- ナノ -

嘉神鴇は、基本的に否定をしない忍たまであった

誰もが可笑しいと言うなかで、鴇はいつもただ静かに耳を傾けてくれていたと思う


『だって、お前はそうしたいのでしょう?』


自分が悶々とした時、癖のように鴇のところに足が向いたのは鴇なら自分を否定しないことをしっていたからだ

鴇はいつだって喜八郎のしたいことを理解していたのだろう

直情的に出した答えに、理屈付けをしてくれたのは鴇で、それは妙にストンと胸に落ちた

それが無責任なものではなかったことを喜八郎は知っている

あの時だって、鋤を武器にしたいと言った喜八郎の訓練をつけてくれたのだって鴇だ

長物が得意であった潮江先輩に身体の動かし方を教わるように助言してくれたし、

武器にするのであれば、と鋤の強度の強化方法を食満先輩に相談してくれたのも鴇だ


『鴇は、否定されることが多かったからな』


作法委員会室で何の気なしに呟いた喜八郎の言葉にそう返した仙蔵にどういうことか、と問うと、まずお前は困ったことがあれば私に聞きにこいと溜め息をついて、そして言ったのだ


『知っているか、喜八郎 鴇は歴代で一番不出来な学級委員長委員会委員長なのだそうだ』


日誌を書きながらさらりと述べた仙蔵のその一言に、喜八郎は眉根を顰めた

それがちょっとした会話なのかもしれないが、鴇を慕う喜八郎からしてみれば暴言であった


『…誰ですか そんなことを言ったのは』

『卒業していった有象無象な先輩方さ 何かと鴇を否定して、何かと鴇の足を引っ張るのが趣味だった』


長く細い指を折りながら、仙蔵が歌うように呟く

その美しい声とは裏腹に、とても汚い、耳にするのもうんざりするような言葉を


―『お前は一等頑固で、不出来だ』

―『これが学園の指示系統をまとめるというのか 笑わせる』

―『何かあった時にどう責任をとる お前にその力量はないくせに』

―『ああ、卒業された学級委員長委員会委員長も嘆かわしく思っていることだろうよ』

―『お前がこの学園を潰すのだ』


誰の言葉なのかは知らないが、嘲笑うようにつらつらとそれらの向上を述べ、仙蔵の表情からがすっと笑みをひく

ご自身で口にした言葉全てに反吐がでると言わんばかりに眉根を潜めて


『あれはまるで、呪詛だったよ』


恐らく当時を思い出してむかっ腹が立ってこられたのだろう

握っていた筆がパキ、と嫌な音をたてて軋んだ

それにいかんいかん、と笑いながら何でもないように仙蔵は作業を続けた

喜八郎は当時のことを少しだけ知っている

鴇が何をやっても一部の上級生に絡まれ、邪魔をされた時期

鴇は何でもないと言っていたが、それは学園内では結構有名で

この時、鴇が誹謗中傷にさらされると正面を切って喧嘩を買ったのは鉢屋三郎と立花仙蔵だった

ろ組の七松小平太と中在家長次は鴇自身が堪えているのを慮っていたのか、あまり正面から苦言を吐くようなことはしていなかった

そのあたりの機微は当時の喜八郎には理解できなかったが、特に親しかったろ組の先輩方にも考えがあったのだろう

その代わりと言わんばかりにキレまくっていた仙蔵の横顔と、あの時仙蔵が吐いた言葉を喜八郎はよく覚えている

とある日、またもや上級生にやられたらしい傷を潮江文次郎が不格好ながらに手当てして、その時に仙蔵は言ったのだ


『鴇の面子? はっ、そんなもの知ったことか』


自分の委員長である立花仙蔵は鴇とはまた違って清廉潔癖だった

2人の違いと言えば、仙蔵は鴇よりもかなり喧嘩っ早かった

謂れのない中傷に、嫉妬に混じった非難

相手にする必要はない、と疲れたように笑っていた鴇をよく仙蔵は怒っていた

鴇が止めるよりも先に相手のところに殴り込みにいって、その綺麗な顔からは想像もつかない辛辣な言葉を吐く

このあたりは鉢屋三郎もよく似ていて、そういう点では三郎は仙蔵に一目置いていたのだと思う

いや、きっと鉢屋三郎は鴇の味方になってくれさえすれば、よかったのだろう

誰でも、とまでは言わないが


『大体、何で鴇じゃなくてお前がキレている 仙蔵』

『何も知らぬ輩に友を否定されて、納得がいくというのか』

『鴇がそれを望んでるとは限らんだろう』

『その鴇が、今どんな有様かわかっているのか』

『……今は耐えるしかないだろう 鴇も未熟だ 言われても見返せるだけの技量がまだ鴇にはない』

『お利口なことだな 文次郎 当たり障りなく生きろと?』

『そうじゃねぇ!お前の気持ちもわかるが、鴇自身が堪えてるんだ お前達が騒いでは鴇もどうすればいいか困るだろうが』

『くそくらえだ 文次郎、私は私が認めるものを否定されるのが心底腹が立つ』


一向に引く気配を見せない仙蔵に文次郎は何度も眉を顰めていた

鴇がどこまで仙蔵が画策していたのかを把握してたのかは知らない

ただ、青ざめた様子で作法委員会へと駆けこんできた鴇は、仙蔵のその様子を見てぐしゃりと表情を歪めた

まだ今よりも幼くて、今よりも感情が出やすかった鴇は、仙蔵のその姿に心を痛めていた

そして、やはりそれは仙蔵の独断であったことを如実に物語っていた


『仙ぞ…』

『喜べ 鴇 言質はとった』


鴇が言葉を紡ぐより先に、仙蔵が小さな巻物を鴇へと投げてよこした

咄嗟のそれをしっかりと受けながらも、鴇は仙蔵に何か言いたそうな視線を投げかけた

それはそうだろう、鴇が案じたのは仙蔵の身なのだから


『仙蔵、もうこんな』

『次にお前に絡んできたら、それを叩きつけてやれ やられたら倍以上の力でやり返せば流石のアレも黙るさ』

『仙蔵、私は』

『あと、は組のアイツももう絡んでこないだろう 鉢屋が上手いこと虚をついた あとで褒めてやれ』

『仙蔵、いいんだ こんなこと、お前も鉢屋も、』

『こんなことではない!』


肩の打ち身に湿布を貼ろうとした文次郎の手を跳ねのけて、仙蔵が怒鳴った

すっくと立ちあがり、鴇の前へと仁王立つ

全身の痣に鴇がまた表情を歪めれば、鴇の胸倉を掴んで仙蔵が怒鳴った


『お前が目を背けるな』

『仙蔵、気持ちは嬉しい だけれど、』

『腑抜けたか 鴇』

『怖いんだ』


唇を噛みしめて鴇がポツリと呟いた

それでも仙蔵が手を緩めることはない


『何が恐ろしい』

『お前達の期待に、応えられない自分が』

『何をいまさら』

『お前も鉢屋も、私の何にそれだけ期待してくれるんだ』

『それでも、お前は今の立ち位置を抜けられないのだろう?』

『…それ、は』


もう一度、鴇の胸倉を強く引き寄せて、仙蔵が俯く鴇の目を正面から覗き込む

それを嫌ったのか、顔を背けようとした鴇を壁に押し付けて仙蔵がドン、と拳で鴇の胸を叩く


『鴇、これがあと3年、続くぞ』


その言葉にビクリとした鴇の目が揺れた

よく見れば、鴇の目の下にはうっすらと隈ができていて、顔も青白い

心労が多いのだろう、眉間の皺が癖になってきた鴇は言葉を継げないでいる


『折れるな お前はこんなところで止まる奴じゃぁない』

『………』

『お前は賢すぎる お前は自分のとる行動の先が見えすぎている だから動くことが怖いんだ』

『…それなのに、お前達は勝手に動く』


きゅっと噛みしめた唇から、鴇の小さな声が零れ出た

それが多少なりとも仙蔵への非難であることに仙蔵はニヤリと笑う


『そうだな』

『なんだって、』

『お前が消した案のひとつだろう 私達を使えば、ある程度の対抗案が作れるのに』


その言葉に鴇が驚いたように視線を合わせた

それを読んでいた仙蔵に驚いたのか

はたまた、そこまで読んでいた仙蔵が、鴇の嫌った案を率先したことに驚いたのか

それに満足したような笑みを浮かべた仙蔵に鴇の眉間の皺はさらに深くなる


『得られた結果は、お前が想定してた範囲だったろう 面白いくらいにピタリと当たる それが却ってお前を正気に戻してしまった』

『……………』

『鴇、その力は何よりも学級委員長委員会委員長に必要な力だぞ』

『…私は、お前達にそんな怪我をさせてまで、』

『自分の心配より私達の心配か 舐められたものだ』

『そうじゃない!仙蔵、私はっ…』

『私だって、お前にそんな顔をさせる相手を野放しにしておくほど寛容じゃない』

『だからといって、』

『五月蠅い』


もう一度、ただし今度は力を押さえて仙蔵が鴇の胸をトンと拳で叩く


『目に見える怪我ばかりが、重症ではない』

『……わ、たしは なれてる こんなこと、』

『鴇、お前がお前を殺している』

『………………』

『それを、黙ってなど見てられるか』


鴇がぎゅっと噛んだ唇から血がプツリと溢れたのを見た

ぎゅっと寄った眉と目に浮かんだ涙を零さまいと上を向いた鴇をぐっと仙蔵が抱き寄せた


『噛み癖ができるほど、我慢をするな』

『…人の、気も知らないで』

『はは、馬鹿め お前の気持ちなど、手に取るようにわかる』

『だったら、大人しくしてろ 馬鹿』

『怒りに打ち震えて寝れぬなど、馬鹿馬鹿しいぞ 鴇』

『え?』


喜八郎は驚いたが、どうも鴇は先輩方に戦々恐々していたわけではないらしい

思わず出た言葉に喜八郎ははっと口を手で押さえたが、仙蔵はクツクツと笑う


『お前ほどの激情家を、他に見たことがないよ 鴇』

『…うるさい』

『泣いて眠る夜なんて、とうの昔に過ぎただろう 目は腫れなくなった、いいことだ』

『……うるさいっ』

『思うように振るえ 私はそれが見たい』

『勝手な、ことをいうな』

『体裁だの謙遜だの、お前の性に合わんのだ 実力でねじ伏せる それがお前には一番似合う』


仙蔵はずっと見てきた

鴇がい組の連中を黙らせてきたのを

決して驕らず、決して自慢せず

淡々と上り詰めていく裏で、その燃えるような目を仙蔵は近くで見てきた


『鴇 お前が全てを薙ぎ払う姿が、私はどうしようもなく好きだ 』

『…全部見透かすお前が、本当にきらいだ』






(か細く、弱い人なんかではなかった)

(あの人が憂いていたのは、私達を想ってのことばかりだった)


暗い学園の中を静かに駆けて喜八郎は思う

ここにいたるまでの鴇のこだわりを

鴇は優先してしまう

私達の安全を

私達の未来を

自分が生きれる算段を持っていながら、それを平気で却下して


(選んだ方法は、きっと鴇先輩が一番嫌がる方法だけれども)


それでも、と思うのだ

明確だった、学園の全戦力を使えばもっといい策があったはずなのに

学園の半分以上を占める下級生に加え、自分達にさえ無理を強いなかった鴇の戦法は、あの日から何も変わっていない

それはそれだけ鴇が一人でこなせる実力がついた故か

それともまだやはり自分達は数にいれたくないほどか弱い存在だからなのか


(それでも、私だって願ってる)


あの人が穏やかに過ごせる日々を

あの中庭で、ごろりと彼の膝の上で過ごせる静かな逢瀬のひと時を

たとえ、自分がしようとすることが意味がないかもしれないが、願わずに生きていけるほど薄情なものに成り下がりたくない

小さく強く息を吐いて、喜八郎は鋤を再度強く握りしめるのであった


42_運命の輪の交わらないところ



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