、鴇は上手く躱し続けていた

軸足を中心に、もう片方の足でざざりと円を描く

両の手の小太刀が風を切るように素早く振るわれて、幾重もの傷が狼に走る

しっかりと固定された身体の重心に、しなやかな剣技と体裁き

安定した動きは何も不安要素がないように庄左エ門には見えた


「あれくらいでは、仕留めきれない」


トン、と倉庫の屋根の上から聞こえた声に庄左ヱ門は思わず声を上げた

鴇から指示を受けた三郎が、倉庫の屋根へと移動してきたのだ


「大丈夫か、庄左エ門」

「鉢屋先輩、」


屋根の天窓を器用に開けて覗き込んだ三郎に、緊張しっぱなしであった3名の空気が一瞬緩む

ただ、それもほんの僅かな合間である


「庄左ヱ門、倉庫の中のものを調べてくれ 援護に使えるものがないか」


いつも飄々としている三郎が、険しい表情で常に鴇を視線で追っている

それだけで事態の重さは十分察知できる


「し、しかし 鴇先輩は」

「ああ、横やりを入れられるのは嫌いなお方だ しかし、そうも言っていられない」


ギィン!!

また鈍い音が響く

振り向き様に鴇の鋭い一閃が狼へと放たれる

鴇は体制を崩すことなく、更に上段に刀を構えて闇を見据えている

庄左ヱ門の目にはやはり鴇が苦戦しているようには見えなかった

それを察したのか三郎が再び口を開く


「分厚い肉が刃の通りを妨げている 一瞬の交錯ではまず致命傷は負わせられない」


経験値の少ない庄左ヱ門にはわからないが、三郎の目にははっきりと見えていた

対峙する度に鴇の軸足が少しずつずれている

重量のある狼が速度をつけて飛びかかっているのだ

いくら体術に優れた鴇といえどそう何度もいなせるものではない

鴇の眉間の皺が深くなっているのがその証拠だ

小太刀が強く狼の爪を弾く度にその振動は鴇の腕に響くのだろう

あまり回数を重ねればじきに腕は痺れてくるはずだ


「だから庄左ヱ門、急げ」

「は、はい!」


天窓を閉め、姿勢を低くして三郎は周囲を見渡した

学園内の茂みや木々は風で揺れるばかりで違和感はない

だが、


(必ず、潜んでいる)


こうして高いところから見れば、狼たちの動きが変則的ではなく、規則的なものだというのがよくわかる

大型の狼を中心として、小型な狼が隙をつくように鴇へと襲いかかる

これが逆であれば鴇は簡単に小型な一匹を仕留めたであろう

それだけの技量が彼にはある

しかしそうさせないのは狼達がその考えを抑えるだけの指示を受けているからだ

操者がいる、必ず、この近くに

三郎は、同じように獣を扱う八左ヱ門の言葉を思いだそうとしていた

あの気のよい友人は、どんな状況で獣を扱うか、何が弊害となるかよく語ったものだ

動物の習性、従えるためのコツ、何が獣達を、


(こんな時に限って、肝心なことが思いだせない)


ガリガリと髪を掻いてふっ、と強く息を吐く

集中しているひとつ奥へ踏み込めと鴇はよく言う

それは目の前のことに集中するのもいいが、全体を見ろということであるが、三郎は今の自分がなかなか落ち着かない心境にいることを自覚している

目の前で鴇が嬲り殺されるかもしれない焦りと、倉庫のなかにいる後輩達に退路がないことへの焦り

周囲は開けた地形で、下手に外に逃がせば標的にされかねない

此処にたどり着いた自分のように、多少のとっかかりを使って建物を渡り歩くような器用さはまだ下級生達にはない

つまり此処から庄左ヱ門達を退避できないのだ

そして、現時点ではどう見ても消耗戦が濃厚だ

三郎が操者を見つけない限り、鴇がよほどの隙をつかない限りあの狼は簡単には倒れない


(お前にできることはないのか、鉢屋三郎)


ぎり、と歯を鳴らして、三郎は自分に問いかけた

そうではないはずだ、まだ自分は、何もしていないできていない


(考えろ 思考を止めるな)


闇夜に目を凝らす

白めく刃の鈍い光

唸る狼どもの低い声

弾いては離れ、近づいては一気に迫る

じっと鴇を見定め、耳がピクリと動いてその瞬間、


(そうか)

「鉢屋先輩、」


視線を遠くに定めた三郎に気付いた庄左ヱ門が声をかけたが、三郎は心ここにあらずだ

目を細め、よし、と何かを決めた三郎がすっくと立ち上がる


「庄左ヱ門 委員長がいいと言うまで、決して戸を開けるなよ」

「は?え、鉢屋先輩?」


まだ探索しきれていない庄左ヱ門に一言だけ告げて、三郎は再び闇の中に消えたのであった










三郎の気配が消えたのを確認しつつ、鴇は再び大きく小太刀で空を斬る

まず一閃、そして振り返り様にもう一閃

肉の切れる感触こそあれど、やはり浅い

流れた狼の血がパタタと大地に染みるように落ちる

小型の狼の方は多少怯めど、大型の狼はどこふく風か、勢いはやまない


(急げ、鉢屋)


血を拭わずに振るってゆく刃は脂に塗れていくため切れ味が鈍る

普段は懐紙と砥石で合間合間に上手く調整するのだが、ここまで長時間で隙がないと刃を変えるか研ぎなおさないと致命傷は負わせられない

しかし面倒なことにこの狼


「だから、そちらにはゆくなと言っている」


手裏剣を足下に投げられ、小型な狼が低く唸って後ろにさがった

気を抜けば鴇の横をすり抜けて用具倉庫へと向かおうとしているのが質が悪い

威嚇で手裏剣や千本を投げて意識をこちらに向けさせるも、どこか視線は倉庫へと向く

知っているのだ

あの中にいる人間が、鴇が守りたいものであることを

完全に倉庫の人間を狙っているわけではない、意識の大半は鴇へと向いているし、無理な侵入は一切しない

しかし鴇にとってはそれは焦りに繋がるし、苛立ちだって引き起こす

それを知っての煽りだ

じわじわと、筋肉に溜まってきた疲労が手足の動きを鈍らせる

この炎が地面を走るなかでの長時間の戦闘は思ったよりも辛い

体力面はもちろん、どこから狙われてもおかしくないこの状況は精神的にも大分くる

しかし、相手は野生の動物

炎を消して闇夜を取り戻したところで人間よりも遙かに相手が有利だ

こちらは相手と違って一撃必殺のような破壊力はないのだ、判断ミスで戦況を全て持って行かれてしまうのだけは避けたい


(頼む、鉢屋)


何か、きっかけが欲しい

相手との距離を詰め、一気に勝機をかっ攫えるような何かが

そしてそれは間違いなく鉢屋の動きにかかってくる

あの優秀な後輩は、きっと活路を見いだしてくれる

その揺るがない信頼があるから、自分はこんな無謀といえる状況下でこの役を全うすることを決めたのだ

傷ついてはならない

奪われてもならない

それが、前提条件であり絶対条件であるのも承知の上で


「急いでくれよ」


額に浮かんだ汗を払って、鴇は祈るように呟くのであった












学級委員長委員会に所属して驚いたのは、委員長がとても人間のできた人だったことだ

個性の集まりである忍術学園のなかで、学級委員長委員会の委員長というのはさぞ色んな方向に飛び抜けた人であろうと勝手に思っていた

何故かというと、初っ端に見た学級委員長委員会の人間は変装名人の鉢屋先輩と独特な感性をお持ちの尾浜先輩で

この人達を束ねる委員長なのだ、さぞ強烈な人なのだろうと思った僕は正直鴇先輩を見て拍子抜けをした覚えがある

初対面の日、緊張してガチガチになっている僕や彦四郎を見て鉢屋先輩達は笑ったものだ


『そう固くなる必要はない 我らが委員長は聖人君子のようなお人だ』

『そうそう、ほら 美味しいお饅頭もあるよ』


お茶菓子を机一杯に広げ、巫山戯た会話を続けるお二人の言葉をどう受け取ればよいものか、

僕と彦四郎は顔を見合わせながら、けれどやはり姿勢を崩すことなんてできずにただ堪えるように待っていた

その時、


『入るぞ』


外からかけられた声に、僕らはビクリと肩を振るわせた

そして、その声を引き金にさっと姿勢を伸ばした先輩方2人を見て確信する

あんなことを言っていても、やはりとても厳しい委員長なのだろうと

そして、


『はじめまして、嘉神鴇だ』


その人は、想像していたよりもずっと中性的で、ずっと柔和で、綺麗な人だった

すっと通った鼻筋に、すらりと長い手足

そして緩い癖のついた灰色の髪

そっと笑った表情はとても穏やかで、そこだけ空気が静かであった


たとえれば、

その人は陽だまりのように温かい人だった

朗らかで、ゆっくりとした時間を好む人だった



たとえれば、

その人は月明かりのように静かな人だった

音もなく、深々と雪の降る冬の夜のようで

だけれども、どこか安堵できる空気を纏う人だった


『あれ?緊張してる?』

『鬼のように恐ろしい委員長を想像していたようで』

『は?鬼?』

『い、いえ そんなっ…』

『まあ、お前達相手なら鬼のような説教できるけど?鉢屋、尾浜』

『へ?』

『会計委員会から苦情がきてる お前達、また高い茶菓子を買い込んだだろ』

『おや、バレましたか』

『えー、もうバレたんですかぁ?』

『バレたじゃないよ いつも言ってるだろう 決算時期の買い込みは目立つからやめろと』

『だぁって、白鷺庵の新作が出たんですもん』

『だってじゃない あとで2人とも反省文な』


ぎゃあぎゃあ騒ぐ鉢屋先輩と尾浜先輩を他所に、鴇先輩は机の上をささっと片付け始めて、

手伝おうと腰を浮かせた僕らをやんわりと制止して、彼は言った


『ようこそ、学級委員長委員会へ』と


今と変わらぬ、僕らの大好きな柔らかい笑みを浮かべて

僕らに手を差し出したんだ






ガンッ!!ガラガラ…


「っ……!」

「嘉神先輩!」


激しい振動と音に庄左エ門は我に返って外を覗き見た

用具倉庫の横に積まれた木箱に突っ込んだ鴇を見て、作兵衛が叫んだ声に金吾は息を呑んだ

上手く狼をいなしたように見えた鴇であったが、小太刀が狼の爪に絡まり、その一瞬を狙って横腹にもう一体の狼が突っ込んだのだ

鴇は体重があるほうではない

もろに攻撃を受ければ吹っ飛ぶし、怪我だって負う

ガラガラと崩れる木箱のなかで倒れる鴇を見て、作兵衛が慌てて戸を開けろと声を出した


「おい、お前達 開けるぞ、手伝え!」

「は、はいっ!」

「急げ、嘉神先輩を中に入れるんだ!」

「だめです!!」


意図を汲み、戸の前に積んだ板やら重しやらに手を伸ばしかけた金吾は思わずその声に肩をビクリと振るわせた

振り返れば、ぎゅっと眉根を潜めた庄左エ門が睨みつけるように強い口調で言いはなつ

戸を開けるなと言う庄左ヱ門に作兵衛が怒鳴る


「見てわかんねぇのか!死んじまうぞ!」

「鉢屋先輩はおっしゃった 鴇先輩の許可なくして、此処を開けるなと!」


再度戸を開けようと動いた作兵衛に庄左ヱ門も再び駄目だと制止する

これでは拉致があかない、と苛立ちまぎれに無理矢理戸をあけようとする作兵衛の前に、庄左ヱ門が立ち塞がり両手を広げた

その姿に、怒鳴るまいと思っていた作兵衛の血管がぶちりと切れる


「時と場合を考えろ一年坊主!お前は自分の先輩を見殺しにすんのか!」

「委員長の指示は絶対です!鉢屋先輩も、考え無しにものを言う方ではありません!!」


金吾は庄左ヱ門が意地を張っているのかと思った

もしくは、外に出る恐怖の方が上回ってしまっているのかと

しかしそうではないことに気付いた

庄左ヱ門はしっかりと前を見ているし、足だって震えていない

鴇先輩のことを心配しているのは確かであった

だって、あの冷静で大人びた庄左ヱ門が唯一顔を綻ばせて駆け寄るのが鴇先輩だったし、兄を慕うように甘える相手は鴇先輩だったのだから


「此処を開けてはいけません」

「この、わからずや…」

「それでいい 黒木」


ピリピリと、互いの強い意志で空気がひり付く中、戸を一枚挟んだ向こうから、声が聞こえる

慌てて格子戸から外を見た金吾は、静かに息を呑んだ

木箱の山からガラガラと立ち上がった鴇が

笑っていた

それは自嘲のようなものでもなく、感情のないものでもなく

ただ、静かな表情であった

ふらりと歩を進め、トン、と戸板に背を寄り掛かった鴇の気配を背後に感じた庄左エ門が口を開く


「…僕、この扉を開けません」

「ああ、」

「鉢屋先輩にも、そう言われてます」

「それでいい 私が中に入れば、奴らは自由に此処を襲撃できるからね」

「…鴇先輩、僕は」

「お前は何一つ、間違えていないよ 黒木」


静かに肯定する言葉に、庄左エ門がぎゅっと拳を強く握る

その行動が、正しいのかそうではないのかと問われれば正しいのだろう

僕らには力がない

この戸を開け放って、この優しい人を助けられる技術も、力も

できるのは、こうやって庄左エ門のように鴇先輩の邪魔になるような要素を全部押さえ込むことばかりだ


「私の後ろにいておくれ それだけで私は、心置きなく刃をふるえる」


この状況で穏やかに笑う鴇が何だか信じられなくて、金吾はそっと窓から鴇を盗み見た

そして、金吾はぞっと背筋に何かが走るのを感じた

此処から見える鴇は米神から血が滴り落ちている

ぶつけて切ったのか、ポタポタと落ちるそれは全然大丈夫なようには見えない


「鴇せんぱ、」


大丈夫ですか、と問おうとした金吾の目を見て、鴇が静かにと口に指を寄せる

そしてもう片方の手で懐から取り出した苦無を砂埃に向かって投げれば、その奥でギャン!と獣の鳴く声がした

それを機に、聞こえる獣の唸り声が増す

その声に庄左ヱ門の肩がビクリと揺れ、戸板に小さな衝動が伝わったのだろう

鴇が落ち着けとばかりに小さく戸を裏手で一度叩いた

その音に庄左エ門がまたビクリと身体を震わせる


「黒木 私が喰われるとでも思っているのか?」

「思って、ません 鴇先輩は、お強いのですから」

「そうさ 私はこれでも腕がそこそこ立つ」

「…そこそこ、なんてもんじゃないです」

「はは、嬉しいなぁ」

「…僕、鴇先輩が負けるとこなんて、見たことないです」

「そうだよ 学級委員長委員会の委員長様だからね」

「あの、七松先輩にだって 鴇先輩は負けないんですからっ」

「あれに比べたら、こんなのは子犬のようなものさ」


まるで日常会話のように、笑って答える鴇と

声だけは聞こえるようにと無理やり張り上げる庄左エ門は対照的だ

庄左エ門の、太い眉がぎゅっと眉間による

いつもの淡々とした冷静な庄左エ門ばかり見てきた金吾にとってはそれはとても珍しく

そして痛々しくさえも見えた


「こんな夜はすぐ終わる だからさ、黒木」

「………はいっ……」

「お前が不安に思うことなんて、何もないんだよ」


その瞬間、ボロリ、と庄左ヱ門の目から大粒の涙が零れ出た

慌ててそれを擦って庄左ヱ門は平常心を保とうとしている


「何も焦ることもない 何も祈ることもない お前はただ、凛としていなさい」


鴇の言葉は、庄左ヱ門の心中を見事に言い当ててしまったのだろう

この場にいる誰よりも、鴇を心配しているのは庄左ヱ門だ

そして、きっと彼が負傷しているのを庄左ヱ門は知っている

初めての先輩

自分の所属する委員会の先輩

大好きな、兄のような先輩

手の届く距離にいるのに、助けられない自身の力量を嘆くのは庄左ヱ門自身だ

薄い戸板一枚を挟んで、鼓動さえ聞こえそうなくらい近いのに、この距離はどうしようもなく遠くて

信じるしかないこのもどかしさを何と例えよう


「庄…」


庄左ヱ門、と呼ぼうとする金吾を作兵衛が腕を引いて黙らせた

こんな時に声もかけてはならぬのかと思ったが、そうではないようだ

俯いていた庄左ヱ門がぎゅっと目を瞑り、パチンと自身の頬を叩いて無理やり顔を上げた

擦ったせいか赤くなった目をもう1度だけ強く瞑って、庄左エ門が深く息を吐いた

そして、


「鴇先輩」

「ん?」

「僕にできることは、他にもあると思ってます」

「…うん?」

「先輩、御入り用なものはありますか」


そう問うた

44_累月に折り重ねては見えたもの



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