- ナノ -

乱れてきた呼吸を落ち着けようと、深呼吸を数回繰り返す

塀を背にぎゅっと目を瞑れば、心臓が激しく脈打つ音だけが自分のなかに響く


(落ち着け、)


視界の端には幾人かの屍

冷たくなったそれらは、この手で自分が息の根を止めた侵入者たちであった

こちらに怪我はほとんどない

この数年で身につけた技術をこんな形で実感するのは少々複雑な気分であるが、正直今日はこんなところで躓く予定はなかった


(まだ、始まってもいないのだ)


三郎の帰還を待つ間、鴇は少し思案に耽っていた

それはこの数週間、ずっと脳裏を過ぎる疑問であった


(そもそも、何故私は鵺に目をつけられたのだ)


こちらはまだ十にも満たない子どもであった

6年も経った今、何故また鵺は私の前に現れたのか

接点と思われるようなところは正直ないのに


『君は、覚えているだろうか』


送りつけられた手紙の文言が脳裏に蘇って鴇はぎゅっと自身の身を抱きしめた


(忘れるものか)


忘れられるはずがない

家族も親友も、家も育ててくれた人も全て血の海に沈められて

圧倒的な暴力に蹂躙されて、孤独に打ち拉がれた私をあの男は嘲笑うかのように生かしたのだ

あの日、この首を刎ねてくれれば楽になれた

それをわざわざしなかった理由が、当時の自分にあったとはとても思えない


(これ以上、私に何を求める)


鴇がもっているものなんて、大したものはない

家は出た

家の財産も、身に余る分は処分した

父や祖父と親交のあった人達ともあの日以来関係を断っている

嘉神家の生き残りは、もう今となっては何ら利用価値もない

今の自分にあるのは、ほぼほぼこの身ひとつだ

この学園で培った知識と技術と、


(友だけだ)


ベトリと血で染まった苦無に目を落とす

あの日と何も変わらない赤黒い血

大嫌いな、赤い色

蹂躙される恐怖と、一方的な暴力の恐ろしさを鴇はこの身で知っている

しかし、また一方で鴇が自己防衛の手段として求めたのも「力」であった

指先1つ動かさず、言葉だけで情報を巧みに操って人を動かす術を覚えた

相手の耳元で甘く囁き、心を殺す話術を覚えた

多少思い通りにならねば、実力行使に出て跪づかせる武力を身に着け、

それは暴力にも似た危うさを孕むことを理解した上で使用した

もう、何年もこのやり方で鴇は生きてきた

それなりの信念はもって生きてきた自負はある

ただ、それが「正しい」のかはずっと答えがでていない

きっと白黒つけてしまえば、私は動けなくなるのを知っているからだ

それでも、


(それでも、こんなやり方ででも解決できるならば)


ぎゅっと目を瞑り、祈るように身体を丸める

守りたいものがある

失いたくないものがある


(私の、全てを捧げても譲りたくないものがある)


奪われる可能性が脳裏にそっと過ぎるだけで泣きたくなる

この数週間はずっとこの繰り返しだ

この思考に嵌まってしまえば動けなくなる

駄目だと軽く頭を振れば、そこに近づく気配

一瞬気を張ったが、無防備に近づいてくる気配には覚えがあって鴇は警戒心を解いた


「鉢屋、」


ドサリと流れ込むように鴇の横に腰を降ろした三郎が、黙って鴇へと寄りかかる

鼻先をふわりと血の匂いが過ぎり、いくらか装束についた血の量が増えたことに気づいたが、彼自身に怪我はないのだろう

本当に怪我をしたら三郎はいつも隠すように手当てをしてから鴇と合流するからだ

疲労から息があがった三郎が、目を閉じて鴇の肩へと擦り寄る

おつかれさん、と背を撫でれば三郎がコクリと頷いた


「水練池は?」

「侵入者5名、問題なし」

「池に放り込んだ?」

「まさか、授業でも使うんですよ?潜れば水死体とご対面なんて、私なら御免です」

「それでいい ありがとう、鉢屋」


小さく笑ってコツリと頭を寄せれば、三郎がようやっと小さく笑った

一息に報告をしてくれたが、三郎の息はまだ十分には整わない

あがった息と額に浮かぶ汗、触れる肌の奥で脈打つ心拍数が通常よりも早いことが物語るソレら

合図を打ち上げてから敵との遭遇率が一気に上昇したせいだ

危惧していたとおり、居場所のアタリがつけられている

じわじわと、包囲が始まるのかもしれない


「そちらは?」

「菜園は問題なし 此処に戻るまでに5名 此処で2名」

「怪我、してないでしょうね?」

「してないしてない 苦無1本駄目にしたくらいだ」


ヒラヒラと手を振れば、三郎が静かに安堵の息を吐く

一旦、二手に別れて周囲の様子を見回ったが、正直単独行動はもうやめようと三郎は思っていた

離れて行動して大体小一時間、定刻通り待ち合わせ場所に居た鴇を見て、張り詰めていた緊張がブツリと解けた

こうやって身を寄せて、会話をして初めて自分の中の血がゆっくりと流れた感じがする

鴇の腕に不安があるわけではない

自分なんかよりも数段腕がたつのだ、それは失礼というものだ

しかし、自分の手の届かない状態だとどうにも落ち着かないのだ


(こんなこと、今までの演習や委員会活動ではなかった)


委員会活動での忍務と訳が違う

相手ははなから鴇を狙っている

先程見回り中に三郎が撃退した輩だってそうだ 

鴇さえ差し出せば見逃してやる、と上から目線で条件を出してきた時点で三郎の沸点は振り切れて、随分荒々しい葬り方をしてしまった

冷静になれと自身を叱れど無性に腹が立って仕方がない

次から次へと沸くように現れる敵と、提示される飲めもしない条件

そのどれもが、見事に三郎の神経を逆撫でてくる


(…っ、まともに取り合ってどうする 気が乱されるだけだろう)


ガシガシと髪を掻いて強く息を吐く

あがった息を押さえようとぎゅっと目を瞑り、鴇へと身を寄せる

まだ春先の冷たい風に身体が急激に冷めていく

それが何だか落ち着かなくて手持ちぶさたに指先で鴇を探る

熱を求めた先に、そっと鴇の手の甲に触れれば、それに気づいた鴇が笑った


「どうした 寒いか?」

「……別に、」

「指先、冷たいな」


そう言って、優しく握られた手に三郎は驚いて鴇を見上げた

確かめるように鴇が三郎の指先をほぐし、指を絡める

引き攣るように固まっていた指先が、緩くほぐれていく


「血が通わないと、上手く動かせなくなるぞ」


お前はそれでなくとも低体温なのだから、と温かい熱が三郎に流れ込んでくる


(この人が、こんな人だからだ)


鴇は、いつだって緩やかに三郎を温める

乱れていた呼吸も、心拍数も、次第に落ち着いて、心地いい

こんな些細なことが、三郎にとってはかけがえのないものなのだ

鴇は、自分にとって無くてはならぬ存在だ

不慮の出来事で、理不尽に奪われることだけはどうしても我慢ならない

もう何日もの間、そのことだけを考えてきた

もし、そんな時が訪れるというのであれば、


(私は、)

「鉢屋?」


黙っていたのが気になったのか、降ってきた鴇の声に三郎は慌てて意識をもとに戻した

とやかく考える前に、まずはこの長い夜を何とか乗りこえるのが先だ

しっかりと血の通うようになった指を名残惜しいと思いながら鴇に解放してもらい、三郎は動けるよう体制を整えた


「まだいけるか?」

「私は大丈夫です 委員長は?一旦、救護棟へ引きますか?」

「いや、私もまだ大丈夫だ」


各自、武器や食料の補給が必要となれば救護棟へと戻る手筈になっている

まだ序盤戦というのもあり、戻る必要もないと言えばないのだが、そんなことは関係なく鴇は戻るとは決して言わないだろう

なぜならば、救護棟には下級生達が多く待機している

そこに標的と言ってもいい鴇が戻れば恰好の的だからだ

鴇の全身をそっと盗み見る

小さな掠り傷はあれど、大きな怪我はない


(まだ、戻らなくても問題ない)


鴇が戻らないと決めている以上、申告はされない

であれば、彼が無茶をしないよう体調管理も含めて三郎が意識しておく必要がある

鴇が三郎を頑固な後輩と言うように、鴇もまた三郎にとって強情な先輩なのだから

さて、これからどうしたものかと思っていれば、空気が揺れた


「…鉢屋、客だ」

「振る舞う茶もありませんけどね」

「すぐに帰ってもらうんだ 必要ないさ」


言葉と同時に、鴇が三郎の掌に指で文字をなぞる

敵との距離と人数、落ち合う方角の認識に相違がないことを確認して、三郎と鴇は再び闇に潜るのであった

























その時、金吾と庄左ヱ門、作兵衛は用具倉庫の中で立ちすくんでいた

工具や調合に必要なものを中心に持ち出し、最後に出ようした作兵衛に戸口の前で立ち止まった金吾が妙なことを言ったのだ


「何か、動きませんでしたか?」と


金吾は倉庫の外の光のない闇をただ見つめていた

その金吾の言葉に作兵衛もじっと目を凝らす

遠くで火薬の弾ける音などが聞こえたが、自分達の近くでは音がしない

一緒にきた他のメンバーは少し先に戻ったからか、辺りは静かなものであった

辺りには静寂と闇しかない、と思う

気のせいじゃないのか、と問うた時、そうかもしれないと意見を取り下げた金吾であったが、言葉とは裏腹にその表情が強張っているのを見た作兵衛は倉庫から出るのを促すことに躊躇した

何かに気付いたのが「金吾」であることに妙な警戒心が働いたのだ


1年は組、皆本金吾は体育委員会に所属する忍たまである

体育委員会のメンバーは、基本的に身体能力・動体視力が高い

それはもとからの素質ということもあるし、そういう訓練を七松小平太のもとで積んでいるからだ

直感と反射についてはかなりのものであることを作兵衛は知っていた

現に同級生の次屋三之助も、こういった気配を察することに長けている

実習でも日常生活でもその「何か」に何度も作兵衛は助けられてきたのだ

その後輩である金吾が確かに「何か」を悟ったのであれば、そこは侮ってはいけないような気がした


「金吾、」


もう一度確認しようと金吾に声をかければ、金吾も気のせいと見過ごせるものではなかったらしい

金吾の瞳孔は開いており、じっと先を見据えながら額には汗が滲んでいる

そんな後輩の姿を目の当たりにすれば、此処から外に出るという判断を作兵衛には安易にくだせなかった

どうしようか、と悩む作兵衛を待たず、今度は金吾が断言した


「駄、目です やっぱり、何か いる」


その言葉にギシリと身体が強張る

恐怖が足を地に縫い付け、ただゴクリと唾を飲み込んだその時である


「閉めろ!!」


何もなかった静かな闇から、突然大きな声が上がった

ビクリと大きく肩を震わせた作兵衛の前で、戸の近くにいた庄左ヱ門が咄嗟に反応する

力任せに閉めた引き戸に、何か大きなものがぶつかり、内にいた庄左ヱ門の身体が吹っ飛んだ


「!庄左ヱ門!?」


慌てて作兵衛が衝撃に弾かれた庄左ヱ門を受け止めれば、外からの声が続く


「富松!戸を抑えろ!突き破られるぞ!!」

「嘉神、先輩?」

「狼だ!!」


続いた声に慌てて作兵衛と金吾が戸を全身の体重をかけて抑えれば、もう一度大きな衝撃

わっ!と尻餅をついた金吾を見て、もう一度衝撃が来ればマズイと思っていれば、カカカ、と今度は戸に何か刺さる音がして、また静けさが訪れる


「何、の音だ 今の」

「鴇先輩が、苦無で威嚇したみたいです」


庄左ヱ門が倉庫の格子窓から確認したのだろう、その言葉に今のうちだと作兵衛と金吾が慌てて戸に衝立てをして鍵をかける

しっかりと固定できたことを確認して窓へと駆け寄ればそこには一人の忍たまが立っていた

今回の戦の中心人物、嘉神鴇である






ソレに気付いたのは、偶然であった


(…?何だ?)


侵入した敵の撃退を続けていた鴇と三郎であったが、人の動きとは違う何かが視界の端を過ぎるのを察知していた

遠ざかっていく気配はこちらに気付いていないことを指している

しかし、放置するという考えは鴇にはなかった

それらが向かう先には用具倉庫、そしてその奥には救護棟があるからだ


「鉢屋、」

「追います」

「気をつけろ、何かわからん」


追いかけてみれば、ソレは人ではないのだけは確かであった

学園でもスピードには定評のある鴇と三郎、2人が全力で駆けてみるものの、なかなか距離が縮まらない

何となくの気配と移動した方角だけは追えていたものの姿がはっきりと捉えられない


「…見えますか、委員長」

「……よくわからんが、この速さは人ではない」

「ハチのとこで飼ってる山犬ですかね」

「そうだといいんだが」


何か大きな動物であることはわかるが、何かがわからない

生物委員会で飼育している動物たちであれば、学園の生徒を襲うような真似はしないが、如何せん判断材料がない

しかし、竹谷は今学園の外にいるはずだ

そうなればこの侵入方向の説明がつかない

また気配が消えたそれらに眉を顰めながら、木の上から姿を探る鴇と三郎が目にしたのは、小さな灯りのついた用具倉庫であった


「…誰だ 何だってこんなところに」

「!委員長!」


こんな時間に誰だ、と思うなか、入り口から見えたのは3名

小平太の後輩である皆本金吾、その隣には富松作兵衛と自分の後輩である黒木庄左ヱ門

避難しているはずの下級生達の姿に鴇が息を飲む音がした

何故此処に、と疑問が過ぎったのと、消えていた何かの気配がまた動き出したのは同時だった


「鉢屋、見定めろ!」

「!了解っ」


息を整える間もなく、鴇も強く木を蹴って用具倉庫へと駆けるのであった








思いだしてみてもゾクリと肌が粟立つ

自分が戸を閉めるように指示を出さなければ、今頃彼らはコレの胃に収まっていただろう

とりあえず自分の背後の倉庫へと後輩達を押し込めて、鴇は闇の中から視線を外さなかった

戸は曲がるほどにはダメージを負ったが、学園の備品を管理する倉庫だ

一定以上の耐久力があったことだけは感謝したいものである

串刺しにしてやると投げた苦無が寸出のところで躱された

それを後ろ手で回収しながら闇を見据えていれば、追ってきた三郎が用具倉庫の屋根の上に降り立った


「…見えたか?鉢屋」

「えらく大きな狼が1頭」

「見識は?」

「…戦用に飼い慣らされてますね 人を襲うことに躊躇いがない」

「そうだ 気を抜くな」

「はい」


暗闇には確かな獣の気配を感じる

低い唸り声と強い視線


「委員長」

「いるな」

「はい、もう1頭」


低い唸り声だけ捉えて鴇は闇に目を凝らした

やはり気配だけで姿はろくに見えないが、確かに「いる」

ざわつく肌を押さえながら鴇は鉢屋、と合図を出した


「…目立ちますよ」

「構わん 今は見えない方が命とりだ」


鴇の指示に三郎が懐から何かを取り出し、地面へと投げた

小さな竹筒が地面へと落ち、中身が大地へと染みこむ

ツン、と灯油の匂いが鼻をついたと同時に、そこに鴇が爪先で強く地面を擦り、バチリと音が弾ければ炎が地面を走り、周囲を明るく照らした

最低限の光であったが、効果は絶大であった

闇が晴れ、今度ははっきりとソレを視認できた


(やはり、狼か)


想定どおり2匹いる

しかし、


(…でかい)


その中で目を引いたのは1匹の狼であった

学園で飼っている狼より2回り以上でかい

薄汚れた毛並みだが、低く唸るその口から見える鋭い牙は、簡単に下級生達の肉を裂けるだろう

火を見ても、そして武器を突きつけられても逃げないコレは、間違いなく戦闘用に飼育されたものだ

じっとこちらを睨む狼に、鴇も低く武器を持って構える


「委員長、」

「鉢屋、援護しろ」

「私が、」

「二度言わせるな 私がやる お前は援護」

「しかし、」

「うるさい 後輩の前でごねるな」


飛んできた言葉に反論しようとすれば、鴇が追随を許さぬ口調で言い切った

その語気に三郎は眉を顰めながらも小さく了解、と呟いた

本来なら消耗戦となる獣退治は上下関係からも三郎がやるべきである

しかし、鴇からの許可がでなかった

鴇の判断が入ったのだ、この獣は厄介であると


「指示はいるか?」

「庄左ヱ門達の救出と使役者の捜索」

「後者の見当はついてるか?」

「…そう遠くはないはずです 指示が出せて、こちらの様子が見える位置にいるはずだ

「ああ、獣だけ先に入れる馬鹿もいまい」


見たこともないくらい大きな個体はばらまき用の獣ではないはずだ

これが敵戦力の主戦力であるはずだ

その場合、使役者は必ず近くにいる

自分の手駒がたてた成果を、真っ先に得るためだ


「うまくやってくれ 多分、余裕はない」


鴇は普段三郎の心配を煽るような発言は基本しない

ただ、今回は勝手が違うのだろう

見たこともない、そして人外な獣の相手だ

人の思考を読むことに長けている自分達との相性がいいのかはわからない

撃退する力量がなければただ食い殺されるだけである

鴇もはっきりと仕留めるイメージがついてないのだろう、だから自分にはやらせないのだ

それでもこれは、と三郎は思う

相手は複数、そして一匹は完全に一対一で勝ちにいく用の獣だ

体躯がよく、一発でももらえば人間の方が重傷を負う

じわりと背中に汗をかく三郎の前で

鴇が腰からすらりと2本の小太刀を抜いた

大きく息を吸って、力を抜いたと同時に鴇が腰を落としてピタリと構えた

鴇が近距離戦でよく使う武器と構えで、三郎に譲る気が一切ないことだけがその構えからはっきりとしていた

こうなった鴇はテコでも譲らないことを三郎は知っている

納得したわけではないが、はーっ、と大きく溜め息をついて三郎が屋根の上から声をかけた


「…食べられないでくださいよ」

「お前の働き次第じゃないの?」


期待してるさ、と笑って呟いた鴇が、ひゅんと腕を回転させて小太刀から風切り音をだす

走る炎が揺らめいて、狼達の視線が鴇に定まる


「私が相手だ 犬っころ」


さらに鴇が姿勢を低くして唸るように笑う

もう鴇は前しか見ていない

こうなれば三郎は迅速にフォロー役に徹するべきである

鴇が地面を蹴って駆けだしたのと同時に、三郎もその場から動いたのであった


43_暗闇を潜る導火線



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